第三回 余波①
一夜明け、清記は建花寺村に戻り、悌蔵に新たなお役目と報酬が用意されている事を報告した。
「父上、本当に報酬を受け取ってよろしいのでしょうか」
報酬を受け取るべきではなかった。帰宅後、清記はそう思うようになっていた。少なくとも、平山家の当主でもない自分が判断するべき事ではなかったと後悔し、父に訊いてみたのだ。
「お前はどう思う?」
それに迷っているから訊いたのだと思ったが、清記は正直に答えた。
「受け取ります。一応、御手先役としての命ですが、犬山様のご厚意でございますので」
そう言うと、悌蔵は一つだけ頷き
「わざわざ与えられた銭を返す事もあるまいよ」
と、それだけを言って、この件に関してそれ以上の関心を示さなかった。報告もそれで終わったので、主税介に辛く当たった梅岳の応対についても話せなかった。
「父上が跡目を私か主税介かで、迷っているようだな」
久し振りに自室に戻った清記は、挨拶に現れた用人・佐々木三郎助に向かって漏らした。
「悪い冗談を申されますな。ご嫡男は清記様の他におりません」
「犬山様が、父上が迷っていると仰っていたのだ」
「左様でございますか」
三郎助は、特に驚いた風でもなかった。ただ大福のような丸顔に、薄ら笑みを浮かべている。きっと父から何か聞いているのだろう。三郎助は、平山家の用人であり、父の側近中の側近なのだ。
それでも二歳年上の三郎助は、清記にとっては大事な相談相手であり、友人でもある。こうした話を出来るのは、この男しかいない。
「それで不安になったのでございますな」
「私としては、当主の地位も御手先役という役目にも執着はないのだ。無理して得たいわけではない」
「それは何遍も聞かされましたよ。廃嫡されたら寺小屋の師匠になるのでしょう?」
「まぁな」
「ならば、お譲りをすればよろしいではないですか? この三郎助も、寺小屋にお供しますぞ」
「ただ今の主税介では危うい」
「何故にそうお思いに?」
「野心が強過ぎる。平山家当主の座で収まるならいいが、一度火が着いた野心には限りがない。まるで燎原の如くだ」
そうして滅んでいった男達を、清記は御手先役の役目の中で数多く見てきた。野心を抱いて成り上がり、しかし燃え上がった野心に歯止めが利かず滅びの階段を転がり落ちて、最後は死んだ。そして、死の幕引きを為したのが、この手だった。
「それは、何と申してよいのやら」
三郎助が苦笑した。
「主税介様の肩を持つわけではないですが、それは致し方なき事かと。主税介様のお生まれ、お育ち、そしてお立場を考えれば、野心が強うなるのも頷けます。特に清記様は、生まれながら地位を保証された身でございますれば、余計にそうお感じになるのでしょう」
「そうかもしれん。しかし、御手先役が野心を持てば危うい。それだけの力があるし、警戒もされている。念真流は、欲の為に奮ってはならんのだ」
「確かに。執政府としては、清記様を継がせた方が安心でしょうな」
「私は、飼いならされた
「よかれと思ってなされている事でしょう。ですが、平山家に家督争いは珍しい事ではありません。二代、五代、そして九代目である悌蔵様もご兄弟で争われておられます」
父は、二人の兄を押し退けて家督を継いだ。その過程には、藩内を二分した政争があり、平山家も長兄と長兄を支持する次兄、そして三男である父とで二つに分かれた。父は長兄を斬り、次兄は藩外へ遁走した。この政争で父は勝利し、今の地位にある。そして、脱藩した次兄の消息は杳として知れない。
「そうなる前に、私は降りるよ。主税介は危ういが、兄弟で殺し合うよりはましだ」
そう言うと、清記はおもむろに立ち上がった。今日はこれで帰るつもりだった。明日は奥寺家での稽古があるし、いつ梅岳からの呼び出しがあるかわからない。
「お発ちになるので?」
「もう用件は済んだ」
「左様でございますか。では、お見送りを」
「無用」
清記は、その足で建花寺村を出た。村から城下までは二刻ほどだ。今経てば、夕方には到着するはずだ。
城下までの道を辿る。数日おきに建花寺村と百人町の別宅を往復しているので、歩き慣れた道だ。
心なしか、足取りが重い。奥寺家での稽古は、いい気晴らしになる。しかし、その気晴らしに陰を落としたのが、犬山梅岳だった。
梅岳から依頼された、いつ始まるとも知れない刺客の排除。そして、直々に耳打ちされた、
「奥寺家で善からぬ話を耳に挟んだら、儂に報せよ」
と、いう言葉。そこにあるのは、梅岳から告知された、明確な対立軸である。
(この私に、間諜になれという事か)
大和と梅岳。比べるべくもなく、大和の方が好ましい男だ。たとえ善からぬ企てを聞いても、梅岳に報せなければいい。しかし、絶大な権力と高度な諜報力を持つ梅岳相手に、聞いていないとという言い逃れが通用できるのか?
大和は好きだ。しかし、それは自分の感情に過ぎず、平山家や家人、領民には関わりない事。ならば、やはり裏切りの
そして、いつ始めるとも知れない
「平山先生」
不意に声を掛けられ、清記は足を止めた。
藩内を南北に流れる大河、波瀬川。その支流である
声がする方に目をやると、下帯姿の青年が川の中から手を振っている。よく見ると、平次だった。
周りには、五人の少年達。歳は十代半ばぐらいだろうか。平次と同じように、下帯姿になって、川の中を窺っている。
「倉持ではないか」
清記は碇川の土手へ降りると、平次は得意気に両手を翳した。
その手に蠢くものは、鰻だった。どうやら、平次達はみんなで鰻を捕まえようとしているらしい。
「おう、鰻か」
「ええ、晩飯の菜です」
と、平次は鰻を腰に吊るした魚籠へ放り込んだ。
「上手いものだな」
「こればっかりは得意なのですよ。今日は非番ですし、久し振りに母に食べさせようと思いまして」
「すると、この子達は弟かな?」
「いやいや、近所の悪ガキ共です。こうして時折教えてやるんですよ」
「そうか。お前はこの辺りの生まれだったな」
平次が、城下からほど近い
「そうだ、先生。これからどうです? 鰻で一杯なんて」
平次が、猪口を手に傾ける仕草を見せた。清記は苦笑して、首を横にした。
「明日、奥寺邸での稽古なのだ。二日酔いになったら、大和様にどやされてしまうよ。それは、お前も同じだろう?」
「ええ、明日は朝一でお屋敷に戻らなければなりません」
「なら、お互い様だな」
しかし、これで平次の誘いを断るのは二度目だ。流石に悪いと思い、
「君が私から一本を取れば、一杯付き合おう。勿論、私の奢りでな」
「先生、それは本当ですか?」
「武士に二言はない、と聞いた事はないかな」
「しかし、一本は厳しい。無理な約束ですよ」
「ならば、私を慌てさせたら、というのはどうだろう?」
「わかりました。では、それで」
平次が、日に焼けた肌に映える、白い歯を見せた。その笑顔は、やはり自分には無いもので、清記は直視し難いほど眩かった。
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