*5-1-2*

 分厚い雲に遮られ、上空からの光が届かなくなった海上は薄暗さに包まれる。

 暗闇を灯すものといえば、機銃の火線や発射されたミサイルの閃光、海面で燃え盛る艦船群の炎や撃ち落とされた戦闘機の爆発の光といったものがほとんどだ。

 赤黒く染まる地獄絵図と呼ぶにふさわしい戦場。時折その一面を照らすのは、雷神の加護を受けた少女が繰り出す裁きの雷であった。

 大気を震わせる轟音とともに、数発の稲妻が上空に注がれる。目を眩ませるほどの閃光と共に、上空からは漆黒色を纏う戦闘機が数機墜落していく。

 共和国の戦闘機、カローンだ。


 ライトニングイエローの瞳を淡く輝かせる少女は肩で息をするように大溜め息をつく。

 墜落した戦闘機が海面に激突して立ち昇った水柱をサンダルフォンのブリッジから眺めつつ、不満げな表情を浮かべたアイリスは思わず愚痴をこぼした。

「次から次へと、きりがないわ。一体どれだけの数が飛んでいるのかしら」

「現状、122機ね。どの艦船から飛び立ったものかについて、内訳も必要かしら?」

「いらないわよ! 内訳を言う余裕があるなら、あれが飛んでくる方向を教えなさい。まとめて撃ち落としてやるんだから」

「目で見たものを信じると良いわ」

「あのね…… 視えないから頼んでるんでしょう?」

 システムハーデスによって、目視やレーダーで捉えることの出来ないカローンを勘だけで撃ち落とせということか。

 まるで噛み合わない話をするイベリスに苛立ちを覚えつつ、アイリスは本隊へと迫りくるカローンをかれこれ数十機は撃ち落とし続けている。


 トリートーン、ロデー、ベンテシキューメーという3隻の艦船に加え、ネメシス・アドラスティアとアンティゴネが戦列に加わってからというもの、共和国の攻勢への転じ方は実に苛烈なものであった。

 指揮官の座乗する共和国の象徴。敵の士気がこれ以上にないほど向上している様は戦場を照らす火を見るよりも明らかだ。

 今や先遣艦隊の8割は戦闘不能に追い込まれ、先陣を切っていた艦艇群は敗走するような針路を取りながら本隊への合流を試みている最中。

 そして、先ほどから戦闘へと加わった本隊もアンティゴネの奇襲によって既に早々と3割ほどの戦力を喪失してしまっている。

 対する共和国は増援として出現した6隻の援護を受け、正面に展開するネーレーイデス艦隊が着実に防衛線の再構築に成功しつつあるという状況であった。


 にも関わらず、隣に立つ王妃たる少女の反応といえば淡白なことこの上ない。

 優勢な盤面を物理的にひっくり返されたに等しい、目の前の状況にまるで動じることもなく、淡々と言葉を述べるイベリスを一瞬横目に捉えたアイリスだったが、苛立ちが加速するだけだと考えすぐに目を逸らした。

 その行動を見透かしたのか、ふいにイベリスが言う。

「貴女には視えるはずよ、アイリス。“目に見えるものだけが全てではない”。相手は電子機器の搭載された戦闘機。電磁界を作ることである程度まで敵の動きを掴むことは出来る。それに、近付く脅威を感じ取る力は貴女の専売特許でしょう?」

「簡単に言ってくれるわね…… 電子機器が搭載された戦闘機は向こうだけではないのよ? 味方に当てないように必死だっていうのに。でも分かったわよ、やればいいんでしょう。やれば! アヤメ!やるわよ!」

 苛立ちが頂点に達し、投げやりな言葉が口を突いて出る上に、平常心であれば決して口にだすことはない自身の中にいるアヤメに対する言葉も直接的に口から漏れ出てしまう。

『アイリス、冷静にいかなきゃ。状況に呑まれるわけにはいかないわ』

 プロヴィデンスとリンクしてからのイベリスの変貌ぶりに隠せぬ戸惑い。それが以前とは異なる苛立ちとなって表れてしまっている。

 アヤメの言う通り、状況に呑まれるわけにはいかない。冷静さを欠くことは即ち危険に直結し、多くの人命を死に至らしめることになるのだから。

『敵でいてくれた方が気が楽だとすら思うわ。けど、そうね。貴女の言う通りよ、アヤメ』

 アイリスは再び神経を研ぎ澄まし、雷神ナーンシャペより与えらし威光を天に輝かせる。そうして、上空へ絶えず飛来する冥界の渡し守たる漆黒の戦闘機を相手に落雷の嵐を注ぐのであった。


