最終回 男と見込んで②
山賊の姿が確認出来た。
渓流の対岸。その様子を、清記は伏と藪に隠れて見ていた。
「あれが、実経だ」
伏が指差したのは、赤い陣羽織を羽織った、長身の男だった。長い髪を後ろで束ね、太刀を背負っている。
その側には、一人の山人。がっしりとした体躯に禿頭。
「伏、まさか」
「親父さ」
「どうして、雉之助殿がこのような役目を」
「病なんだ。このところ、毎晩のように血を吐いている。もう長くないと覚悟しての事だ」
やはりか、と清記は思った。雉之助は死病を患っていたのだ。実平もそれを知っていて、志願を受けたのだろう。
「何も言うなよ、清記。親父は男なんだ。その覚悟をした親父が、あたしは誇りなんだ」
「……ならば、勝たねばならぬな」
「勿論さ」
小屋に戻ると、東馬と陣内が待っていた。既に籠手や脛当て、鉢金で武装し、着物の袖は襷掛けで絞っている。廉平は、既に外で待機しているらしい。
「来たのか?」
清記は頷くと、東馬が水を口に含んで刀に吹きかけた。
「腕が鳴るな」
「実経は赤い陣羽織を着ています」
「ご丁寧に目立つ格好で来てくれたか」
「ええ。しかし、実経の相手は私です。加勢の東馬殿に実経の相手をさせるわけには」
「おいおい、ここまで来て水臭い。俺は剣の天才だぜ。遠野実経など、そこらのガキと変わりはせん」
東馬は嬉々として、外に出た。残された陣内の表情は、やはり浮かない。
(無理もない。こんな合戦のような戦いの前は、誰だってそうなろう……)
だが、陣内にも戦ってもらわなければ、勝利も難しくなる。それほどの腕が、陣内にはあるのだ。
「清記。人を斬ったのは初めてじゃないが、どうしてか緊張してやがる」
「これは
「そうは見えんがな」
そう言った陣内の頬を、清記は思いっきり張り倒した。続け様にもう一発。態勢を崩した陣内は、頬を抑えて立ち上がると表情を綻ばせた。
「目が覚めたようだな」
「ああ、悪い。すまなかった」
外に出た。
(どうやら、東馬は本当の斬り合いというものを熟知しているらしい)
真剣ならば東馬に勝てると思っていたが、どうもそうでないかもしれない。
清記は梯子を伝って、小屋の屋根へと登った。即席の物見櫓である。
(いよいよか)
渓流に掛かった吊り橋を、山賊が渡ってくる。ここで吊り橋を落とすという意見もあったが、それでは水に流されるだけで、始末する事は出来ない。今後に禍根を残さない為には、ここで鏖殺するしないのだ。
先頭は、雉乃介。実経は手下に守られるようにして、真ん中にいる。
一人、また一人と吊り橋を通過していく。清記の鼓動が脈打った。開戦の合図を委ねられているのだ。そして、おそらく清記の一声で雉之助は死ぬ。
全員が渡り切った。清記の脳裏に、雉乃介の顔が浮かんだ。
「すまん」
手を挙げた。その瞬間だった。吊り橋が落ち、矢が四方から放たれた。手下が倒れる。その中で実経の太刀が一閃し、雉乃介が崩れ落ちた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「掛かれ」
叫んだ。そして、扶桑正宗を抜き払い、屋根から飛び降りた。
賊が駆けて来る。鬼の形相。しかし、その姿は不意に消えた。落とし穴を踏み抜いたのだ。悲鳴が挙がる。人糞を塗りたくった竹槍の餌食になったのだ。
他にも、網に釣り上げられて矢を射込まれたり、丸太に身体を打たれたりと、山人の罠は清記の想像以上だった。
清記は、そうした罠から逃れた者を、一人ずつ斬り倒した。陣内も、落ち着いて確実に仕留めている。一番抵抗が厳しい所には、東馬がいた。刀を代えながら勇躍している。見事な太刀筋はまるで巻藁を断っているようで、乱戦にあっても息は挙がっていない。
「余所見をするんじゃねぇ」
横から槍を突き出された。清記はすっと避けて螻蛄首を刎ね上げると、返す刀で頭蓋を両断した。
「死ね」
不意に絶叫が聞こえた。目を向けると、伏が二丁の
刀を叩き折り、腹と首筋に打ち込む。返り血を顔面から浴びていた。
(あいつめ、弓で戦えと言っただろうに……)
親父を殺されたのだ。無理もないと思ったが、視界を塞がれた伏に三人の賊が殺到した。
清記は躊躇せず跳躍し、伏との間に割って入った。一人は頭蓋から顎まで両断され、残りの二人は首筋から鮮血を挙げて斃れた。
「馬鹿野郎。雉之助殿の命を無駄にするな」
清記を伏を引き起こすと、伏の頬をぶった。
「すまん、清記」
「お前が山人を率いんでどうする。持ち場に戻れ」
伏が頷き駆けていくと、清記は実経を探した。
「ぬしが大将首か」
