魔王エンジェル被害者の会

とき

魔王と勇者と馬鹿親父

 大陸最北端にその森はある。人間が足を踏み入れることを拒むように木々は大きく枝を広げ、崖が高く聳える。地表では蔦が複雑に絡み付き、平坦な道など存在しない。日中でも光が届かぬ暗く閉ざされた森だ。

 しかしそんな場所にも住人はいた。人ならざるもの。魔族と呼ばれる存在だ。彼らにとってこのような環境など瑣末事。城を築き、王を崇め、常闇の隣人として森に根付いている。




 それほど過酷な森だというのに、人間は飽きずにやって来る。人間の脅威として君臨する魔王を討つ為だ。そうして多くの者が挑み、敗れてきた。この日もまた、魔王に挑まんとする者が王の間に立つ。


「ここまで来たことは誉めてやろう。だが、たかが人間一人に何ができる」


 玉座の上で魔王が嘲りを浮かべる。肘掛けに頬杖を付き、優雅に足を組み替えて、己が上位であると疑わない。漆黒のヴェールの下で愉悦に瞳を細めた。


「人間如きと油断してると痛い目見るぜ?」

「ほう? 頼もしい言葉だが、お前に仲間はいないのか? 我らに挑んで返り討ちにあった人間がどれ程いたか知らぬわけではないだろうに」

「五月蝿い! 誰のせいで一人だと思ってんだ」

「まるで私の所為だと言わんばかりだな」


 勇者と呼ばれた青年は決意の表れのように剣を握り締める。こちらはいつでも斬りかかれるように構えているのに対し、魔王は未だ玉座に腰掛けたままだ。その余裕が実力の差であると言わんばかりで、勇者は苛立ちを募らせた。

 現に彼は招かれたという自覚がある。魔王に至るまでの道中に敵らしい敵はいなかった。精々低級の魔物が現れたくらいである。余程自信があるのかと思えば、「話し相手が欲しかっただけ」「素直に来るとは思わなかった」などと巫山戯たことを抜かす始末。それが余計に勇者の敵愾心を刺激した。


「そうだよ。俺がこんな目に合うのも全部お前らの所為だ。あの馬鹿げた神託がなければ、俺にはもっと別の人生があった」


 勇者の言う神託とは、彼が生まれるよりも前に与えられたものだった。何処かの街で行われる祭典に参加するという巫女の一行が、その道程の途中で馬車を休める為に村に立ち寄ったことがある。高名な巫女の来訪を村人は歓迎し、大いにもてなした。その礼にと巫女は村で唯一の礼拝堂で祈りを捧げ、神託を受けたという。


――次の満月に生まれる赤子が、世界を救う要となる。


「ほう? それがお前のことか?」

「そうさ。その所為で王都に連れてこられて訓練学校に放り込まれるし、魔王でも何でも倒してこいって蹴り出された。お陰でズタボロだ畜生」

「それはそれは災難だなぁ。しかしそれなら尚のこと、パーティを組めば良かろうに。まぁ、そこが面白くてお前を招いてみたわけだが」


 たった一人でやって来て何が出来るというのか。何をしようというのか。それが魔王の興味を刺激した。


「それができなかったから一人なんだよ馬鹿野郎」

「先程から思っていたが、勇者のわりにお前口悪いな」

「余計なお世話だ」


 現れたのは品行方正とは程遠い青年。その容姿は深い夜のような黒髪に、血のように赤い瞳。しかもかなり目付きが悪い。これで勇者といわれても大半の者が首を傾げるだろう。いや、だからこそこんなにも捻くれたのだろうか。


「こちら側と言われても納得の容姿だな。せっかく神託を受けるほどの可能性を秘めていても、仲間一人得られぬとは哀れなことだ」


 わざとらしく眉尻を下げた魔王が大仰に嘆く。


「……俺が一人なのは絶対俺の所為じゃねぇ」

「責任逃れとは嘆かわしい」

「違ぇよ。自己紹介するとどいつもこいつもドン引きした顔で去っていくんだよ。……全部クソ親父の所為だ。あーだめだ。また腹が立ってきた。アンタより親父ぶん殴りてぇ」

「随分な恨み節よな。だがそこまで言われると興味が湧くというもの。そういえばお前の名もまだ聞いていなかったか。どれ、聞いてやろう。勇者らしく名乗りを上げてみよ」


 実の父親に向けるには過激な言動だが、冗談だとは流せないほどに勇者の目は据わっている。どちらが悪か分からない凶悪面で、どう見てもそれは本心だった。

 これは好機と目を輝かせた魔王が遠慮なしに突いてみれば、面白いくらいに勇者の顔が嫌悪で歪んでいく。そんな反応を見せられると益々気になるし、弄りがいもあるというものだ。やがて限界を迎えたのか勇者は俯いたままプルプルと震えだしたが、魔王に罪悪感はない。更に愉快なことになったと眺めるだけだ。これはいい暇潰しである。次はどうしてやろうかほくそ笑んでいると、勇者が徐に顔を上げるとカっと目を見開く。


