断片01 A.D.201X/08/01~202X-1/05/23~202X/12/27

気付きたくなかった

 去年の、初夏より少し前の事だ。

 どうしても寝付けなくて、パズルゲームを延々と遊んでいて。

 ふと、昔の事を思い出した。


 思い出して、パズルのピースが綺麗に嵌まって、壊れたようにわらいがあふれた。




§




 高校一年生の夏休み、八月一日の午前中の事だった。


 逆井サカイ綾音アヤネという人間が比喩表現的な死を迎えたのは、この日が最初だった。そう推測出来る。

 日付けをはっきりと覚えているし、前日まで何をしていたのか、その瞬間まで何をしていたかも覚えている。


 前日まで、よく分からない宿屋か何かで一学年丸ごとカンヅメで勉強会をしていた。或いはさせられた。三日間、だったと思う。


 授業形式で応用問題を延々解いていたのだが、どれも全然解らなかった。そも基本問題すらギリギリなのに、応用など出来るはずもなく。質問しようにも休憩時間は十分じゅっぷんで、全部聞くには時間がないし、授業が全部終わってからも風呂だの食事だので、時間はなかった。


 ただただ、無力感ばかりが培われた。


 勉強会が終わって帰ってきた翌日、休日にも関わらず朝早く起床出来た私は、その瞬間までゲームをしていた。

 古いゲームだ。超能力を使える少年が、仲間たちと力を合せて宇宙人から世界を救うゲーム。

 独特の戦闘ルールに、独特な敵、ストーリー、キャラクター、アイテム……全てが新鮮で、全てが暖かくて、全てが──眩しくて。


 ゲームを進めていく内に、ふと、自分の胸にぽっかりとあなが空いていると、感じた。感じてしまった。

 それがよくなかったのだと、今では思う。




§




 次の日か、或いはもう少し後か。


 そろそろ、夏休みの課題をやろうかと、筆箱と数学のテキストをリュックサックから引っ張り出し、提出範囲の最初のページを開いた。

 シャープペンシルに消しゴム、赤ボールペンを出して。さあやるぞ、とシャープペンシルのペン先を紙面に置いて──


 ──出来ない。

 ペンが動かない。式を書けない。どうしてそうなるのかわからない。出来ない。

 問題の解き方が分からないのもあるとは思うのだが、教科書を見たり最悪答えを見てしまうという手もあるわけで。そういうわけではなく、


 初めての出来事に、この時は突然と思っていた出来事に困惑しながらも、時間をかけてなんとか一問解いた。


 ──なんか、胸の辺りが痛い。なんだこれは。なんだ、これは?


 計算とか、割と好きな方だ。だのに、数学の問題を解く事が、物凄く辛い。

 息も耳も詰まるような、強烈な不快感に苛まれ、結局、一時間かけて三問も解けなかった。


 水分補給も兼ねて休憩──勉強を中止して、それでも課題はやらないといけなくて。ならばと、課題を国語に替える。


 駄目だった。空欄に漢字を入れたり、文章を読んで設問に答えようにも、数学の時と同じような苦しさが絶え間なく襲ってきた。しまいには、シャープペンシルを持つ手に力が入り過ぎて、テキストに穴を空けてしまう始末だった。


 全ての教科で、この調子だった。


 どうしよう、と思った。悩んだ、のだと思う。

 勉強をやりたいやりたくないの話ではなく──勉強には苦手意識あるし正直後回しにしたいのだが──、強烈な苦痛に延々襲われるのだ。痛みで身体が動かなければ、それだけ勉強の進行が遅くなるし、課題提出もままならなくなる。


 何より、この強烈な痛みが他のこと、例えばゲームを遊ぶ時とかにも拡がってしまったら?


