エピローグ

移り行く季節の中で

 夕暮れ時、僕は囲炉裏の前に座っている。


 日中の蒸し暑さは消え、開け放たれた窓から涼しい風が吹き抜けて行く。

 ヒグラシの淋しげな声が止むと、里山にはカエルの合唱が響き渡る。

 

 囲炉裏の向こう側に、一人の女性が居る。

 缶ビールを両手で持ち、肘をついてぼんやりと囲炉裏の炭を見つめる女性、沢野七海だ。

 七海は、囲炉裏越しの僕に視線を移すと、にこやかに笑った。


 七海はあれからずっと、ここに居る。

 季節は、冬を越え、春を迎え、もう夏の終わりに近づきつつある。

 それでも七海はずっとここで生活をしている。

 豪雪で道が閉ざされた日も、雪解け水で小川が満たされた日も、桜の花も、新緑の森も、真夏の太陽も、七海はここで見続けてきた。


 僕が七海を受け入れたと言う訳ではない。

 かと言って、追い返そうともしなかった。

 美咲の日記を燃やしたあの日から、特別な事は何も起きずに、一日、一日が平穏に過ぎ去っていった。


 僕と七海が、男女の関係になったと言う訳ではない。

 ひとつ屋根の下で、一人の男と一人の女が共に暮らしている、ただそれだけだ。


 周りの人にどう見られているか、それは分からないが七海は気さくな性格で、集落の人とも親しげに接しているので、なんとなく受け入れられている気がする。


 東山さんの一家は、美咲が亡くなった後も、ちょくちょく遊びに来てくれる。

 唯ちゃんは、美咲の死をまだ理解できていないようだ。最初の頃は美咲が居ない事を不思議がりガッカリしていたが、近頃は七海と一緒に遊ぶようになった。

 「美咲ちゃんはいつ戻ってくるの?」

 そう聞かれると、僕は返事に窮し、もう少ししたらね、と言って誤魔化す。

 きっと、東山さんが追々、うまく説明してくれる事だろう。


 この先、僕と七海がどうなっていくのか、それは分からない。

 美咲が生きていた頃、本心かどうかは別にして、七海は僕への思いを事あるごとに口にしていた。

 でも美咲が亡くなってからというもの、そういう事を一切口にしなくなった。

 僕と七海の間を流れる空気は、明らかにあの頃とは違う。


 七海が何故ここで暮らすのか、僕に対してどういう感情を持っているのか、それは分からない。いや、僕が分かろうとしていないだけかも……

 一方で、僕が七海に対してどういう感情を抱いているのか、それはまだ整理がつかない。


 ただひとつ言えるのは、七海と一緒に暮らすようになって、日常に笑いが戻ってきた、という事だ。それは間違いない。

 七海に笑顔で見つめられると、心にぽっと明かりが灯ったような気分になり、僕の頬は自然に緩む。


 時々、考える……

 美咲は、僕と七海の今の生活を見て、どう思うのだろうかと。

 最後の手紙の文面からすると、にこやかに微笑んでいるような気がする。

 もしかしたら、七海を女性として受け入れようとしない僕に苛立っているのかも…… 

 やきもちを焼いている?

 よもやそんな事はあるまい。


 美咲に対する悲しみは月日が経つにつれて少しづつ薄れていった。

 悲しみはいずれ時が解決する、と誰かが言っていた。

 勿論、それはあると思う。

 でも僕の場合は、いずれ会えるだろう、という思いが心のどこかを支えていて、悲しみとは、また別の感情を抱かせてくれているのではないか、という気がしている。


 悲しみが薄れていく代わりに、楽しかった思い出の日々が鮮明に蘇ってくる。そして、あり得ないほど遠くへ行ってしまった美咲の存在が、近くに感じられるのだ。


 いつか、また、どこかで・・・

 その思いを胸に、僕は生きていく。


 囲炉裏の向うの七海が微笑む。

 僕は七海に微笑み返す。


 カエルの鳴き声は止まない。

 夜はゆっくりと更けていく。

 

