*6-1-4*

「繰り返す。万一この通達を閑却し、共和国本土への攻撃意思を認めた場合、時を移さず核ミサイル攻撃を開始する。本通達に関する真偽の如何についての判断は連合艦隊の意思に委ねる。以上である」


 シルフィーから前線指揮を託されていた大尉は、連合国に対する停戦通告を終えると通信を遮断し、背後にあった座席へと腰を下ろす。

 そうして、空白となった隣の司令官席を見つめて物思いに耽った。



 アンヘリック・イーリオン中央管制から垣間見る、見渡す限りの地獄絵図。

 もし仮に、ここに貴女様がいらっしゃったならば。貴女様はこの景色をご覧になって未だかつてないほどに恍惚の表情を浮かべられたことでしょう。

 その御姿を眺めることが出来たなら、我らも歓天喜地であったというもの。

 理想の完遂を前に、その晴れやかな表情をもっと御傍で眺めていたかった。

 かつてより、貴女様が本当は誰よりも優しい方であると存じていた。マックバロンの仕打ちを受けて尚、強かに生き抜いて来られた御仁。

 そんな貴女様がこの景色を美しいというのならば、それは貴女様を敬い、貴女様に仕えた我ら兵士一同にとっても、また然り。

 それなのに、そうだというのに――



 絶対の信頼を置く自らの上官、不変なる掟-テミスに名を連ねる美しき自由の風である彼女の訃報を知ったのはつい先程のことで、城塞のセキュリティアラームから受信したその内容は酷く簡潔なものであった。

 ヴァチカン教皇庁に籍を置く総大司教、ロザリアの手によって彼女が敗北を喫したとの報告だ。

 もはや、この世界に魂すら存在しない彼女ではあるが、もし仮に目の前の景色を未だに眺めていたならば、これを〈美しい〉と言ったに違いない。

 連合に通達を終えた直後、視界の先に広がる光景を見て先のように考えたのはそうした心情によるものだった。


 世界の終末を暗示する黄昏時。そのような言葉で形容するに相応しい情景。

 黒雲に覆い尽くされた海上は、相も変わらず燃え盛る艦船から噴き上がる炎と煙で赤黒く染まっている。

 停戦の通告を発して以後、CIWSによる橙色の火線と爆発の光、そしてサンダルフォンから放たれ続けていた眩いばかりの雷撃による閃光は瞬く間に見られなくなった。

 連合に与する各国本土への核攻撃を通達したのだから当然の結果だ。海上に響くのはそれぞれの母艦へ帰投する戦闘機のけたたましいエンジン音のみ。

 爆発の轟音も鳴りを潜め、ある意味で静まり返った戦場。そうした戦闘による光が減ったことが、かえって眼前の景色が地獄そのものであると印象付ける結果となっているようにも見えた。


 それでも尚、彼女が生きてこの場に立っていたなら満面の笑みを咲かせて言ったはずだ。

〈これこそが我らの主、アンジェリカ様の望まれた理想の景色である〉と。


 その言葉を彼女の口から直接聞きたかった。

 理想成就の喜びを共に分かち合いたかった。

 しかし、もはや叶わぬ望みであると心に刻み唇を噛み締める他にない。


 彼女が美しいと言った地獄の光景を、アンヘリック・イーリオン尖塔に浮かぶ二対の光輪から放たれる黄金色の光が眩く照らす。

 アンジェリカが万全な状態で健在であることを示す光輪の輝き。

 この光は共和国の兵士である自分達にとっては希望の光そのものだ。ただ万が一、あの光まで潰えることがあったなら――

 その時は自らの生の終焉を覚悟しなければならないだろう。



 連合艦隊、残存艦艇数12隻。開戦当初より戦力の9割を喪失。

 対するグラン・エトルアリアス共和国の艦艇数は、開戦直後にネーレーイデスを複数喪失したことや、アンティゴネを1隻喪失したこと、ネメシス・アドラスティアが大破により後退したことを除けば開戦当初よりほとんど差異が生じていない。

 そういった、あらゆるデータを数字として目で捉えるだけであれば、戦況は完全に共和国側に有利であることに疑念の余地はない。

 しかし、現実は違う。

 シルフィー1人を失ったことによって、共和国の海上及び航空の戦闘指揮能力は著しく低下してしまった。

 むしろ、海戦指揮能力はほぼ喪失したと言って過言ではなく、だからといって彼女の代理を務めあげられる将校や士官なども、もはや存在しないのが実情だ。

 なぜそのような事態になっているかといえば、理由は2つ挙げられる。

 ひとつは自国民を戦争に加担させることを嫌うアンジェリカの意向により、共和国軍というものは極限まで絞り込まれた必要最低限の人員のみで構成されていること。

 もうひとつは、他国が人員を割いて構成する軍戦力のほとんど全てを、不死兵アムブロシアーと昆虫型ドローン兵器、それに無人運用が可能な艦船群という特殊な構成で整えたことだろう。

 共和国軍における数少ない人間兵や将校は前線へ出ることも無く、指揮を執るわけでもなく、あくまでシルフィーや他のテミスの面々を補助する役回りを担ってきたに過ぎない。

 特殊な軍備を用いた前線における、ほとんど全ての戦闘指揮はシルフィー1人の手に委ねられていた。

 というよりは、大国の全軍を指揮できるほどの才覚を有するシルフィー以外に、特殊な軍備を進めた共和国軍の指揮という重要な役回りをこなせる人材など、彼女の他に存在しなかったという方が正確だろうか。

