第6節 -千年の理想 ~戴冠式~-

*6-6-1*

 マリアとアザミが姿を消したことで、玉座の間を支配していた疑似的な絶対王政の効力と重圧は消え去り、各々がようやく自由に身動きが出来るようになった頃、壁に磔にされていた玲那斗は尖塔に大きく開けられた穴の方へ誰より早く全速力で走り込み叫んだ。

「イベリス! イベリス!!」

 悲痛な声がこだまする神域聖堂。何も出来ず、ただマリアに彼女が連れ去られる一部始終を眺めることしか出来なかった。

 その悔しさと自らに対する怒りを爆発させて玲那斗は叫ぶ。

「くそっ! くそっ! 俺は、俺は……!!」

 がっくりと膝を折った玲那斗は、何度も何度も抉れた地面を手から血が滲むまで思い切り殴りつけた。


 そんな玲那斗の様子を見ていたジョシュアとアルビジア、そしてルーカスに加えロザリアとアシスタシアが彼の周囲に駆け寄る。

 ジョシュアは言葉を一瞬呑み込みかけたが、玲那斗の肩を強く握って言った。

「おい、玲那斗。気持ちは痛いほど理解するが落ち着くんだ。今ここで感情のままに悔しさを叫んだところで事態は何一つ良い方向に転がることは無い」

「俺は何も守れませんでした。アンジェリカを止めることも出来ず、イベリスが1人で抱え込もうとしていたものを支えることも出来ず、マリアが企てた計画の完遂をただ目の前で眺めていることしか出来ませんでした」

「それはお前だけの責任じゃない。俺達は同じ目的と目標をもってここまで来た。目的を達せなかった以上は、ここにいる全員が同じ十字架を背負ったということだ。何もかもを自分だけで抱え込もうとするな」

「でも……!」

 玲那斗がジョシュアへ振り返り、激しい剣幕で詰め寄ろうとした時、ロザリアが遮るように言葉を被せて言った。

「この中で唯一、貴方にはアンジェリカとマリアの2人を止めるだけの力があった。レナト・サンタクルス・ヒメノの魂は、その力と自身の消失とを引き換えにして貴方の命とイベリスの存在証明を守り、わたくしたちリナリアに所縁を持つ者達を救いました。

 その末の結末が今という状況であることに納得がいかないのは理解しましょう。悔いも怒りも共有しましょう。ですが、そのことをこの場にいる誰に訴えかけたところでイベリスとフロリアンが戻ってくるわけではありません。

 リナリアの王となるべき器を持つ者であれば、自制なさい」

 神を信仰する者からの言葉に玲那斗は口を噤み、もう一度地面を激しく叩きつけた。

 取り乱す親友の姿を見やったルーカスは、ロザリアの言葉を汲んで言う。

「十字架の言は滅び行く者には愚かであるが、救いにあずかる者にとっては神の力である、か。俺が言うと胡散臭くなるが、結局はそういうことなのかもしれない。イベリスだけでなく、奴はフロリアンまで連れ去りやがった。仲間を2人もいいようにされて、叫びたい気持ちは俺だって同じだが、ここで冷静さを失うことは取り返しのつかない事態を引き起こしかねない。どういうわけか、強くそう感じる」

 唯一無二の親友の言葉を聞いた玲那斗は、自らの内で燃え滾る怒りをようやく押し殺して前を見据えた。

 すると、彼の傍に立っていたアルビジアが立ち上がろうとする玲那斗に手を貸し、地面を殴りつけたことで出血した傷を自らの異能で癒しながらルーカスへ問い掛ける。

「ルーカス。マリアの行方を追跡することは出来るかしら?」

「残念だが無理だな。姫さんがイベリスに悪さをしたのとほぼ同じ時、ヘルメスはプロヴィデンスとの接続を断たれた。頼みのヘルメスが、スマートデバイス以下のただの鉄の箱でしかなくなった以上、奴らの行き先を特定する手段は残されていない」

「そう。せめて行き先が分かれば次の行動指針も立てやすいと思ったのだけれど」

 目標を見失い、情報も掴めないという八方塞りに追い込まれた一行の中でアシスタシアが遠慮がちに言う。

「様子を見ていた限り、無力化したとみるのが妥当だと思われますが、アンジェリカのことも気に掛かります。彼女自身が無力化されたとはいえ、共和国の継戦能力は健在で在り、テミスも2柱を失っていますが残りの2柱は健在という状況。世界にとっては核の脅威が消え去ったわけではありませんし、私達としてみればこのままこの場に留まり続けることも危険である可能性は拭えません」

