*6-1-5*

「それじゃ☆ 楽しいこと、しよっか☆」

 玉座の前に立つ愛らしい少女は甘ったるい声で言うと、右腕を高く掲げた直後にそれを勢いよく振り下ろした。

 間もなく、爆弾が炸裂したかと見紛うかの如く玉座の間に激しい閃光が走る。

「きゃはははは☆ 私からのぉ、プ~レゼントー☆ 躱したりしたらー、めっ! なんだよ?^^」

 無邪気な少女の笑い声が大聖堂に響き渡ると同時に、周囲一帯には光の矢が降り注がれた。

 光速で注がれる矢は大聖堂の床全体を抉り、一瞬にして瓦礫の山を築き上げていく。

 自らの居城が崩壊していく様をまるで気に留める風でもなく、むしろ享楽であると言わんばかりの楽し気な笑みを浮かべたまま、アンジェリカは己の持つ絶対的な力を振るい続けた。


 階下では手向けられた光の矢の嵐に一歩たりとも身動きできないイベリスと玲那斗の姿がある。

 膝をつく玲那斗の隣で、瞳を虹色に輝かせ髪を黄金色に染めるイベリスは両手を掲げ、自らが構築した光の防壁にて光の矢を防ぎ続けるが、やがて防壁に直撃し続ける矢のもたらす衝撃に耐えきれず、ついに膝を折り始めた。

「もっと、もっとー☆ そーれそーれ!>▽<」

 強大な力を持つ天使の戯れ。憎き人が苦しみに沈みゆく光景を楽しむアンジェリカは、無邪気な笑い声を響かせながら降り注がれる光の矢の勢いを一層強める。

 そうして、幾千にも及ぶ膨大な矢の攻撃による圧倒的な凄まじさに、苦悶の表情を浮かべたイベリスがついに崩れ落ちそうになったその時――

「イベリス!」

 玲那斗は矢の重圧に屈しそうになる彼女の名を叫ぶと、すぐに立ち上がって彼女の両腕を握り支えた。

 彼の支えを受けたイベリスはすぐに体勢を立て直すと、勢いを増す矢の圧力を跳ね返すべく光の防壁の出力を高める。

 地に向けて押し下げられていた防壁は再び頭上高くへと持ち上げられ、2人の周囲一帯はドーム状をした光の防壁に包まれた。

 すると、高き頂きの玉座より2人の様子を見下ろしていたアンジェリカは笑い声を潜め、ふいに右腕を横に薙ぐ仕草を見せる。

 その挙動を合図として、天上より注がれていた光の矢の全てが一瞬にして消失したのであった。

 楽しげではあるものの、不服そうな表情を見せてアンジェリカは言う。

「それ、それー。見ていると無性~にイラっとしちゃう´・・` 虫唾が走るっていうのかなぁ」

 その言葉が、嫌に重たく響いた。玉座の間全体を震わせるかのような殺意の波動。

 光の防壁を展開したまま、その内側に立つイベリスと玲那斗の2人は全身に彼女の悪意を浴び、身を強張らせて立ち竦んだ。


 玲那斗は背筋に強烈な悪寒が走るのを感じた。相変わらずアンジェリカは歪んだ笑みを湛えてはいるが、心底から湧き上がる怒りの激情を抱え込んでいることなど火を見るより明らかだ。

 彼女が放つ殺気の重たさは、とても言葉で言い表すことができるものではない。気を抜けば、その気配に中てられただけで文字通りに殺されてしまいそうなほどに。

 真っすぐに彼女の姿を捉えているはずなのに、眩暈を起こしたかの如く視界は揺れ、霞がかったように景色がぼやけた。

 ただその場に立ち上がり、冷静を装って彼女の姿を見据えるだけで精一杯という状況の中、なんとか視線だけをイベリスに向ける。

 すぐ傍に立つはずの彼女の姿を非常に遠く感じてしまう。このことだけでも、今の自分が正常な感覚というものの一切を喪失しているのだと改めて実感した。

 目に力を籠め再びアンジェリカの姿を捉えると、彼女はその視線に気付いたように言う。

「その熱い眼差しぃ~。私に殺されると思って警戒してる目だよね? ねぇ? 出来ればその期待に応えて、今すぐ首を刎ねて差し上げたい気持ちもー、あるんだよ?