 2人のやりとりを見ていたフランクリンが言う。

「イグレシアス隊員、敵艦船群の動きが明らかに変わった。水上の3隻と空中の3隻が現れてからというもの、形勢とすればこちらが圧倒的に不利な状況に追い込まれているように見える。どのようにあれらを突破するつもりか聞かせてもらいたい」

 問い掛けに対してイベリスは振り向くこと無く、前方に広がる戦場の彼方を見据えたまま答える。

「共和国の戦線構築は最初から仕組まれたものだった。私達が有利なように見えたのは、そうなるように作り上げられた向こうの筋書きに沿ったものであって、最初から形勢に変わりなどないわ。

 この状況では全ての共和国艦船を討って突破することは無理でしょう。けれど、たった1隻に的を絞れば道を作り出すこともできる。なぜなら、共和国の動きは全て旗艦であるネメシス・アドラスティア、ただ1隻の状況によって左右されるとみて間違いないのだから」

「つまり、ネメシス・アドラスティアを後退させることが出来れば突破口を開くことが出来ると?」

「私はそう考えている。プロヴィデンスの答えも同じよ。突き詰めて言えば、ネメシス・アドラスティアの状況というよりは、この戦場における共和国の動きは全てアンジェリカの考え方によって左右される。

 一点突破しか道が無いとも言えるけれど、それしか道がないからこそ好都合であるとも言える。

 突破すべき対象は包囲網や防衛線そのものではなくアンジェリカであり、目標は彼女が座乗するネメシス・アドラスティアを後退させること。それだけが唯一の道標よ」


 フランクリンはイベリスをじっと見据えて思考した。

 彼女の言い分に間違いはないが、それが現実的な手段であるかといえばそういうわけでもない。

 共和国と連合艦隊の間には、どうあがいても埋めようのない歴然たる軍事力の差がある。それは艦隊の規模という話ではなく、一個の兵器それぞれにおける質の差という話だ。

 この場の海戦において、共和国側には最新鋭の水上艦船や航空機に加え、未だ他の国には持ち得ぬ技術で建造された空中戦艦もあれば軍事要塞もあり、しかも背後には核ミサイル発射施設まで控えているという状況である。

 考えたくもないことではあるが、どれほど優勢な戦況を構築しようと、共和国本土から核ミサイル1発を撃ち込まれればそれだけで全てが水泡へと帰すという如何ともし難き事実を覆すことなどできはしない。

 そうした歴然の差というものは、現状はイベリスの持つ能力やアイリス、アルビジアといった者達の能力でなんとか補っているというのが実情で、例えば今目の前を浮遊している無線誘導型ミラービットデバイスなどが好例だろう。

 元々サンダルフォンに搭載されていた調査システム用のミラーシステムは、今やイベリスの手によって“本来の運用目的とはまったく異なる目的”を担い運用されている。

 遥か彼方にて浮遊する空中戦艦群を取り囲む無数の反射板へ目を移し、フランクリンは数日前にマリアに言われた言葉を思い返していた。

『あれには本来とは違うベクトルでの使い道というものもある』

 今にして思えば、彼女の言葉の意味はつまりサンダルフォンのミラーシステムにおけるビットデバイスを、レーザー兵器などを反射する防御兵装として転用することを指していたのだろう。

 ネメシス・アドラスティアなどに搭載される防御兵装は確かアイギス-ミラージュ・クリスタル-という名称でプロヴィデンスに登録されていただろうか。

 アイギスという自立浮遊型のビットデバイスはレーザー兵器の指向を逸らす、或いは反射することを主目的としており、他には対物理防御までこなせるという近未来的な防御兵装だ。