声を変えられた。山伏の姿をした男だった。
「儂は、
「念真流を知っておるのか」
「我が師が、念真流に敗れた。三十年も前の話だが、先程の一太刀を見て思い出した」
三十年。清記が生まれる前の話で、おそらく父が葬った相手なのだろう。
「まさか、此処で
義文が、正眼に構えた。放つ気から、それなりの腕という事がわかる。荒々しい殺気を漂わせているのは、賊に身を落としたからだろう。しかし、背筋が伸びた正眼の構えが、根のところで義文という男が剣客である事を示している。
清記は跳躍する気配をみせた。前に出る。義文の顔が綻んだ。やはり、念真流を知っていて待ち構えていたようだ。
「何」
しかし、清記はそのまま踏み込むと、胴を抜いて返す刀で首を刎ねた。
「実経」
義文が斃れるのも見ずに、振り返って清記は叫んだ。そして、赤い陣羽織を探す。
賊の抵抗は弱まっていた。吊り橋が落とされ、頑強な抵抗をしていたが、脱出路が見つかると、我先にと逃げようとする。
だが、それも罠だった。逃げ道とされた道の先は袋小路で、そこには弓と槍で武装した廉平と男衆が待っているのだ。
しかし、実経がいない。あの男を斬らねば、本当の勝利ではないのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
実平の小屋の裏手。
そこで、実経は東馬と対峙していた。三歩半の距離だ。
互いに、正眼。実経の切っ先がやや下がっているぐらいの違いしかない。
「どうやら、俺が当たりを引いたようだ」
清記に気付いた東馬が、横目にして言った。
二人の殺気。その圧力は、半端なものではなかった。見ているだけでも、膝が竦む。故に、誰もこの立ち合いを邪魔する事が出来ない。
清記も勝負の行方を見守るしかなかった。二人で仕掛ける手もあるが、もしそんな事をすれば、東馬に失望されるだろう。
(実力は拮抗しているように思える……)
とすると、実経の腕前は想定以上だ。幾ら剣を学んだと言え、賊程度と高を括っていた節がある。実経の実力を軽視し、賊の数ばかりに脅威を感じていたのがよい証拠だ。
二人の距離は、二歩半に狭まっていた。いつの間にか詰めたのか、清記にはわからない。それでも、二人の気は満ちていない。その気が弾けると、斬り合いがはじまると清記は見ていた。
実経の剣も、中々のものだ。山人の生活で培ったものが、剣術で花開いたのだろう。直心影流の免許まで得たというのも頷ける。
不意に動いた。潮合いはまだ先だと思っていたので、清記も虚を突かれた格好になった。
仕掛けたのは東馬だった。初太刀。それが空を斬った。すかさず、実経の返し。
東馬が跳び退く。いつの間に、二人の位置が入れ替わっていた。
再び膠着する。そう思った矢先、二人がほぼ同時に踏み込んだ。
交錯。風が止み、時が止まった。
先に倒れたのは、東馬だった。膝から崩れ落ちる。それに続くように、実経の身体がぐらりと揺れ、左の肩口から脇腹にかけて二つになった。
「東馬殿」
清記は、慌てて駆け寄った。
東馬が息を止めていたかのように、吹き返した。清記は、慌てて東馬の身体をまさぐった。着物の前が切り裂かれ、傷は薄皮一枚だった。
紙一重の勝負。息をするのも忘れていたのだろう。今は肩で息をしている。
「強い。強い男だったよ、実経は」
「見ているだけで、肌に粟が立つような勝負でした」
「ああ。世の中には、まだまだ強い奴がいるなぁ」
清記が頷き、東馬を起こしてやった。
「清記」
「何でしょう?」
「これは大きな貸しだ。一生をかけて返すほどの。何しろ俺は死ぬところだったからな」
「はい」
「では、その貸しを返してもらうぞ」
「無理な事もありますよ」
「無理ではない。むしろ、お前は喜ぶ」
清記は目を白黒させた。何を言い出すのか見当もつかない。
「志月を妻にしろ」
「なんと」
「志月を妻にしろと言った」
「それは出来ません。私が良くても、志月殿が」
「志月はお前に惚れている。そして、お前も志月に惚れている。それで何の差し障りがあるというのだ」
「……」
「男と見込んだ。俺はこの戦いを通じて、お前を見ていた。それで、お前なら妹を任せられると思った。男と見込んだのだ。頼むよ」
清記は、ただ呆然としていた。
志月は好きだ。妻に迎えたい。だが、自分が人並みの幸せなど無縁だと思っていたのだ。
遠くで歓声が挙がった。どうやら賊を殲滅したようだ。泣くような、伏の咆哮も聞こえた。
〔第五章 了〕
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