 アシスタシアの言いたいことを汲み取ったジョシュアが言う。

「つまり、玉座の間から早々に引き上げるべきだと?」

「はい。ヘルメスが使えない状況であれば尚のこと。イベリスがいない今、私達に行動指針を伝えてくれる存在はいません。目的と意味を持たぬ今、共和国を離れサンダルフォンへ合流する道を取ることが最善ではないかと思う次第です」

「確かに、理に適った判断だな。問題は……」

「アンヘリック・イーリオン内を無事に脱出できるかどうか。奴らが俺達を見逃してくれるかどうかってところか」

 ジョシュアとルーカスが言う中、無理矢理に落ち着きを装い玲那斗が言った。

「それなら問題ないと思う。共和国は常にアンジェリカの意思の如何によって行動を示してきた国だ。俺達がヘルメスを通じて得ていたプロヴィデンスの指針を失ったのと同じように、共和国もアンジェリカと言う絶対的な指針を失って命令系統は混乱を極めているとみて間違いない。彼女を神と崇めるテミスを含め、この国の人間が彼女の意思なく無意味な追撃や争いを行うとは考えづらい」

「今のテミスや共和国にとっての優先事項はアンジェリカの身の安全ってことか」

 玲那斗はジョシュアの反応に頷きながら続けた。

「気になることがあります。マリアはイベリスと直接接続されたプロヴィデンスを利用し、万能のAIによる世界統治の実現を目論んでいる―― これが事実であるならば、必要な条件が達せられた今、次に何が引き起こされるかは全てマリアの意思によって左右されることになる。共和国もそのことに注意を払い行動をするなら、もはや俺達を含めた連合軍に構っている余裕などないはずです」

「なるほど。今の時点でアムブロシアーの1体も寄こさないところを見ればな。それに、外がやけに静かなのも気になる。状況を窺う限りでは戦闘機の1機すら上空を飛行していないような印象だ」

「正午を過ぎて、連合側と共和国が停戦状態にあると……? しかし、刻限を過ぎた以上は既に核が世界中に向けて発射された可能性も否定できないと思いますが」

 怪訝な顔をして言ったルーカスにジョシュアは持論を述べる。

「玲那斗の言う通り、俺達に構う余裕のなくなった共和国と戦力の尽きかけた連合が停戦状態にあると考えれば状況的にはしっくりくる。もし仮に核攻撃がなされたとすれば、今頃この一帯はこれまでの比ではないほどの大空襲を受けているはずだ。なりふり構わず攻撃を行う連合軍と、なりふり構わずそれを迎撃する共和国軍の間でな。それが無い異常な静けさから考えれば、互いが未だに交戦状態にあると考えるのは無理があるだろう」

 ここで全員の言葉が途切れ、沈黙が訪れた。


 重苦しい静寂に満たされる中、最初に口火を切ったのは玲那斗であった。

「戻ろう。サンダルフォンへ」

 玉座の間を脱出し、アンヘリック・イーリオンを抜け出した上でラオメドン城壁を越える。その道すがらに何が起きるかは分からないが、ここで踏み留まるわけにはいかない。

 ジョシュア、ルーカス、アルビジア、ロザリア、アシスタシアと全員が顔を見合わせて頷き合う。

 今必要なのは情報だ。マリアに奪われたイベリスとフロリアンを取り戻す為にも、何よりも得なくてはならないものである。

 全員の意思が明確になった時、誰ということはなく皆が足先を玉座の間の中央大扉が聳え立っていた場所に向けて走り出した。


 荒れ果てた玉座の間を走り去る最中。神域聖堂の中央を通り過ぎた頃、玲那斗は後ろを振り返り崩れかけた玉座へと視線を向ける。

 つい数刻前に、その場で自分達を待ち受けていた2人の少女の姿を思い浮かべながら。

 彼女達の心の叫びは最悪の形となって世界へ牙を剥こうとしたが届かなかった。

 しかし、届かなかったからといって“終わったわけではない”。

 玉座が崩壊し、アンジェリーナが消失したとはいえ、アンジェリカもテミスも共和国も健在で在り、未だ世界は核の傘に覆われ無抵抗を続けるしかない状況のままであるのだから。


 潰えたかに見えるアンジェリカの理想。

 これより実現されるだろうマリアの理想。


 双方に意識を向け、注意深く動向を見極めながら立ち向かうべき相手を見定めなければならない。

 悲愴にも近い現実。最愛の人を連れ去れらたことによる苦悩が消えることはないが、周囲の仲間達の言葉通り、ここで冷静さを欠いては何も始まらない。

 そうして玉座の間と回廊とを繋ぐ扉を潜り抜けた先で玲那斗は思う。


『待っててくれ、イベリス。俺は必ず君を、もう一度君を取り戻してみせる。その手をもう離さないと誓った、あの日の約束を守るために』



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