第5章 -怒りの日-
第1節 -人倫の象徴-
*5-1-1*
怒りの日
その日はダビデとシビュラの預言のとおり
世界が灰燼に帰す日である
審判者が顕れ
全てが厳格に裁かれるとき
その恐ろしさはどれほどのものであるだろうか
レクイエムに紡がれる怒りの日。
世界連合とグラン・エトルアリアス共和国の間にて、ついに火蓋が切って落とされた最終決戦は、世界が長きに渡る歴史の中で積み重ねた罪の行く末を決定づける最後の審判である。
地上に生きとし生ける全ての生命の罪を計り、浄化と新たな旅立ちを約束するか――
或いは永劫の責め苦を与えるのか。
その全ては共和国の王たる少女の御心のままに。
人がどれほど自らに罪はないと高らかに謳おうと、信仰を示そうと意味はない。
生を叫び、強く想い願おうと彼女の心は頑なにそれを否定する。
この世界が受けるべき愛の形は、ひとつしか有り得ないのだと。
神罰を与えようとする王が、全ての死せる信仰者の霊魂を罪のほだしより解くことは無く、彼らが王の聖寵の助けによって、刑罰と裁きの宣告をまぬがれることも無い。
ましてや永遠の光明の幸福を享受するに至ることなどあるはずがない。
なぜなら少女にとって“積み重ねられた罪を罰すること”……
それだけが人々に与えるべき“唯一の愛”であり、それこそが自らの“唯一の存在意義”であり、そして――
*
晴れ渡る海を黒く分厚い雲が覆い始める。
どこからともなく現れた雷雲は、今まさに空と海とで一騎打ちの姿勢を見せるネメシス・アドラスティアとサンダルフォンの戦いにおける道行きの暗さを示すかのようであった。
睨み合う両艦艇の周囲では既に連合軍、共和国軍の水上艦艇同士の間で激しい戦火が繰り広げられている。
空に照射される幾重にも渡るオレンジ色の火線。
雨のように降り注がれるミサイル群。
黒煙を噴き上げながら撃墜される航空機。
火柱を立ち昇らせる艦艇。
地獄の底から響き渡る、断末魔の如く。
けたたましい叫びと悲鳴が入り乱れ、多くの犠牲が重ねられる戦乱の最中、睨み合ったまま静寂なる対峙を続ける義憤の女神と預言の大天使。
そして今――
各砲座に火が灯る。
互いに照準を定めた両艦艇の砲塔から、2隻の開戦を告げる光が一斉に放たれようとしていた。
待ち望んだ時が来た。
これまでの全てに対する結末を、決着を、終焉を。
自らの抱く理想の正しさを証明する為に、世界の間違いを正す為に、重ねてきた罪を裁く為に――
千年前に自らを救うことの出来なかった“正しさの象徴”を討ち果たす時が来たのだ。
ネメシス・アドラスティアのブリッジ、艦長席に座するアンジェリカは再び無邪気な満面の笑みを湛え、拳を突き上げながら楽し気に言う。
「一斉射撃ぃ☆ 撃てー! ラッシュ! ラッシュぅ~☆」
掛け声と共に二連装レーザー砲〈カドゥケウス〉と極超音速ミサイル〈ヒューペルボレア〉が放たれ、艦艇に装備された合計10基のCIWSが対空迎撃の火線を張った。
ほぼ同時に、ネメシス・アドラスティアの周囲に浮遊するアイギスに赤い閃光が走る。サンダルフォンから放たれたレーザー砲を反射したのだ。
さらに直後には艦体を風が圧すような振動が断続的に発生し、黒煙を噴き上げながら海上へ墜落していくアイギスの残骸も確認出来た。おそらくはサンダルフォンの電磁加速砲一斉射によって撃ち落とされたものだろう。
他に、他国艦船から射撃されたものであろう弾道ミサイルをCIWSの火線がそのことごとくを撃墜していく様も見て取れ、アイギスの損壊やミサイルの破壊によって立ち昇った煙が前方の視界を塞ぎ、サンダルフォンの姿も攻撃によって発生した水柱と煙によって遮られる。
「きゃははは☆ 揺れる揺れるぅ~^^ 煙ぃ! 何も見えなくなったー☆」