 神話に語られる鍛冶神ヘパイストスの鋳造した無敵の盾アイギス〈イージス〉は、大神ゼウスより戦女神アテナへ与えられたものだというが、共和国の持つアイギスというシステムはまさしくその名を冠するに相応しい絶対的な防御性能を誇る兵装である。

 そのデータを参照したイベリスが自身の能力を活用し、見よう見まねで共和国の持つアイギスと同等の効力を発揮するように仕立て上げたものこそ、今のサンダルフォンのミラーシステムである。

 連合艦隊本隊の前方を広範囲にカバーし、敵艦船からのレーザー兵器の照射をことごとく防ぎきっている様子は驚嘆以外の何ものでもない。

 先にネメシス・アドラスティアより先遣艦隊に向けて発射された荷電粒子砲に対する攻撃をもほとんど完全に防ぎきってみせたのだから。

 このシステムをイベリスが自在に操る限り、共和国の艦船群といえどもそう容易くこちらに被害を加えることは出来ないと見られる。

 中には既に損害を被っている艦艇もあるが、それらは残念ながらミラーシステムの防御射程の届かなかった艦船群ばかりであることからも、この考えの正当性は確かなものだ。

 だが、問題はこうした状況をいつまでイベリスが維持できるのかというところにかかっている。

 イベリスやアイリス、アルビジアといった超常の力を持つ者が能力を十全に行使できる間は良いが、彼女達とて無限に能力の行使を継続できるわけではない。

 彼女達が限界に達した時が終焉の時。舞台の幕引きとなる。その刻限を以て連合艦隊は為す術無く共和国の前に敗れ去るだろう。

 しかも、共和国側にだってアンジェリカという人智を越えた力を持つ者がいるのだから、やはり埋めきることの出来る差では有り得ないというのが最終的に帰結する答えというものである。

 フランクリンはそうした考えを踏まえた上で再度イベリスへ問う。

「ネメシス・アドラスティアを突破すれば状況が好転するという見込みには賛同する。しかしながら本隊はもちろんのこと、サンダルフォンもそう長く敵の攻撃を受け続けることは出来ない。状況を打破する為には何かしらの強硬策も必要になるだろう」

「そうね。カローンを含めた敵の攻撃はアイリスとアルビジアが防いでくれるとして、問題はどのようにネメシス・アドラスティアを後退させるのかというところだけれど、方法は1つしかないと思う」

「こちらの“荷電粒子砲”か」

 フランクリンの言葉に、イベリスは正面を見据えたまま静かに頷いた。


 アンジェリカと通信による対話を行う直前、彼女の座乗するネメシス・アドラスティアに向けて放った一撃。

 あの射撃はサンダルフォンに元々装備されていた低出力レーザー砲を、イベリスの能力によって超兵器並みの出力が出せるように調整された砲塔から放たれたものである。

 彼女曰く、先の攻撃は最大出力で放ったものではないという。限界まで出力を上昇させれば、理論上はアイギスと呼ばれる無数の盾を貫通した上で、艦体そのものにダメージを与えることも可能だろうとも。

 ただし忘れてはならないことは、元々は“低出力レーザー砲”であるという点だ。大出力の照射に何度も砲身が耐えられるわけがない。無理を継続すれば、砲塔の崩壊によって自滅する恐れすらあるのだ。

 フランクリンは確認の意味を込めて問う。

「現実的に考えて、あと何回の照射が可能だろうか」

「最大出力で撃つならば1度きり。そうでなかったとしても2度までが限界だと思う」

「なるほど。あの艦を後退させる機会はたった1度ということだな」

「案ずることはないわ。“その時は、必ず来る”」

 プロヴィデンスの演算による未来予測か、果ては彼女の勘なのだろうか。

 目の前に立つ少女の瞳には、あの恐ろしい空中機動戦艦を後退させる道筋が立てられているという。

 であるなら、彼女を信じて賭けるしかない。元より、それ以外に道はないのだから。


 戦場は混迷を極め、今こうしている時でもアンティゴネの攻撃により本体の最右翼側に展開している艦船群は甚大な被害を被っている。

 ネメシス・アドラスティアから発射される大量のミサイルがサンダルフォンの周囲にも降り注ぐが、それらは甲板上で力を行使しているアルビジアが全て迎撃してくれているようだ。

