第6章 -崩壊の冠-

第1節 -恐るべき王-

*6-1-1*

 救われるべき者を無償で救われる

 恐るべき御稜威の王よ

 慈悲の泉よ、私を救い給え


 慈悲深き者よ、どうか思い出し給え

 貴方の来臨は私達の為であるということを

 その日に私を滅ぼすことの無きように


 私を探して貴方は疲れ、腰を下ろされる

 あの十字架を堪え忍び、救いをもたらされた

 これほどの苦しみが無駄になりませんように


 裁きをもたらす正しき審判者よ

 裁きの日の前に 赦しの恩寵を与え給え

 私は罪人のように嘆き 罪を恥じて顔を赤らめるだろう

 神よ、赦しを請う者にどうか慈悲を与え給え


【聖歌 レクイエムより -恐るべき御稜威の王- , -思い出したまえ-】


                   *


 早朝より晴れ渡っていた空は雲が立ち込め暗くなり、時間の経過と共に太陽の日差しは完全に遮られた。

 嵐が来る。それは風雨を伴う気象現象としてではなく、まったく別の形によって。

 それが事実であることを象徴するように、上空を厚い雲が覆ったのと同時に共和国近海で繰り広げられている戦況もまた、報告として次々と挙げられてきていた。


 午前11時が過ぎ、半刻を回ろうかという時分。

 世界特殊事象研究機構 大西洋方面司令 セントラル1-マルクト-の総監執務室では、ホログラフィックモニターに流れゆく報告文に目を通したレオナルドが浮かない表情をしたまま、呻きにも似た声を漏らしてうなだれていた。

 流れてきた報告とは次のようなものだ。


〈先遣艦隊 戦力のほぼ全てを喪失〉

〈本艦隊 戦力の80パーセントを喪失、内10パーセントが交戦不能〉

〈残存艦隊は共和国艦隊と未だ交戦中 戦局は拮抗状態にあり〉


〈敵水上艦隊に大打撃〉などと威勢の良い報せが届いていたのも束の間。

 以後からは共和国の優勢を伝える報告で溢れかえり、戦争の火蓋が切って落とされてから2時間が経過した今となっては、差し向けた艦隊戦力の内1割ほどの艦艇群しか戦闘継続が出来ない状況であるという。

 唯一にして最大の吉報と言えば共和国の艦隊旗艦、空中機動戦艦ネメシス・アドラスティアの大破とアンティゴネ1隻の撃沈という報告のみだ。

 まともに相対して勝機の無い空中戦艦群相手に、何が起きてそのような結果がもたらされたのかは定かではない。ただ、その一報は間違いなく、戦況を見守ることしか出来ぬ者達には大いなる救いとなった。

 しかし、空中戦艦を退けたからといって、増援として突如姿を顕したという強力な3隻の水上艦艇群が無傷にて健在であることに変わりない。

 トリートーン、ロデー、ベンテシキューメー。その他、ネーレーイデス艦隊群多数。

 共和国の技術の粋を結集したであろう圧倒的な戦闘能力を持つ水上艦艇群を前に、残存少数となった連合艦隊が進撃を行うなどもはや不可能な状況。防戦に徹し、拮抗状態を継続できれば御の字といったところだろう。

 挙げられた報告から直接的な状況を読み解けば、どうあがいてもその結論にしか至らない。

 そもそも、前提として共和国との戦闘において艦船群の数の大小など些事であった。

 彼ら自慢の艦艇1隻に対し、連合側が何十隻、何十機の水上艦艇、及び航空戦力を投入したところで勝機は如何ほどのものだというのか。

 同じ時代、同じ科学の元に生きているはずの彼らは、自分達よりも時代の遥か先を行っていることは明確な事実だ。

 物質的資源と人的資源が限られる彼らは、戦争における最大効率を追求し尽くした軍備を以てこの戦いに挑んでいる。

 例えるなら、彼らに立ち向かう世界連合艦隊は雄大な高高度の山脈を前にした人間に等しい。

 立ち塞がる道なき道を踏破し頂きに立つ為には、限りなく零に近い確率の壁を打ち破る“運”が必要にも関わらず、勝機を引き上げる為に、万に一つを掴み取る確率を引き上げる為に用意した“数”までも減らされてしまっては、そうした“運”を望むべくもない。


