第二話 牡丹餅を見て君を想う

「……そういえば」


 自分の部屋から出て昼食を食べにリビングに向かおうとしたところで、ふと思い出して立ち止まる。

 結局、届け物──〝合わせ鏡〟の差出人は誰だったのだろう?

 同封されていた手紙は、間違いなく寿樹コトホギの文字で書かれていた。最後の文は何か違和感があったが。

 手紙の内容もだ。何故すぐに廃棄するように頼んだ? 願い事を叶えるとは?

 疑問は解消されず、保留したままだ。


「…………」


 ズボンの右ポケットからスマートフォンを取り出す。

 一番手っ取り早いのは、『寿樹の家に連絡を取って確認する』なのだが──


「……いや、止めよう」


 暫く娘と疎遠になっていた相手──これでも一応異性だ──からいきなり『亡くなった娘さんから届け物が』だなんて、相手にされないか、不審に思われるかだ。最悪、相手の怒りを買いかねない。


「シュレディンガーの猫であれ……」


 適当に思い付いたフレーズをひとりごち、改めてリビングへ向かい、その先の台所にある冷蔵庫へ向かう。

 特別何かを食べたいわけではないのだが、空腹には勝てない。何かないだろうか。

 冷蔵室、卵とお茶と調味料がある。上段・下段冷凍室、ない。野菜室、ない。製氷室、あるが腹の足しにはならない。

 台所を漁ると、白米といくつかの缶詰め、お茶漬けの素なんかも出てきたが──出来合いの物がなかった。


「えぇ……?」


 材料があるのだから、米を炊き卵を焼くか茹でるかすれば、後は缶詰で済む話ではある。あるのだが……。


「怒られるしなあ……」


 母親が台所を使うなと言うだろう。

 洗い物ちゃんとやるし、火の扱いには気を付けると説明をしても、『やんなくていいから』の一点張りだ。こっそり使おうにも、途中で帰って来たら一層面倒な事になるだろう。

 かといって缶詰だけで済ましても、変な疑いを持たれるだろう。ダイエットとかと勘違いされて、からかわれるの嫌だし……。


「買ってくるか……」


 買ってきたとして、食べた後のゴミを見て何か言われそうな気がするけど、食べないよりはいいと思いたい。

 めんどくさいことを起こしたくないけど、空腹には勝てないのだ。




§




「……ない」


 財布の中身を見て、絶望を口から吐き出した。

 十円しかない。コンビニでおにぎり一つどころか、駄菓子一つ買うことすら出来ない。他には大してポイントが入っていないポイントカードとレシートくらいだ。

 どこかに折り畳まれた状態で残っていないかと中身を全部出してテーブルに広げてみるが、結果は変わらず。


「あー……?」


 いつからこんな有り様だったのか思い出せず、レシートの日付けを確認していく。一番新しい物のそれは昨日だった。バイトの前に昼食を買った時のものだ。


「あー……」


 コンビニで会計した時の記憶を掘り返して、納得した。

 お金がなくなったからヤバイと思ったこと、ついでにバスに乗らずに徒歩で帰らざるを得なかったことを思い出した。

 さて困った。

 十円で駄菓子を買うという選択肢は思い付いたが、絶対に空腹は消えない。

 台所は使えない、使いたくない。

 預金は四桁もないし、バイト代はしばらく先の話だ。

 ……詰んでる。或いは食べないという選択肢以外ない。


「あーあ……」


 またお小遣いくださいと頼まないといけないのか、また『お金もらう時ばっかり』と言われないといけないのか。

 やるせない思いを吐息に変えて横になろうとして、頭の下に件の〝合わせ鏡〟を敷いてしまいそうになった。


「あ、危ない……」


 寸でのところでそれに気付き、身体を起こす。さっき部屋を出る前に片付ければ良かったとほんの少し後悔し、


「…………」


 なんとなく〝合わせ鏡〟を手に取り、手紙の内容を思い出し、


「お腹いっぱい食べ物を買えるだけのお金が欲しいなあ……」


 今一番欲しい物を口に出してみて、当然のように何も起きなくて。


