第8話 くそったれ異世界生活


「すぴー、すぴー……ふがっ」

「うわきったね……」


 キシキシ、木の軋む乾いた音を響かせながら、セリナさんはベッドの上で寝返りをうつ。

 さっきからよだれが蛇口全開の水くらい出ている。その上、時折豚のようにふがふがといびきをかくもんで、折角可愛いのになと残念になるばかりだった。


「わだじだっでぇ〜、わだじだってねぇ〜!」

 なんて突然大声を上げるので振り返れば、「んもぉおおおおお〜!」と奇声を発して、事切れるようにすぴーとまた眠る。

 

 なんてことを、さっきから数回繰り返している。


 ひっどい寝相だ。


 窓辺によりかかり、外を眺める。


「くそキレーな空」

 空には月が浮いている。今日は三日月らしい。向こうの月はどうだったっけ。覚えてない。

 星屑をばらまいたように、濃紺の黒い空に無数の輝きが見える。綺麗な空だ。

 地球の空よりも、フィルターを一枚剥がしたみたいにやけに鮮明に見えた。


 こっちにきて分かったことは二つだ。

 この世界にも、月はあるってこと。あとは、案外俺がお酒に強いってこと。


 宿のおばさんに配給された、多分サービスかなんかのお酒とつまみを一気に喉に流し込む。

 地球のはどうだか、飲んだことがないから知らないけど、土臭さと妙な香りのするお酒だった。多分、これが大人の味なんだろう。喉越しは、多分良い方だ。

 

 つまみは干し肉で、これまた臭みが強く、香りと食感からして牛でも豚でもないことは明白だった。

 なんの肉なんだろ。考えるのも億劫で、貪り食った。


 手を止めるとすぐに煩雑な思考が浮いてくる。

 恐怖も、不安も。かきけすように酒を浴びる。

 

「死にたくねぇな」

 ぽつりと声が漏れた。ぽっと、顔が熱くなる。


 夜空を見あげながらこんなことを言うのは、つくづく柄じゃない。

 

「ねぇ……」

 急に袖を引っ張られる。

 振り返ると、はちみつみたいに蕩けた顔で、寝ぼけ眼をこするセリナさんがいた。

 

 酔っているのか夢でも見ているのか、顔が真っ赤で、軟体動物みたいにふにゃふにゃしている。

 うわ……つか酒臭っ。


「あんた……」低く唸るように声を上げると、セリナさんはギロリと急にこちらを睨めつけて、「あんた誰よ、この変態ッ!!」

「なんでぇええぇぇ!?」

 

 パチン、ではなくゴッ、みたいな鈍い音が鳴ったから、多分ビンタとかじゃなくて思い切り殴られたんだと思う。

 気づいたら地面にくたばっていた。


 いっ、いってぇぇえええ!!

 頬を手で押さえながら、その場で「ぎゃぁああ!!」と絶叫する。


 痛みにのたうち回る俺にセリナさんは獣のごとく飛びかかって、容赦なく馬乗りになった。

 杭を打つように、腕を地面に押さえつけられる。ジタバタともがこうとするもびくともしない。

 鋭い目付きで見下ろされる。マジだ。……マジで殺される!


「誰よあんた……どっから入って来たわけ? 夜這い? 人攫い? まあ良いわ、どちらにせよ」


 手のひらで顔を覆いかぶされる。


「殺すだけだわ。炎魔法――」

「――す、す、すとぉぉおおおっぷ!!」


 腰をくねらせて、陸に打ち上げられた魚のごとく体をしならせ、びよよ〜んと跳ね上がる。


「きゃっ!」

 跳ね退けられたセリナさんが尻餅をつく。すかさず飛びかかって馬乗りに。一瞬で形勢逆転。


 涙目になりながらも健気に俺を睨み続けるセリナさんの顔が、酒のせいか林檎のように赤みを帯びていく。

 

 なんだこの……すっごい人としてやっちゃいけないことしてる気分。


「殺すなら、殺しなさいよ……」

 

