男は度胸

圭人が差し出した履歴書にさっと目を通すと、で、いつから始められるの?と伊東さんは言った


え?採用してもらえるんですか?

圭人が緊張でかすれた声で聞くと、伊東さんはうん、採用!と軽く言った

まるで、そこの醤油取って、くらいのどうということはないことを言うように


はあ、と圭人が拍子抜けしていると、梶原くん真面目そうだからOK!とアハハと笑った

圭人も一緒になってハハハと笑ったが内心は不信感でいっぱいだった


電話の声は怖かったけど、実際会ってみた伊東さんは良い人そうな感じだった

愛想のよさに隠れて、抜け目がない感じも時々した


給料制度や講習、実際の仕事の流れなど一通りの説明が終わり、何か質問はある?と聞かれた


圭人は少し考えると、聞いた

セラピストとして働くうえで、大事なことって何ですか?

伊東さんはうーん?大事なこと?と、遠くを見るような目をすると、楽しむことかな、と言った

誰と何をしようと、その時間を楽しむこと

俺も昔はセラピストやってたから

気持ちって伝わるんだよ

セラピストがまず、楽しまないとね


圭人はわかったような、わからないような気持ちではい、と頷いた


面接が終わり、部屋を出ようとすると、伊東さんが、名前、セラピスト名何がいいか考えといて、と圭人に声をかけた


わかりました、ありがとうございました、と頭を下げると、圭人はマンションを出た



源氏名か…

圭人は男らしい名前に憧れていた

ケイトなんて、男だか女だか日本人か外国人かわかりゃしない


日本男児らしい名前にしたかった

圭人はツヨシかムサシに決めた

後日、伊東さんに言うと、

ツヨシは支店に同じ名前の子がいるからねー、ムサシ?梶原くんムサシって感じかなー?

と、言われたので、圭人はすかさず、

ムサシが駄目ならベンケイでお願いします、と言い放った


ベンケイよりはムサシだね…と納得いかない顔をしていたけれども、いいよ、じゃあ、ムサシで、と伊東さんは折れた


圭人だって、自分がムサシとは程遠いイメージなのはわかっている

でも、宮本武蔵みたいな名前にしたかった

セラピスト名くらい、好きにつけたかった


梶原圭人としての人生は、ろくなことがなかった

ムサシとして、生まれ変われるものなら生まれ変わりたい、人生やり直したい…



セラピスト武蔵としてデビューする前にいくつかやらなければいけないことがあった


まず、講習を受けて仕事を覚えること

パネル用の写真撮影、モニターテスト

12月末に間に合うようにデビューしたかったので、圭人は最短で進めたかった


失業手当てもあと1ヶ月で終わりだ

年末年始に路頭に迷う前に、収入を得られるようにならなければ困る


講習会は、同期デビューするというもう一人と一緒に受けた

「ヨッシーでーす、よろしくー」

ウルフカットをしていて、バンドマンだという


売れないバンドやってるから、お金がなくてさー、とへへと笑った


確かに売れそうにない感じだと、圭人は思ったが、ヨロシク、と軽く頭を下げた

ヨッシーは24才で圭人よりひとつ年上らしい


彼女と同棲していたが、ヒモ同然で追い出されたと言っていた

ヨッシーという名前は、尊敬するギタリストの野村義男からとったそうだ


ムサシくんは、やっぱ宮本武蔵から?と聞かれて、うん、そうだよ、と圭人は照れながら答えた


ヨッシーはすごくしゃべるけど、人懐こい感じがして、嫌いじゃないタイプだった


圭人は人見知りなので、ヨッシーと二人で講習を受けられるのはよかったと心の中で思った

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ヒーリングラブ NADA @monokaki

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