「…………。あほらし」


 自重するように言って、一先ず〝合わせ鏡〟をダンボール箱に戻した、その時だった。

 紙が落ちたような音と、小さな金属が落ちたような音が、背後から聞こえた。


「ん?」


 千円札と五百円玉がそれぞれ一枚ずつ、床に落ちていた。


「えっ」


 お金が落ちている場所には、さっきまで何もなかったはずだ。

 まさか母親がと思い、視線を上げる。誰もいない。

 部屋の外に出て、他の部屋を見て回る。風呂やトイレ含めて自分以外誰もいなかった。部屋に戻ると、お金はそのままそこに在った。


「じゃあ、」


 じゃあ、これはなんだ?

 ありがたいのはありがたいのだが。

 不気味なのは不気味だ。


 自分以外の、知らない誰かがどこかに隠れたままでいる、という思い付きが頭を過り、すぐに否定する。そういうことをされる覚えはないし、母親や弟がそんな話をしているのを聞いた覚えはない。


「……まさか」


 千五百円を避けるようにダンボール箱へ向かい、手紙を取り出す。


「……『 でも、もし本当に困った時は、鏡に直接触れて、その時どうしたいのかを願ってください。きっと願いが叶います。』……」


 〝合わせ鏡〟が、願いを叶えた?

 まさか本当に?


 ありえない、と思った。無から有を生み出したことになるから。

 しかし、これ以外に原因は──


 そこまで考えたところで、お腹が盛大に鳴った。


「う……」


 それに続くように、腹痛にも似た何とも表現しにくい感覚に襲われた。言ってしまえば空腹感だ。


「『背に腹は』、か……」


 目の前に現れた千五百円異常を手に取り、財布に突っ込んだ。




§




「買えた……」


 コンビニに行って帰宅し、ドアを閉めてすぐ。思わず口に出した。

 左手に提げられた有料レジ袋の中には、鮭と梅干しのおにぎりが一個ずつと豚汁が一個。


 突如出現した千五百円はちゃんと日本銀行券だったようで、コンビニの自動レジに当然のように吸い込まれ、お釣りもしっかりと返ってきた。

 こうなったらいっそ全部使おうかとも考えたが、空っぽの財布を見た時を思い出し、止めた。


 靴を脱いで台所へ直行し、電子レンジに豚汁の容器を入れる。温める時間を確認し、タイマーをセット。おにぎりは温めなくてもいい。なんなら、先に一個だけ食べてしまおう。手洗いうがいは後回し。今は兎に角、モノを胃袋に納めたい。


 約百五十円のおにぎりは、信じられない程──中の具がこぼれないように少し急いで食べたことを軽く後悔するくらいには──美味かった。

 豚汁はまだ温まらない。レジ袋からもう一つのおにぎりを取り出し、代わりに残骸ゴミを突っ込む。このままゴミ袋にしよう。

 空腹感が去りつつあると感じながら、電子レンジの中を見る。


「……ありがとう、寿樹」


 彼女自身はすぐに捨てて欲しいのだろうけど、それが怪現象を起こしたのだとしても。それでも腹を満たすことが出来た。ならば、感謝を口に出してもいいと思う。

 彼女のためにも、〝合わせ鏡〟は早めに処分してしまおう。恐らくお金を出してくれたようだから、その点は申し訳ないのだけど。


 そうこうしている内に、電子レンジのタイマーが0に近づいてきた。蓋の取っ手に手を伸ばした、その時だった。

 玄関の鍵穴が回る音が聞こえた。


 ビクリ、と身体が跳ねた。別に悪い事をしているわけでもないのに。

 個人的に、鍵やドアの開閉する音には個人差があると思う。どんな感じに、と聞かれると回答に困る、『なんとなく』程度の差異なのだが。

 ドアが開けられる音がした。鍵のそれとセットで、誰が入ってきたのか嫌でも解ってしまう。


 今生の仇、といった表現をしてしまいたくなる存在。


「ただいま~、綾音あやね起きてるぅ~?」


 母親だ。

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