*6-1-2*

 憎しみが生まれ、嗚咽と悲鳴が轟く。

 赤黒く燃える海と天は絶望に満ち、悲しみで地は満たされる。

 こうして夕闇が世界を包み、滅びの朝は訪れた。


 千年前に潰えるはずであった命。小さな小さな少女が抱いた、世界の破滅という理想は言葉通りの形となって現代に再現されている。

 サンダルフォンの艦橋から見えるのは、船の形をした残骸が沈みゆく姿。絶えず飛来する漆黒の戦闘機が神の雷によって焼き落とされ、それらも冷たい海中へと引きずり込まれていく。

 意思を持たぬ兵器から噴き上がる炎と黒煙は、さながら人が噴き上げた鮮血のように見える。であるならば、防空火線やミサイルの射撃音は人々の怒声や悲鳴、爆発による轟音はさながら断末魔の叫びといったところだろうか。


 黒い雲が日差しを遮って幾ばくか。戦闘の疲弊によって、もはや感情らしい感情も沸き上がらなくなりつつあったフランクリンは、艦橋から見える地獄のような景色に見入った。

 これが世界の行く末。共和国が全世界国家に対する反乱を起こさずとも、おそらくはいつか引き起こされていたであろう光景。

 人が何千年にも渡り繰り返し続けてきた、戦いの歴史における末路。

 もし仮に、今自分達が行っている戦火を最期として恒久的な和平がもたらされるのであれば、どちらの勝利に終わったとしても結末に大差などないのではないか。

 そのような愚かな思考が頭をよぎる。

 目の前で多くの艦艇が沈み、多くの人が死んだ。有視界通信の最中、味方の艦船が敵艦のレーザー砲撃に焼かれる瞬間を見た。


 もう、たくさんだ。


 力なきものに寄り添い、弱きを助け、世界の安定に全身全霊を捧げることを誇りとする国際機関。世界特殊事象研究機構。

 その機構は今、紛れもなく自分達の使命からは最も遠いはずの戦争行為に最前線で加担してしまっている。

 しかも、あろうことか全世界から集った艦隊を指揮する旗頭の船として機構の艦船が中央を陣取り、さらに自らが旗艦の指揮を執っているなどと。

 国連を裏から統率する少女の言葉に促されるがまま、こんなところまでやってきてしまった。

 その役回りを買って出たことに後悔はないが、気が咎めることは事実だ。

 だが、どれほどの後ろめたさが自分達を苛もうと、使命を、任務を、責務を全うする他に道はない。

 これが世界の為、弱き者を守る為になるというのなら、それは紛れもなく機構の使命として必要なことなのだから。


 僅か数時間の戦闘とはいえ、もはやフランクリンをはじめとしたサンダルフォン乗組員の精神は限界を迎えようとしていた。

 この場にいる誰もが、胸の内から込み上げる不快感を抑え込みながらも、己の責務を全うする為に戦っている。

“戦争の惨禍”が、これほどまでに人間の精神を極限まで追い込むものであったということを、心と体に刻みながら。



 サンダルフォンのブリッジに、戦場が生み出す不気味な重低音が共鳴した。

 付近の海面に航空機が激突するたびに艦体が不規則に振動し、気分を害する揺れが遅れて襲い掛かる。

 ただ、そのことについて何かを口の先に出そうという隊員はもはや誰もいない。誰も彼もが目の前に広がる悪辣な景色に嫌悪感を抱いたまま、言葉らしい言葉も発しなくなっていた。

 必要な報告を必要なだけ。極限の状況下においてすり減った精神を維持する為には、もはやそのように振舞うしかなかったのである。

 しかし、緊急通信の接続要求を告げる警報アラームが鳴り響くと同時に、ブリッジの状況は一変した。


「接続要求を許諾。太平洋方面司令 セントラル2 -ケテルより、本艦に対し緊急電文です」

「読み上げろ」

 通信を担う隊員に対し、フランクリンは言う。同時に、嫌な予感がした。

 共和国が世界に対して発信した宣言に対する返答の刻限まで、残り30分余り。

 このタイミングで戦闘中の艦船に対し、所属セントラル外から火急に知らせなければならない用件など数限られたもので、特に今という状況において答えの心当たりは一つしかなかったからだ。

「読み上げます。セントラル2より世界連合全艦隊へ。共和国本土、及びマリアナ海溝に存在するミサイル発射基地が核ミサイルの発射態勢を終えたとの報。プロヴィデンスによって割り出された核ミサイルの推定目標は次の通りです」