「こうなりゃヤケクソだ! そんなに聞きたきゃ聞かせてやるよ。いいか! 我が名はサタン! 信託を受け世界の命運を託された者なり!」

「……は?」


 剣先を魔王へと向けて、腹の底から突き上げるように声を張り上げる。もうどうにでもなれ。そんな自棄っぱちな勢いだった。それを口にした瞬間斬りかかられることも覚悟して身構えていたが、魔王が襲い掛かってくる気配は一向にない。衝撃を与えるだろうことは理解していたし、その逆鱗に触れる可能性すらあると勇者は予測していたのに、予想に反して魔王はポカンと呆けてるだけだった。


「サ、タン……だと? お前サタンと申すのか? 人間が我らが祖の名を持つと?」


 恐る恐る確認するように魔王が問う。怒りが滲み出ているのか、その声は僅かに震えている。それもそうだろう。サタンとは彼ら魔族の始まりの祖とされる存在だ。彼らにとって偉大なるその名を人間が、しかも彼らを討ち取らんとする勇者が名乗るとは何という当てつけか。激昂してもおかしくはないのだ。しかし魔王は動かない。


「うちのクソ親父が魔王を討つ為の願掛けとかいって付けた。お陰で出会う奴ら皆ドン引きで、正気を疑うような顔してくる。自分で付けたわけでもねぇのにそんな反応されてもどうしようもねぇだろ!?」


 その恩恵を受けられればと、歴史に名を残すような者の名を我が子に付けることは多い。神話や伝承に登場する神々や英雄がいい例である。この勇者とて同様の願いを込められて名付けられたのだ。世界を救う要ということは魔王を倒す存在ということだろう。ならば強くなければならない。だからこそ魔王を凌駕する存在になるようにと、奴らが今なお心酔するほど力のある始まりの祖の名を付けた。当然妻も村人も反対したが、勇者の父は譲らなかったという。


「願掛けだとかそういう風に言うととカッコよく聞こえないこともないが、実際は『だって強そうだろ。ガハハハハ』みたいなノリだぜ。ふざけん、な……?」

「サタン……人間が、サタンとは……」


 この際だからと開き直って溜まった鬱憤を吐き出していれば、ついに魔王の雰囲気が変化した。


「……ふ、ふふ。あはははははっ」


 怒りが振りきれて笑い出したのかと思ったが、どうにも様子がおかしい。腹を抱えて涙目になりながら大笑いしている。勇者の思い違いでなければ、魔王は実に楽しそうである。


「お、おい」

「人間のくせになんと大それた名か。それはさぞ苦労したろうに。ふくくくっ」


 込み上げる笑いを抑えようとして失敗しながら、涙を拭った魔王が腰を上げる。カツリと一歩。軽やかなヒールの音が反響した。


「まさかお前のような人間に会えるとはな。今日はなんと素晴らしい日か」

「おちょくってんならその手には乗らないぜ?」

「まさか! 私はお前に親近感を覚えたのだ。その気持ち、よぉく分かるからな。嗚呼、何たる幸運。無二の友を得た心地だ」


 一歩。また一歩。勇者との距離が縮んでいく。目深に被ったヴェールがその歩調に合わせてふわりと揺れた。何を考えているのか分からないその行動に警戒を強めるも、敵意は微塵も感じられない。接近を許すべきか否か、剣先に迷いが生じるほどに。


「お前にだから明かそう」


 ついに魔王と勇者の距離は手が届くほどのものとなる。魔王の腕が自らのヴェールへと伸び、そっと引き下げた。

 露わになったのは、柔らかくウェーブを描くきめ細やかな金糸に、透き通る水面を反射したような青い瞳。魔王と呼ばれる女は、魔を統べる者とは程遠い容姿だった。


「……いやいやいや。嘘だろ。ねぇよ」


 思わず零れたのは、己の事情を棚に上げた全否定の言葉である。


「魔王っていうより天使って言われた方が納得だろ」

「そうだろう? お陰でどれほど私が苦労したことか」


 先代の魔王である彼女の父親は、生まれた赤子を見て絶句したそうだ。それはそうだろう。魔王の娘ともあろう者が天使と見紛う容姿など、到底受け入れられるはずがない。同族とかけ離れた姿は迫害を受けても不思議ではないだろう。容姿に苦労した気持ちは、確かに少しは理解できそうだ。