 でーもー、残念ながら私は君達を殺したくても今すぐに殺すことが出来ない。だから、純粋に私の享楽っていう戯れに付き合ってくれたらそれで良いんだけどー……」

 言葉が途切れた直後であった。

 視界に捉えていたはずのアンジェリカの姿が消えている。


 どこへ行った!?


 辺りを見渡そうにも体が重く、首を振ることすらままならない。

 それは隣に立つイベリスも同じようで、先程までアンジェリカが立っていた玉座の前を中心に視線だけを泳がせるのが精一杯という様子だった。


 呼吸を乱し、焦燥を募らせる2人。

 そんなイベリスと玲那斗の心情を弄ぶかのように、甘く可愛らしい声の主は2人が思いも掛けない所から声を掛けたのである。

「戯れの前に言ったでしょ? 私が直々に遊んであげようって☆」

 光の防壁の内側。イベリスと玲那斗が並び立つ背後の隙間。距離にして僅か数センチという距離にアンジェリカの姿はあったのだ。


 玲那斗はイベリスを庇う姿勢を取り、アンジェリカから距離を離そうと力一杯に地面を蹴る。だが、その行動は彼女の前ではあまりに遅く、あまりに無力であった。

「だめだめぇ~★ ここで鬼ごっこをしようと思ってもー、私から逃げることなんて出来ないんだ・ぞ♥^^」

 アンジェリカに隊員服の胸元を掴まれた玲那斗の身体は、次の瞬間には光の矢によって抉られた大聖堂の瓦礫の山へと投げ捨てられたのである。

「っ! あぁ……!」

 鋭く尖った瓦礫が玲那斗の背中に食い込み、身体中へ痛みが伝染していく。

「玲那斗! っ!」

 イベリスが悲鳴にも似た叫びをあげるが、しかし。

 おそらくその声が玲那斗に伝わるよりも早く、アンジェリカに身体を掴まれたイベリスも瓦礫の山へと一直線に投げ捨てられる。

 玲那斗とは真逆の方向へと投げられたイベリスだが、抉られた破砕片にぶつかる直前に転移の力を行使し、瓦礫の目前で踏み止まり難を逃れた。

 その様子を眺めていたアンジェリカが言う。

「おぉ~、軽い軽い★ 風で飛んじゃいそうなほど軽いね~! あと、光って掴めたのかー。そっかー。質量を持った光子の集合体? なんて、物理学もびっくりぃ~・_・ まー、それは今どっちでもいっか。そうだね~★」

 ケタケタとした嗤い声を発しながら言ったアンジェリカの姿を再びイベリスが視界に捉えた時には、彼女の姿は既に瓦礫の山の前でうずくまる玲那斗の目の前にあった。

「ダメ…… 玲那斗、起きて。逃げて――」

 懇願するようにイベリスが言うが、祈りにも似た声は玲那斗の耳にもアンジェリカの耳にも届いてはいない。

 玲那斗の眼前に立ったアンジェリカは楽し気な笑みを湛えて言った。

「趣向を変えようと思うんだ★ 今という状況では私は君達を殺すことが出来ない! であれば、出来るだけ長く遊べるように工夫を凝らすのもまた一興!^^」

 玲那斗は眼前で嗤うアンジェリカの姿を視界に捉えるが、投げつけられた衝撃と背中に走る痛みによって言葉を発することも出来なかった。

 そんな彼の姿を恍惚の表情で見下すアンジェリカは、何かを思い立ったようにくるりと後ろを振り返って続けた。

「そう。単純に2人を痛めつけるのも悪くは無いんだけどね? 今までの恨みも込めて。でもでもー、どうせだったらー★ こういうのは、どうかな? って>▽<」

 真っすぐにイベリスへ視線を向けたアンジェリカは、頬を歪ませにやりと笑いながら左指を打ち鳴らした。

 わざと指を鳴らした理由など決まっている。全てが全て、イベリスに対する見せしめだ。

 イベリスが千年もの間、想いを寄せ続けたこの世で最も愛すべき存在、玲那斗。

 その彼が、別の女の手によって“何をされるのか分からない”という恐怖を彼女に植え付ける為だけに。


 アンジェリカが指を弾いて間もなく、玲那斗の周囲は赤紫色の霧が立ち込め、それは円球状になってすっぽりと彼の全身を包み込んだ。

 遠くから縋るように右腕を伸ばし、愕然とした様子で苦痛に顔を歪めるイベリスに対して、アンジェリカは優しい笑みを湛えて言う。

「大丈夫、大丈夫~☆ 何度も言っているように、私は“まだ”君達を殺したりはしないから^^ これは時が来るまでのただの余興のひとつ。私は今、単純に玲那斗が身動きできないように絶対の法による隔離空間に閉じ込めた! というそれだけの話。放置していると何かと面倒くさいからねー。さっきみたいに、さっきみたいに!

