第五回 呪詛

 何処に向かうとも知れない駕籠に揺られながら、衣非外記は深い溜息を吐いた。

 突然の報せがあり、梅岳に呼び出されたのだ。駕籠に乗せられ上に、目隠しもされた。以前にも、梅岳と会う際に同じような事をされた。どれだけ用心深いのかと思ったが、だからこそ絶大な権力を掌中にしているのだろう。


(さて、今日は何と言われるか)


 梅岳が会いたいと言うなど、珍しい事だった。最初こそ顔を合わせたが、それ以降はなるべく顔を合わせず、命令も報告も叱責も必ず使者を挟んでいた。

 それは理解できる。万が一にも、大和の片腕とされる自分が梅岳と密会しているなどと知られると、これまでの努力が水泡に帰してしまうのは必定だった。

 その危険を冒してでも、会おうと言ってきたのだ。突然の事で戸惑いと同時に、漠然とした恐怖にも襲われる。

 思い当たる節は無いのだが、厳しい叱責を受ける覚悟はしていた。前回は計画と報告の遅さを指摘された。今回は何だろうか? 計画は順調であるし、抜け荷の探索も打ち切られた今、特に報告すべき事はない。

 或いは、緊急の何かが起きたのか? しかし、大和の周辺には特に変わりは無い。ならば、新たな命令を受けるのか? いや、それなら顔を合わせる必要は無いはずだ。


(自分で蒔いた種とは言え、何ともはや)


 上下に揺れる駕籠の中で、外記は自嘲し腕を組んだ。

 遠くで、夜五つを知らせる鐘が鳴った。約束の刻限まで、もうすぐだ。

 外記は、梅岳の走狗いぬだった。奥寺派に属しながら、梅岳の為に働いている。秘密裏に情報を流すだけでなく、奥寺派の意見を梅岳が望む方へ誘導もしていた。

 寝返ったのは、外記からだった。走狗いぬになってやる。だから、衣非家の再興を約束して欲しいと願った。

 衣非家は夜須藩では名門に入る。栄生十六家と呼ばれる功臣の家系で、大譜代という家格を有している。しかしそれは名目だけで、禄高はしれたもの。祖父が政争で敗れ、失脚してしまったのだ。その際に禄高を八分の一に削られた。それ以降は無役として、藩に飼い殺しにされている。

 衣非家の再興は悲願だった。両親に、


「衣非家を再興させよ」

「執政府の列に加わるまでに出世せよ」


 と、言われ続けて育ってきた。それはまるで呪詛のようでもあったが、だからこそ、勉学に励めたとも思う。再興させてしまえば、その軛から逃れるのだと思ったのだ。

 自信はあった。自分なら、自分の持つ才能ならば不可能ではないと。

 奥寺派に組みしたのも、衣非家の再興を願っての事だった。梅岳が執政である限り、幾ら才能があっても立身出世は無理だとわかっていた。何故なら、梅岳こそが門閥による独裁を打ち破った男だからだ。血で血を洗う政争の果てに栄生十六家を打倒した梅岳が、自分を要職に取り立てる事はない。特に衣非家は、早くに寝返った岩城家と違い、最後まで梅岳と対立していた経緯がある。ならばと、伸長著しい奥寺派に加担して梅岳を倒そうと考えた。

 その為に危険な真似を何度もして、大和に策を授けた。それで派閥の中でも、ぐんぐんと頭角を現した。

 しかし、程なくして大和が梅岳を倒すに値する男ではなかったとわかった。清廉であろうとするあまり、汚いとされる卑怯な手を打とうとしない。野望の為に自らの手を穢す勇気が無いのだ。外記が最も嫌う、青臭い夢想家とも言える。

 それが、外記にとって痛恨事だった。

 隣藩との舎利蔵山の領有権争いで勝訴に導いた大和は、領袖として仰ぎ見る存在だと思っていたが、外記は大和という男を見誤っていた。

 大和への失望が、本来の敵である梅岳へ走らせた。事実、梅岳は清濁併せもつ手腕で、抜け荷の一件を大胆かつ見事に解決させている。

 皮肉なものだと笑うしかなかった。衣非家の仇が、最も魅了する男だったとは、思いもしなかった。何故、梅岳に最初から従っていなかったのか? という後悔すら覚える。あの悪辣な手腕は尊敬に値すると同時に、恐怖でもあり羨ましくもあった。

 駕籠が降ろされ、目隠しを外された。

 外に出ると、そこは屋敷の庭だった。竹林の中にある、ひっそりとした庵という風な感じがある。微かに匂う料理の匂いが、此処がどこぞの料亭である事を示している


「衣非様、いらっしゃいまし」


 四十を越えているであろう女が出迎えた。着物の質、どっしりとした風格は、そこらの女には無いものだ。おそらく、この料亭の女将なのだろう。

 女は薄ら笑みを浮かべると、ついてくるように告げた。



◆◇◆◇◆◇◆◇


「よう来たな」


 襖を開けると、梅岳が一人で飲んでいた。既に酒肴は二人分が用意されていて、その一つは手つかずだ。


「まぁ座れ」


 盃を置いた梅岳は対面の席を顎でしゃくり、外記はその言葉に従った。

 機嫌は悪そうではない。むしろ笑顔だ。しかし、その顔が猿と鼠を掛け合わせたような異相だった。太閤秀吉のような表情だと言っていた男がいたのを思い出し、外記は内心で納得した。


「急に呼び出して驚かせたかの? 道中、色々考えていたであろう」

「滅相もございません」

「隠すな、隠すな。時の執政が急に呼び出したのだ。何かやらかしたのかとあれこれ考えるのが普通ぞ? 儂とてそうするであろうよ」


 外記の内心を見透かすような言動を、梅岳は銚子を傾けながら平然と言ってのけた。こうした所に、外記は惹かれてしまう。


「してお前を呼んだのは、たまには顔を合わせて話そうかと思っての。どうだ、抜け荷の件は?

