第一回 山人の娘②

(誰かいるな……)


 背後に気配を感じた。狐狸の類ではない。この気は、間違いなく人間のものだ。清記は立ち上がると、ゆっくりと振り返った。

 そこには男が四人が、腕の長さほどの棍棒を手に立っていた。粗末な着物だけを見れば百姓のように思えるが、鞣し革の手甲脚絆、腰には獣皮じゅうひを巻いた出で立ちは、漂泊の民・山人やまうどである。

 山人とは人別帳に名前を載せず、狩猟や山菜を採取しながら山野を渡り歩いて暮している者たちの事だ。独自の風習と信仰、そして厳しい掟を持ち、里人さとびとと交わる事は少ない。

 その山人には、二つの系統がある。山中に幾つかの集落を築き、季節によって棲家を変える岩衆いわのしゅうと、棲家を持たず山々を渡り歩く風衆かぜのしゅう。険しい山に囲まれた夜須には岩衆が多く、特に内住郡に集中している。それ故に、清記も山人についてある程度の事は知っていた。


「私は内住郡代官・平山悌蔵の嫡子・清記である。山人の者が何用か?」


 清記は名乗ったが、四人に返事は無かった。ただ棍棒を手に、低く構えている。


(追い剥ぎか? いあ、違うな)


 山人が賊働きをする事は、掟によって厳しく禁じられている。しかも、賊働きをするというなら、棍棒ではなく腰に差している脇差を使うはずである。

 すると、必ず別の意図がある。清記は、扶桑正宗に伸びかかった手を止め、拳を握った。


「やれ」


 どこからか、短い指示が飛ぶやいなや、四人が棍棒を振りかざして突進してきた。

 打ち込みは中々のものだ。大振りにならず、隙をなるべく作っていない。野性の勘というものだろうか。しかしそれだけで当てられるほど、身体は鈍っていなかった。

 清記は四人の連撃を躱しながら、三人を拳で打ち倒し、最後の一人は投げ飛ばした。


「相変わらず、見事な腕前じゃないか」


 そう言って現れたのは、四人と同じ格好をした女だった。


「お前は」

「久し振りだね」


 そう言って笑った女は、ふせという山人の娘だった。小麦色に日焼けした、筋骨逞しい女である。黒々として癖のある髪は後ろでまとめ、その上から手拭いを巻いている。腕も太く、決して肥えてはいないが腰もがっしりとしている。そして上背もあるからか、遠くからみれば男のように見える。歳は十九か二十歳ぐらいだ。

 その伏が現れた事で、四人の男は起き上がって後方に退いた。


「そうだな、と言いたい所だが、これはいったい何の真似だ?」

「悪かったよ。でも、これは調練なんだ。お前の姿を見たので、試しに襲わせてみたんだけど、やはり相手にならなかったようだね。流石は、あたしを叩きのめした男だよ」


 伏は内住の山人の中でも、女丈夫おんなじょうぶとして知られている。伏と出会ったのも、その女丈夫さがきっかけだった。

 それは五年前。建花寺村で、大女が暴れていると聞いた清記が代官所から駆け付けると、伏が村の男衆を相手に暴れ回っていた。山人の多くは里に降りては獣肉や山菜を売り歩く事があるのだが、そうした折りに侮りを受ける事がある。大抵の山人はぐっと堪えるのだが、この伏は、容赦なく食ってかかったのだ。理由を聞いた清記は男達を引き離し、静止も聞かずになおも暴れる伏を投げ飛ばした。それ以降、この女は自分の腕だけには敬意を抱いてくれている。


「調練とはどういう事だ」


 清記は身を乗り出して訊いた。武士ではない者が調練など、只事ではない。しかも内住郡の中であれば尚更だった。


「身を守る為に決まっているだろ? 最近、山の奥深いところでは賊が多くてね。狩りの最中に襲われた者もいるのさ」

「そうなのか。飢饉で逃散した農民が、夜須に流入して賊になっているという話は聞いた事がある」

「わかっているなら何とかしな。そういう事は、お前らの仕事だろう。あたしらが襲われたとして、里の者は動かん。なら、最低限の事はしろよ」


 そう言われると返す言葉が無かった。

 山人は人別帳に名前が無く、夜須藩では不可触ふかしょくの存在として扱われている。つまり、里の者に影響しない限りは、山人が死のうが何をしようが、藩庁も代官所も動かないのだ。内住代官所も、清記の知る限りでは山人の事で動いた所を見た事が無い。

 清記は再び腰を下ろすと、隣りに並ぶように伏が胡坐になって座した。


「そう言われると、申し訳ないとしか言えん」

「まぁ、半人前のお前に言った所でどうなる事でもないとは思うがね」


 そう言われ、清記は苦笑した。自分より歳が下である伏に半人前と言われると滑稽だが、女ながら男衆を率いて山野を駆けている伏に言われると悪い気もしない。


「しばらく夜須を離れていたそうだね。建花寺村に獣肉を売りに行った者に聞いたよ」

「江戸に行っていた」

「江戸か。遠いな。どうだったんだい、江戸は?」

「余り気持ちのいい所ではなかったな」

「そりゃそうだろう。この世は山を降りれば地獄だ」

「お前にとっての山が、私にとっての内住だな」

「だが、その山も地獄になろうとしている」

「賊か?」


 すると、眼下の景色に目を向けたままの伏が力強く頷いた。

 彫りが深い顔立ちは、美しさすら覚える。事実、伏への求婚者は後を絶たないらしいが、自分より強い者ではないと、妻になる気は無いらしい。そうした姿勢は、志月に通じる所がある。


「どうだ、久し振りにあたしの集落ムレへ来ないか? 親父も長老オサも喜ぶ」

「ああ、いいな」


 訛りかどうかわからないが、山人の言葉には我々が使わない独自のものがある。村の事をムレと呼ぶのも、その一つだった。


「親父さんには久し振りに会いたいが、村廻りの最中なのだ。次の機会に招待される事にするよ」

「そうか。残念だが、楽しみにしておくよ」


 そう言うと、伏が立ち上がった。四人の男達に撤収の指示を出した。清記は景色に目を向けたままだったが、その気配はすぐに消えた。


〔第一回 了〕

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