 けどね? だけれどね? 殺さないとは言ったけど、あの赤い霧の中で玲那斗がどうなっているかまでは教えない。彼が何を見て、彼の身体に何が起きているかまでは教えてあげない★

 それを知りたければ、或いは彼を救いたければ私の屍を越えてみせ…… 違うな。私を倒して見せるがいい!^^

 そうやって、君はせいぜい思い煩い、悩み苦しみながら私の遊び相手を務めれば良いと思うんだ。ねぇ? 麗しの光の王妃様。イベリス――」

 その言葉尻、名を呼ぶ声には怒りや憎しみといった感情が込められていた。

 アンジェリカはゆらゆらと身体を揺らしながら、ゆったりとした足取りでイベリスへと向かって歩み寄る。

 だが、イベリスが一呼吸をする間にはもう、アンジェリカの姿は彼女のすぐ目の前にあった。

 地面にうずくまり、玲那斗が閉じ込められた赤い霧の球体を茫然と見つめるイベリスの頬へ優しく手を添えたアンジェリカは声の調子を落として続ける。

「さぁ、戦いましょう? どちらか一方が力尽きて倒れるまで、死ぬまで。貴女が正しいというのなら、貴女はきっと私を殺すことが出来るはずよ。

 でも、私は貴女を簡単には殺さない。私はね、貴女にただの死よりも重い苦しみと痛みを返したいの。貴女がいなければ、貴女さえいなければ…… 私は、私達はアンディーンを失うことも無かったし、マリアの邪な野望に振り回されること無く理想を遂げることができたはずだった。シルフィーを失うことだってなかったはず。それなのに――

 今も昔も、貴女1人の狂気じみた未練がましい恋慕のせいで、私達の全てが台無しになったのだから。

 だから…… 破綻すると分かっている理想なら、せめて。この身に受けた苦痛を貴女の精神に刻み込んで返さなければ私の気が済まないのよ。

 貴女はこれから、愛する人の目の前で死ぬ。遠い遠い昔と同じように、貴女は愛した人を残し、愛した人の心に消えることの無い傷を残して死ぬ。私が貴女の罪に与える愛、貴女に与える罰とはそういうもの。受け取ってくれるかしら?」

 違う。目の前に立つ少女は、アンジェリカではない。

 イベリスは今は亡きアンディーンの姿や、彼女がアンジェリカに抱いていた想い、そして遠い過去の自らの記憶を思い出し涙を頬に伝わせて言った。

「アン、ジェリーナ…… どうして……?」

「どうして、と? おかしなことを聞くのね。その答えは、貴女が一番よく知っているでしょう? 貴女はプロヴィデンスを通して私の全てを見た。それでも尚、貴女は私達のことを否定する」

「違う、違うのよ。私はただ、貴女を、貴女達を……」

「その言葉、言うのが千年遅かったわね? もしあの時、私がこの子の中で生を授けられるよりも前に、貴女がこの子にその言葉をかけていたならば。違う歴史、違う結末があったかもしれない。でも、全てはもう遠い過去のこと。今さらどんな言葉を捻りだしたところで、何もかもが遅いのよ」

 アンジェリカはイベリスの言葉を遮って言うと、彼女の頬に添えた手を離してその場に凛として立った。

「さぁ、立ちなさい。立ってこの子と戦いなさい。そして私達はこの手で貴女を殺す。私達の想いが、間違っていないということの最期の証明の為に。憎しみを生み、そして―― 叫べ」

