フォルテ#2

「リル。お前もそろそろ大人になるんだ。少しは分別を覚えろよ」


 衛兵詰め所と言われて、てっきり牢屋に入れられると思ったが、そこそこ広い部屋に通された。そして今、マゴールという人に説教を受けている。

 いや、俺の記憶が無いことが分かったマゴールはリルだけを怒っていた。話を聞いていると悪ガキと近所の頑固親父みたいな関係だなと思う。


「分かっているよ。だから俺ぁシールドを抜けたんだ」

「はん。抜けたのは自由に旅したいからだろ? お前の兄貴のように」

「兄さんのことは関係ねえ」


 ふてくされているが素直に応じるあたり、リルはマゴールのことをある程度信用しているらしい。

 しかしながら説教が長引くのは、俺にとって好ましくなかった。早くリルの『じっちゃん』に会って、状況を把握したい。そしてできるならコンサート会場――いや日本のどこかでもいい、とにかく帰りたかった。


「マゴールさん。一つ訊ねてもよろしいでしょうか?」


 相手がゴリラのような筋肉隆々とした大男でなくとも、年上には敬意を払ったほうがいいと判断して敬語で話す。

 するとマゴールは「うん? なんだ言ってみろ」と俺のほうを向く。


「先ほど言いましたが、俺は記憶を失くしていまして。ここがどこなのかも分からないんです」

「あー、そうだったな。ここはサウザンドフォレストという。聞いたことはあるか?」


 意外と親切な応対に驚きつつ、俺は「聞いたこと、ありません」と答えた。


「どうやら、ここは日本ではないようですね……」

「ニホン? 聞いたことないな……リル、お前の兄貴から聞いたことあるか?」

「いいや。兄さんは地理に詳しかったけど、そんな街や国は聞いたことない」


 俺は「俺の世界には、魔族や魔物はいませんでした」と正直に答えた。

 二人が顔を見合わすのを余所に俺は続けた。


「魔法だってないし、俺が魔法使いであるはずがない。だって、俺は……ただの人間だから……」

「ただの人間でも、簡単な魔法ぐらい使えるけどな。だが――」


 マゴールが神妙な顔で何かを言おうとしたとき、リルが「そうだ! さっきのあれ!」と大声で遮った。


「さっき、凄かったよな! 信じらんねえくらい強くなった気がする! あんた、一体どうやったんだ?」

「俺だって分からないよ。その、この指揮棒が振れって……」


 改めて指揮棒を眺める。手に馴染んでいるそれは、不思議なことにリルの力を何倍にも引き出していた。

 考えられるのは、この指揮棒自体に力が宿っていることだが……


「マゴールさん。オーミさんがいらっしゃいました」


 そこへ若い衛兵――二足歩行の鳥の魔族だ――がマゴールにそう言ってきた。

 マゴールは「お迎えが来たようだな」とリルの頭を乱暴に撫でた。


「もうオーミさんに心配かけることするなよ」

「だああああ! 頭を撫でるんじゃあない!」


 二人のやりとりの間に、部屋に入ってきたのはしわしわの顔をしたトカゲの魔族だった。

 腰が酷く曲がっている。肌は灰色。左目に眼帯をしていて、黒くてゆったりとした、魔法使いが着るような服だった。そして木の杖を突いている。


「リル……また喧嘩したのか? しょうがない奴だな」


 コツコツと杖を突いてやってきたトカゲの魔族はリルをぎろりと睨んだ。


「それで、負けたんじゃないだろうな?」

「かはは。俺が負けるわけねえだろ!」

「ならばよし」


 うーん、リルのおじいさんらしい好戦的な言葉だな。

 マゴールも複雑な表情をしている。


「それで、そちらの方は?」

「ああ。そっちは……名前も忘れているんだった」


 リルが困った顔をしていると、トカゲの魔族は「ああ、みなまで言わんでいい」と止めた。


「記憶を失くしているのか。それをリルが助けたんだな?」

「……よく分かりますね」

「伊達に歳を食ってはおらんよ。それでリル。こちらの名無しの人間、どうしたい?」


 リルは「じっちゃんに相談したら何とかなると思ったんだけど」と答えた。


「とりあえず、人魔協約で助けたんだけどさ」

「ふむ……お前さんは、どうやらこの世界の住人ではなさそうだが」


 俺は衝撃を受けた。

 言い当てられたこともそうだが、この世界が俺がいた世界ではないと知らされたことがショックだった。


「え、あ、その……」

「リルとマゴール。どこか四人になれるところはないか?」


 この部屋には確かに、他の衛兵がいるが、聞かれてはいけないことでもあるのだろうか?