 物事に絶対は無いというが、必ず例外があるものだ。

 空に広がる黒雲がそれとなく自分達に伝えている。

 明るい展望を思い描く要素など微塵もない、暗澹たる海戦の結末も推して図るべきだと。


 そして、たった今。此度の戦争における最大の凶報が総監執務室に舞い込んだ。

 黒い雲が連れてきたのは、気が滅入るような悪辣な戦況報告だけではない。

 言葉通り、“世界の崩壊”が秒読み段階に入ったという知らせであった。




「それは事実か?」

 レオナルドは念を押すように確認する。その声には悲痛さこそ滲んでいるものの、驚愕といった類の性質はまるで含まれていない。

 来るべき時が来た。そう言い換えて差し支えない事象だろう。

 戦争に加担する当事者だけでなく、世界中で暮らす人々誰もが予見していた未来。

 むしろ“そうならないこと”を予測する方がよほど難しいといった報せだったからだ。

 レオナルドが見据える、ホログラフィックモニターに映る男は目を伏しがちに言う。

『はい、間違いありません。マリアナ海溝に展開されている例のミサイル発射基地、アストライアーが先刻より核ミサイルの発射態勢に入ったことを確認しています。

 加えて、共和国本土を監視する衛星からの情報によれば、本土のミサイル発射施設アストライオスも同様の発射態勢に入った模様であると。

 このまま共和国からの正式な声明発表が無いとしても、先の宣言に則った解釈をするならば、降伏の意を示さない各国に対し正午を以て核ミサイル攻撃を断行する…… そう見受けられます』

 この慌ただしかった2週間から引き続き、昨晩も一睡もしていないという様子でホログラフィックモニターの向こうに佇む男。

 セントラル2 太平洋方面司令マークב(ベート)所属、特務艦隊旗艦メタトロン艦長であるハワードは報告を述べ終えると、やつれた表情をしたまま押し黙る。

 近代技術の粋を結集したビデオ通話で交わされる会話。普段であれば情報通信技術の発展の恩恵を感じさせてくれるものであるが、この時ばかりはその高性能さが仇となってしまった感は否めなかった。

 まるで、目の前で会話しているかのような臨場感溢れる音声で伝えられる報告は、発信者の言葉に含まれる繊細な機微ですらありのままに表現し受信者へと伝達する。

 今回に限っては、そのことがかえって状況の悪さを必要以上に助長して伝達する結果を招いてしまい、レオナルドの表情を一層険しいものに変えてしまうのだった。


 何をどう言ったところで回避の道はない。

 世界はもう、突き進んだ道を引き返すことなど出来ず、来るところまで来てしまった。

 あとは前線で命を賭けて戦ってくれている戦士たちが、事をうまく運んでくれるように祈るしかないのだ。

 レオナルドは言う。「核ミサイルはすぐにでも射撃可能な状態にあるのかね?」

『はい。既に詳細な照準も定められているようです。プロヴィデンスの予測に基づく、共和国のミサイル発射施設が標的としている予測射撃地点は次のデータの通りです』

 ハワードの言葉に続き、ホログラフィックモニターには世界地図が表示され、核ミサイル着弾予測地点が一斉に赤色の点による明滅で示された。


【アメリカ合衆国】

・コロンビア特別区 首都ワシントンD.C.

・ワシントン州 ハンフォード・サイト

・ニューメキシコ州 アルバカーキ

・ユタ州 ホワイトメサ

・ネブラスカ州 オマハ


【日本】

・関東地方 東京都 千代田区

・中部地方 福井県 高浜町

・四国地方 愛媛県 西宇和郡伊方町


以下省略――(欧州地域等多数 総数32地点)



 明滅した標的となる都市数の多さに愕然としたレオナルドは眉間に深い皺を刻んだまま、幾度か首を横に振って沈黙するしかなかった。

 苦悶の息を漏らしながらハワードは言う。 

『共和国の狙いは至って単純なものと見受けられ、核関連施設、或いは原子力発電所、及び軍事拠点や首都といった地域を標的としているものだと推定します』

 その声に、レオナルドと膝を突き合わせて座るラーニーが応える。

「ホワイトメサ。アメリカにおける唯一のウラン製錬施設―― そして、オマハが標的に入っているのは間違いなくオファット空軍基地の壊滅を狙ってのものでしょうね」

『そう考えるのが自然です。アメリカ合衆国の危機的状況に際して運用される、ナイトウォッチが4機ほど配備されているのは民間においても有名な話ですから。共和国はもっと具体的な情報を持った上で攻撃対象に選定したに違いありません』

 2人の会話に相槌を打ちながらレオナルドは言った。

「国家空中作戦センターか。あの機体は核攻撃によって発生する電磁パルスを無効化する為のシールドが装備されているという話だったな。核戦争を想定して配備された機体。使用されること無く済むのであれば、どれほど良かったことか」

『まだ、投入されると決まったわけではありませんが…… しかし、この情報は既にアメリカ軍司令部へも伝達していますから、間もなく動き出すことは必至でしょう』

 すると、話をラーニーのすぐ傍で聞いていたシャーロットが言う。

「アストライアーやアストライオスから、核ミサイルが発射される前に対処する手立てはないのでしょうか?」

『共和国本土の状況はご存知の通り、現艦隊戦力では近付くことすらままなりません。そして、マリアナ海溝のアストライアーに至っては、例の原潜アンフィトリーテによる鉄壁の防衛網が敷かれています』