 同じマックバロンの生まれであるアンディーンも作戦指揮における才覚は有していたようだが、それすらもシルフィーには遠く及ばないものであった。

 たった1人で万軍を動かす才覚を持つ者。世界広しと言えども、同じようなことが出来る人物など彼女の他には存在しないに違いない。

 人間であるシルフィーの将来的な老いと死を想定して、早期に彼女の脳を完全にコピーしたAIによる自動指揮を導入することまで検討されていたほどなのだから。


 そのような理由で、数字以上に追い詰められているのは共和国軍側であるという事実は色濃い。

 一見すれば自立行動をしているように見えるアムブロシアーも、彼女の脳神経を複製したニューロモルフィックチップを搭載し、彼女の意思を反映して行動していているが故に現状の動きは非常に鈍い。

 アムブロシアーは戦闘機カローンを操る生体ユニットとしての役割もこなすが、こちらも上記と同じ理由によって戦闘能力は著しい低下を余儀なくされている。

 未だに強力な兵士として自立活動できるアムブロシアーはアンジェリカやリカルド、アビガイルの直接的な指揮下にある個体、つまりは城塞内に配備されたものが全てであり、現在までシルフィーの指揮下で戦場へと駆り出されていた個体の全ては抜け殻、或いは廃人のような状態というわけだ。

 これ以上に交戦を継続すれば無用な損害を出し続けることは必至。見かけ上、どれほど有利な戦況であっても退かざるを得ない理由がそこに集約されている。


 それもこれも、基本的に共和国民を戦争には巻き込みたくないというアンジェリカの意向を色濃く反映した結果であり、故にシルフィー1人を失ったことで指揮能力の全てを喪失したという事態は当然の結末である。

 ある程度の指揮が見込める存在となれば他のテミスの面々ということになるが…… 頼みの綱である、シルフィー以外の他のテミスの各々に関しても良い報告など無い。

 許されざる裏切り行為を働いたアンディーンはアンジェリカの手によって既に粛清され、リカルドは機構の2人組の手によって行動不能に追い込まれた。

 唯一、アビガイルのみが国連と機構の3人組と交戦し、内2人を仕留め、1人を拘束したという報告が入っているが、だからとて研究一筋で生きてきた彼女に戦場の指揮を執ることを望むのは酷だろう。

 残るは共和国にとっての希望の象徴たるアンジェリカであるが、彼女は玉座の間-スローネにて機構の2人と交戦中であるとの報告をつい先程受信したばかりだ。



 故にこそ。

 中央管制にて選択すべき決断はただひとつ。

 言葉にすることも憚れるし、そのような事態が有り得るはずもないが、万が一という状況に備えて準備を整えておくこと。

 今の状況下で総統であるアンジェリカまで失うような事態になれば―― という懸念に対する用意だ。

 それこそが、先の連合軍加担国本土に対する核ミサイル攻撃の通告である。

 出来る限り共和国側の優位を崩さぬように、最大の脅威を以て自らの要求を呑ませる為の行動。

 主導権を握ったまま、狙い通り戦況の膠着、実質的な停戦状態を生み出す為には他に方法などなかった。


 ただし、この苦肉の策はあくまで万が一に備えたただの保険だ。

 アンジェリカが城塞へ侵入した不届き者への裁きを下し勝利すればもちろんのこと、たとえ何かの間違いが生じて敗北を喫するという事態が起きても最終的に核ミサイル攻撃の実行さえ出来ればそれで良い。

 いずれにしても共和国の理想が成就するという幕切れになることは必至。

 ここまでの準備を整えたからには、あとは連合国側の動きを観察しつつ、自らの主君の勝利の吉報を待つのみ。

 シルフィーに対する敬意と同じく、自分達共和国の民を救い上げてくれたアンジェリカに対する尊敬の念も尽きることは無い。

 彼女に対する最大の忠義を以て、呪われた戦争の行方を見届けること。それだけが忠臣たる自分達の最後の務めであると。

 大尉は座席に深く腰を据え、ホログラフィックモニターの向こうに広がる地獄絵図を眺めつつ不退転の決意を新たに固めるのであった。

 一方で、テミスの1柱であったアンディーンに対する粛清について一抹の不安を抱く。

『マックバロンの騎士達の意思は、我らと同じというわけにはいかぬだろうな』


 大尉がそのように物思いに耽る中、戦況の報告が絶え間なく上げられる。

「通告により、敵艦隊の侵攻は完全に停止。武装による攻撃は沈黙しました。火器管制レーダーの照射も見受けられません」

「敵航空部隊の撤退を確認。対海上戦用クイックシンク攻撃部隊、及び対地帯戦用ラピッドドラゴン攻撃部隊、敵母艦へ帰投する模様」

「連合艦隊旗艦サンダルフォンに白旗の掲揚を確認。停戦に応じる模様です」

 報告を聞き届けた大尉は言う。

「先行したアンティゴネ、ロデー、ベンテシキューメーを後退させろ。連合が動かぬ限り、こちらにも攻撃の意思はないということを演じておく必要があるだろうからな。それらしく、トリートーンに信号弾を撃たせろ」

「承知しました。アンティゴネ、ロデー、ベンテシキューメー後退。トリートーン、信号弾放て」


 間もなく、大尉の指示を受けトリートーンから放たれた信号弾が2発、戦場に燦然と輝いいた。

 母艦に引き返す戦闘機部隊のエンジン音も、着艦数が増えるに従い鳴りを潜めていく。

 静けさに満ちた双方の睨み合い。凍り付いた戦場。

 兵器同士による血で血を洗う争いから一転し、核を中心とする冷たい戦争の幕が開かれたのだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る