 マゴールが「個室が隣にある」と答えた。


「鍵を持ってくる。少し待ってくれ」

「頼む。それと名無しさん。自己紹介がまだだったな」


 しゃがれた声でトカゲの魔族は俺に言う。


「わしはオーミという。以後よろしく」



◆◇◆◇



 個室に入って椅子に座った俺に、オーミは「単刀直入に言おう」と切り出した。


「おそらく、お前さんはこの世界の住人ではない。この街はサウザンドフォレストというが、聞いたことはないだろう」

「え、ええ。そうですね。俺がいた日本ではないですし、海外の街でも魔族がいるとは思えません」

「実を言えば、わしが『転移者』に会うのは三人目だ」


 三人。目の前のオーミが何歳かははっきりと分からないが、長い生涯でそれだけしか会わなかったという事実を、俺はどう受け入れればいいのだろうか。


 じっと手に持った指揮棒を見る。

 俺の世界のものであり、この世界の力を受けたもの。


「転移者はドイツとオーストリアという国から、それぞれ来たと言っていた」

「……そう、ですか。その方々は今、どちらに?」

「二人はもう死んでいるので、話は聞けない」


 死んでいる。つまり元の世界に戻れなかった。

 徐々に血の気が引いていくのを感じながら「俺は、どうしたら……」と呟いた。


「まあ転移者の子孫に会うのも手だが……今は難しそうだ」

「どうしてですか?」

「……マゴール。この者に通行証は出るのか?」


 オーミの問いに「み、身分が明らかではない者には出せない」とマゴールは答えた。

 俺が転移者らしいと分かって、少しだけ動揺しているようだった。


「通行証が無ければ、街の周辺にしか出歩けない。関所も越えられない」

「それでは、俺はどうしたら……」


 オーミは「一つ提案なんだが」とマゴールと俺に言う。


「シールドを解散させたら、通行証を発行するのはどうだ?」

「はあ? シールドを?」

「ああ。衛兵隊長のお前さんなら、皆を説得できるだろう。その手柄を使ってな。それでも不足ならわしが後見人になってもいい」


 マゴールは「シールドは確かに厄介だが……」と渋っている。


「その名無しの男だけで解散させられるとは思えない」

「そうだな……リル、何を関係ないという顔をしている?」


 オーミの言葉に、毛づくろいしていたリルが「だって、俺関係ないじゃんか」と口を尖らせた。


「それよりさっさと帰って寝たいんだけど」

「何を言うか。お前さんも協力するに決まっているだろう」

「はあ!? なんで俺が!?」

「何故って、あのシールドはお前たち兄弟が作ったものだ。だったらきちんとケジメを付けないとな」

「うぐぐぐ……」


 オーミは老獪さを前面に押し出した笑みを浮かべた。


「それにだ。シールドを解散させたら、冒険の許可を出そう」

「え、マジで?」

「大マジだ。少しはやる気出たか?」

「ま、まあ。出ないこともないけど……」

「なら決まりだな」


 オーミは「それからお前さんの仮の名を決めておこう」と俺に言う。


「仮の名? そうだな。名無しと呼ばれるのはちょっと嫌だった」

「それに、名前がないと通行証は発行されないしな」


 マゴールの捕捉にオーミは頷いた。


「転移者は自身の名前を忘れてしまうらしい。だから二人は自分が持っていた物の名を取って名乗っていた」

「持っていた物……」


 俺は指揮棒を見つめた。

 愛用していて、さっき信じられないことを起こした――


「分かった。俺は『タクト』と名乗る」


 俺は力強く言った。

 仮の名を名乗ること。

 それはこの世界を受け入れたことに他ならなかった。

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指揮者は異世界でタクトを振るう 橋本洋一 @hashimotoyoichi

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