 大和は悔しがっていたであろう」


「ええ。それは大層な悔しがりようでして。報告を受けた時などは、拳を床に叩きつけたほどでございました」

「ほほ、それはいい。しかも、今回の立役者は平山清記よ。奥寺家の剣術指南役が、大和の邪魔をしたのだ。傑作よ」

「まさに。しかし、大和殿も平山殿も平然としておりました」

「それが、奴らが〔人物〕である証拠だ。己の地位と身分を弁え、その上で一人の男として向き合っておる。誠に男じゃ。儂に呼び出されて不安がるような男ではないわ」

「……」


 痛烈な皮肉に、外記は何も返せなかった。やはり梅岳は、裏切り者である自分を良く思ってないのだ。

 奥寺派を見限り、自ら転んだ男。無理もない話ではあるが。


「まぁ、そう肩を落とすな。あの二人は別格ぞ。それに儂はなぁ、あの二人が好きではないのよ」


 と、梅岳が銚子を差し出し、外記は慌てて盃で受けた。


「人間らしゅうない。それより、不利とわかれば我先に裏切るような人間こそ好ましく思えるわ」

「はっ……」

「それでどうじゃ? 〔毒〕のまわり具合は?」

「はっ。七割ぐらいと存じます」

「七割か。それはおぬしが考えるに、順調に進んでいると言えるのか?」


 外記は盃を呷ると、一旦間を置いて口を開いた。


「及第点ではあるかと。思いの他に皆が乗り気でございます。恐らく、抜け荷の件で焦っているのでしょう」

「そうか。お前がそう言うのなら、順調なのだろう。暫くは暴発せぬ程度で続けておってくれ」


 奥寺派の面々が、武力で政権を奪うように仕向ける。〔毒〕と称したそれが、梅岳に与えられた命令だった。

 けしかけ過ぎても疑われる。嗾けなければ動かない。しかも、不満を煽りながらも、暴発しない程度に抑えておけという。案外、難しい命令を受けたのかもしれない。


「そうだ、清記と東馬の姿が消えたのは知っておるかの?」


 外記は首を横に振った。

 奥寺邸へは、毎日行くわけではない。東馬は毎日ふらふらとしていて、屋敷にいる事は少なく、清記と顔を合わせる事など滅多にない。道場から竹刀の音が聞こえると、今日はいるのだなと思う程度だ。


「じつは、遠野実経という賊がいてな。山人を襲っている」

「山人を?」

「そうだ。それで、清記と東馬は賊から山人を救わんとして、姿を消したわけだ」


 外記には理解が出来なかった。山人は人別帳の外にある、埒外の者。殺されようが奪われようが、藩は動かない。言わば山野の禽獣であり、人間ではないとされているのだ。


「おぬしには、理解出来ぬだろうの」

「はっ。山人の為に働いたとて、それがどんな利になりましょうか」

「青臭い小僧のように見えるか?」

「ええ」


 東馬の青臭さは、父親譲りなのだろう。外記は、東馬のそうした所が嫌いだった。一点の曇りもない眼。その気性は底抜けの陽性で、外記には眩し過ぎるのだ。それでいて、取り巻きを作ろうとも、威張ろうともしない。ただ剣が好きな少年だった。


「それで遠野という賊であるが、あれは儂が仕込んだ毒よ」


 梅岳が意味深な笑みを浮かべ、盃を啜った。


「そうよ。儂が山人を襲うように仕向けたのだ。いや、背中を押したというべきかな」

「それは如何なる深謀があっての事でございましょうか?」

「今のままでは深謀ではない。二日後、おぬしが遠野一党と会って、初めて深謀となり得る」


 煙に巻いたような言い方に、外記は次の言葉を待った。


「二日後、おぬしは儂が用意した軍資金を持って遠野一党に接触せよ。そして、こう言うのだ。『奥寺大和様がそなたらに協力するのは、世直しの為である。山人は奸臣・犬山梅岳の手足となって働いている。それを討つ事は、世直しの為の義挙であると』な」

「それは……」

「まぁ、念には念をという意味だ。これが後々効くものになるやもしれぬ。よいな?」


 外記は短く返事をして頭を下げた。

 梅岳の狙いはわかった。しかし、これが効く頃は自分の運命が決まった時だろう。衣非家の再興の代償として、梅岳が要求したのは命だった。それを外記は受け入れた。自分には歳の離れた弟がいる。藍次郎あいじろうという。利発で、優秀。藩校・学峰館では首席でもある。梅岳は、この藍次郎に衣非家の家督を継がせて、禄高も戻してくれると約束してくれた。傍に置いて手塩にかけて育てるとも。それならそれでもいいと、外記は思った。


「衣非家を再興させよ」


 両親が死ぬまで囁き続けた、この呪詛から逃れられる為ならば、だ。


〔第五回 了〕

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る