「確かにアンタの容姿は魔族の中じゃ苦労しそうだよな」

「それだけではない! あの阿呆な父上ときたら――」


『なんと愛らしい我が子だ! まるで天使ではないか! よし、この子の名はエンジェルだ!』


「え、アンタ……」

「嗚呼そうだとも! 私が魔王、名をエンジェルだ!」


 魔王エンジェル。それはあまりにちぐはぐ過ぎやしないか。無二の友を得た心地だと告げた魔王の真意を理解し、勇者が同意した瞬間だった。




 魔王エンジェルの苦労は、常に人間との諍いが隣り合わせにあった。

 彼女が珍しい鉱物があると聞き、その調査を任された時のこと。人間と魔族の仲は良好とはいえないことを理解していたので彼女は人目を避けるように移動していた。しかし運悪く人間と遭遇してしまう。面倒事を避けるためにも早々に去るつもりだったが、供を連れていたのが仇になった。


『天使様……?』

『大変だ! 天使様が魔族に捕まっている!』

『お助けしろ!』

『いや、私は天使では……』


 まず人間が彼女の容姿を見て慌てふためいた。武器を構え襲い掛かってくる。


『なんだ貴様らは!』

『エンジェル様をお守りしろ!』

『お下がりください、エンジェル様』

『お前たちも応戦するな。ややこしくなる!』


 供の魔族が魔王の娘を狙う不届き者と勘違いをして、人間たちに牙を剥く。


『エンジェル様? やはり貴女様は天使様なのですね!?』

『野蛮な魔族め。天使様を捕らえてどうするつもりだ!』

『ご安心ください。我々が必ずお助けしてみせます!』

『お助けしなくていいんだが!?』


 勘違いが勘違いを呼び、人間と魔族は自ら溝を掘り進めていく。争いの火種は頼んでもいないのに燃え上がったのだ。




「えーと、どんまい?」

「更にはそれを知った父上が激昂して暴れるものだから、人間は余計に魔族を嫌悪するという悪循環でなぁ。しかも一度や二度ではないときた」


 古来より人間と魔族は良好とはいえぬ関係だったが、その原因の一端を知り勇者は何とも言えない心地になる。くだらないと言ってしまいたいが、そうすると勇者が勇者となった意義も見失いそうだ。


「流石に何度も同じようなことが起きると鬱陶しくなってきてな。父上から王の座を奪い取ってこの森に引き篭ったが、百年経ってもまだ人間は打倒魔王を掲げている。逞しいことだ」

「その打倒魔王の結果がサタンか……。なんか馬鹿らしくなってきたわ」

「私は三百年前からずっとそう思っていたぞ」


 つまりこの天使のような魔王様は少なくとも三百歳。勇者はどうでもいい情報で心の平穏を保とうとした。保とうしたが、やはり無理だった。


「名前って、大事だよな……」

「嗚呼、とてもな……」

「名前も容姿も自分で選んだわけでもないのに、振り回されすぎだろ」

「全くだ」


 二人分の重苦しい溜め息が重なった。最早互いに敵意などない。存在するのは互いへの憐憫と仲間意識である。


「勇者よ、この思いを共有できるのはお前しかいない。今夜は飲み明かそうではないか!」

「それはいいな。この際溜め込んだ愚痴を吐き出そうぜ!」

「望むところだ。とことん聞いてやるぞ」

「アンタの愚痴もな」


 いそいそと武器を収めた勇者と魔王は、拳一つ合わせていないのに完全に意気投合していた。応接室はこっちだと歩き出した魔王は堂々と背中を晒しているし、勇者は警戒心の欠片もなくその後を着いていく。二人の胸中を占めるのは、散々己の名に苦労させられた人生を分かち合える存在への喜びだけである。


「勇者よ。私は宣言しよう。今日この素晴らしき日に、被害者の会を発足すると!」

「まじかよ。じゃあ俺は副会長やるわ」


 握り拳を突き上げて、魔王が高らかに宣言する。勇者は突然の宣言に目を丸くするも、すぐにニッと屈託のない笑みを浮かべて同様に拳を突き上げた。人間と魔族の永き隔たりを超えた瞬間である。


 この日、密やかに平和が齎されたことを世界はまだ知らない。

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魔王エンジェル被害者の会 とき @fujibayashi_toki

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