 予想通り。本当の悪夢の始まりはこれからである。

 フランクリンはホログラフィックモニターに明示されたミサイル発射目標地点を眺めつつ、自身が抱いた最悪な予感が的中したことを嘆いた。


 目標として設定されていたのは、どれも各国司令部が置かれる首都や軍関連施設の連なる地域、或いは核関連施設や原子力発電所が密集する地域などである。

 未だ共和国に対して降伏を宣言していない国の、致命的な弱点となる地点がリスト上には立ち並んでいた。

 フランクリンの脳裏に、2週間前に太平洋上で炸裂した核ミサイル、ヘリオス・ランプスィの破壊的な爆発を捉えた映像が蘇る。

 火球と共に天使の光輪を上空に顕現させる、偉大なる科学が生み出した悪魔の光。

 このリストに名前が載る地域が実際にヘリオス・ランプスィによって攻撃された場合、当該国は一瞬にして国家としての機能を喪失することになるだろう。それはアメリカ合衆国をはじめとする超大国とて例外ではない。

 撃たれてからでは遅い。撃たれる前に何とかしなければ。

 とはいえ、壊滅的な被害を受けている連合艦隊には既に、共和国本土を急襲するだけの戦力は残っておらず、またマリアナ海溝のミサイル基地を攻撃する為の余剰戦力などこの世界のどこにも存在しない。

 情報を知ったからとて、何ができるわけでもないのだ。


 フランクリンはすぐさま通信を担う隊員へ指示を出す。

「連合全艦艇へ共和国のミサイル発射施設の動きを伝達しろ」

 覆すことの出来ない事実を認めた上でも言うしかない。どんなに絶望的な状況であったとしても。

 通信兵が状況を全艦艇へ共有して間もなく、とある国の艦艇から返信が届く。

「後方のクイーン・エリザベスより返信。航空隊の第一目標を共和国本土の軍事施設に設定。プリンス・オブ・ウェールズの艦載機を含めた残存航空戦力の全てを投入するとの報」

「インコンパラブル、両空母の護衛配置へ付きます」

 報告を聞いたフランクリンは感慨深く静かに頷いた。第一に返信をしてくれた国が英国海軍所属艦船であったことに、国家と組織を越えた深い繋がりが感じられたからだ。


 かの国が第一に返信をしてくれたことには理由がある。

 それはセルフェイス財団と機構との間で起きた一件。〈新緑の革命事件〉以後に築いた英国政府との緊密な繋がりによるものだ。

 当時、取り返しのつかない世界規模での事件を起こす一歩手前まで迫ったセルフェイス財団の処遇について、熟考を重ねていた英国政府に対し機構が問題解決の為に手を差し伸べたことに対する恩義という側面が強い。

 あの時、機構の総監であるレオナルドが秘密裏に国連 機密保安局-セクション6へ根回しを行い、局長であるマリアから『好きにしたら良い』という言葉を引き出すことが出来なければ、英国はセルフェイス財団の起こした事件での賠償によって国家としても大打撃を受けていたはずであったのだから。

 マリアがレオナルドに対してそのように語ったという事実は、つまるところ『処遇の全ては機構の判断に委ねる』という言質を取ったことに等しい。

 それがほとんど帳消しに近い形で解決の日の目を見た時の安堵は、実に筆舌に尽くしがたいものであったはずだ。

 加えて、元はといえばセルフェイス財団も英国も、アンジェリカの計略によって陥れられたという立場である。

 そして今という状況は、世界の安定と機構の援護の為に【共和国へ攻撃を加える】というこれ以上ない程に理に適った報復の機会が訪れたと言い換えることができるだろう。

 であれば、第一に返事を返すのがかの国であることは道理というわけだ。


 世界の全てが、同じような絆で結束することが出来ていれば――


 そう思わずにはいられなかった。

 それから間もなく、アメリカ海軍や日本海軍、フランス海軍からも立て続けに報告が入る。

「ドリス・ミラー、エンタープライズも追随する模様。コンステレーション、チェサピーク護衛配置へ。いずも艦載機は引き続きカローンの迎撃に当たります」

「シャルル・ド・ゴールはいずもと連携し、共にカローンの迎撃に当たるとの報」

 次々と各国から報告が入り、共和国本土のミサイル発射施設に対する連合側の動きが活発化する中、サンダルフォンのブリッジでは相変わらずアイリスが1人で上空のカローン迎撃を続けている。

