最終回 男と見込んで②

 山賊の姿が確認出来た。

 集落ムレへ来て、三日目だった。

 渓流の対岸。その様子を、清記は伏と藪に隠れて見ていた。


「あれが、実経だ」


 伏が指差したのは、赤い陣羽織を羽織った、長身の男だった。長い髪を後ろで束ね、太刀を背負っている。

 その側には、一人の山人。がっしりとした体躯に禿頭。


「伏、まさか」

「親父さ」

「どうして、雉之助殿がこのような役目を」

「病なんだ。このところ、毎晩のように血を吐いている。もう長くないと覚悟しての事だ」


 やはりか、と清記は思った。雉之助は死病を患っていたのだ。実平もそれを知っていて、志願を受けたのだろう。


「何も言うなよ、清記。親父は男なんだ。その覚悟をした親父が、あたしは誇りなんだ」

「……ならば、勝たねばならぬな」

「勿論さ」


 小屋に戻ると、東馬と陣内が待っていた。既に籠手や脛当て、鉢金で武装し、着物の袖は襷掛けで絞っている。廉平は、既に外で待機しているらしい。


「来たのか?」


 清記は頷くと、東馬が水を口に含んで刀に吹きかけた。


「腕が鳴るな」

「実経は赤い陣羽織を着ています」

「ご丁寧に目立つ格好で来てくれたか」

「ええ。しかし、実経の相手は私です。加勢の東馬殿に実経の相手をさせるわけには」

「おいおい、ここまで来て水臭い。俺は剣の天才だぜ。遠野実経など、そこらのガキと変わりはせん」


 東馬は嬉々として、外に出た。残された陣内の表情は、やはり浮かない。


(無理もない。こんな合戦のような戦いの前は、誰だってそうなろう……)


 だが、陣内にも戦ってもらわなければ、勝利も難しくなる。それほどの腕が、陣内にはあるのだ。


「清記。人を斬ったのは初めてじゃないが、どうしてか緊張してやがる」

「これは合戦いくさだからな。俺も緊張している」

「そうは見えんがな」


 そう言った陣内の頬を、清記は思いっきり張り倒した。続け様にもう一発。態勢を崩した陣内は、頬を抑えて立ち上がると表情を綻ばせた。


「目が覚めたようだな」

「ああ、悪い。すまなかった」


 外に出た。集落ムレの至る所に、刀を突き刺している。これから斬り合う為に、東馬がしたものだ。


(どうやら、東馬は本当の斬り合いというものを熟知しているらしい)


 真剣ならば東馬に勝てると思っていたが、どうもそうでないかもしれない。

 清記は梯子を伝って、小屋の屋根へと登った。即席の物見櫓である。


(いよいよか)


 渓流に掛かった吊り橋を、山賊が渡ってくる。ここで吊り橋を落とすという意見もあったが、それでは水に流されるだけで、始末する事は出来ない。今後に禍根を残さない為には、ここで鏖殺するしないのだ。

 先頭は、雉乃介。実経は手下に守られるようにして、真ん中にいる。

 一人、また一人と吊り橋を通過していく。清記の鼓動が脈打った。開戦の合図を委ねられているのだ。そして、おそらく清記の一声で雉之助は死ぬ。

 全員が渡り切った。清記の脳裏に、雉乃介の顔が浮かんだ。


「すまん」


 手を挙げた。その瞬間だった。吊り橋が落ち、矢が四方から放たれた。手下が倒れる。その中で実経の太刀が一閃し、雉乃介が崩れ落ちた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「掛かれ」


 叫んだ。そして、扶桑正宗を抜き払い、屋根から飛び降りた。

 賊が駆けて来る。鬼の形相。しかし、その姿は不意に消えた。落とし穴を踏み抜いたのだ。悲鳴が挙がる。人糞を塗りたくった竹槍の餌食になったのだ。

 他にも、網に釣り上げられて矢を射込まれたり、丸太に身体を打たれたりと、山人の罠は清記の想像以上だった。

 清記は、そうした罠から逃れた者を、一人ずつ斬り倒した。陣内も、落ち着いて確実に仕留めている。一番抵抗が厳しい所には、東馬がいた。刀を代えながら勇躍している。見事な太刀筋はまるで巻藁を断っているようで、乱戦にあっても息は挙がっていない。


「余所見をするんじゃねぇ」


 横から槍を突き出された。清記はすっと避けて螻蛄首を刎ね上げると、返す刀で頭蓋を両断した。


「死ね」


 不意に絶叫が聞こえた。目を向けると、伏が二丁のまさかりを手に暴れ回っていた。

 刀を叩き折り、腹と首筋に打ち込む。返り血を顔面から浴びていた。


(あいつめ、弓で戦えと言っただろうに……)


