第二回 奸臣の貌①

 翌、戌の刻。

 月も無い夜の城下を、清記は主税介と並んで歩いていた。

 提灯は、手にしていない。灯りに頼らなくても、念真流の修行で鍛えられた夜目は、梟のように利く。それは、主税介とて同じだろう。主税介も他家に養子に出されたとは言え、自分に勝るとも劣らないほど、父の修行を受けているのだ。

 それに、提灯を手にして目立つ真似はしたくなかった。


「尾行には気を付けよ。場合によっては斬って構わぬ」


 と、主税介は父に念を押されたらしい。斬っても構わないとは、どういう理由があるというのか。尾行されずに、梅岳に会う。それだけでも、剣呑だとわかる。

 清記は気配を消しながらも、周囲の気配に気を配った。

 主税介も同様である。真剣な面持ちで、歩んでいる。梅岳に会う事に対し、気負うところがあるのかもしれない。清記は父の代理として何度か会った事があるが、主税介は今回が初めてらしい。


「どんなお方なんでしょうか」


 出発前に、主税介が訊いてきた。

 その問いに答える前に、清記は胡麻塩頭の小男の顔を思い浮かべた。深い皺と人好きしそうな笑みの奥に光る、狡猾な瞳。あの男の前に出ると、否が応でも身構えてしまう圧がある。


「隙の無いお人だな」

「へぇ。武芸も嗜まれるのですか?」

「いや、そうではない。目や言葉の隙の事だ。向かい合っているだけで、心の中を見透かされているかのような気分になる」


 それで納得したのかわからないが、主税介はそれ以上何も訊いてこなかった。

 夜須城三の丸に入る、大手門に辿り着いた。

 三の丸には、藩の官舎や各種の蔵、そして一門衆や家老を世襲する門閥老職の屋敷が立ち並んでいる。梅岳の屋敷も、この三の丸にあった。

 一代で成り上がった梅岳の屋敷は、本来はここにあるべきではない。しかし、藩主・利永の意向により、特別に許されているのだという。

 清記は、篝火が焚かれた大手門の前に進み出た。


「何か御用でございますか?」


 守備する番士にそう訪ねられた清記は、姓名を告げると番士の顔色が一変しすぐに通された。事前に梅岳からの命令を受けているのだろう。本来、この時刻に大手門の通行は許されていない。


(ここか……)


 犬山邸。闇の中でも、その屋敷の威容には圧倒されるものがあった。狭間を施した白亜の土塀に、豪壮な長屋門。正対して立ってみると、いつも息を呑む。

 訪ないを入れると、程なく初老の武士が現れた。梅岳の用人、波多野右衛門はたの うえもんである。


「これはこれは、平山様。そして、お隣りは御舎弟様ですかな?」

「主税介、ご家老の用人であられる波多野殿だ」


 清記は初対面の二人を引き合わせると、主税介が礼儀正しく頭を下げた。


「用人の波多野と申します。穴水主税介様でございますね。そして清記様も、ようこそおいでなられました」


 清記と主税介がほぼ同時に返事をすると、波多野という老武士が周囲を見渡した。


「尾行はございません」


 清記は波多野の心配を察して言うと、波多野が一つ頷き二人を中に招き入れた。

 広い邸内を、石灯の火が闇夜を煌々と照らしている。何かに備えているのだろうか。思えば、肌にひりつくような殺気も感じる。当然、この雰囲気を主税介も察している事だろう。


(気負うなよ)


 清記は、内心で主税介に問い掛けた。今回呼ばれたのがお役目だったとして、主税介も共に呼ばれたという事は、主税介にとっては好機なのだ。自分にとっては不安を覚えなくもないが、平山家当主の地位や御手先役という役目に執着があるわけではない。


(お前が私から嫡男の地位を奪うには、絶好の機会だ)


 だからとて、清記も易々と譲るつもりはない。そこには兄としての意地もあるが、それ以上の懸念もある。主税介では、御手先役が持つ闇に引きずり込まれる恐れがあるのだ。

 屋敷に入ると、主税介が廊下の狭さや天井の低さに驚いていた。屋敷の広さ・大きさに比して、それが意外だったのだろう。

 この造りそのものが、梅岳の用心深さの表れだった。廊下の狭さ、天井の低さは刀を自由に振らせない為だと、清記はかつて同行した父に聞いた事がある。

 一代で、しかも下士から成り上がった梅岳には敵が多いと言われる。事実、自派に取り込めなかった者を、力で叩き潰した事も一度や二度ではないらしい。そこまでして権勢を保持したいという欲望が理解出来ないが、この屋敷を訪れる度に梅岳の覚悟というものを感じる。

 案内する波多野が、咄嗟に脇へ逸れた。何事かと思った清記の前に、少年から青年になりつつある若い武士が立っていた。


「若様にあられます」


 波多野が呟くように言うと、清記と主税介は慌てて跪いた。


「よい。面を上げよ」


 そう言われ、清記は顔を上げた。

 赤い面皰が痛々しい、日に焼けた顔がそこにあった。白い歯を見せて笑んでいる。


犬山格之助いぬやま かくのすけという。会うのは初めてであるな」

「はっ……」


 梅岳の嫡男である。しかし格之助は、何を隠そう藩主・利永の子だった。生母が賤しい身分であった為に藩主家には入れず、かと言って粗略にも扱えないという事で、犬山家に養子入りしたのだ。

 この養子入りに関しては、色々と言われている。その最たるは、格之助が梅岳の種ではないか? と、いう噂だ。格之助の生母は、利永のお手付きになるまでは、梅岳の妾であったと、まことしやかに囁かれている。

 しかも梅岳は、格之助の養子入りに際して既に後継者と定めていた嫡男を廃嫡しているのだ。そして、格之助を自分の後継者として元服させている。我が子だからそこまでするのだと、この噂に真実味を与えていた。


「そなたらが、あの平山一族か。一度、会いたいと思っておった」


 その歳で、一族の真なるお役目の事を知っているのか。御手先役の存在は秘密裏。藩主と一門の当主格、そして執政府を構成する重臣しか知らないはずである。格之助が知っているという事は、梅岳が教えたのか。


「勿体なきお言葉にございます。我々は、言わば不浄なるお役目に就きし身でございますれば、こうしてお話をするだけでも恐れ多い事にございます」

「何を申す。そなたらが働いているからこそ、我々は安寧に暮らしていけるというもの。不浄であるはずがない」

「はっ……」

「厳しい役目だと思うが、よろしく頼む」


 格之助がそう言って、踵を返した。主税介が感激したように深々と平伏したが、清記は格之助の言動と主税介の反応を、鼻白んで眺めていた。優しい言葉なら、誰でも言える。しかし、言うだけで汚れ役を代わろうとはしない。それが特権階級の人間というものなのだ。そして、それで一々感激する主税介の脇も甘い。これではいいように扱われるだけではないか。

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