第四話 そんな風になりたくない

 私こと逆井サカイ綾音アヤネは、先々月──十月の末から、駅前の百円ショップでアルバイトをしている。


 県外に引っ越す家族と物理的に距離を取るために、お金が欲しくて始めた。何故駅前の百円ショップかというと……自宅から離れているから、これに尽きる。


 正社員で……もっというなら、月給が十数万円以上出される仕事を探すという案は、あったのだが……母親に執拗に勧められて、萎えてしまった。本当に、本当に勘弁して欲しい。私の性分も含めて。




§




 〝合わせ鏡〟が贈られた次の日。アルバイトのシフトが終わる頃。


「えっと……時間になったので、お先に失礼します」

「あ、はーい。お疲れ様です」


 店内を回って先輩全員に挨拶し、それから店長──職場の人、皆名前がまだ曖昧なんです。そろそろ一ヶ月経過しそうなのに。お願いですからこの事には気付かないでください──に挨拶をして、退勤をしに事務所に向かおうとする。


「じゃあ、私も上がりますね」


 そういえば、店長は私と同じ時間にシフト入ったんだったか。


「あ、はい。お疲れ様です」


 咄嗟に返事をして、先に事務所に向かう。

 聞こえないように、全身の力を抜くように──全くもって抜けないのだが──息を吐く。


 パソコンを操作して退勤し、エプロンの結び目をほどく。

 ハンガーラックから自分のジャンパーをかけているハンガーを取ったところで、店長が事務所に入ってきた。


「お疲れ様でーす」

「あ、はい」

「逆井君、仕事慣れた?」

「え、あぁ……」


 慣れてないです。レジで人と向き合うと緊張します、というか他人ひとが怖いです。ついでに言い間違え、言い忘れがないか怖いです。

 レジでなくても、これはあるかあれはないかと聞かれるのも怖いです。品物、何があるか覚えきれてないです。


 ……言えるわけがない。


「……えっと、少しだけですけど……はい……」

「そう? レジは慣れた?」

「あー……多少は。NANナンコード(注:バーコードの規格。今はバーコードに小さく書かれた数字を指している)の入力の仕方とか、覚えました」


 店長と会話しながら、ジャンパーをハンガーから外して羽織り、代わりにエプロンを結び付けた。


「そう。そろそろ一ヶ月経つから、ちゃんと、色々と覚えてね」

「が、頑張ります……」

「うん」


 ……ちょっとこれ以上は厳しい。退散しよう。

 エプロンを結び付けたハンガーをハンガーラックに戻した。ロッカーを開けて、麦茶のペットボトルをリュックサックに突っ込もうとして、


「ん?」


 何か、入れた覚えのない物の感触が指から伝わった。

 リュックサックを漁って出てきたのは、


「え……」


 出てきたのは、〝合わせ鏡〟だった。

 どうして? 今朝、出かける前には眠気がなくなっていた。寝ぼけて……ということはない、はずだ。


「どうかした?」

「え、いや、何でもないです」


 そう言いながら、咄嗟に〝合わせ鏡〟を右ポケットに突っ込んだ。


「大丈夫?」

「はい。えっと……じゃあ、お先に失礼します」


 そう言いながら、リュックサックを背負った。


「はーい、お疲れ様でしたー」

「はい……」


 何も起きないことを願いながら、事務所から店内に出て、スタッフ用通路を通り、外へ出た。


 見上げると、青空が見えた。どうやら晴れているらしく明るいのだが、青みのある影が道路を覆っていた。原理は全く知らないのだが、日の光が建物で遮られているから、なのだろうか。


「はぁ……」


 すっかり冬の冷たさになった外気を体内に取り込み、車道を横切って向かいの歩道へ急ぐ。幸い、車両は来なかった。


 今日は何も失敗がなくて良かった。前回は返品の仕方を思いっきり間違えてしまい、レジを詰まらせてしまったから。しばらく冷や汗が止まらなかったから。


「……あとどれだけ繰り返せばいいんだろう」


 今日か明日か、もう少しだけ先か。そろそろ給料が出るはずだ。引っ越し先どうするかとか、引っ越しの費用はいくらになるかとか、バイトの時の交通費とか食費とか通信費とか、とにかく沢山考えないといけない。やり方分からないけど、誰も教えてくれないけど、やるしかない。やるしか……。


 考えが堂々巡りを始めようとするのと同時に、バスのロータリーが近くなり、人の数が増えてきた。


「……めよう」


 一度立ち止まって、不安に思っていることを横に置く。

 こういうの、もう少し余裕がある時に考えよう。余裕がある時は来るのかと言うと、分からないけど……。


「そうだ、なんか食べて帰ろう……」


 ふと、この間の千五百円怪現象の余りがまだあるのを思い出した。

 美味しいものを食べても気分が上向きにならないのだが、食べないよりは僅かにマシなので、間食を摂ることにして歩き始めた。


 さて、食べると決めたはいいが、何にしようか。コンビニのおにぎりにでもするか、百円ワンコインでハンバーガーにするか──


「うわ!?」


 私と反対方向に向かう誰かに、思い切り左肩をぶつけられた。倒れそうになって壁に手を突く。もう少しで頭を打ちそうだった。


 ぶつかった誰かは、振り向きもせず足早に去ろうとしていた。

 謝れとまでは言わないけど、何かないのか? 気を付けろ、とか──


「────」


 ふと、何かで──SNSだったか、こんな言説つぶやきを見たことを、思い出した。

 こういう、他人に直接危害を与える人間は、得てして弱そうな、反撃してこなさそうな人を選んでる、といった感じだった。


 弱そうに見えたのか?

 だから、攻撃してきた?


 混雑しているわけでもないのに、というか道も広いから、いくらでも避けられるわけで。


 なんで、そんなことするの?



 気付いた時には、口から言葉がこぼれていて。

 次の瞬間には、ロータリーから飛び込んできたバスが目の前を横切り、肩をぶつけてきた他人に突っ込んでいた。


「…………へ?」


 あまりにも突然すぎて、一瞬、何が起きたのか理解出来なかった。

 今まで他人事のようにしていた誰かの悲鳴が聞こえてきて、やっと目の前で交通事故が発生した事を理解した。


 ふと、右手の中に手のひらとは別の感触があることを知覚した。

 見ると、右手はズボンのポケットを握りしめていた。


 ポケットの中にある、〝合わせ鏡〟ごと。


 まさかそんな。

 バスの先頭──肩をぶつけてきた他人と壁とを挟んだ箇所を見る。見ない方がいいと、分かっているはずなのに。


「……!」


 遠目から見えたのは、ひしゃげたバスの部品、ひび割れて崩れた壁と、助けを求めるように飛び出た右腕だった。


 私がぶつけられた箇所は、右肩。

 向こうから歩いてきた人に右側からぶつけられたのだから、ぶつけてきた人が使った肩は……。


「────」


 私は、とても恐ろしくなって。

 周囲のざわめきに飛び込むように、その場から逃げることしか出来なかった。

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