 爆風による艦体の激しい揺れこそあれど、直接的な被害が生じている様子ではない。

 カローンについてもアルビジアが直上への接近を牽制し、動きが鈍ったところをアイリスが雷撃によって仕留めるという連携によって食い止めることに成功している。

 あとは目の前の少女、イベリスがどのタイミングでネメシス・アドラスティアに仕掛けるのか。それが全てだ。


 フランクリンは、その時が訪れるまで防衛戦に徹する必要性を見出し、イベリスから視線を外す。そうして艦の動きについて指示を下す為に正面の戦場を再び見やった時、それまでカローンの迎撃に集中していたアイリスがふいに言った。

「何? あれ」

 直後、隊員から報告が上がる。

「艦長、敵軍に動きがあります。上空を飛行中のカローンですが、システムハーデスによる隠匿を解除した模様です。同時にこれまで確認出来ていなかった反応が見られます」

 フランクリンだけではなく、ブリッジのほとんど全員が空へ目を向ける。

 遠くに飛行するカローンの漆黒の機体表面には虹色の幾何学模様が浮かび上がり、機体の下部からは小型の飛行艇のような黒い影が2機ほど射出される様子が見て取れた。

 アイリスが即座に標的を小型艇に定めて雷撃を見舞うが、なぜか雷撃が当たることはなく小さな影は悠々と飛行し本隊へ向けて飛翔を開始している。

「当たらない? どうして! まるで動きが読めない!」

 様子を見たイベリスが言う。

「アイリス、本隊の全空母へ伝令を。残している艦載機を順次発艦させ、全ての戦力をカローンの迎撃に当たらせて」

 アイリスは攻撃の手を止めると返事をすることなく、たった今イベリスが言った内容を聖母の奇跡の時と同じように、艦隊に参加する全員の脳内に直接語り掛けるように指示として発した。

『全空母及び艦載機搭乗各員へ伝達します。現在、艦に残っている艦載機を全て順次発艦し、全ての戦力を上空のカローン迎撃に当たらせてください』

 フランクリンが言う。

「イグレシアス隊員、あれが何かわかるのか?」

「共和国はこちらの艦船群にアイギスと同等の防御兵装があると考え、それらの弱点を突く為に行動を開始した。カローンから射出されたものは無線誘導小型攻撃艇。人の意思や心の動きなどの一切を排し、AIによって最良と判断されたルートに沿って最適な攻撃を加えていくというものよ。

 狙いを定めた攻撃や射撃が通用しないのなら、無差別な面制圧による被害拡大を狙う方が合理的という解釈ね」

「なるほど…… それでさっきからまったく動きが読めないってわけね!」

 苦虫を噛み潰したような表情で大量に射出された小型攻撃艇に向けて雷撃を放ち続けるアイリスが言う。

 彼女の言う通り、雷撃自体は新たに現れた黒い影にはほとんど命中していない。

 小型艇を射出したカローン本体は高度を上昇させると共に艦隊から距離を取り、悠然と上空を飛行しながら連合側の戦闘機と熾烈な争いを繰り広げているように見える。

 だが、そのように見えるだけというのが実情で、本当のところはカローンにいいように弄ばれているといった方が正確だ。

 連合側の戦闘機3機がかりでも1機のカローンを撃ち落とすことも叶わず。対応に苦慮している間にも小型艇は本隊艦船群へと向けてどんどんと迫ってきている。

「面制圧を主とする戦法。プログラム:インダイレクト。間接的な攻撃手法を用いることで、こちらの防御兵装の隙間を縫って確実な攻撃を加えようといったところかしら。そう、例えば第二次世界大戦時の日本軍が行ったような――」

