裏の顔②

 少しししが付き過ぎた男だった。

 ふくよかな顔に、商人特有の媚びた笑みを浮かべている。

 見た目からは五十路過ぎに思えるが、正確な歳はわからない。初めて会った十余年前から、不思議とその容姿は殆ど変わらないのである。


(何とも不気味な男)


 それが、両替商・大角屋徳五郎おおすみや とくごろうという男だった。

 この大角屋、表では夜須藩にも銭を貸す御用商人であるが、裏にまわれば始末屋に殺しの仕事ヤマを斡旋する裏の首領おかしらである。ただ他の首領と違い、大角屋が抱える始末屋は平山家のみ。つまり、平山家に仕事を斡旋する為だけの首領なのだ。勿論それは平山家の始末屋稼業同様に、裏の顔も藩庁から代々黙認されている。

 秀松の離れ。弁分という町中にある料亭だが、分限者御用達の名店だけあって敷地は奥に広く、蓬莱竹が生い茂る庭には離れの個室が幾つもある。

 面会は、世間話から始まった。父の近況や今年の作柄。耳が敏い商人だからか、清記が奥山家の剣術指南になった事も知っていた。


「奥山様と縁を深めるのは、平山家にとって悪い話ではございませんよ」

「皆が口を揃えてそう言います」

「そうでしょう。昨今、執政府では犬山派の独裁を奥山派が揺るがそうとしているとか。時代というものは変わるもの。いずれ奥山殿の天下になった時、平山家の運も開かれましょう」

「それは、大角屋の運もですね」

「勿論でございます」

「流石、大角屋殿。人の縁も利になさるのですね」

「それが、商人のさがでございますよ」


 大角屋は、微笑を浮かべ申し訳なさそうに顔を伏せた。これが大角屋の愛嬌なのだ。父も、そんな大角屋を可愛がっている。


「さて……」


 大角屋が本題を切り出したのは、酒肴も半分ほど無くなった頃だった。


「此度の仕事ヤマでございますが」


 清記は、箸を置いて居住まいを正した。


「今回の報酬は百三十両」

「ほう」


 一人斬って百三十両。このような大金で始末を依頼されるのは、久し振りである。相手はかなりの大物か、強敵なのだろう。昨年末に行った仕事ヤマでは、武家の毒婦を始末して四十両だった。


「中々の大金でございますな」

「これには、忘れていただく費用が含まれております。勿論、平山家は代々口が堅い血が流れている事は存じておりますが、今後一切忘れて欲しいとの事です」

「なるほど。で、誰を始末したらよいのですか?」

「岩城新之助。まだ二十歳の若侍でございます」

「岩城……あの岩城家ですか?」


 大角屋が、深く頷いた。

 岩城家は、夜須藩でも門閥と呼ばれる栄生十六家の一つである。かつては執政を出した家柄でもあり、現当主の右衛門丞うえもんのじょうは、犬山派の若年寄として江戸から藩政に参画している。梅岳と栄生十六家は対立をしていたが、右衛門丞の父は早くに梅岳に寝返った為、現在も重用されている。


「新之助は、現当主の弟御でございます」

「その者を斬ればよいのですな」

「引き受けて下さるのでございますか?」

「無論。これが平山家の生業ですので」

「それは良かった。この話を私に持ち込んだ御方に私は深い恩義がございまして。お断りされたらどうしようかと、食が喉を通らないほどだったのです」


 そうお道化た大角屋に、清記は苦笑を向けた。


「いやいや。平山家がこうして裏の仕事ヤマが出来るのも、大角屋殿の助力があればこそ。それもまた恩義なのです」

「おお、これは嬉しい事を申してくださる。それでは、こちらも手筈を進めます。なぁに、相手は悪事を繰り返す鬼子でございます。この仕事ヤマを踏むのも、世の為、人の為……頼みましたぞ、清記様」


◆◇◆◇◆◇◆◇


 新之助を斬る手筈が整ったのは、依頼を受けて三日後の事だった。

 初秋の夜。微かに夜気は肌寒く感じる。

 もはや城下とも呼べぬ、郊外。空雲寺くううんじが見渡せる木立の中に、清記は潜んでいた。

 灯りは無い。月さえも隠れている。それでも夜目が利く清記には十分だった。

 今夜、寺の本堂で開かれている賭場に、どうやら新之助が顔を出すという。これは廉平によって得られた情報である。


(今回は、何としても斬らねばならん)


