第三話 早く終わってくれ

「ただいま~、綾音あやね起きてるぅ~?」


 母親のこえが聞こえる。続けてドアが閉じる音。

 米炊いたりしなかったのは正解だったようだ。

 足音と気配がリビングから台所へ進んでくる。そうして姿を見せたのは、私の母親だ。美容室から帰ってきたらしい。

 

「ただいま」

「……うん」

「昼食った?」

「今やってる……」

「お金あるんだ」


 ないよ。なくてもお金欲しいって頼めないよ。『お金もらう時ばっかり良い子になる』って嫌味言われるから。


「…………」


 考えを言葉にせずにいると、母親が、まだ食べていないおにぎりとゴミを入れたレジ袋を見て、電子レンジを覗き込んできた。悟られないようにそっと距離を取る。


「それで足りるの?」

「大丈夫」


 物足りないと感じる量ではあるが、嘘ではない。

 ていうか、大丈夫じゃなくても何しないどころか、そう言ったらいきなりキレた事とあるじゃん。そんなやつに本当のこと言いたくないし。


「そ。陽太ようた帰ってきた?」


 陽太とは、私の四つ違いの弟だ。ここ数年あまり会話出来ていないから、どんな人間かと聞かれると、困ってしまうのだが……少なくとも、私よりか人間しているのは確かだ。


「帰ってきてない」

「やっぱり? あ、じいちゃん行く?」

「……なんで?」


 理由が分からず聞き返した。

 急に話題が変わったからではなく、急に予定が発生しそうになったからだ。


「今日クリスマスだから。寿司要らないの?」


 じいちゃん──要は私の母方の祖父の家では、誰かの誕生日やらクリスマスやらに集まり、寿司やらケーキやらを食べる、みたいな催しがある。

 正直に言うと、絶対に行きたくない。


「……ヨウいないけど」

「寿司とケーキ持って帰ってくればいいでしょ。アイツ友達と一緒のがいいんだろうから」

「でも」

「何?」


 母親の口調が、こう……キツく、嫌な感じになる。不機嫌になりつつある。


「…………分かったよ行くよ」


 次に待っているのは台詞は『文句があるなら家からいなくなれ出て行け』だ。いつもこうだ。


「三時くらいになったら行くからねー。トイレ行ってくる」


 そう言い残し、母親は台所から出て行った。


「…………はぁ……」


 溜め息を吐く気力すら無くなりつつある。

 面倒くさくなって、おにぎりを先に開けて食べ始める。

 味は変わらない。そのはずなのに、物凄く不味く感じた。

 



§




 午後三時四十六分。

 祖父の家に着いて、少し経った頃。


「……、綾音くん」


 もごもごとした、祖父の呼びごえが聞こえた。

 スマートフォンから顔を上げて、イヤホンを外す。禿げ気味の頭の、でっぷりと太った祖父が見えた。


 ……大音量で動画を見て、聞こえないようにしていたのに。

 正直話したくもないのだけど、『返事くらいしろ』と怒鳴られるよりはマシだから。仕方なく。


「……何?」

「バイト始めたんだって?」

「…………」


 暫く会っていないのに耳聡いのは、母親が告げ口しているからだろう。

 昔からそうだ。昔から……


 思考を無理矢理に掻き消し、返事だけする。


「うん……」

「素直にして、『頑張りますから、なんでもしますから』って言うんだよ」


 それやっても給料上がらないし、負担ばかり増えるんだけど。

 働くの久しぶりだから、少しずつ慣れていきたいんだけど……。

 ていうかまず、逆井綾音のことを『誰彼構わずこんな態度取るような奴』って思っているの? 心外にも程があるんだけど。


「…………」


 肯定するのは嫌だし、否定しても『なんでそんな生意気言うの』『なんで逆らうの』『何イキってるの』と人格否定が始まるからどっちもしない。

 そもそも……いや、思い出したくもない。

 笑顔を見せてはいそうですねと出来ればいいのだけど、家族たにんに腹芸するリソースはもう残っていない。


「……ちょっとトイレに」


 会話を断ち、立ち上がってリビングから廊下へ出る。

 誤魔化したのではなく、本当にお手洗いに行きたいのだ。


「……あぁ~……」


 便座に座り、頭を抱える。もう疲れた。


 もう一回、一人暮らしをしたい。心身ともに一番調子が良かったの、家族から物理的に距離を取り、仕事もなかったあの一か月間だったから。

 このままじゃ、もう一度そうしない限りどんどん私という人間は荒んでいくんじゃないか。そんな恐怖が、ずっとつきまとっている。ここ五、六年間ずっと、ずっとだ。


 嗚呼、何やってんだろ、私……。

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