*5-2-5*

 陽のある時間だというのに視界はほとんど真っ暗闇に閉ざされている。

 常ならボールト天井に埋め込まれたステンドグラスに陽光が差し込み、実に幻想的な光の芸術が堪能できるアンヘリック・イーリオンの玉座の間ではあるが、厚い雲と兵器が焚き上げる黒煙によって光という光のほとんどが遮られた今という状況下でそれを見ることは叶わない。


 玉座の間〈ローズ・オブ・ウィル=スローネ〉。

 荘厳なる聖堂の中心で赤紫色の煙がほどけ城塞の支配者が姿を顕す。

 中央指令室からの転移によって、玉座の間へと舞い戻ったアンジェリカが指を弾き鳴らすと、君主の想いに呼応するかのように周囲に取り付けられた蝋燭型のLED照明が奥から一斉に点灯を始め、淡い黄金色の光が権威の象徴たる神域聖堂を神々しく照らし出した。


 アンジェリカは自らの指定席である玉座へと向けて歩みを進めるが、明るさを取り戻した玉座の間において“自分より先にいた者”の姿を視界に収めた。

 玉座へと向かって、祈りを捧げるかのように深く伏していた美しい女性はおもむろに顔を上げる。

 彼女は後ろを振り返ると、今にも泣き崩れそうなほどの不安の表情を浮かべてアンジェリカへ駆け寄ろうと足を数歩踏み出すが、すぐに思いとどまって再び深く礼をして首を垂れた。

 極限の状況下において、私情より忠道を選び取った愛すべき臣下の姿を見て取ったアンジェリカは満面の笑みを湛えて言う。

「良い良い☆ 水上艦隊の指揮、お疲れ様ぁ☆ シルフィー^^」

 そうして無邪気な面持ちでシルフィーへと歩み寄るが、対する彼女は顔を上げるや否や溜め込んできた想いを爆発させるが如く、縋るように迫りながら言ったのだ。

「あぁ、アンジェリカ様、アンジェリカ様! 御身が御無事でなによりでございます。ネメシス・アドラスティアに対する、あのような益体無きものの実行を阻止できないなどと―― 申し開きのしようもございません。この不始末はわたくしの手で必ずや……!」

 しかし、笑みの上に笑みを重ねるようににこりと笑って見えたアンジェリカは軽い言葉で返事を返した。

「良いの良いの~☆ シルフィーは何も悪くないんだからさ? あぁ、でもお気にの艦が壊れちゃったのはショックぅ´・・` 皆が作ってくれたかっこいい艦体がボロボロになっちゃった」

 身内の裏切りに対する言及だけを意図的に逸らしたアンジェリカの反応に違和感を覚えつつ、シルフィーは報告を続ける。

「リカルドよりアンジェリカ様が退艦なされたと聞き及んだ後、第4海中ゲートへネメシス・アドラスティアを誘導いたしました。現在は中央格納庫にて艦体の収容を完了しており、既に修復作業にかかっているとの報告も受けております。時機にリカルドもこの玉座の間へと参るでしょう」

「そっかー、さすがの手際☆ でーもー、あれだけ派手に壊れちゃうと修復に相当時間かかるよねー? その間はアンティゴネに頑張ってもらうしかないけどもー」

「はっ。残存のアンティゴネ2番艦と水上艦艇群にて連合艦隊に対する足止め、及び掃討作戦を展開中でございますれば。戦局が長引けば不利となるのは連合国側。故に、意図的な拮抗状態の継続と維持を目的としておりますが、現状で連合艦隊のおよそ8割は既に戦闘継続不能、或いは撃沈という状況です。海戦の行方に関する心配は御無用かと存じます」

「あー、ね? でぇもー、サンダルフォンは仕留め損なっちゃった´・・`」

「アンジェリカ様が事前におっしゃられた通り、あの船は想像を遥かに上回る戦闘能力を有しておりました。しかしながら、当該艦艇よりリナリアに所縁を持つ者達を乗せたとみられる航空機が発艦したのを確認しております。彼女らが艦を離れたのであれば、あの船も既に恐れるに足りぬ存在になったと言い換えることもできましょう」

「私の予想だけどー、多分アイリスがサンダルフォンに残ってるぅ。カローンを差し向けても駄目だろうし、あの船の為だけに例の3隻を防衛線から離脱させるわけにもいかないしー? 確かに脅威ではないけれども、沈めるのはちょっと難しいかもしれないねー。そう考えると退かず圧さずの拮抗状態維持はやっぱり妥当な判断だねー☆」

 アンジェリカは自身の目の前で跪き、不安げな表情を見せるシルフィーの頭を撫でながら言う。

「多分、万事抜かりはないと思うけれどー、城塞防衛の任は貴女に預けるね☆ シルフィー♪ 彼らは既に中央庭園に降り立って、この玉座の間を目指してる頃合いだと思うんだー。だーかーら☆ ここに辿り着く前に、道中で遊んであげると良い良い☆ リカルドとアビーにも同じことを伝えるからさー」