視界から互いの姿が一時的に見えなくなる中、遊園地のアトラクションを楽しむようにはしゃぐアンジェリカの正面で状況の把握に努める兵士達から報告が次々と上がった。
「敵艦、レーザー砲及び電磁加速砲を射撃。本艦へのダメージはありません」
「アイギス損害率25パーセント。尚も上昇中。一部反射板にてオーバーヒートを確認。排熱追い付きません」
報告を聞いたリカルドが言う。
「アイギスを艦前方に集中させろ。オーバーヒートしたミラービットは全て対物理防御モードへ移行。オートコントロール」
艦長席で相も変わらず愉快そうな笑みを見せるアンジェリカは言った。
「ねーねー、こっちが無傷なのはともかくとして~☆ サンダルフォンの被害はどんな感じかなー? きっとぼっこぼこになってると思うんだー♪ ねーねーどんな感じ?^^」
先の攻撃によってどれほどの被害を受けたのか。遮られた視界が晴れた瞬間に望んだ光景が見られることを楽しみに待つ無垢な子供のように。
しかし、アンジェリカのそのような思惑とは裏腹に、晴れた煙の先に広がっていたのは予想もしていない結果であった。
自身の目で目撃したものについて、言葉を詰まらせながら兵士は言う。
「敵艦…… サンダルフォンは無傷にて健在」
「あはははは! やっぱりそうだよね―― は?´・・`」
きょとんとした真顔でアンジェリカは嘆息に似た息を漏らす。
大気に巻き上げられた煙を振り払い、視界を確保したネメシス・アドラスティアの先では、超常の風の力によって煙を振り払うサンダルフォンの姿が捉えられるが、その姿は確かに報告通り傷一つついていないように見えた。
「バイデントだけでなくカドゥケウスも? 多角的なレーザー砲撃をも無効化するような防御兵装が、あの艦には備わっているというのか?」
冷静に状況を分析しようとするリカルドのすぐ傍で、膨れ顔のアンジェリカは目を細めてスナギツネのような顔をしながら不満を露わにした。
だが、すぐに冷徹な表情で敵対する艦船をじっと見つめ直し、謎とされた防御兵装の正体を見破って言う。
「――アイギス。あの艦にもアイギスに似たものが備わったのね。プロヴィデンスを通じて少し情報を与えすぎてしまったかしら?」
アンジェリカの言葉を受け、ブリッジに拡大された光学映像が表示される。
映し出された映像ではサンダルフォンの周囲のみならず、連合艦艇をうまく覆うように浮遊する無線誘導型ビットデバイスが見て取れた。
「あれは、ミラーシステム? あれがアイギスと同じ役割を果たしたと?」
リカルドは戸惑いの声で言う。
浮遊するビットデバイスの動きと働きをよく観察してみると、ネーレーイデスから断続的に射撃されるレーザー砲の悉くを無効化しているように見える。
「密な無線ネットワークを構築し、本来は比類なき調査の為にだけ活用されるビットデバイス。それを戦術的運用が可能なように、イベリスの力で干渉をしているということでしょう。レーザー光の入射角と反射角の緻密な計算が必要な業であっても、プロヴィデンスと直接リンクされている状況であればどうということはない」
「我々の技術盗用…… アイギスの概略を見ただけでそこまでのことを為してしまうとは、本当に恐ろしいものです」
連合艦隊が未だにほとんど被害を出さずに進撃を続けることが出来る理由、先の大出力ビーム砲〈バイデント〉を防ぎ切った根底にあった仕組み。
イベリスがプロヴィデンスから得た情報を元に“共和国側と同等の装備を整えた”が故の功績。
ようやく一連の事象に答えを見出したアンジェリカは次の手に打って出るべく、余裕の笑みを湛えながら指示を下す。
「An eye for an eye and a tooth for a tooth――〈目には目を、歯には歯を〉。と言いたいところだけれど、同じことの繰り返しでは埒が明かないわね。であれば、私達にしか出来ない戦略へ舵を切るのが妥当。リカルド、艦砲指示を任せる。通信兵、中央管制のシルフィーに伝達なさい。カローンの攻撃プログラムをインダイレクトへ移行するようにと」