 岩城新之助は、斬るしかない男だ。

 実父が江戸で囲った妾に産ませた、江戸生まれ江戸育ちの男だ。元服前から、徒党を組んで喧嘩に博打。それだけなら名門の部屋住みによく見られる放蕩だが、悪友とつるんで盗みや辻斬り、若い娘を無理やり手籠めにするなど、暴力と淫欲の限りを尽くしているのだ。しかも、その悪友の中に夜須藩世子である右京利之うきょう としゆきがいるのだから始末が悪い。


(世子様の評判は聞いていたが)


 右京は、風流狂いの父・利永に似ず、荒々しい男と言われている。清記は一度として会った事はないのだが、その粗暴さには、父ですら眉を顰めるほどだ。暴君の気質を持つ右京を、新之助が誘って悪事を繰り返す。それは想像に容易い。

 新之助の兄である右衛門丞は、愚弟が仕出かす騒動の尻拭いに奔走し、いよいよ派閥の領袖りょうしゅうたる梅岳に、


「どうにかしろ」


 と、きつく命じられてしまった。

 右衛門丞は、すぐさま新之助を夜須にいる親戚に預けた。それで暫くは大人しくなったようだが、夜須に来て二ヶ月目、あろう事か親戚の娘であるみつの寝込みを襲い、夜が明けるまで散々に凌辱したのだ。まだ十五の、しかも血縁関係にある親戚への執拗な辱めを耳にして、右衛門丞は新之助の殺害を決めたという。


(あやつは血の病なのだ)


 大角屋の話を聞いて、清記はそう思った。世の中には、こうした類の病がある。悪事を止めようと思っても止められない、殺すしか治す方法が無い病が。そうとしか思えない者たちを、清記は何人か斬ってきた。

 この三日、廉平に頼んで新之助について調べ上げた。その悪行は大角屋の話と殆ど違わなかった。光を犯した新之助は親戚の家から逃走すると、藩内を浪々として、いつの間にか浪人や破落戸を従えるまでになっているらしい。


(こうした殺しならば、心も幾分か楽だな……)


 前回の毒婦殺しは、嫌な想いしか残らなかった。亭主とその舅に手を出した女。殺しの依頼をしたのは、姑だった。気が進まなかったが、断る事は出来ない。御手先役を務め続ける為に、銭は必要なのだ。


(ただ、今回の依頼者は梅岳か)


 右衛門丞は新之助の殺害を梅岳に伝え、その梅岳から大角屋に話が持ち込まれた。それが癪だった。これは犬山派の後始末なのだ。また、あの男の為に働かされていると思うと、忌々しくある。

 清記は、こちらに近付く気配を察し立ち上がった。

 提灯の光。空雲寺の庫裡から男達が出て来た。

 先頭の男が新之助だろう。その面貌は、事前に確認していた。色白で、鼻が高い優男。間違いない。木立の中で扶桑正宗の鯉口を切ると、清記は息を殺して待った。

 新之助が近付いてくる。緊張は無い。ただ一人、上手く生きる事が出来なかった青年をすだけだ。

 それにこの殺しは、人助けになる。少なくとも、無意味な殺しではない。そう思っても、虚しさはやはりあった。殺しをする為に、殺しをしなければならない現実が。


(俺が家督を継いだら、始末屋からは足を洗おう……)


 そう決めた。

 銭を得る手立ては、他にもあるはずだ。いずれ生まれるであろう我が子に、同じ想いはさせたくはない。

 声が聞こえてきた。笑い声を挙げている。酒も飲んでいるようだ。

 目の前を通り過ぎていく。清記は扶桑正宗を抜き払うと、木立から飛び出した。

 新之助。目が合った。やっと、この時か来たか。そう言いたげな表情を浮かべていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 東馬と鮎釣りをする、約束の日になった。

 待ち合わせの場所は、建花寺村を出た所にある地蔵尊だ。

 釣りは一人でするものと決めていた。それでも東馬がしきりに頼むので、仕方なく一緒に行く事にしたのだ。これで二度目である。

 釣り場は村からほど近い、弥陀山みださんの麓を流れる美しい渓流。鮎もよく釣れる。

 清記は二人分の釣り道具一式を背負って、屋敷を出た。

 東馬が待っていた。多少小走りになったが、清記はすぐにその足を止めた。


(東馬の奴め、謀ったな……)


 清記は、眩暈すら起こしそうな胸の高鳴りを覚えた。

 地蔵尊で待っていたのは、東馬ではない。長い髪を若衆髷に結い上げ、小袖袴に細身の二刀は佩いた、男装の麗人。志月だったのだ。


(さてどうするか)


 困ったものだ。ああ、困った。しかし、それは嬉しい困惑だった。

 清記は、ぎこちない笑みを作り、一歩足を前に踏み出していた。


〔転章 了〕

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