 イベリスがそこまで言った時、左舷側から激しい爆発音と振動が伝わって来た。

「被害状況報告、ドイツ軍艦艇に甚大な被害を確認。ザクセン級フリゲート2隻、バーデン・ヴュルテンベルク級フリゲート1隻が大破、戦闘継続不能!」

「クイーン・エリザベスより伝令。小型攻撃艇の攻撃により滑走路に被害。艦載機発艦に支障有り、対応に時間を要すると」

「アメリカ軍、フライトⅢ、フライトⅣ中破。ドリス・ミラーより艦載機発艦に遅れが生じていると伝令が入りました。エンタープライズ、回避行動による針路変更」

「続き、シャルル・ド・ゴール。敵の攻撃回避に合わせ予定針路を外れます」

 多くの報告が入る中、ついにサンダルフォンの目の前にも小型攻撃艇が迫ってくる様子が見て取れた。

 独特の軌道を描きながらアイリスの雷撃を交わし近付いてくる。


 直撃は免れない


 ブリッジの誰もがそう思っていたが、前方百メートルほどのところに小型攻撃艇が迫ったところで、それは突然バラバラに砕け散った。

 1機、2機という単位ではない。サンダルフォンや周辺艦艇へ近付く無数の黒い小さな影の多くが視えない力に切り刻まれ、横一線に赤い炎を噴き上げながら閃光となって散っていく。

 イベリスを除き、目の前で起きている状況に全員が唖然とする中、甲板上の少女から通信が入った。

『アイリス、貴女は上空のカローンに狙いを定めて。小さいものは私が対処するから』

「アルビジア、ありがとう」

 ほっとした表情を見せながらアイリスは言う。

 安堵の息を漏らすアイリスに代わり、イベリスは言った。

「アルビジア、他艦艇群にあれを近付けないで。カローンを封じて制空権を確保するまでの間だけでもお願い」

『任されたわ』

 そう言ってアルビジアは通信を切断した。イベリスはアイリスに目を向けて言う。

「小型艇による攻撃を行っている間、カローンはシステムハーデスの使用が出来ない。この状況であればアルビジアの援護がなくても対処できるわ」

「言われなくとも―― え?」

 しかし、いつものようにイベリスへ不愛想な返事をしようとしたアイリスの目には、先程までは違った別の光景が目に飛び込んだ。


 前方の彼方を飛行するネメシス・アドラスティアが淡い黄金色の光に包まれ、艦上方にはアンヘリック・イーリオンに浮かんでいたものと同じ巨大な2対の光輪が浮かび、両舷には光り輝く天使の翼が顕現したのである。