「はっ! 中央管制のシルフィー様へ伝令します」
兵士の返事に続き、アンジェリカの意図を汲み取ったリカルドが指示を下す。
「アンティゴネを先行させろ。サンダルフォン周囲の艦船に対する攻撃の手を緩めるな。ミサイル発射管全門、クラスター弾頭ヒューペルボレア装填と同時に放て。こちらへ飛来するミサイルや敵戦闘機の対空防御も怠るなよ。ケラウノスの発射タイミングをオートコントロールへ移行しておけ。面制圧を徹底しろ」
「ミサイル発射管全門、クラスター弾頭ヒューペルボレア装填、射撃開始します」
「ケラウノス、オートコントロール」
「アンティゴネ、先行します。アイギス -ミラージュ・クリスタル-稼働率80パーセント。特定の対象を照準としない連合本隊水上艦艇群に対する攻撃を継続」
「カローン、発進シークエンス。攻撃モードプログラム、インダイレクトへ設定」
「敵艦、シャルル・ド・ゴール、ドリス・ミラー、エンタープライズより新たに艦載機の発艦を確認」
兵士の報告に対し、リカルドが言う。
「発艦するカローンに迎撃を命じろ。敵空母に対する副次的な土産も忘れるな」
「パンドラをカローンに積載。置き土産の準備は万全です。すぐに迎撃に向かわせます」
「メリッサ、プシュケー、アラクネー、戦闘ステータスでの起動を確認。モード:ジェノサイド。パンドラ開放と同時に行動開始します」
「カドゥケウス発射スタンバイ、射線軸上の友軍機は退避せよ。繰り返す、射線軸上の友軍機は即時退避せよ」
「中央管制より返信、カローン攻撃プログラムをインダイレクトへ設定。トリートーン、ロデー、ベンテシキューメーにてポイント:ゼータの制圧を行うとの報」
「ネーレーイデス艦隊群、防衛ラインを再構築し押し戻しました。先遣艦隊を追い込みます」
「敵本隊の損害拡大。アンティゴネの攻撃により、全体のおよそ30パーセントが戦闘継続不能な模様」
指示に合わせ、連合水上艦艇群に対する攻撃が絶え間なく行われる。
その報告の最中にも敵艦から発砲されたレーザー砲やミサイルの砲火が絶え間なくネメシス・アドラスティアの周囲で爆発の光を灯す。
全てアイギスによって防がれてはいるが、ミサイル爆発の振動は容赦なく浮遊する艦艇の船体を揺らした。
爆発と爆風によって僅かに左に傾いた姿勢を即座に立て直す為に、絶えずバーニア噴射による姿勢制御が行われる。
「左舷バーニア噴射。姿勢制御、オートコントロール。本艦、融合炉稼働率80パーセントに達します」
すると、それまで戦況を見守りつつ何かを吟味するように思考していたアンジェリカが、何かに思い至ったように言う。
「バイデントの再チャージ率はどの程度かしら?」
「はっ、現状40パーセントの出力で射撃が可能です」
「足りないわね。私の力も貸すわ。融合炉の稼働率を引き上げ、バイデントのチャージを加速させなさい。照準、サンダルフォン。アイギスもどきがあるなら、貫通させてでも直撃させなければ足止めすら出来ないでしょうから。この一撃で砲身が焼け付いても構わない。今度は最大出力で正面から撃つわよ」
そっと瞳を閉じ、大きく息を吸ったアンジェリカは笑みを潜め、再び瞳を開けて真剣な眼差しでサンダルフォンを捉える。
アスターヒューの美しいアースアイが鮮やかに光り、彼女の頭上には不規則に回転しながら棘を突き出す天使の光輪が浮かび、背中には輝かしい光の翼が顕現した。
『イベリス。貴女はその力を以てまで、今の無為な世界の継続を望む者の為に身を呈して戦うというのね。願い、祈り、想い。愚かな不定の可能性などというものに縋る貴女が、可能性を排除し、力あるものにだけ都合の良い世の中を実現しようとし続けてきた人間達を救おうなどと。行き過ぎた献身も憐れなもの。とんだお笑い種だわ』
