エピソード2-25 不穏な影
一方その頃、始まりの森の入場口では。夕日が沈み、空に満月が浮かんでいる中、始まりの森の入り口を警備していた私兵団数名がすやすやと眠っている。
暗闇に揺らぐ、人の影。森の中へと入っていった。月明かりの下、明かりもなしに森の中を進む人影。手にした銀色の香炉からもやが漂い、周囲へと広がっていく。
森を歩く魔獣も、人も、香の煙を吸っては皆、パタンと寝転げてしまう。
一方その頃ルクソニアは食堂でデザートを食べていた。
「うーん、美味しいわ! このさくらんぼのゼリー! エドガーもパパも勿体ないことをしたわね。こーんな美味しいゼリーを食べ損なうなんて!」
頬に手を当て、うっとりした表情で言うルクソニア。ルクソニアが座る席の脇には、副メイド長のアンが控えている。
「それは良かったですわ。今日はお一人でのディナーになりましたから、シェフに頼んで腕を奮ってもらったんです。
お嬢様がお気に召されて安心しましたわ」
にっこり微笑むアン。
「アンも一緒に食べたらいいのに」
アンは、穏やかな声色でそれをたしなめた。
「それは出来ませんわ、お嬢様。
私たちは一介の使用人。主人と一緒にディナーをとるなどもっての他です。
私がメイド長に怒られてしまいますわ」
ルクソニアはアンを見上げた。
「私がいいって言ってもダメなの?」
アンは軽くため息をこぼす。
「ダメですわ。そこの線引きがとても厳しいお人ですから、メイド長は」
ルクソニアはしゅんとして下を向いた。
「そうなの。残念だわ」
アンは、ルクソニアが落ち込んでいることを察して、軽く咳払いをすると言った。
「でもお嬢様。いつ何時でも私が側に控えておりますから、お一人で寂しい思いをなさることはないでしょう?」
「そうね!
今日もこのあと、お風呂に入ったあと、踊り子時代のお話をしてくれるものね!」
その時丁度、ワゴンを引きながらお団子頭のメイド・メアリが食堂に入ってきた。食べた食器を片付けるためだ。二人の話をたまたま聞いたメアリは、パタパタとワゴンを押しながら二人に駆け寄ってくる。二人の側につくと、開口一番こう叫んだ。
「アンさん、踊り子だったんですか!?」
アンは、頭に手を当て、ため息をついた。
「メアリ。慌ただしいわよ。お嬢様がまだ食事中なんだから、静かになさい」
メアリは怒られてしゅんとしながら、上目使いでアンを見た。
「だって気になるんですよ。アンさん、謎が多いから。
私生活も謎に満ちてるっていうか、ここに来た経歴とかも謎だったし。
まさか前歴が踊り子だったなんて意外でしたけど、私もその話聞きたいです!」
目をきらめかせながら言うメアリに、アンが折れた。
「ふう、まったくもう、しょうのない子ね。仕事を早く切り上げることが出来るなら、一緒に聞いてもいいわよ」
メアリが嬉しそうに言った。
「本当ですか!? じゃあ超特急で仕事終わらせてきます!
お嬢様、空いたお皿、お下げしますね!」
メアリは手際よくルクソニアの背後にワゴンを滑らせ、ささっと空いたお皿をワゴンに乗せていった。
「お嬢様、早くゼリーも食べちゃって下さい! 私、忙しいんですよ?」
ルクソニアの背後に立ち、そわそわした感じで食べ終わるのを待つメアリ。そのそわそわが背中から伝わり、落ち着かない様子でゼリーを食べ終えるルクソニア。
「ほら、もう食べたわよ?」
ルクソニアが空になった器をメアリに見せると、メアリはそれを奪うようにひったくり、ワゴンに乗せて走り去るように食堂を出ていった。それを見て、顔を見合せ苦笑いをするルクソニアとアン。
風が強いのか、カタカタと窓が揺れる音が食堂に響く。何かに気がついたアンが、ルクソニアに言った。
「風の精霊が騒いでいるわね……。
お嬢様。少し気になるので、私、一旦私兵団の様子を見て来ますわ。ここでゆっくりと紅茶でも飲んでお待ちくださいね」
アンは手慣れた手つきで紅茶をいれると、ルクソニアの手元にカップを置く。ルクソニアはそれを手にして言った。
「わかったわ。暗いから気を付けてね、アン」
アンは恭しく頭を下げた。
「では行って参ります。20分ほどしたら戻って参りますので、その間大人しくしていてくださいね?」
ルクソニアは頬を膨らませた。
「もう、アンまでわたしを子供扱いして!
わたしもう5歳なのよ?