 了




■□□□□■□□□■□□■□■ あとがき ■□■□□■□□□■□□□□■


 まずは本作、『いつか、また、どこかで・・・』を読んで下さった方々、ありがとうございます。

 全編にわたってお付き合い頂いた方々には、心より感謝申し上げます。

 皆様から頂きましたコメントや応援マーク、とても励みになりました。

 数は少なくても反応して頂ける喜び、それにコメントを通じて感想を交換し合う楽しさ、そんな事を本作で実感する事が出来ました。重ねて御礼申し上げます。


 この作品を書く切っ掛けになったのは、探し物をしていて、ふと目に留まった高校時代の卒業アルバムでした。

 1ページめくる度に甦ってくる懐かしい思い出……

 この人は今、何をしているのだろう?

 あの時、こんな事を考えていたなぁー

 そんな事していたっけ?

 次から次へと蘇ってくる思い出から妄想を膨らませて、本作品を書き始めました。


 基本的には創作なので、実際のエピソードを取り込んだ訳ではありませんが、所々個人的に思い入れのある場所や、思いが散りばめられております。


 本作のクライマックス、三木と美咲の死別に関して……

 私には、ここ数年の間に仲の良かった友人、知人との永遠の別れが何度かありました。当然の事ながら、その都度、悲しみにうちひしがれてきた訳ですが、時が経つにつれ、悲しみは時間を掛けてゆっくりと薄らいでいき、そしてその代わりに故人との良き思い出が心に浮かび上がってくるのでした。


 親しい方との永別は耐え難い悲しみ、そして喪失感に苛まれますが、悲しみを乗り越えた先には、楽しかった思い出の日々が鮮明に浮かび上がってくる、そんな実体験が、私の心に深く刻まれております。

 出会いには必ず別れが付きまとうもの、ならば永別と言うのは、必ずしも悪い別れ方ではないのかな、と最近思えるようになってきた気がします。


 そして思い出を振り返っていると、会える筈の無い故人と、いつか、また、どこかで会えるような気がしてくるから不思議です。


 『また、どこかで』と言う再会を約束する言葉の前に、いつか、と言う期限のない言葉を置く事で、真実味が湧いてくる。そんな気がするのですが、いかがでしょう?


 『いつか、また、どこかで…』

 美咲はそんな思いを伝えたくて、美木に日記と手紙を残しました。

 それを受け取った美木は、美咲との思い出に浸り、いつか、また、どこかで、会えると信じ、それを支えに生きていきます。


 最後に、美木と七海の関係は……?

 これはお読みいただいた方達の想像に委ねたいと思います。

 私の目には、美ヶ丘ファームで仲良く暮らす二人の姿が思い浮かびます。

 美咲の事を慕いつつ、暮らしていく二人の姿が……

 果たしてどうでしょうか?



 さて、既に私は次作の執筆を始めています(性懲りも無く…)

 作品名は『ふくぎ』、出会った人の心に笑顔を刻み込んでいく男をテーマにした物語です。主人公となるのは仕事一筋で生きてきた女性で、主に彼女の視点で書き進めていく予定です。

 今回も出会いと別れ、思い出、記憶、幸せとは・・・そう言った内容になると思いますので、本作と似た様な印象を与えてしまうかもしれませんが、今は、もう少しこういった雰囲気の物語を書いてみたいと思っております。


 題名のふくぎとは、漢字で書くと福木。沖縄などに自生する常緑樹の名前です 。

 小判のような形をしたその葉っぱは見ているだけで幸せな気分になれるとか……

 ストーリーの中盤あたりから沖縄へと舞台が移る予定です。


 本作の完結に続き、早速、連載を開始したいと思っております。

 もしも宜しかったら・・・

 どうぞお付き合いくださいませ。

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いつか、また、どこかで・・・ T.KANEKO @t-kaneko

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