光があるところには必ず影が落ちる。
輝かしい理想を語る者の背後には、暗い現実を担う者の姿がある。
どちらか一方のみで成り立つ世界など有り得ず、たとえ表向きに見えなくとも両者の均衡によって安定が保たれてきたことなど自明の理。
現実を直視してこなかった者の語る蒙昧な“可能性”と、千年に渡り現実を直視してきた者の語る“必然”。
暗い影だけを背負ってきた者が放つ、憎しみの光をその目に焼き付けるが良い。
長きに渡る葛藤も、言葉無き対話によっていよいよ決着の時を迎えようとしている。
『今この瞬間にも、プロヴィデンスが知識として与えてくれているのでしょう? 人類が積み重ねてきた罪の重さというものを。歴史が証明している人の過ちを。何が正しくて何が間違っていたのか。貴女はもっと理解すべきだわ。ここにある現実というものを』
アンジェリカが光輪と翼を顕現させると同時にネメシス・アドラスティアの艦体は黄金色の光に包まれる。そして艦の上方には巨大な2対の天使の輪が輝き、両舷には天使の羽を思わせる形状をした光の翼が顕現した。
ブリッジにも黄金色の光の粒子が満ち、まるで天界を思わせるかの如く荘厳な空気に支配される。
それは見た目や場の様子に限らず、戦艦自体にも大きな変化を与えるものとなった。目の前の制御パネルやホログラフィックモニターに表示される、唐突にもたらされた変化に戸惑いながら兵士達が言う。
「ネメシス・アドラスティアのパワーゲイン上昇、リミッター大幅に引き上げられます」
「バイデントへのエネルギー供給、最大速度で進行中。充填率100パーセントまで残り20秒。限界突破後、120パーセントまでチャージ進行します」
「艦体姿勢制御安定、エネルギーリソースを各種兵装に分散」
「オーバーヒートしたアイギスの排熱が完了していきます。既に損壊したビットを除き、他のビット全ての稼働が可能です」
驚愕の表情を浮かべつつも、自らが仕える主君の偉大なる力を前にしたリカルドは珍しく笑みを湛えながら声を震わせて言う。
「おぉ、おぉ。アンジェリカ様! これが偉大なる我らの王の力、我らを導く絶対の法!」
「あら、貴方が感情を露にするだなんて珍しいこともあるものね? 良いわよ、私達の本気を彼らに見せつけてあげようじゃない。元より可能性など無いということを、あの女に示してあげようじゃない」
そう言ってアンジェリカは艦長席から立ち上がり、右手を前に突き出して高らかに宣言した。
「正面突破によるサンダルフォンの撃沈。悪くないシナリオだと思ったけれど、気が変わったわ。あの女には、二度と立ち上がることができないくらいの精神的な絶望を与えた方がこちらの享楽にもなるというもの。バイデント、照準変更。目標、連合軍本隊右翼展開中の艦船群。アイギスによる発射角補正。薙ぎ払うわよ」
彼女の号令に合わせ艦首に備えられた二叉の砲塔が露出し、エネルギー臨界に達したことを示す、螺旋して巡るプラズマ発光が発射の時を待ち侘びるように砲身に絡みつく。
曇天に閉ざされた空からは陽光は届かず、暗がりに満ちた海上は燃え盛る真っ赤な大火と艦艇群からのオレンジ色の火線によって赤黒く染まる。
全方位モニターに映る、地獄絵図のような海上の彼方に見える連合艦隊に対し、アンジェリカは蔑みの視線を送りながら甘くゆったりとした口調で言う。
「さぁ、絶望の声を聞かせてちょうだい」
そうしてアンジェリカが前に突き出した腕を右に薙ぎ払う仕草をすると同時に、バイデントの砲身から赤い閃光が発せられ、破滅をもたらす憎しみの光が連合艦隊へと注がれるのであった。
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