 返答を聞いてラーニーが言う。

「世界中の艦隊戦力を総動員して実施したノアの箱舟計画。その艦隊群も既に9割を喪失。太平洋方面に残されているのはオセアニア地区に残存する少数の艦隊戦力と、メタトロンを護衛する艦船群のみ。これらを施設の破壊に向かわせたところで間に合うはずもなく、攻撃を加えようものなら返り討ちに遭うのは目に見えている、と……」

『最初から分かり切っていたことです。故に、この状況を打破する手立てが万に一つでも残されているというのであれば、それは――』

「彼らに賭けるしかない。特に、マークתのイグレシアス隊員にな。彼らがダモクレスの剣とならんことを」

『はい』

 理想の成就を目の前にした共和国を挫く、彼らにとっての脅威。リナリア公国の忘れ形見達が集う連合国にとっての切り札。

 故事を引用して祈りを口にしたレオナルドにハワードは静かに短い返事をした。

 その後に続く言葉はない。


 レオナルドとラーニー、そしてシャーロットは視線を別のホログラフィックモニターへ向ける。

 そこには、共和国近海で繰り広げられる壮絶な海戦の状況を表す文字が絶え間なく綴られていく。

 だが、どれほど目を凝らして文字を見据えてもマークתやリナリアの忘れ形見達に関する情報は流れて来ない。

 祈ることしか出来ないというのは、なんともどかしいことか。

 黙して願う。ただひたすらに。

 それだけが、この場に集う自分達に許された行いだ。


 そんな中、皆の悔しい心中を代弁で吐露しつつも、状況が好転するだろうという確信を持ったかのようにラーニーが言う。

「出来る限りのことはしました。手は施し、考え得る最悪の事態への備えも同様に。これより先も、我々はこれまでと同じようにただ彼らの無事を願い、祈ることしか出来ません。ですが、僕は信じています。可能性を信じた彼らが、この脅威を乗り越える道を示してくれることを」

「私も信じているわ。イベリス達なら、きっと」

 セルフェイス財団の2人の言葉を聞いたレオナルドと、ホログラフィックモニターの向こうに佇むハワードも静かに頷く。


 レクイエムに綴られし、怒りの日。

 マリアやプロヴィデンスの言を、ダビデやシビュラの予言とするならば、彼女らの瞳にはこの結末が、如何な未来として映し出されているのだろうか。

 核兵器によって、世界が灰燼に帰す日。グラン・エトルアリアス共和国という歴史の審判者が顕れ、歴史が重ねてきた罪の全てが厳格に裁かれるとき――

 世界が目にする恐ろしさとは、間違いなく過去の歴史上において誰も目撃したことのない規模のものになるだろう。


 しかして、そうした危機を未然に防ぎうる彼らの力があれば、必ずや――



 だが、この場においてただ一人。

 レオナルドにはどうにも拭い去ることの出来ない不安があった。

 考えれば考えるほどに思う。ダビデとシビュラが映し出す未来は同一のものであるのだろうが、予言の花と呼ばれる彼女とプロヴィデンスが映し出す未来はおそらく“違う”のだと。


 2週間前のあの日、確かに見たのだ。

 プロヴィデンスはただひとつの例外もなく事実を映し出したが、“ただひとつだけ予測できない未来が存在する”という事実も同時に映し出していた。



天地創造:第六日目 →〈対象:不明〉〈検証要素:海の星の聖母〉

 ERROR:Data deficiency

 地…生物を種族に従…家畜…這うもの…〔地の獣〕…

 神の形に…人の創造…従属、統治

 預言者…右手…額…刻印…獣の名、或いはその名の数字を示…知恵…

 §,666…無原罪懐胎、受胎告知、AI……deus ex machina…


 Reference data:A world that doesn’t exist〈存在しない世界〉




 プロヴィデンスが示した【存在しない世界】とは間違いなく彼女のことを示している。

 ヨハネの黙示録を彷彿とさせる言葉の切れ端の数々。“存在しない世界”とは、人智が夢に見て永劫に叶うことの無い理想郷〈千年王国〉と新たなる王都エルサレムを示すのではないのか。

 レオナルドの脳裏には、美しい赤い瞳を輝かせる少女の顔が浮かぶ。

『マリー。君が先日、イグレシアス隊員に約束した契りを守り抜くことを私は願おう。絶大なる権威と権力と、その身に与えられた大いなる力。それらを自らの理想の為ではなく、今この世界を生きる人々の為に使うということを』


 もし仮に、そうならなかったとしたら――


 審判者によって、全てが厳格に裁かれるときの恐ろしさというものは、目の前にある核兵器の恐怖とは全く異なる、誰も想像すら出来ないものになるのではないか、と。

 そう思わずには、いられなかった。



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