第五章 男と見込んで

第一回 山人の娘①

 清記は、山道を歩いていた。

 勾配が激しく、かつ人ひとりがやっと通れるほどの隘路あいろである。両側には鬱蒼とした茂みが続いていて、かなり高い所まで来ているのはわかるが、眺望を望む事は出来ない。

 内住郡南部に聳える、八木連山やぎれんざん。建花寺村の背後に鎮座する、弥陀山を含めた壁のような存在で、これを越えれば細々した小名しょうみょう・旗本領に入る。

 路傍には、名も知れぬ花が咲いていた。頭上では、小瑠璃コルリが喧しく鳴いている。朝から心地よい日差しで、登っていると暑さすら覚えるほどだ。宝暦十一年の卯月も、あっという間に過ぎようとしている。

 江戸から戻ったのは、二十日ほど前だった。新田の首を持ち帰ると、利永の帰国に合わせて、夜須への帰還が認められたのである。

 しかし、主税介は同行しなかった。帯刀と共に消えて以降、夜須藩を致仕してしまったのだ。藩邸からも消え、帰国した後に帯刀の家臣となったと父・悌蔵から伝えられた。

 主税介が致仕した事について、父は


「清記、覚悟しておけ」


 と呟いて、それ以上は何も言おうとはしなかった。

 何の覚悟が、その表情と声色から清記は十分に理解出来た。平山家では時として、その跡目を巡って争いが多々起きていた。清記の祖父は気を病んだ兄を斬って、平山家の家督と御手先役を継いだ。しかし、その後は兄が残した遺児との間で争いが起こり、その余波は父の代にまで及んだという。

 江戸から戻っても、考える事は多々あった。その中でも一番は、大和の事である。清記が江戸にいる間に、大和が刺客に襲われるという事件が起きていた。廉平は梅岳の仕業だと言ったが、その証拠はどこにも無い。襲われた大和は東馬に救出され、あろう事か梅岳の屋敷に駆け込んだという。まるで七将に急襲された石田三成が、神君・家康公の屋敷へ助けを求めたかのようで、結果として梅岳は次の一手を封じられた形になった。

 逃げた刺客が捕縛されたのは、清記がちょうど帰国する直前だった。探索の指揮を執ったのは、なんと梅岳自身だった。


「あろうことか、中老を襲ったのだ。執政が指揮するのは当然よ」


 との事で、程なくして元深江藩士の沢登右太郎さわのぼり みぎたろうという武士が捕縛された。

 深江藩は舎利蔵峠の領有問題で大和に辛酸を嘗めさせられた遺恨があり、この沢登は敗訴の責任を負って腹を切った奉行の縁者だという。舎利蔵峠の遺恨によるものだとしたら、皆が納得するし疑わない。しかも、梅岳は


「奥寺殿は無事だったのだから」


 と、深江藩に抗議らしい抗議はせず、深江藩からも返答は無かった。何とも上手い落としどころだと、清記は思った。事実、それ以降は梅岳と大和の対立は一旦収まっている。

 それはそれで良かったが、清記の足は奥寺家から遠のいていた。江戸で抜け荷の隠蔽をした身としては、大和に合わせる顔が無かったのだ。当然、梅岳の走狗になった事は、帯刀から聞いているであろう。自分は大和の敵になったと思えば、どんな顔で会っていいのかわからなかった。


(しかし、何とも険しい)


 山道の起伏は、更に激しくなった。地面からは岩が剥き出しになり、気を抜けば足を取られて転びそうにもなる。江戸での生活で身体が鈍ったのかもしれない。

 必死で山道を進んでいるのは、郡内の巡察が目的だった。内住郡は山が多い。全体の六割以上が山間部だ。しかし、その中には小さな村落が幾つも点在していて、年貢も徴収せねばならないし、変事があれば対応しなければならない。故に、その一つ一つを定期的に巡察する事も代官所の務めなのだ。


「下役に任せておけばよいものの」


 父に巡察の許可を求めると、そう言われた。

 父は代官職の一切を、藩庁から派遣された役人に任せているのだ。歴代の平山家当主がそうであったように、父もまた内住郡代官は御手先役の隠れ蓑としか思っていない。


(自分は、そうはなりたくない)


 と、清記は思っている。

 代官職も、御家に任された重要な役目。そして、それを立派に果たす事で、始末屋という殺しの仕事ヤマを踏まなくて済むという期待がある。

 代官としての職責を果たす事で、平山家の価値を高めるのだ。その上で、御手先役としても務めを果たす。そうなれば、藩庁も足らぬ費用の補填も考えてくれるだろう。そうした願いがあり、時間があれば代官所の職務を手伝っている。

 山間部の巡察に、清記は供を連れなかった。下役が随行を求めたが、それを断ったのだ。公的の立場では、見習いに過ぎない。その見習いの為に、貴重な人手を割く必要は無い。

 隘路を登り切ると、道が拓け高台に出た。ちょうど、郡内が一望出来る。

 清記は腰を下ろし、竹の水筒で喉を潤した。山風が、難所越えで火照った体には心地よかった。


(志月にも見せたいな)


 山間に広がる集落や田畠を眺めながら、清記は思った。

 この美しい内住が、俺の大切な故郷なのだと教えてあげたい。しかし志月とは、帰国してから未だ顔を合わせていない。大和への遠慮が奥寺家から足を遠退かせていた。

 会いたい。それはずっと心に秘めている想いだった。

 志月は愛想の無い暗い女だが、それが堪らなく愛しいと思える。このような気持ちは、久し振りだった。かつて、目尾組の女を愛して裏切られた。もう二度と女を愛すまいと思っていたというのに。


(いや、いかんな)


 と、清記は頭を切り替え、懐から帳面を取り出した。訪れた村々で見聞きした事や印象を書き残しているのだ。

 昨日の朝に建花寺村を出て、今日までに五つの村を訪れた。今日はあと二つの村を見てから、今回の巡察を終える予定にしている。

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