 直後。目も眩むような雷撃の煌めきと轟音と共に、新たに2機のカローンが神の怒りの前に海中へと散った。

 レーダー上では味方の戦闘機が各空母から発艦し、共和国へ向けて編隊を組み飛行していく様子が映し出されている。

 刻一刻と近付く終焉の時、世界が灰燼に帰す時を前に、両陣営の攻防の激しさはこれまで以上に加速していくかに見えた。


 だが、しかし。

 その攻防激化の機運は共和国側からの宣言によって一気に冷え込むことになるのだった。

 サンダルフォンを中心とする連合側が、共和国本土の軍事施設やアストライオスに対する攻撃を敢行しようとした矢先。

 アンヘリック・イーリオンから突如として一般回線による通信が接続されると、全軍に向けた宣言が成されたのだ。


 ノイズ交じりに回線が開かれた直後、共和国の前線指揮を執っていると思わしき男の声が全連合艦艇のブリッジへ響いた。

『グラン・エトルアリアス共和国 エトルアリアス城塞アンヘリック・イーリオン中央管制より全連合艦隊へ通達する。

 即時、攻撃を中止し停戦せよ。繰り返す。即時、攻撃を中止し停戦せよ。

 知っての通り、我が国は諸君らの祖国へ砲火を浴びせる用意を整えた。

 要求に従わなければ、同刻を以て貴様らの祖国へ我らの怒りが注がれ、その全土は灰燼に帰すこととなるだろう。

 もう一度繰り返す。即時、攻撃を中止し停戦せよ。万一この通達を閑却し、共和国本土へ連合側の航空部隊が到達するようなことがあれば、その時点を以て未だ降伏の意を示さぬ国家に対する核ミサイル攻撃を開始する』

 気勢が挫かれ、ブリッジにはざわめきが流れた。

「停戦だと? どういうことだ」

 既に艦隊の9割を喪失し、最後に捨て身の攻撃を行わなければ後がない状態に追い込まれた連合国に対し、未だ強力な水上艦艇群に加え空中機動戦艦と多数の戦闘機を展開する共和国は圧倒的な戦況の有利を得ているはずであるのに。

 わざわざ停戦の呼びかけをする必要はない。その気があるなら攻撃を強行すれば良いだけの話で、共和国が力で押し切る道を選択する方が連合国にとっては余程最悪の筋書きというものだ。

 一般回線によって呼び掛けられた通告により、後方の空母群から飛び立とうとしていた艦載機は全機発艦を取りやめ、既に発進した戦闘機は編隊を組んだまま上空で旋回することを余儀なくされた。

「クイーン・エリザベスより打電。“我、艦載機の発艦を即時停止す。停戦に従うか否か、以後の指示は旗艦であるサンダルフォンの意思に従う。それまで、共和国側の通告に則り攻撃行動の全てを停止する”との報」

「共和国水上、及び飛行艦船の動きが沈黙しました。上空のカローンは全機後退。母艦へ帰投する模様」

「連合艦隊全軍、攻撃を即時停止せよ。カローンに対する追撃はするな。ここで奴らを後ろから撃てば、ミサイルを射撃する為の口実を与えてしまうことになる」

 上げられる報告に対し、フランクリンは冷静に判断を下す。だが、内心の動揺は隠しきれるものではなかった。

 すぐ近くでカローンの迎撃に当たっていたアイリスが言う。

「艦長、あまり深く考え込むこともないと考えます。共和国は私達に脅しをかけてきましたが、言い換えれば内部で“そうせざるを得ない致命的な何かが起きた”という可能性も否定できません。

 現存戦力だけの比較をするなら、明らかに共和国側が有利な状況である中での停戦協定。一旦冷静に物事を判断する機会が与えられたと受け取るのも良いかと」

 年端もいかない少女からの進言に耳を傾けていたフランクリンは、動揺する内心を抑えながら返事をした。

「ブラフか。そうやもしれん。君の言う通り、落ち着いて物事を考えるには良い機会だ」

 そう言うと、通信を担う隊員に指示を送る。

「各国の旗艦と早急に意見交換をしたい。秘匿回線にて通信を繋いでくれ」

「はっ」

 その後、フランクリンはアイリスに向けて言う。

「数時間もの間、本艦を守り抜いてくれてありがとう。僅かばかりしか時は残されてはいないが、少し休んでほしい」

 言葉を受け取ったアイリスは礼儀正しくお辞儀をしながら言った。

「はい、ではそのように。ほんの少しだけ自室にて休ませて頂きます」

「緊急の際は艦内放送にて呼び掛けるかもしれないが…… すまないな」

「いいえ。私に謝ることなど何も。遠い遠い昔の、身内が起こした戦争ですから」

 アイリスはそう言い残すと、足早にブリッジの出口へと向かい退出するのであった。

 彼女の後姿を見送ったフランクリンは視線を前に向け他艦艇との通信接続を待ちながら思う。

『“停戦せざるを得ない、致命的な何かが起きた可能性”か。彼らがうまくやってくれた結果であれば良いのだが』

 そうして、赤黒い水平線の向こうに聳え立ち、天上の光輪によって黄金色に照らされるアンヘリック・イーリオンの威容を見やり祈った。

『マークתのみんな…… 頼んだぞ』


 たったひとつの通告によって、戦線は不気味なほど静かな膠着に陥った。

 時刻は午前11時半を回るという時分。

 共和国が各国に回答を迫った宣言の刻限まで、半刻。


 正午を過ぎた時に世界がどのような光景に包まれているのか。

 静かなる決着の時が近付いていた。

 


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