お姉さんなんだから、一人で紅茶を飲んで待つぐらい出来るのよ!」
「そうですか。なら、安心ですね」
アンがクスッと笑いながらそう言うと、ルクソニアの頬がますますふくれた。それを見て思わず吹き出してしまうアン。
「ふふ。では行って参ります」
アンが食堂を去り、ルクソニアは一人になった。
食堂を出た後、アンは月明かりの下、早足で廊下を歩いている。私兵団が警備しているのは、古城を取り囲む壁の内側ーー古城の敷地内だ。急いで歩けば食堂から10分で、城外へと出られる距離である。
(ーー何かがおかしいわ。城内が静かすぎる。普段なら、シーツ交換やお風呂の準備、食事の上げ下げでいつも人がバタバタと忙しなく働いている時間帯。食堂を出てから今まで、誰ともすれ違わないのはおかしいわ)
アンは、不安に駆られながらも歩を早めた。
ふと、廊下の真ん中に食器をのせたワゴンがあった。その近くに黒い影が見える。その影に近づいてみると、先程わかれたメアリだった。廊下に倒れているメアリを抱き起こし、アンは声をかける。
「メアリ! 大丈夫!? 何があったの!?」
メアリが、口をむにゃむにゃ動かせながら言った。
「もうー、そんなに食べられませんってぇ……」
幸せそうに眠るメアリの姿を見て、アンの目が点になった。
「……もしかして、寝てる……?」
アンは一拍置いたのち、メアリの頬を一発叩いた。
しかし起きない。
アンは渾身の力で往復ビンタをしても、メアリは全く起きる気配がない。アンは、メアリの頬を叩くのをやめた。
ふと、甘い匂いが微かにしていることに気づく。そしてアンのまぶたも、だんだんと重くなっていくーー
(この匂いーー
アンは自信の頬を思いっきりひっぱたいた。
(寝ないようにしないと。
誰かが無許可で敷地内に入ったんだわ)
ーー例えば、なんすけど。
……青の王子の陣営……とかだと、うちみたいな辺境貴族の支持でも、喉から手が出るほどほしいんじゃないっすかね。ーーそれこそ、
エドガーの言葉がアンの頭のなかで響いた。仮定だった話が現実となって今、起ころうとしているのかもしれない。
(ヨドさんはしかるべき時に、使者を出すと言ったわ。もし、それが今だとしたらーー)
アンはメアリを廊下の端に寝かせると、口元にハンカチを当てて立ち上がる。
その瞳の先には、暗がりに紛れてこちらへと近づいてくる人影が。
廊下に響く、足音。
アンがごくりとつばを飲み込んだ。
段々と近づいてくる人影と深まる眠気にくらくらしながら、泣きぼくろが印象的なメイド・アンは警戒感を強め、身構える。
月明かりの下、露になった顔に、アンの目が大きく見開かれた。
「……どうしてーーあなたが、ここに……?」
月明かりが照した姿ーーそれは
「……今晩、赤の陣営とは今後のことについて……会食予定だったはず。なぜここへ……?」
くらくらする甘い匂いに顔をしかめながら、アンが聞く。
「姫を守りに来たのさ。ナイトとして。」
「ナイトですって……?」
「そう、ナイトだ。
ーールクソニア姫をいただきに来た」
ふわりと眠気が来て、アンは立っているのもやっとな状態から、うっかり前に倒れ込みそうになった。
(ーーいけない、このままじゃ!)
アンはスカートの中からナイフを取りだし、その刃を思いっきり腕に刺した。じわじわとメイド服が赤く染まっていく。アンはメイド服からリボンを外し、手早くそれで刺した腕を縛ると、ナイフを構えた。
「
アンの額に汗がにじむ。
「どうして……、それを……?
あなたの目的はなんです……」
「目的?
目的はさっき言っただろう?
ルクソニア姫を守るためさ」
「守る……? 連れさらう前提で……?」
「それも致し方ないことさ。
時間がないんだ。
あなたたちには姫は任せておけない」
「どうして……?」
ふらふらしながらもジュドーに近づく、アン。
「どうしてって、そりゃあ予言の時刻までタイムリミットが迫っているからさ」
「ヨドさんの、予言……信じているのね……」
「嘘は言ってないようだったからな。それに、赤の他人に姫の命を預けることはできない」
アンが、汗をだらだら流しながら微笑んだ。
「赤の他人というのなら、あなたもじゃない……。どうしてお嬢様にこだわるの……?」
「それはーー
ルクソニア姫が、赤の王子の実の妹だからだ」
アンは立っていられなくなって、ふらふらと壁際に歩き、壁に背中を預けた。
「大して驚いてないみたいだな。俺がなぜそれを知ってるのか、疑問に思わないのか?」
アンが荒い呼吸で言った。
「……お嬢様の舌に刻まれた、
ジュドーはにっと笑って言った。
「ご名答。リーゼンベルク殿の反応から、
そして5年前にあった、虹の王の手による赤の姫の殺害ーーあれは偽装だったんじゃないかと、疑惑が確信に変わったんだ」
アンがふふっと笑った。
「……妄信的ね……。違ったらどうするの……?」
「その時はその時さ。
ーーさあ、そろそろ眠たくなってきただろう?
眠る前に姫の居場所を吐いてもらおうか」
アンが笑った。
「教えるわけないじゃない……」
「だよなあ。地道に探すか」
ジュドーは手にしている
アンは歯を食い縛りながらも、ズルズルと地面へとしゃがみこんでしまう。
「……あとが怖いわよ……誘拐なんてしたら、旦那様は手を貸さないわ……。
それでも、いいの……?」
ジュドーがアンを見た。
「人質がいれば、言うことを聞かざるを得ないさ」
アンが、地面を見て言った。
「それが……本来の目的……?」
ジュドーはうつらうつらしているアンを見て、ふっと笑った。
「大切なものを囲い込むのが、うちの大将の癖なんだよ」
ばたっと糸が切れたように、アンが地面に倒れ込んだ。
その夜ルクソニアは、赤の王子の使者である、ジュドーの手によって誘拐された。リーゼンベルクらがそれを知るのは、それから5時間後の事である。
無能姫はショボいバリアで無双する。 だんち。 @danti
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