授業の常識

KeeA

国語の授業

 これは、私が中学一年生の時の話である。当時の私は本を読むことが大好きで、暇さえあれば本を開いて物語の世界へ飛び込んだものだ。


 その日の二時間目が国語だったのを覚えている。一人ずつ音読した後、先生から渡されたプリントに書いてある問題を解くように言われた。先程音読していた時とは打って変わって静まり返った中、カリカリと文字を書く音と、先生が教室内をゆっくりと徘徊して靴と床の擦れる音だけが響いていた。よし、できた、と心の中でつぶやく。そんなに難しいものではなかったため、スラスラ解けた。しかし思ったよりも早く解いてしまったらしく、周りを見るとクラスメイトはまだ忙しそうに鉛筆やシャープペンシルを動かしていた。じゃあ、今読んでいる本の続きでも読もうかな、と思い、机から文庫本を引っ張り出した。しおりを挟んだページを開き、読み始めた。

 すると、突然。

「何やってるの! 本読んじゃダメでしょう⁈」

 と先生が大声を出したのだ。いつの間にすぐ横まで来ていたのだろう。不意を突かれたため、叱られている、と分かったのはしばらく先生の小言を浴びた後だった。何故怒られなければならないのか。何に対してこの人は怒こっているのか。考えてはみたが全く見当もつかない。先生の叱る勢いと驚きが強すぎて「問題を解き終わったから本を読んで待っていた」と言うこともできず、ただ黙って先生のブルドッグのような怒った顔を見ていた。


 結局、私は謝らなかった。何も悪いことをしていないと思ったから。与えられた課題が終わり、国語の授業なので、待ち時間に本を読む。絵を描くわけでもなく、「内職」をするわけでもなく、「文」を読んだ。国語の授業中だったから。そして、それが「間違い」だとは思っておらず、むしろ「正しい」と思っていた。

 私からしたら、相当理不尽な怒られ方だった。だってそうでしょう? 先生が話している時に読んでいたわけではないのだから。授業後に友達に愚痴をこぼしたのを覚えている。しかし、その友達はいわゆる「優等生」で「大人」だったため、きっとすでに分かっていたのだろう、私の行動は褒められたものではないと。今思えば、いろいろな意味で私は人より少々「ズレた」中学生だったのだろう。

 

 そもそも「授業中に本を読む」という行為が許されないと分かるようになったのはいつだったのだろうか。きっといつの間にかそんな風に認識していた。「普通」とは、「常識」とは何か。誰が決めるのか。集団が変われば「普通」や「常識」も変わってくる。それをうまくくみ取り、今までの常識を一旦忘れ、それに順応していかなければならなくなる。


 そういう社会の「見えない規律」にがんじがらめになって私は今日も生きている。

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