 言い終えたアンジェリカは一瞬だけ瞳を閉じるが、すぐに目を開いて言った。

「うーん、あれー? ここまで歩いてくるのに随分と時間がかかった気がするんだよねー? 気のせい?´・・`」


 彼女の言葉を聞きイベリスは悟った。アンジェリカはアンジェリーナが自身に話したことを何一つ聞いていない。聞かされていない。

 この行いの全ては、アンジェリーナから注がれるアンジェリカへの想いによるもの。

 千年もの長きに渡って、彼女はその為だけに……


 アンジェリカは再び愛らしい笑みを浮かべつつも、イベリスが自身を見つめる視線を訝しみながら言う。

「さぁ、遊びましょう☆ 笑い合いながら、殺し合おう^^ 互いの命を賭けて、どちらかが先に果てるまでー☆ でもね、その前にひとつ聞いて良い? イベリスさ、何でもう泣いてるのかなぁ? 私、まだ玲那斗のこと殺してないよ?´・・` そう言ったのにぃ~」

「アンジェリカ、私の話を聞いて」

「え? 何て?^^」

 イベリスが言葉を紡ごうとした矢先、アンジェリカは黄金に輝く光の剣の切っ先をイベリスの喉元へ突きつけて言った。

「これ以上、話すことなどなーんにもないない★ この先は拳で語り合うだけ! 力と力をぶつけ合って、最後までこの場に立っていた方が“正しかった”。それだけのことじゃない? もし、君がそこから動こうとしないのなら~……」

 そう言ったアンジェリカは不敵に笑ってみせてから、唇の動きだけで何かを言った。

 直後、イベリスは背後にただならぬ気配を感じ取る。

「それが望みだというのなら、私はそれを叶えてあげる★」

 アンジェリカが言うや否や、イベリスの背後から青白い腕が現界し両腕両脚に掴みかかってきたのである。

 切っ先を向けたアンジェリカの動きだけに気を取られていたイベリスは反応が一瞬遅れ、右足首と左手首を青白い腕に掴まれるが、すぐに転移の力を行使して難を逃れる。

「そうそう! そうこなくっちゃぁ★ ここで捕まえちゃったら面白くないし、一瞬で興醒めしちゃうもんね♪」

 イベリスはアンジェリカから遠く離れた位置に再び姿を顕し、慎重に彼女の動きを見極めた。

『さっきの青白い腕…… イングランドでロティーを捕縛したときのものね。確か、ミュンスターではフロリアンもあの腕に襲撃されたと記録があったはず』

 絶対の法による攻撃というのは何も本人だけから放たれるものではない。アンジェリカは最初に見せた爆発的な熱量を持つ光線による攻撃や、光の矢による攻撃の他にも、間接的に動きを封じるための青白い腕を現出させることも、実体ある武器としてアイスピックを四方八方へ現出して投擲することも出来る。

 ただし、それらはこれまでに自身が目にしてきたから分かるだけのことであって、おそらく彼女の絶対の法という異能で出来ることの中には、自身が想像すら出来ないような何かがまだ隠されているはずだ。


 どんな状況下であっても、冷静に、慎重に――

 出来る限りアンジェリカから遠く、そして玲那斗の近くへ。


 そう考えたイベリスは、プロヴィデンスの予測演算をフルに稼働させながら彼女の動きを読み、しっかりと顕現すべき位置を見極めて転移したつもりであった。

 だが、今のアンジェリカの前ではそうした慎重さも“些事”に過ぎないらしい。

 ほんの僅かな間。コンマ数秒に満たない、瞬きをする間に視界の先に捉えていたはずのアンジェリカの姿は既に消え去り、気付いた時には歪んだ笑みを浮かべた彼女の姿が自身の頭上から襲い掛かろうとしていたのである。

 アンジェリカが振り下ろした光の剣を、同じく光による防壁で防ぐと同時に鈍い音が聖堂内にこだました。

「守って、守って、守ってばっかりだと行き詰まっちゃうよ?^^」

 余裕の笑みを浮かべて言うアンジェリカを、イベリスは渾身の力を籠めて弾き返す。

『速い……!』

 以前までとはまるで比べ物にならない。ゼピュロスで彼女の影と対峙した時に見たものより、数倍の速度で動いているようにすら感じられる。

 弾き飛ばされたアンジェリカは空中で身を翻して着地の姿勢を取る。イベリスは彼女の姿を必死に目で追うが、次の攻撃は頭上から注がれた。

 万が一にと展開していた頭上の光の防壁に、数多の光の矢が降り注がれ、ほとんど一点を集中的に穿たれた光の防壁はやがて歪みを生じ始めたのである。

『このままでは、もたない』

 イベリスはやむを得ずアンジェリカから視線を外し、すぐに別の場所への転移を行うが、それすらも彼女には全て視通されていたらしい。

 姿を顕した直後に無数のアイスピックが顔のすぐ傍を掠めていったのだ。

「っ!!」

 四肢を掠めたアイスピックの鋭い切っ先が機構の隊員服を貫き白い肌を切り裂いた。光の集合体である体から鮮血が流れることは無いが、人間の身体を再現している以上は痛みは遠い昔と同じように襲ってくる。

