水飛沫をあげる水面は
“6レーン。第一中学校、1年。中島”
そう掲示板に表示された電飾の文字に、皐月は緊張する。
いかにも早そうなブランド水着、反射するゴーグル。太ももを叩きながら臨戦態勢になる選手たちは、それぞれ飛び込み台の前に立った。
そんな中、皐月はひとりプールに入水する。
ザワつく会場。当然だ。そんな選手、中学の水泳大会でも滅多にいないのだ。
「中島、深呼吸! 焦んな!」
遥介の声だ。皐月は恥ずかしさでいっぱいの顔を、半分プールに沈めた。
“レディ——”
合図と共に、一斉に飛び込む選手。皆がイルカのように美しい弧を描いて入水する中、皐月は黄色いタッチ板を思い切り蹴り押した。
学校や市民プールとは違い、今大会のプールは50メートルプールだ。水深は3メートル、足をついても顔は出ない。
いつもより深く遠くにある地面。水量が多いせいか、全然進んでいる気がしない。スタート時に見えていた隣のレーンの選手の足元はとっくに見えなくなっていた。
最初のターン。蹴伸びから手をかき、思い切りドルフィンキック。クルッと一回転すると足を伸ばした。
(まずい……足がつかない)
ターンが早すぎた。やんわり手を動かし、なんとかつま先がタッチ板に触れる。スピードに乗れないまま、皐月はまたすぐに手と足を動かした。
焦りからか動悸がする。4ストロークに1回の呼吸でいこうと思っていたのが、次第に2ストロークに1回、遂には1ストロークに1回になる。まだ100メートルにも達していない。
プールの澄んだ冷たい水に、細かい気泡が出来る。喉が痛い。頭がくらくらする。
(やっぱりダメだった。どんなに練習しても、まだ自分には400メートルなんて早かったんだ)
徐々にゆっくりになるバタ足。
終わりにしよう——
そう、皐月の頭によぎったその時。
「諦めんな! 全力!」
皐月は我に帰る。目の前に迫る黄色のタッチ板に手を着くと顔を上げ切り返し、今度は確実に足の裏で捉えたザラッとした板を、これ見よがしに蹴り押した。
(自分の敵は自分……!)
皐月は気持ちを立て直した。それは一瞬。観客席に一瞬見えた、遥介の表情が希望に満ちていたからだった。
呼吸は相変わらず浅い。思ったより沈む身体を前へ、着実にゴールへと導く。
「なにあれ。もはや溺れてんじゃん」
美彩は嘲笑を浮かべると共に、応援のメガホンを持つ手を下げた。
「もうすぐ3レーンの選手ゴールしちゃうし。なのにまだ300メートル切り返したとことかまじやば、おっそ」
「うるせえ」
低い声。美彩の手から、メガホンが叩き落とされる。
「応援する気がないなら、下がれ」
「あ、いや……」
遥介は美彩からプールへと視線を改め、自分のメガホンを叩き合わせた。
「頑張れ中島! ラストだぞ!」
遥介の応援は、伝染する。ひとり、またひとりと、他校の選手もメガホンを取った。
リンリンリンリン!
皐月が350メートルを折り返すと、ベルが鳴った。普段は長距離でラスト100メートルを知らせるベルが、皐月のためだけに鳴らされたのだ。
頑張れ、頑張れっ、頑張れ!
皐月の身体は左右に大きく揺れていた。バタ足はおぼつかず、腕は水面を
(もう少しだ……あと少し……)
最後の力を出し切る。バチンバチンと足も腕も大きく飛沫をあげ、皐月は必死に水底を睨みつけた。
「やったぞ中島!!」
ドワっと、歓声が上がる。
タッチ板に手を着けた皐月の身体は痙攣し、スタート台にしがみつくのがやっとだった。それでもたくさんの拍手と労いの声に、皐月は言い表せないほどの喜びと達成感でいっぱいだ。
「中島よくやった、手出せ!」
さっきまで観客席に居たはずの遥介が、目の前に居る。
皐月は迷わず手をとった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます