曇天に光さす

 大会前日——

 

「中島さん今日カラオケ行かない? 大会前でメニュー軽いし、部活のみんなと二時間だけ」

「今日はレアだよ、遥介先輩もいるんだって」


 更衣室。同級生がはしゃぐ中、皐月は首を振った。


「今日は飛び込みやターンの練習もあるし、そのあと自主練もしたいから」


 フッと嘲笑が漏れる。輪のリーダー格、田所美彩たどころみさだ。


「中島さんてさ、なんでそんなに必死なの? 別にいいじゃん、どうせ完泳は無理だよ。健気アピール? なんか自分の世界に入ってて、ちょっとうざいんだけど」


 美彩はそれだけ言い残すと、周りを引き連れて去っていく。更衣室の外からクスクスと漏れる笑い声に、皐月は居た堪れない気持ちになった。


 自主練をやめて、自宅に帰る。自室のベッドに突っ伏すと、横を向いた目元から涙が溢れた。瞬きもなしにどんどん流れる滴は、枕をぐっしょり濡らしていく。

 

 “松島って努力家だよな”

 

 遥介の一言が、皐月にスイッチを入れた。滅多に顔を出さない遥介が部活に居ると心が跳ねた。

 少しでも近づきたくて、話すきっかけが欲しくて。練習を頑張れば、また声をかけてもらえるかもしれない。そんなよこしまな気持ちがあったのだ。

 

 健気アピール——

 

 美彩に言われてハッとした。遥介もそう思っているだろうか。そう考えた途端、恥ずかしさが胸を満たした。そして同時に、腹が減っていることにも気がつく。

 台所に降りて棚を確認するも、カップ麺はない。皐月は仕方なく、財布を持って家を出た。

 

(醤油味しかないじゃん)


 コンビニに陳列するパッケージに落胆する。一応手に取り、成分表示ラベルを見ながら考えていると、後ろから声がした。


「美味いよね、俺も醤油派」


 慌てて振り返る。遥介だった。


「せ、先輩。カラオケに行ったんじゃ」

「やめた。明日大会だし、中島いないし」

「え……」


 遥介は皐月の手からカップ麺を取ると、棚から取ったカップ麺をその上に重ねた。


「奢るよ」


 スタスタとレジに向かう遥介を、慌てて追いかける。会計を済まし、隣の台のポットでお湯を注ぐ様子を、皐月はただ眺めていた。


「一緒に食おう」


 遥介はイートインの椅子をぽん、と叩く。皐月は促されるまま座った。


「どうした、今日元気ないじゃん」


 3分。出来上がるまでのその時間が、とてつもなく長い。


「すみません」

「別に謝ることじゃないけど」


 皐月は首を振った。


「明日の大会です。私、きっと笑いものになる。せっかく松井先輩や他のみんながいい記録残せるのに、足引っ張っちゃいます」


 遥介は2分も経たないうちに蓋を開ける。


「俺せっかちでさ。こういうの待ってらんないんだよ、お先」


 箸を割り、ズズッと麺を啜る。きっちり3分後。皐月が蓋を開ければ、遥介は感心したように笑った。


「中島って真面目だよな。んでもって努力家。俺とは正反対」

「先輩は天才肌ですもんね」

「まあね」


 笑い合う2人。


「明日のさ、目標決めようよ。俺は種目優勝、そんで中島は、足を着けずに完泳する。達成できなかった方がカップ麺、奢りな」


 皐月は気まずそうに麺を啜る。窓ガラス越しに流れていく車に、ちらほらヘッドライトが点り始めた。


「飛び込みとかターンとか、余計なもんはすっ飛ばそう。周りなんて気にすんな」


 スープを飲み干し、遥介はキリッとキメ顔を皐月に向ける。


「自分の敵は自分だ」


 あまりの堂々とした表情に、皐月は思わず吹き出す。


「うわ、中島汚ねえな」

「だって先輩が変顔するから」

「変顔じゃねえ、ハンサムだろうが」


 ハンサム。なんだか妙におじさんくさい言い回しに、皐月は心からの笑みを浮かべた。


「頑張ります。健気アピールでもなんでも」

「なんだそれ」

「あ。ちなみに私、醤油より味噌派です」

「うっそ。とことん気が合わねえな、俺たち」


 たった数分。その時間で、皐月のモヤモヤは見事に晴れていた。

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