 身を裂かれる痛みを味わうなど、幾星霜ぶりだろうか。だが、今はそんなことに思いを巡らせている場合ではない。実体ある攻撃を、きちんと居場所を特定した上で仕掛けてきたということは、既に次の攻撃も仕掛けられているとみて間違いない。

 その予想通り、息をつく間もなく爆発的な光の熱線が周囲一帯に注がれたかと思うと、間髪入れずに再び頭上からは光の矢が注がれたのである。

 これまでよりも一層出力を増した光の防壁を周囲一帯に張り巡らせたイベリスは、彼女の遠距離攻撃を凌ぎながら姿を追う。

 しかし、アンジェリカの姿はどこにも見当たらない。

 やがて光の矢による攻撃が終息し、光の防壁の周囲を破砕された瓦礫が巻き上げた砂煙が覆う。

『動くべきか、否か。でも、迂闊に玲那斗に近付けば、私を狙った攻撃がそのまま彼に当たってしまう可能性が高い。今のあの子には躊躇など微塵もないのだから』

 視界を閉ざされる中、そう考えたイベリスは気を張り詰めたまま、辺りに立ち昇る砂煙が晴れるのを待った。

 今までの傾向を考えた時、こうした状況においてアンジェリカは相手の背後を狙ってくる可能性が高い。

 イベリスは特に後方へ気を配りながら視界が晴れるのをただ待ち続ける。どこから襲い掛かられるのか分からないという不安と、早く玲那斗を助けなければという焦燥が精神を蝕む。

 1秒1秒が限界まで引き伸ばされたかの如く時の中で、イベリスの額から一滴の汗が流れ落ちた瞬間であった。

 正面の砂煙に黒い影が浮かんだかと思うと、光の剣を真っすぐに伸ばした体勢でアンジェリカが飛び込んできたのだ。

 後方に気を配っていたイベリスは、またも虚を突かれる形となり反応が僅かに遅れる。

 アンジェリカが刺突の構えのまま猛烈な勢いで光の防壁に突進をすると、防壁はいとも容易く貫通され、刃の切っ先はイベリスの左腕を貫いた。

「もう1回★」

 貫いた剣先をすぐさま引き抜いたアンジェリカは、今度は右腕を目掛けて刺突する。

 これを間一髪で躱したイベリスは、もはや防戦だけでは太刀打ちできないと考え、ついに光の収束による攻撃に打って出た。

 ところが、アンジェリカが飛び込んでくるとイメージした場所に彼女の姿はなく、光を収束させた光線は何も無い場所へ撃ち出されてしまう。

 反対に自分が意識した方向とは逆の方向に彼女はいた。

 イベリスの腰に強い衝撃と鈍い痛みが走る。

 不自然に折れ曲がったイベリスの身体が吹き飛ばされる瞬間、背後からアンジェリカが耳元で囁く声がはっきりと聞こえた。

「貴女はアンディーンと違って、剣術の心得があるわけではないから、ね★」

 アンジェリカはこの期に至ってようやくイベリスが自身を攻撃してくると踏み、敢えて隙を見せる動きをした上で逆を突き、背後から強烈な蹴り上げを見舞ったのである。

 アンジェリカの繰り出した蹴り上げによってイベリスの身体は軽々と吹き飛ばされ、正面に盛り上がっていた瓦礫の山へとその身体を叩きつけた。

 激しい音と共に打ち砕かれた破砕片が辺りに舞い散り、おびただしい砂煙が辺りに立ち昇る。


 光の剣を消し去ったアンジェリカは、呻き声を上げるイベリスにゆっくりと歩み寄りながら言う。

「予測、予測ね。攻撃を外した私が、そのまま素直に突っ込んでくると思ったのでしょう? それは大いなる間違い。プロヴィデンスに頼り過ぎなのではないかしら?

