秋の蜻蛉の行く末

 紅葉が色づき始めた頃。

 四季しき宵一郎よいいちろう宗治むねはるる寺院へと足を運んでいた。


蜻蛉寺かげろうでら』と呼ばれるその寺院には四季の古い友人が僧として修業をしていた。

 四季はその友人の依頼で奉納した御神刀ごしんとうの手入れをしに蜻蛉寺を訪れていた。


「ああ、四季殿。長旅お疲れ様でございます」


 寺院の門前に、人影が現れる。彼の友人であった。四季は一礼し門の端をくぐり、友人に挨拶を返した。


「私もいい機会でしたから。長旅、楽しませて頂きました」


「そうでございましたか」


 四季と友人は微笑み合った。

 立ち話もなんですから、と友人が寺院内へと四季を誘導する。


 庭の紅葉を見ていた四季が足を止める。

 目の前に現れたのは今回の依頼品である御神刀。

 名を、秋津紅葉あきつもみじと云う。


『秋津紅葉』は、紅葉の刃文が施されている大太刀である。

 諸説あるが、日本では古く蜻蛉とんぼ秋津あきつと呼んでいたと云う。蜻蛉はこの寺院、そして蜻蛉は秋を呼ぶことから四季はこの名を付けた。

 紅葉もみじ型の刃文の中に透き通る蜻蛉のはねを想像したその大太刀は、御神刀としての役割を十二分に果たしていた。


 しかし、少しばかり様子が可笑しいと四季は感じた。『秋津紅葉』から、何か禍々まがまがしい気を感じたのである。

 四季は「失礼」と断り『秋津紅葉』を手に取った。ガチャリ、と鞘から刀身が抜かれる。

 刀身は、不自然にびていた。


「……これは……」


 四季は顔をしかめる。

 隣に控えていた彼の友人に問う。


「……この秋津紅葉ごしんとう、最近使われましたか?」


「……いえ、わたくしは何も……。もしかすると和尚様が何か存じているかもしれません」


「詳しく、お話を聞きたいのですが、和尚にお会いできますか?」


 四季は余裕の無い表情で友人に迫った。友人は事の重大さに気づいたのか、早速和尚を探しに出た。

 四季は考えていた。この不自然な錆び方の原因を。

 だが、導き出される結論は一つのみである。


 * * *


 和尚が四季の待つ部屋へと現れた。


「四季殿、お待たせいたしまし、」


「和尚。単刀直入にお尋ねする。私を呼んだのは、手入れの件ではございませんね?」


 四季は和尚の言葉をさえぎった。そして、不自然な錆び方の原因である導き出された結論を、和尚へと突き付けた。


「――……これは、に使われましたな?」


 四季の言葉に、和尚は息を呑んだ。


「この錆び方は不自然にございます。人を殺さなければこうはならない。……血を吸い、味を憶えてしまった『秋津紅葉』を手折る為、私をお呼び立てしたのですね?」


 和尚は、その重たい口を開いた。


「…………その通りでございます」


「……なるほど。下手人は如何いかがなされた?」


「下手人は既に捕らわれております。この蜻蛉寺に、恨みを持つ者でございました。御神刀を持ち出し、幾人かの僧らを斬り捨てました」


莫迦ばかな事を。御仏みほとけの眼前で人を斬り捨てるなど、死よりも重い処遇が待っているだろうに……」


 そう呟く四季の口角は、怪しげに上がっていた。


「『秋津紅葉』はけがれてしまった。もはやその役目を果たせませぬな」


「…………四季殿。手折りを、お願いできますでしょうか」


「……心得ました」


 * * *


 蜻蛉寺の裏にある庭園には楓の木々が沢山生えている。木々は生い茂り、その色は血のように燃えるような紅であった。

 庭園に囲い台をつくり、その上に鞘から刀身を抜き出した『秋津紅葉』を置く。

 錆びれが生じた部分を四季は撫ぜる。

 愛おしく、惚々ほれぼれとした表情をして、彼は刀身を見詰めた。


 四季は、たすきを掛けて袖をくくる。そして、腰に差していた自身の刀を抜いた。


 その刀は四季が初めて打った、である。

 その刀は手折る為に作られた、である。


「……我が子を手折るころすことは、とても寂しいが、しかしながらの味を憶えてしまったなら話は別。『秋津紅葉』よ、すまないな。今は安らかに眠れ。そして、また逢おう」


 四季は刀を天へと差し、そして振った。

 刀は煌めきを帯びて『秋津紅葉』の刀身にあたる。『秋津紅葉』は”キィイ……ン”と金切音を発して、折れた。

 四季は刀を一振りして鞘へと納めた。キン、と納まる音がすると和尚が静かに四季に近づき、一礼した。そして折れた『秋津紅葉』を眺めた。その表情は、憑き物が剝がれたような表情であった。


「……お見事でございます、四季殿」


「……いえ。また、この蜻蛉寺には御神刀を奉納しに参りましょう。同じ『秋津紅葉』を」


 ふ、と四季が微笑む。

 友人の僧が四季に近づき「大丈夫ですか」と聞く。何故そのようなことを聞くのか、四季にはその理由が分かっていた。


「……『手折る』とは……作業ですから。我が子とはいえ、所詮は。役目を果たせないのなら、る意味はない」


「それでも、丹精込めて作られた物ではありませんか……。心中、お察しいたします」


「……相も変わらず優しいのですね」


 四季は、微笑んだ。哀し気に微笑んだ。


 * * *


 折れた『秋津紅葉』を持って来ていた風呂敷の中に優しく包み込む。まるで我が子をあやすような目をして、包み込む。和尚と友人がそんな四季を優しく見つめていた。

 ふと、四季が和尚に振り返る。


「……ああ、和尚。帰る前にもう一つだけすことがございました。……墓参りを、しに来たのです」


「ああ。もうその時期でしたか」


「ええ。ですので花を頂いても宜しいですか?」


「勿論でございます」


 四季は手向ける花を和尚から頂き、そして墓のある裏庭に向かった。


 この蜻蛉寺には、四季の亡くなったの墓がある。

 彼女が亡くなってから、実に十数年の時が過ぎていた。

 紅葉こうように囲まれている彼女の墓は、とても美しかった。


 四季は和尚から頂いた花を墓前に供える。そして手を合わせた。

 彼の背中からは、哀愁でも愛でもない、憎悪の念が垣間見えた。

 和尚が後ろに控えていた。


「……だ、許せませぬか……」


「…………ええ……」


 四季は無意識に、腰に差している刀の柄を握った。


 刀――『雪花せっか』の柄を、優しく握った。


「……あの出来事を許すことは一生できますまい。私は、自分を許したいとは思わない。許されたいとは思わない。ただ、彼女に、申し訳が立たないのですよ」


 不意に、爽籟そうらいと共に秋蜻蛉が彼らの眼前を通った。

 まるで四季たちを誘惑するかの如く、あやしくくうを舞いながら。

 ふわりと風に揺られて去って行った。

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