「承知いたしました。恐らくですが、彼らが一丸となっている内の道中における警戒及び迎撃の実施に意味はないでしょう。神域聖堂にて個々を迎え撃つのが得策かと」

 シルフィーはアンジェリカの言わんとする内容を汲み取り、顔を伏して命令を受諾した。


 アンヘリック・イーリオンの中央庭園から玉座の間へと至る為には必ず通過しなければならない場所というものが存在する。

 中央大正門より、どんな道筋を辿ったとしても通過を余儀なくされる経由地点、“神域聖堂”と呼称される場所が城塞内には4か所存在する。


【ノースクワイア=ボレアース】

【イーストクワイア=エウロス】

【ウェストクワイア=ゼピュロス】

【サウスクワイア=ノトス】


 名称が示す通り、城塞の東西南北に位置する大聖堂である。

 これらは玉座の間〈ローズ・オブ・ウィル=スローネ〉へと至る神域として、不変なる掟-テミスの4人が守護を司る。

 城塞のそうした構造を踏まえた上で、先のアンジェリカの言葉を指示に置き換える吟味するならば、テミスの残り3人をそれぞれの聖堂に配置して迎え撃つべきだと考えるのが妥当といったところだ。

 ただし、この内1つの神域聖堂は他の3聖堂とはまったく趣が異なる構造となっている。

 その場所とはアビガイル専用の研究室を指し、それは確かに玉座の間へと至る道筋に存在する聖堂の1つではあるものの、実質として総数に数えるべきかというと悩ましい。

 そうした疑念が浮かぶ場所であるが故に、アンジェリカは一考の後に言う。

「神域聖堂での迎撃。理に適ってるとは思う☆ でもな~…… アビーは言うこと聞くかなぁ? 動くの億劫だって言って全部アムブロシアーやドローンに警護を任せるんだろうなー……」

 アンジェリカはスナギツネのような表情で遠い目をしつつ、悩ましい唸り声を発して思案を続けていたが、すぐに開き直るようにして言った。

「うーん>< ま、いっか☆ なるようになる! そうだねー☆」

 答えを聞き届けたシルフィーは躊躇いがちに言う。

「差し出がましいようですが、アンジェリカ様。今、貴女様の未来視ではどのような景色が捉えられているのでしょうか?」

 アンジェリカはぴくりとした反応を見せると、俯いて言ったシルフィーの頭を撫でる動作を止めて腕を下ろし、彼女のすぐ傍を通り抜けて玉座へと向かいながら答えた。

「それがねー? ぼんやりとしていてうまく視えないんだよねー。多分、向こうにマリアやロザリア、フロリアンがいるからだと思うんだけどさ? 今のところ、幾手かに分かれて此処を目指すんだろうなっていうことくらいしか分からないかなー」


 アンジェリカはやや声のトーンを落としながら言った。そんな彼女の異変を見逃すはずもなく、しかして深い言及をするわけでもなくシルフィーは言う。

「左様ですか」

 ただ、込み上げてくる不安感を拭い去ることが出来ない。

 常日頃なら、これ以上の言及などしなかっただろう。明らかな不快感を示す君主に対し、追い討ちをかけるような真似など以ての外だからだ。

『されど、今は――』

 決意を固めたシルフィーはその場で立ち上がると、アンジェリカの後姿を見つめながら言う。

「お気に障られたら申し訳ありません。リカルドより、アンジェリカ様が体調を崩されているとの報告を受けました。ネメシス・アドラスティアのブリッジで唾を呑み込めずに吐き出してしまわれるほどに苦しまれていたと」

 意を決して伝えた言葉。ところが、言われた当人であるアンジェリカの反応は実に意外なものであった。

 アンジェリカは脚を止めると、くるりと振り返って言ったのだ。


「ん~? 私が? 苦しそうにしていたの?・_・」


 シルフィーは表情を曇らせた。

『ご自身の不調に、お気付きでない? なぜ、そのような――』

 きょとんとした表情で、まるで本当に心当たりなどないという様子で語るアンジェリカを前に、シルフィーは困惑を隠せずに言う。

「はい。貴女様のことについて、リカルドが虚偽の報告をするとは思えません。故に、事実であるかと考えた次第にございます」

「そっかー。そうなの? そんなことはないと思うんだけども。でもね、実のところネメシス・アドラスティアが派手に壊れ始めた辺りから城塞に戻るまでの記憶がほとんどないんだー」

 シルフィーは言葉に詰まった。

 記憶がない? まさか――

「サンダルフォンを“さぁ沈めてしまおうかー^^”って意気込んでー、バイデントを撃とうとしたところで大きな爆発があってね? その後のことはなーんにも。ネメシス・アドラスティアが大変なことになって見た目もボロボロになっちゃったっていうのは分かるんだけども☆ あぁ、思い出すとしょんぼりしちゃう;; お気にの船がー!」

 アンジェリカから紡がれる言葉を理解するのに時間を要したが、シルフィーはある一つの結論に辿り着いた。


 その間のことは全て、アンジェリーナ様が……?