 少し話を遡れば、私の動きに悪い癖があると教えてくれたのはアンディーンだった。あの子と刃を重ね合わせた時、あの子は私の悪い癖を見抜いて即座に自身の攻撃に組み込んだのよ。

 相手が剣戟を躱した同じ方向に対して、素直に剣による連撃を仕掛けるという悪癖。それを利用された私は肋骨を数本折られるという手痛い怪我を負わされたのだけれど、結果としてそのことが良い教訓になったわ。今、こうして貴女を相手取るのにその教訓が活かされているのだから。

 危なかったわね? 貴女の“アレ”を浴びせられていたなら、この子の自慢の髪をちりちりに燃やしてしまうところだったわ」

 もし仮に、イベリスが躱した方向に対して素直に剣戟による連撃を仕掛けていたなら――

 今頃、イベリスの放った渾身の収束光線を浴びたアンジェリカは自身の言う通りに、美しい桃色をした自慢の髪を焼かれるという心の傷を負わされたことだろう。

 アンディーンと剣を交えて得た教訓を元に、アンジェリカは自らの悪癖を素直に捨て去り、彼女の意思を受け入れたことで駆け引きにおける小さな勝利を掴み取ったのである。

 クスクスと笑いながらアンジェリカは言う。

「私は、私達を信じて共に在った者達の覚悟を背負ってここに立っている。有りもしない、存在するかどうかも不明確な可能性などというものに縋ってふらふらとしている貴女達とは覚悟の重さが違うのよ。故に、中でも特に貴女のような者が私達を倒すことなんてこと、絶対に出来るはずがない」

 そうしてイベリスの目の前まで歩み寄って言う。

「覚えておきなさい。可能性というものは既に存在しているものの中から、常に必然の中から生まれてくる要素のひとつに過ぎないのだと。存在しないものが、今までそこで息を潜めていたかのように突然に降って湧いて出ることなどないのよ。

 この世界が積み上げてきた歴史を振り返り、人間の本能、習性を顧みた時、どこに“これまでより良い世界になる”などという可能性があるというの?

 そんなものが無いからこそ、一度“何も無かった頃に戻す”くらいの荒療治が必要なのよ。今ある仕組みが根本的に崩壊しない限り、人は安定したレールの上に乗るだけで満足してしまうのだから。

 出来上がった仕組み。そこから逸脱することを良しとしないし、逸脱することを企てる者があれば徹底的に潰しにかかる。今の私達が世界連合からそのように扱われているようにね」

 言葉を最後まで言ったアンジェリカは、冷たさに満ちた表情を和らげ、にこりとした笑みを湛えて続ける。

「そうそう。あとひとつ、良いことを教えてあげよう★」

 異能の維持もできず、虹色の瞳も、黄金色の髪色も普段の色合いに戻り、息を切らしながら身動きが取れずにいるイベリスを前にしたアンジェリカはそう言うと、赤紫色の霧が作り出す球体に包み込まれた玲那斗を指差し、満面の笑みで言った。

「今、貴女が一方的に痛めつけられている様子は全部ぜーんぶ玲那斗からは丸見え。そう、彼は彼で、ただ貴女がほとんど無抵抗に痛めつけられる様を無様に眺め続けるしかないっていうわけだねー♪

 だからこそ私は楽しい★ 私は昂っちゃう♪ 自分が痛みを感じる瞬間もそうだけどさ、やっぱりありとあらゆる手管を用いて他者を傷付ける瞬間って、こう…… ぞくぞくしちゃう★ それが肉体的なものであれ、精神的なものであれ、どちらにしてもね? きゃははははは>▽<」


 イベリスを見下しながらひとしきり笑ったアンジェリカであったが、しばらくの後に笑うことを止めて言う。

「じゃ、そろそろ君達が持つ王家の守護石を粉々に砕いちゃおう★ それがあると後々にも色々と面倒だしぃ? 遊びの合間にもやることはやってしまわないとねー。仕事熱心な私はやるべきことを忘れない★ さっすがー!」

 その表情に慈悲などというものは無い。

 世界を混沌の底へと突き落とした“恐るべき王”は宣言した。公国の安定と安寧を保ち続け、王家の血筋を保つために連綿と受け継がれてきた王家の守護石の破壊を。

 

 西暦1035年のあの日。リナリア公国が崩壊して千年余り。

 真なる意味で、“公国の未来”が潰える時が来たのだと。



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