第三回 助っ人②
伏の案内で、幾つかの山を登り谷を越えると、
渓流の側。簡易的な吊り橋が掛かっていて、それを渡ると、
位置としては内住郡の八木連山のどこかだろうが、正確にはわからない。そもそも、夜須藩なのかも疑わしい。それほど、山人の世界は山の深部にあり、世間とは隔絶されている。此処に来るまでにも、余りの険しさと深さに方向感覚が狂ったほどだ。
天幕に住んでいるのは、移動を考えての為だ。岩衆である伏たちは、季節によって移動して居住地を変える。
その
「穏やかな様子じゃないか」
「そうだろ? だから守らなきゃいけないのさ」
牧歌的な光景だった。これを揺るがす者がいるのだろう。そうであるならば、何とか手を貸してやりたいとは思う。
「清記」
歩いていると、声を掛けられた。声の方へ目を向けると、猪を解体していた男達の中から、痩せた禿頭の男が進み出た。
「
清記は、その名を呼んだ。
伏の父親であり、次の
しかし、以前に比べて随分と痩せた気がする。老いのせいかと思ったが、顔色の悪さを見れば、それだけではなさそうだ。
「久し振りだな、清記。一端の面構えになった気がするぞ」
「江戸で鍛えられました」
「そうか。此処に来たという事は、伏に話を聞いたという事だな?」
清記は頷いた。
「そうか。
そして、この
「久し振りですね、実平殿にお会いするのは」
「多少老いたが、相変わらずだ」
実平と初めて会ったのは、十歳になるかどうかの頃だった。父に連れられて挨拶したのだが、その頃の実平は、既に老いを見せていた。
「此処からは一人だ」
実平は、
清記は頷き、梯子を登った。
実平は、毛皮の敷物の上に座していた。
髪は既に白く、日に焼けた肌には皺が目立つようになっている。それでも、
「よく来たな、里の者よ」
「御無沙汰しております」
「男の顔になった。以前に会った時は若造だったが」
「今も若造ですよ」
清記は、深々と頭を下げた。武士と山人には身分の上下は無い。そう清記は思っている。
「悌蔵殿はご健勝か?」
「ええ。しかし、最近は腰が痛い、肩が痛いなどぼやいております」
「ふふ。お互い歳だからの」
父と実平の関係はわからない。訊いた事もないが、口調の端々には親しみを覚えなくもない。
「して、清記よ。身内の恥を晒すようだが、おぬしの力を貸して欲しい思い、伏を遣わした」
「私はあなた方を善き友人、善き隣人と思っております。故にお困りならば、喜んで協力いたします。ですから、まず何があったのか、お話をしてくださいませんか」
「そうか。雉之助も伏もお前に何も言わなかったのだな」
と、実平はポツポツと語り出した。
実平には数名の息子がいたが、最初の子は
椋助は実平に似て勇気があり、荒々しくも逞しい男に成長した。武芸の腕も立ち、一振りの山刀で熊を仕留め、時には
椋助は実力と勇気を兼ね備えていたが、一方で野心家でもあった。実平の後を継いで、
しかし、山人には厳しい掟がある。その中の一つに、
実平は掟に則り、反対した。それだけではなく、
それでも、椋助は平然としていた。ある程度の非難は予想していただろうし、支持する仲間もいたそうだった。椋助は掟に縛られず、能力がある者が上に立つべきだと、何度も訴えた。
しかし、実平は譲らなかった。ここで譲れば、一族全員が
そして実平は、次の
次の
その事で椋助は山人というものに絶望したのか、兎乃丸を殺害し
「椋助が
「生きていたのですね」
実平が頷いた。
「そうだ。それも、椋助は……いや実経は、賊の親玉に成り下がっておったわ」
実平は、吐き捨てるように言った。山人から賊になる者はいる。それは山人にとって、最も恥ずべき行為であり、身内から賊を生んでしまった事が、実平には許せないのだろう。
「山を降りてから、どこぞの武家に仕えたそうだが、素行の悪さから家を追い出されたらしい。それから破落戸のような生活を続け、賊にまで身を落としたという事だろう。その実経が戻ってくる。三日前、各地を放浪する風衆が、慌てて報せてきてくれたのだ」
「復讐ですか」
「この集
「山人の王とは、また」
「我らは、人別帳外の者。何があろうと、里に影響がない限りは、藩庁は知らぬ存ぜぬだ。だが、実経の狙いはそこだろう。藩庁が動かぬ事を利用して、山人を支配する気だ」
「それで、私に実経を斬れと」
実平が、深く頷いた。
「山人の事だ。里の者を巻き込むわけにはいかぬと思ったが、実経は里で剣術を学び、直心影流というものを極めたという。弓矢にかけて負けぬとは思うが、剣となっては我らでは太刀打ち出来ぬ」
そう言うと、実平は布の袋を差し出した。
「勿論、ただでとは言わん。報酬も準備しておる」
「いえ、それは受け取れません」
と、清記は布袋を一瞥した。
「山人の事は我々の範疇にございませんが、この内住に山賊が侵入する事を見過ごすわけにはいきませぬ」
「だとて、代官所は動かぬだろう。悌蔵殿も」
