最終回 男と見込んで①
「あれを渡ればすぐだ」
一行を先導する伏は、こちらを振り返って指差した。
それを聞いて、陣内があからさまな安堵の表情を浮かべた。廉平も東馬も、陣内ほどではないが自然と笑みがこぼれている。
「山野を歩く術は我々以上だ」
と、感嘆していたほどだった。
これで鬼のような行軍が終わる。皆の表情に喜色が浮かんだのを読み取った伏が、鼻を鳴らした。
「山人の足ならば、一日もかからん距離だ。そして、我々は夜でも歩く」
その言葉に皆は顔を見合わせ、苦笑するしかなかった。
女や子供・老人などの避難を終え、至る所に仕掛けた罠も完成している。
「こういう世界があったとはな」
「今度は、平穏な時に行きたいものですな、東馬殿」
陣内が隣りを歩く東馬に話しかけた。廉平を含めた三人は、ここまでの道中で随分と打ち解けている。
「ああ、その通り。山人の娘は美人が多いと聞いた。そっちもじっくり見聞したいものだ」
「確かに」
「しかし、俺はあの伏って女でもいいぞ」
「確かに目鼻立ちは、はっきりとしていますね」
「女丈夫だが、そこがいいな」
すると、伏が振り向きざまに拳を放った。東馬がそれを片手で掴む。掌を拳で打つ凄まじい音が鳴ったが、東馬は平然としていた。
「やるじゃないか、あんた」
「俺は清記に勝った男だぜ? 今はわからんがね」
「へぇ、それは興味深い。あたしをモノに出来る男は、あたしより強い男ではないと駄目なのさ」
「因果なものだ。俺の近くにも似たような女がいるよ」
不意に、伏の身体が視界から消えたと思ったら、身を屈めて東馬の足を蹴りで払おうとしたようだ。しかし、東馬はひょいっと跳躍して風のように躱した。
「何をしている」
声がした方へ目を向けると、雉之助が男衆を引き連れて、こちらへ向かってきていた。
「あたしは何もしてないよ。じゃれ合っただけさ」
「本当か? 客人に無礼な真似はするなよ」
「はいはい」
伏が退いたので、東馬も肩を竦めてみせた。
「清記、やっと来たのか。待っていたぞ」
「ああ。それに、少ないが助っ人も連れてきた」
「助っ人か。話には聞いている」
雉之助が一瞬だけ渋い顔をした。山人は里の者を信用していない。その気持ちはわかるが、相手の人数を考えれば、味方は多い方がいい。それは雉之助も理解していて、許可は得ている。
「我々の為に、助太刀してくださると聞いた。改めて
雉之助が頭を下げると、清記が一人ずつ紹介した。
東馬の番になると、雉之助が真剣な面持ちになって向かい合った。
「あんたかい、俺の娘と小競り合いをしていたのは」
「娘? すると、あなたが伏さんの……」
雉之助がこくりと頷くと、東馬があからさまにバツの悪そうな表情を浮かべた。
「若いの、うちの娘に手を出すとは良い度胸だな」
「それは当然ですよ、
「お前、女を見る目あるな」
東馬のおべんちゃらに、雉之助はすっきり気を良くしたようだ。当の伏は白々しい目を向けている。
こうした距離を詰める東馬の呼吸は、流石と言わざる得ない。天性の陽気な性質は、陰気な自分には真似できないものだ。
「一つだけ注意しておくけど、山人の暮らしを珍しがって勝手に歩き回るんじゃないよ」
「何故?」
伏の一言に、陣内が訊いた。
「あちこち罠だらけだからさ」
その時、背後で悲鳴が聞こえた。振り返ると、廉平がぽっかりと開いた穴の前で尻餅をついていた。
「だから言ったじゃないのさ」
「ひゃぁ、こいつは危なねぇ……」
廉平が青ざめた顔をしいている。何しろ、穴の底には糞を塗りたくった竹槍が、待ち構えていたからだ。流石は山人の罠だ。目尾組である廉平すら、気付かなかった。
腰を抜かした廉平に伏が歩み寄り、力いっぱいに引き起してやった。
「もう無闇に歩き回るじゃないよ。お前達も危険だが、罠だって仕掛け直さなきゃいけないんだからね」
伏に言われ、廉平は頭を掻いた。
それから清記達は、実平に面会した。実平は助っ人として連れてきた三人を見て頷くと、深々と頭を下げた。そして起居する為の小屋を一つ与えられた。
廉平は、
「早速ですが、あっしは物見に行ってきやす」
と、道案内に雉之助が選んだ山人と共に偵察に出た。昨日、実経がいよいよ下野に入ったという報せを受けての事だった。