 ぎゅっと目をつぶって震える彼女に、心底呆れる。


「オークキングを倒すって約束、もう忘れたんですか」


 ぶっきらぼうに言ってやると、セリナさんの胡乱な目が途端に見開かれた。

 

「やっぱやめたなんて、言わせないですよ」セリナさんを押し倒したまま、告げる。「僕の命は、あなたにかかってるんですから」


「へ?」

 困惑したように顔をへにゃりとさせるセリナさんの拘束を解いて、立ち上がる。彼女に手を差し伸べて、俺は仄かに笑みをたたえた。


「オークキング、倒しますよ。ライダー達に一泡吹かせたいんでしょ?」

「……あ」 

 

 ハッとなったような顔をしてからは、早かった。

 ふんっ、と鼻で笑うと、彼女は潔く手を取った。ぐいっと引っ張って引き起こす。


「当たり前じゃない。やってやるわよ、勿論。あと」


 ぐわん、と視界が傾いた。

「どぅあ!?」

 背中にひた走る衝撃。

 気づけば、また俺は地面にくたばっていた。

 セリナさんは腰をかがめて、仰向けに寝転がる俺の額に指先をちょんと当てて、傲岸不遜に笑う。


「あんた如きが私に馬乗りになるなんて、100年早いのよ」

「はいはい……すみませんでしたよ、お嬢様」


 □


「で、どの口でオークキングを倒すとか言ってたわけ?」

「滅相もございません……」


 朝起きてすぐ、まだ霞が立ち込めて空が白んでいる時間帯に、俺たちは市場へとやって来ていた。

 無論理由は一つ。俺に装備がないからだ。装備の新調代であったはずの金は変な女に盗まれたからな。無一文なのよ、俺。


「……まあ、買ってあげるわよ。昨日、勘違いして殴っちゃったのもあるし」


 ごにょごにょ。

 気まずそうにセリナさんは顔を背ける。まだ出会って間もないが、意外と誠実なのが彼女の良い所だと思う。


「言っとくけど、利子は十一なんだから!」

「ヤクザじゃねぇかッ!!」


 フルスロットルのツッコミが爽快な青い空へと突き抜けていく。この世界の空は朝も綺麗らしい。白鳥のようなエレガントな鳥があちこちを飛び交っている。


「……やくざ?」

「あ、いや……なんでも」


 アルリアット王国、セルドナ領は交通の便の良さと、この大陸では珍しい港町ということで、大規模な商業の街になっているらしい。更にウルフ軍の根城である旧ナトラッタ王国に面しているので、冒険者の集う街でもあるという。


 この活気の良さはそれ故だろう。どこを歩いていても楽器の音が聞こえてきて、人々の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

 メインストリートを離れた、裏路地のような小道にさえ屋台が立ち並んでいるくらいだ。

 

「ま、ここは任せておきなさいよ」

 ドンと胸を張りながら、セリナさんは裏路地にある怪しげな武器屋にせかせかと入り込んでく。

 そして――


「――テメェ、うちの装備にゲロ吐いて出てった酔っぱらい女じゃねぇかッ! どの面下げて帰ってきやがったんだぁ、ゲロ吐き女がッ!!」


 ガァァン。轟音がしたと思ったら、ふっ飛ばされたセリナさんが壁に叩きつけられていた。ぽろぽろとひび割れた壁に数秒食い込んでいた彼女は、そのままばたりと顔面から地面に崩れ落ちる。

 

 ……即落ち2コマじゃねぇかッ!

  

 つんつんと指先で腹を突くが、セリナさんはびくともしない。ぷにぷにの横腹に指が沈むだけだ。

 

 ……あー。どーっすっかな、これぇ……。

 

 呆然と空を見上げる。

 くそったれなほど青い空。弾ける汗。エレガントな白鳥共。

 

 俺の異世界生活……終わってね?

 

「死んでます?」

「……飲みに行くわよ」

「えぇ、オークキングはぁ……?」

「明日っ!」

 

 

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俺のユニークスキルがなぜか【魔物討伐デスゲーム】なんだが ~陰キャ高校生は、ダンジョンが現れた現代世界で生き残るべく、異世界に行きレベルアップする~ 【改訂版】 四角形 @MA_AM

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