 なぜ? なぜ、意識共同体であられるはずのアンジェリーナ様がアンジェリカ様に隠し事をするような真似を――


 シルフィーは敢えて話の腰を折るように言う。

「この数か月、気に掛っていたことがございます。アンジェリカ様がイングランドとドイツからお戻りになられてからというもの、総統としての責務を果たされる中で、かなり気を張り詰められていた様に感じておりました。それ故か、好物であられるはずの“バニラ”アイスにすらほとんど口を付けられている様子もなく、何かわたくし共の意識の及ばぬ懸念などを抱えられているのではないかと……」

 だが、その言葉はアンジェリカの琴線に触れた。

 シルフィーが“バニラ”という単語を発した瞬間、アンジェリカの表情から穏やかな笑みは一瞬で消え去り、顔からさっと血の気が引いたような明らかな動揺が示されたのだ。

 アンジェリカは再びくるりと玉座の方へと振り返ると、ゆったりとした歩調で歩みを進めながら言った。

「きっと。きっと、シルフィーの気にし過ぎなんだなー、そ・れ・は☆」

「アンジェリカ様、何か懸念を抱えていらっしゃるのであれば、わたくしめにお話しいただけませんか? わたくしはアンジェリカ様の御役に立つことが出来るならば何だって――」


 シルフィーがそこまで言った時、ふいに周囲の空気がざわついた。

 ほんの一瞬ではあったが、これまで感じたことも無いような殺気にも似た重圧が周囲を包み込んだのである。

 暗く、冷たく、冥府の底から亡者たちが呻きと絶叫を浴びせて来るかの如く苛烈な波動。

 その空気の重たさはコンマ数秒という一瞬の内に過ぎ去っていったが、シルフィーに言葉を飲み込ませ、言動を遮るには十分過ぎるほどのものであった。

 アンジェリカは玉座へと繋がる階段の中腹で後ろを振り返り、にこりと笑ってみせながら言う。

「考え事がいっぱいあるだけー☆ なんでもない☆ ない☆^^」


 気付けば、その頭上には棘の突き出る輝かしき光輪が浮かび、背には光の翼が顕現している。

 呆然と立ち尽くすシルフィーにアンジェリカは言う。

「そうそう、さっきのお話なんだけどねー? 不始末の後片付けはもう済ませちゃったから気にしなくて良い良い★

 テミスの“3人”が頑張ってくれたならきっと道は開ける。そして私達が夢に描いた理想は成就する。だ・か・ら、ね? シルフィーは何も不安を抱くこと無く、これから起きる舞台での出来事を楽しめば良いだけ、なんだよ?★」

 満面の笑みが浮かべられてこそいるが、その声に慈悲や慈愛の類などは欠片も無い。ただひたすらに冷酷に、ただひたすらに目的の達成の為にだけ。

 余計なことを語るな。黙して己の為すべき務めに専念するべきだ。アンジェリカは暗にそう告げていた。

 シルフィーは言いかけた言葉を改めて全て呑み込み、深く礼をしてただ一言を述べた。

「承知いたしました」

 するとアンジェリカは赤紫色の煙を霧散させ、玉座へと瞬間転移して着座したかと思うと満足そうに二度ほど頷いて言う。

「よろしい☆ 貴女には、理想の世界の生誕を私のすぐ傍で見届けて欲しいと思ってるんだー☆ もちもち、リカルドも一緒に、出来ればアビーも一緒に。あの子が望むのなら、ね?

 というわけで、玉座の間を目指してアンヘリック・イーリオンへ侵入してきた不届き者を追い返そう☆ 殿中でござるぅ、殿中でござるぅ^^」

「はい。では、侵入者の排除へと参ります。アンジェリカ様の御手を煩わせることなどありません。全員をこの手で」

 シルフィーは言葉を言い終えると共に頭を上げ、後ろへ振り返り己の目指すべき場所へと歩み出そうとしたが、アンジェリカがそれを制止して言う。

「全員を? あ、そうそう。神域となる聖堂で不届き者と出会ったら、みんな殺してしまって構わないんだけどー、イベリスと玲那斗とフロリアンの3人だけは出会ったとしても見逃すように☆ 真っすぐに玉座の間に通して良き☆ 彼らには私から直々に“お話”をしつつ、直々に相手をして差し上げなくちゃいけないからねー」

 狂気を隠し秘めた無邪気な笑みを湛える少女を頭上に見上げ、シルフィーは再び深々と礼をしながら言った。

「全ては、アンジェリカ様の御心のままに」


 そう言い残したシルフィーは翡翠色の煙を霧散させながら忽然とその場から姿を消し去る。

 マークתとリナリアに所縁を持つ者達が足を運ぶであろう、己に与えられた城塞の守護神域である大聖堂へと向かう為に。




 そうしてシルフィーが玉座の間を去った後のこと。

 一人、玉座の間に残ったアンジェリカは軽く息を吐きながら笑みを崩すと、顔を俯かせて遠くをぼうっと見つめながら物思いに耽るのであった。



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