その夜は用意された小屋で、伏の手料理が振る舞われた。本当は雉之助が宴を開こうと言ったが、事が終わるまではと断ったのだ。
山菜で炊いた飯に、塩を塗して焼かれた獣肉が出された。飯も肉も、
「どうだい? 山人の飯は。旨いだろう?」
伏が腕を組んだまま訊いた。
「山菜にしても、獣肉にしても、これが何なのか何一つわからん。だが、絶品だ」
答えたのは東馬だった。肉は切り分けられて出されたので、これが何なのかわからない。鶏とも鹿とも猪とも違う。思い浮かぶものはあったが、清記は敢えて口に出さなかった。
「へぇ。あんた見所があるね。働き次第では、あんたを山人にしてやってもいいよ」
「おお、そいつは嬉しいね。なんなら、お前さんを妻にしたいのだがね」
すると伏は、柄にもなく頬を赤らめ、
「それはあたしに勝ったらだよ」
と嘯き、東馬は膝を叩いて笑った。
東馬は酒も飲んでいないのに、妙に陽気だった。そして、飯の食い方は性格に似合わず上品である。そこ辺りは、名門の御曹司という所だろう。その横では、獣肉好きの陣内が無心で肉を頬張っている。口の周りを脂でてからせて、器用に小さな骨を吐き出している。
「おい、陣内。旨そうな喰いっぷりだな」
「いやはや。東馬殿、私はこれに目が無くて」
「酒がありゃ最高なのだがな」
「ええ」
全てを平らげた陣内は、名残惜しそうに指についた脂を舐めている。東馬がその様子に笑い、清記も釣られていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
翌朝、廉平が若者を連れて戻って来た。
「
全員が集まった実平の小屋で、廉平に付き従った若者が言った。
「それで
雉之助が訊いた。
「息があったのは二人。でも、すぐに……」
「皆殺しにしやがったか」
若者の話によれば、遠野の
「それで、賊については何かわかったか?」
「賊の数は三十三」
今度は廉平が答えた。
「禍々しい気配を感じましたんで、あっし一人で後を追いやした。何処で野営しているかも掴んでおりやす」
「流石だな。他には?」
話し合いを主導しているのは、雉之助だった。伏も口を出す事もあるが、
「飛び道具は持っておりやせん。刀や槍だけでさ。ただ、殺しに慣れておりやすね」
殺しに慣れている。その言葉に動揺が走ったが、雉之助が片手を挙げて鎮めた。
「恐れる事はない。こちらには名うての剣客がいる。それに我らの弓は、誰にも避けられぬぞ」
清記は頷き、地図を広げた。
その地図に碁石を置いて説明した。味方は白で、敵は黒。自分達は
「とりあえず、俺達は斬って斬って斬りまくればいいわけだな」
東馬は嬉々として呟いた。どうも、この状況を楽しみにしている風もある。一方の陣内は、やや緊張気味だった。それがどうも清記の心に引っ掛かる。
「問題は、ここからです。賊らをどうやって
「人選は、我々に任せてもらおう」
と、実平が割って入った。既に人選は終え、合図を出すだけらしい。
「囮は危険です。命は無きものと思わねばなりません。私か廉平が適任かと思いますが」
「いいのだ、我々が引き受ける。廉平殿。賊の居場所を教えていただけるかな?」
「へぇ、わかりやした」
実平はそれ以上は言おうとはせず、雉之助も伏も目を伏せたままなので、清記は口を噤んだ。
それからも、話し合いは暫く続いた。散会になった後、廉平だけが実平と雉之助に残された。賊の居場所を教えるのだろう。
東馬は外で刀を振ると言って出掛けたが、陣内は小屋に帰って暫く寝ると言った。
清記は罠の見取り図を片手に
「よう」
小屋の前で東馬に、声を掛けられた。ちょうど刀を収めたところだった。
「どうだ、一手」
と、刀の柄をぽんと叩いた。
「遠慮します。東馬殿とは本気になりそうですから」
「へっ、違いないな。賊退治なんてそっちのけになりそうだ」
小屋の戸を開けると、陣内が背を向けて横になっていた。
(陣内……)
その肩が微かに震えているのを見て、清記は誘った事に後悔を覚えた。
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