 親父を殺されたのだ。無理もないと思ったが、視界を塞がれた伏に三人の賊が殺到した。

 清記は躊躇せず跳躍し、伏との間に割って入った。一人は頭蓋から顎まで両断され、残りの二人は首筋から鮮血を挙げて斃れた。


「馬鹿野郎。雉之助殿の命を無駄にするな」


 清記を伏を引き起こすと、伏の頬をぶった。


「すまん、清記」

「お前が山人を率いんでどうする。持ち場に戻れ」


 伏が頷き駆けていくと、清記は実経を探した。


「ぬしが大将首か」


 声を変えられた。山伏の姿をした男だった。


「儂は、天覚坊義文てんかくぼう ぎぶん。ぬしの剣、念真流と見た」

「念真流を知っておるのか」

「我が師が、念真流に敗れた。三十年も前の話だが、先程の一太刀を見て思い出した」


 三十年。清記が生まれる前の話で、おそらく父が葬った相手なのだろう。


「まさか、此処で相見あいまみえようとはな」


 義文が、正眼に構えた。放つ気から、それなりの腕という事がわかる。荒々しい殺気を漂わせているのは、賊に身を落としたからだろう。しかし、背筋が伸びた正眼の構えが、根のところで義文という男が剣客である事を示している。

 清記は跳躍する気配をみせた。前に出る。義文の顔が綻んだ。やはり、念真流を知っていて待ち構えていたようだ。


「何」


 しかし、清記はそのまま踏み込むと、胴を抜いて返す刀で首を刎ねた。


「実経」


 義文が斃れるのも見ずに、振り返って清記は叫んだ。そして、赤い陣羽織を探す。

 賊の抵抗は弱まっていた。吊り橋が落とされ、頑強な抵抗をしていたが、脱出路が見つかると、我先にと逃げようとする。

 だが、それも罠だった。逃げ道とされた道の先は袋小路で、そこには弓と槍で武装した廉平と男衆が待っているのだ。

 しかし、実経がいない。あの男を斬らねば、本当の勝利ではないのだ。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 実平の小屋の裏手。

 そこで、実経は東馬と対峙していた。三歩半の距離だ。

 互いに、正眼。実経の切っ先がやや下がっているぐらいの違いしかない。


「どうやら、俺が当たりを引いたようだ」


 清記に気付いた東馬が、横目にして言った。

 二人の殺気。その圧力は、半端なものではなかった。見ているだけでも、膝が竦む。故に、誰もこの立ち合いを邪魔する事が出来ない。

 清記も勝負の行方を見守るしかなかった。二人で仕掛ける手もあるが、もしそんな事をすれば、東馬に失望されるだろう。


(実力は拮抗しているように思える……)


 とすると、実経の腕前は想定以上だ。幾ら剣を学んだと言え、賊程度と高を括っていた節がある。実経の実力を軽視し、賊の数ばかりに脅威を感じていたのがよい証拠だ。

 二人の距離は、二歩半に狭まっていた。いつの間にか詰めたのか、清記にはわからない。それでも、二人の気は満ちていない。その気が弾けると、斬り合いがはじまると清記は見ていた。

 実経の剣も、中々のものだ。山人の生活で培ったものが、剣術で花開いたのだろう。直心影流の免許まで得たというのも頷ける。

 不意に動いた。潮合いはまだ先だと思っていたので、清記も虚を突かれた格好になった。

 仕掛けたのは東馬だった。初太刀。それが空を斬った。すかさず、実経の返し。はやい。横凪ぎが、かろうじて見えたほどだ。

 東馬が跳び退く。いつの間に、二人の位置が入れ替わっていた。

 再び膠着する。そう思った矢先、二人がほぼ同時に踏み込んだ。

 交錯。風が止み、時が止まった。

 先に倒れたのは、東馬だった。膝から崩れ落ちる。それに続くように、実経の身体がぐらりと揺れ、左の肩口から脇腹にかけて二つになった。


「東馬殿」


 清記は、慌てて駆け寄った。

 東馬が息を止めていたかのように、吹き返した。清記は、慌てて東馬の身体をまさぐった。着物の前が切り裂かれ、傷は薄皮一枚だった。

 紙一重の勝負。息をするのも忘れていたのだろう。今は肩で息をしている。


「強い。強い男だったよ、実経は」

「見ているだけで、肌に粟が立つような勝負でした」

「ああ。世の中には、まだまだ強い奴がいるなぁ」


 清記が頷き、東馬を起こしてやった。


「清記」

「何でしょう?」

「これは大きな貸しだ。一生をかけて返すほどの。何しろ俺は死ぬところだったからな」

「はい」

「では、その貸しを返してもらうぞ」

「無理な事もありますよ」

「無理ではない。むしろ、お前は喜ぶ」


 清記は目を白黒させた。何を言い出すのか見当もつかない。


「志月を妻にしろ」

「なんと」

「志月を妻にしろと言った」

「それは出来ません。私が良くても、志月殿が」

「志月はお前に惚れている。そして、お前も志月に惚れている。それで何の差し障りがあるというのだ」

「……」

「男と見込んだ。俺はこの戦いを通じて、お前を見ていた。それで、お前なら妹を任せられると思った。男と見込んだのだ。頼むよ」


 清記は、ただ呆然としていた。

 志月は好きだ。妻に迎えたい。だが、自分が人並みの幸せなど無縁だと思っていたのだ。

 遠くで歓声が挙がった。どうやら賊を殲滅したようだ。泣くような、伏の咆哮も聞こえた。


〔第五章 了〕

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る