第五話 というかそうであってくれ
事故現場から
玄関のドアを閉めて鍵をかけると、身体の力が抜けてしまい、その場にへたり込んでしまった。
バスと壁に潰されて右腕だけが飛び出している光景が、脳裏に焼き付いて消えない。
「う……」
吐き気が限界に達する。ここで吐くわけには行かないので、靴やら上着やらを脱ぎ捨て、トイレに直行する。割りそうな勢いで便座を持ち上げ──、
朝も昼もあまり食べていなかったからか、胃液しか出なくなるまでそう時間はかからなかった。
「はぁ……はぁ……嗚呼……」
消耗の苦しみに喘ぎながら、身体に鞭打つように立ち上がった。洗面台の蛇口の向きを逆にし、水を出して口の中をゆすぐ。
ゆすぎながら考える。
この、言い表しようのない感情はなんなのだろう、と。
ざまぁみろという高揚感、ではなく。
やってしまったという後悔、でもなく。
これからどうしよう、バレないよね? という不安、でもなく。
「…………」
分からない。判らない。解らない。
どうしようもなく、
口をゆすぎ終えても、なんとも言えない感覚が身体を支配している。
右ポケットに手を突っ込み、〝合わせ鏡〟を取り出す。見た目も重さも、昨日と変わらない。しかし私の目には、それが禍々しく映った。
「…………」
何も言葉にせずに〝合わせ鏡〟をポケットに戻し、トイレの中を見る。幸運にも、飛び散ったものはどこにも付いていなかった。それでも念のため、壁や床、便器をアルコールで拭いて消毒しておく。
〝合わせ鏡〟をポケットに突っ込み、脱ぎ捨てた靴を整え、上着やリュックサックを持ち、自分の部屋に向かった。
〝合わせ鏡〟を机に置き、引き出しを開けて
昨日の
後者は『恐らく』が頭に置かれるが、どちらも、私が〝合わせ鏡〟に触れて、『こうなればいいのに』と思ったことを言った直後に起きている。
状況証拠、推測、しかも情報が抜け落ちている。〝信用出来ない語り手〟というやつだろう。最近SNSで見た。
──もう一回事件を起こせば、適当な誰かに適当な方法で死ねと願って、その通りに人死にが起きれば、確実になるな。
そんな考えが頭を過り、
私が
でも、確かな──手応え、がある。この手で人を殺したという手応えが。
すぐに捨てろ、と寿樹が指示したのは、こういう事が起こるからなのだろう。時既に遅し、だが……
「……待てよ?」
寿樹の、取り返しのつかない事って。
「いや……いやいやいや」
まさか。寿樹に限って、そんな事するわけない。
アイツは中学生の時、私を守ろうとしてくれて、きっちり守り抜いてくれた人で。
優しさと強さと勇気と希望の権化みたいで。物語から飛び出してきた、ヒーローヒロインみたいなヤツで。私……
「別方向にヤバイ事とか……?」
というかそうであってくれ。
そう思いながら、〝合わせ鏡〟を睨む。
これは、一体なんだ? そもそも私は、この鏡の情報をほとんど知らない。
見た目以外には──寿樹からの贈り物、お金を生み出して空腹を癒してくれた、人を殺めた、くらいだ。
ダメもとで、スマートフォンを使ってインターネットで検索してみる。
真っ先に『紫の鏡』が出てきたが、これはこの単語を二十歳まで知っていたら不幸になる──地域によって差があるらしいし、これとは違う単語で同じ内容のものもあるらしい──というものだ。主旨が違うだろう。
小一時間かけて探したが、結局それらしい情報は出てこなかった。
「寿樹は、何か知っていたのか……?」
『危険な代物』。『取り返しのつかない事』。『簡単には壊せないし、捨てられないと思う』。
廃棄してくれとも書かれていた以上、少なくとも〝合わせ鏡〟に何かを願い、手放そうとしたようだ。手放すことは、失敗に終わってしまったようだが。
「……分からない」
分かるはずもない。考える材料は皆無に等しいのだから。
寿樹恵という人間は、オカルトな事柄を調べはしてもそれそのものの実在には懐疑的だった。具体的には、『三回見たら死ぬ絵』を六百六十六回連続で見たり、願いが叶うおまじないをしないどころか、おまじないする前に有言実行するような人物だった。
要は『願いが叶う魔法の鏡』なんかに手を出すことが、まずありえないのだ。
しかし、だ。
「寿樹は〝
疎遠になった数年で、何かが寿樹の在り方を大きく変えてしまった可能性はある。
「……知らないといけない、気がする」
〝合わせ鏡〟とは一体なんなのか。
……寿樹の死の原因も、知ることが出来るかもしれない。
考えた末、私は、〝合わせ鏡〟とは何か、どうすれば廃棄出来るのか、そして、寿樹恵の死の原因を調べることにした。
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