父は動かない。きっと話しても、
「山人の事は放っておけ」
などと言うだろう。お互いに見知っていて、それでいて干渉しなければいい、と思っているのだ。
「ええ、残念ながらそうでしょう。ですから、これは私個人として動くつもりです」
父にも任せたと言われている。任せたのなら、自分の決断を信じる他にない。
「そうか。やってくれるか」
だが、賊の数は多くて三十人以上。実平が言うには、山人の男衆も一緒に戦うというが、かなり厳しい戦いになるだろう。
実平が雉之助と伏、そして男衆を小屋に呼び、清記も戦いに参加する事を告げた。
「おお」
男衆に喜色が浮かぶ。山人の間でも、平山家が建花寺流で身を立てている事は有名なのだ。一方の雉之助は深く頷き、伏は当然と言う表情だった
「実平殿。実経はいつ此処へ?」
「わからん。あやつが居た頃とは、この
「では、案内役を用意するかもしれませんね。別の
「それは考えられる」
「私が思うに、撃退するだけでは足りません。実平殿の前で悪いのですが、実経は斬らねばならない男です。生かせば、必ず禍根を残します」
「では、どうしたらいいんだい?」
伏が身を乗り出した。清記はやや俯き、暫く沈思した。
相手は耐えず移動している。ならば、こちらから打って出るという事は難しい。移動中の賊を捕捉次第、攻撃を仕掛ける。しかも離れたところから攻撃出来る、弓を使って。これがいいかもしれないが、全滅出来なければ賊は警戒するだろうし、実経も手を講じてくるだろう。
一度で決めたい。一度で実経を斬り、賊を殲滅する。
「何か名案はあるのか?」
更に、雉之助が訊いた。
「名案かどうかはわかりませぬが、これが効果的である事は間違いありません。ただ、
「それは構わん。
雉之助の言葉に、実平は黙って頷いた。細かいところは任せる。そんなつもりなのかもしれない。
「そうですか。私は、此処に賊を
「皆殺しか? そう簡単に言ってくれるがねぇ」
伏が口を挟んだ。清記がひと睨みすると、伏は肩を竦めた。
確かにそうだ。言うは易し。しかし、そこまでの強い意志がなければ、打ち勝つ事は出来ない。手を出したら死ぬ。賊にそう思わせねばならないのだ。
「
皆が頷く。猪用の罠を大きくする、それだけでも十分だという声も挙がった。
「それと、弓だ。禽獣に比べれば、人間を狙う事など容易かろう。ましては、相手は里の者だ。それで援護して欲しい」
男衆がどっと沸いた。彼らの自尊心を刺激するような言い方を敢えてしたのだが、それが効果的だったのだろう。実経ら賊達に最も有効なものは、彼らの戦う意思なのだ。
「待て、清記。あたしらは弓だけかい? 斬り合いにだって参加するよ」
伏の言葉に、男衆が黙った。そして、それに追従するように、口々に同意の言葉を並べている。
この遠野
「それは私が引き受ける。武士は刀、山人は弓。お互い得意な得物で戦うべきだ」
「確かにな。清記の剣に比べりゃ、俺達なんざ赤子も同然。それに、鹿や猪を仕留める俺達の弓だ。人間なんざ、どうって事はない」
雉之助の一言で、伏や男衆が頷いた。どうやら異存は無さそうだ。
「ただ問題は、女や子供だ。戦えぬ者を巻き込めない」
「あたしは戦うぞ」
伏が膝を叩いた。清記は咄嗟に
「女丈夫は別だ」
と、言うと笑いが起こり、伏はぶすくれて腕を組んだ。
「実平殿。何処か避難する場所はございませぬか?」
「ふむ。それなら、手頃な岩窟が北にある」
「では、そこへ。ですが、全員とはいきません。少なくとも数名の女は必要でしょう」
「何故じゃな?」
「女の姿が見えないとなると、相手は警戒するでしょうから。ただ、戦闘が始まれば、真っ先に逃げてもらいます」
「なるほど」
「なので、安全に逃がす算段も必要です。誰か考えてくれる者はいませぬか?」
そう問うと、すぐに手が挙がった。また、
「明日から準備を始めましょう、実平殿。万が一、我々が敗れた場合には建花寺村へと逃れる手配もしておきます。幾ら山人が里の者の範疇になかろうと、平山家の御曹司が死ねば、父も無関係とは言えませぬからな」
全員が頷いた。
「ですが最も肝要な事は、実経を此処に引き込む事。これが出来なければ、次の手を考えなければなりません」
「それは儂に任せておけ」
実平が、細い目を見開いた。
「実経が何処にいるかもわからんが、この下州に入ればすぐに掴めるよう、他の
話し合いは暫く続き、小屋を出たのは日が暮れかかった頃だ。
山賊は三十人。罠と山人の弓があったとして、残りを斬るのはかなりの骨だ。
(助っ人を頼むか……)
そう言って、浮かぶ顔は少ない。何せ、この泰平で人を斬った者など少ないのだ。
飯が出来たと、女の声が聞こえた。雉之助の妻だ。今日は此処で泊まる事になっている。
〔第三回 了〕
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