 誰かに相談しようにも、母親は『じゃあ自分とやることを交換しろ』とか理不尽な要求をしてマトモに取り合ってくれないし、弟は口をきいてくれないか『黙れ』と返されて終わる。こういう事を相談出来るような友達──寿樹コトホギメグミは疎遠になってしまったし、学校の先生たちには……『気持ちの問題』、とか言われそうで。


 そもそも、この痛みをどう他者に伝えればいいのだろう。何もしていなければ痛くもなんともないのに、いざ自分が苦手なことをやろうとすると苦しくなる、なんて。サボりたいだけ、と揶揄言われても、おかしくはない。というかその可能性が高い。


 たまらなく怖くて、たまらなく不安で。でも誰にも助けを求められなくて。

 怖くて、怖くて、怖くて。

 ……ゲームに逃げることしか、出来なかった。これだけは、やってて痛くなるのは嫌だったから。


 夏休みの残りはあっという間に過ぎて、毎年やってるなんかよくわかんないテレビ番組のよくわかんないマラソン──別に揶揄しているわけではなく、情報を頭に入れていないだけだ。信じてくれないだろうし、信じてとも言わないけど──が終わりに近づいて。


 そうして、この原因不明の痛みが治ることもないまま、あっけなく夏休みは終わってしまった。

 後に残ったのは、大量の、終わらせることが出来そうにもない課題。


 恐れていたことが起きてしまった。

 学校に行く事に、苦痛を感じるようになっていたのだ。

 終わっていないのに、さらに上乗せされる課題。いつ『出していない課題をどうするのか』と指摘されるのか、教室で大勢の生徒クラスメートの前で言われるのか、呼び出されて他の教師の前で言われるのか、周囲の生徒には何か言伝てされているのか、部活との兼ね合いは、家に連絡が行くのか──


 ああ、今思い出した。九月一日の事だ。

 怖くなって、学校の目前まで行って、登校しなかったのは。


 逃げ隠れられる所はないかと、市の図書館に行った。休館日だった。

 とにかく学校から遠ざかりたい。制服を着たまま、遠くにある、ショッピングモールへ行くことにした。

 バスに乗るお金はなかったし、どのバスに乗ればいいのか判らなかった。歩きで行くしかなかった。


 ショッピングモールに行っても、人の目が怖かった。『こんな時間に何しているんだ?』と思われることが。

 トイレの中に隠れて、やり過ごすことにした。清掃の時間は考えられなかった。


 どうやって時間を潰したのかよく覚えていないけど、暗くなった頃に学校がある方──市街地に戻っていた。

 段々寒くなってきて、でも居座れるような場所はなくて。……結局、帰宅するしかなくて。




§




 母親に、怒鳴られた。

 いや、それは当然と言われればそうなのだが。

 何を言われたのか、何を言ったのか、あまり覚えていないし、覚えている事も時系列バラバラなものがごちゃ混ぜになってるのだろうけど、こんな事を言われた覚えがある。


これからどうするの詰問の体でこんな感じの事を聞いてきた?」

「ちゃんと勉強するか、学校辞めるかを選べ」

「死ぬ気で努力しろよ死なないから」

「休むことは許さない」

「辞めてもいいんだよ? 中卒で頑張って働いてなんとかしている人もいるし」

「狂ったフリしてる」

「育て方失敗した」

出てけ踏みながら出てけ踏みながら出てけ踏みながら出てけ踏みながら





§




 後日、母親と弟と共に祖父の家に出向いた時の事。

 到着するや否や、私は祖父に、元は仕事部屋として使われた場所に連れ出された。

 どうやら、私の状態やらかしは、母から祖父にチクられていたらしく。


 会話の内容そのものはよく覚えていないのだが──思い出したくもない──、祖父は延々と自分が仕事や勉強やらで努力し続けたことを自慢するかのように話し続け、最後に私に、「貴方は努力していますか」と聞いてきた。


 正直、こんなの質問じゃなくて脅迫だろうと思った。納得するだろう答えは一つだけだからだ。


 味方はいないのだと、学習しました。




§




 私の、今も続いている苦しみは、結局、最後まで言えなかった。

 今思い返せば、言わなくて正解だったと、後で散々思い知らされたから、それで、良かったのかもしれない。


 だって、母親は努力出来なくなった人間逆井綾音に対して、


「理解される努力をしろよ」


 そう言ってきたのだから。

 その言い方だと、理解されない限り、私が努力の果てに死んでしまったとしても、あなたがそれを努力と認めない限り、何かをどれだけ頑張っても、努力にはならないのではないですか?

 私は、どんなことも、普段以上に頑張ってやっと人並みになるのに。

 なのに、それって……。


 たとえこう言った所で、返ってくる言葉はこれを悪用した揶揄でしかない。

 そう、学習しました。

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