 間もなく、隊員の1人が緊急の報告を上げる。

「敵艦、ネメシス・アドラスティアより巨大な熱源反応を探知。荷電粒子砲発射態勢に入っているようです」

「照準は本艦を捉えて―― いえ、本艦左舷側に展開している艦隊群へと向けられています!」

「敵照準、ミラーシステム有効射程範囲外。回避指示間に合いません!」

 サンダルフォンだけを狙っていたはずの敵艦砲が味方の連合艦隊へと向けられる。ミラーシステムの展開が間に合う距離でもない為に、もはやこれを回避する術はない。

 緊迫した報告の直後、ネメシス・アドラスティアの艦首砲塔に禍々しい赤い閃光が走る。誰もが息を呑み、ただ茫然と状況を見守るしか出来なかった。


 光速で射撃された不可視の光線は、虹色のオーロラ光とプラズマ発光を大気に表出させ、扇形の曲線を描きながら連合艦隊を薙ぎ払う。

 熱線が照射された艦隊はまるで蒸発するかのように瞬時に焼け落ち、やがていくつもの火柱を噴き上げながら爆発を始めた。


 暗い海上に上りゆく黒煙。立ち上がる火柱と噴き抜ける炎に焼かれていく兵士達。灼熱に耐えかねて自ら海へと飛び込む人々の群れ。

 焼かれた艦船はゆっくりと傾き、制御を失った船同士が衝突しさらなる被害を生じさせる。

 コントロールを失いサンダルフォンへと流れてくる艦船を見てフランクリンが叫ぶ。

「機関全速、回避!」

 その時、イベリスが左腕を左舷側へと伸ばすと誰にも聞き取れない声で何かを呟いた。

 するとサンダルフォンへと迫っていた艦艇は視えない壁に衝突するかの如く急停止し、弾き返されるかのように反対方向へと船体を傾けたのである。

 おもむろに左手を下げ、胸の前で手を組み直してイベリスが言う。

「サンダルフォン、荷電粒子砲発射用意。エネルギー充填を開始します。速力を維持したまま前進してください。目標、共和国艦隊旗艦。ネメシス・アドラスティア」

 イベリスの言葉に続き、各隊員から状況報告が上がる。

「プロヴィデンス・コントロール。火器管制システム、イグレシアス隊員によるコントロールを継続。発射臨界までの予測時間、残り60秒。照準、ネメシス・アドラスティア」

「被害状況報告。艦体制御システム、オールクリア。サンダルフォン、異常ありません。機関全速、最大戦速にて直進します」

「アメリカ艦隊旗艦、ブルー・リッジより伝令。本艦及び追随艦艇の隊列維持は困難なり。旗艦の事前予測航路に従い状況を継続するとの報。いずもをはじめとする日本軍艦艇、アメリカ軍に続きます」

「敵艦艇群に新たな動き有り。ロデー、ベンテシキューメー前に出ます。上空のアンティゴネ、さらに先行する模様。カローンの追撃を振り切り、米日軍戦闘機F-35BライトニングⅡ、F22ラプター、F/A-35Eプテラソー、編隊を組み攻撃を開始します」

「敵、低高度飛行中のカローンより黒色のコンテナ投下。先遣艦隊に向けてです。パンドラと思われます」

 最後の報告に対してイベリスが言う。

「アイリス、あのコンテナを狙って。あれを艦艇に落としてはならない」

「アムブロシアーか昆虫兵器が積まれてるといったところね! 航空機ごと落としてあげるわ!」

 そう言うとアイリスは雷撃の矛先を高高度のカローンから低高度を飛行するカローンとパンドラに変えて力を振るった。

 激しい稲妻が航空機とコンテナを襲い、炎に包まれた黒い鋼鉄の塊が海上へと落下していく。一部の残骸が残存している先遣艦隊甲板へと降り注ぐ。

「破片の落下地点まではどうにもできないわよ」

「十分よ。ありがとう」

 力を振るい続けるアイリスに向け、イベリスは短く礼を言った。


 インダイレクト。間接的攻撃。レーザー砲やミサイルによる攻撃が有効だとなり得ないのであれば、内側から破壊すれば良いという共和国の思惑。

 その思惑を直線的な形として実行する為に用いられているのがパンドラと呼ばれるコンテナである。中に積載されているのは昆虫型ドローン兵器〈メリッサ〉〈プシュケー〉〈アラクネー〉、或いは不死兵〈アムブロシアー〉だろう。

 落下を放置すれば、それらの兵器が艦船に乗艦する兵士達に直接的に襲い掛かることは明白だ。思い起こされるのは9月22日にケルジスタン共和国のアメリカ軍駐屯地を襲った共和国の兵器群である。

 人ではない機械兵器による効率的な戦争。意志をもたず、容赦もなく、良心の呵責もなく殺戮の限りを尽くす兵器を着陸させるわけにはいかない。


 イベリスの読み通り、アイリスの雷撃を受けて爆散するコンテナからはおびただしい数の黒い小さな影が火の粉となって海面へ落下していっている。

 近接している他のドローンの誘爆によって全てが破壊されているようで、この分であればただの1機たりとも着艦することはできないだろう。


 共和国の新たな攻撃を防ぎつつ、ネメシス・アドラスティアへ最大限の損害を与える為にイベリスは慎重に荷電粒子砲発射タイミングを見計らう。

 だがその時、ふいに見たことも無いプログラムデータがプロヴィデンス上に存在していることを感じ取った。

 どこからともなく湧き出てきたかのような謎のプログラム実行ファイル。

『このようなもの、先程まではデータベース上に存在しなかったはず。プロヴィデンスを介して実行可能なプログラムデータ。発信場所は―― アンヘリック・イーリオン?』

 黙して語らず。プロヴィデンスとリンクしたイベリスは、たった今アンヘリック・イーリオンから登録がかけられたのだろうプログラムデータを見て思案した。

『送り主は“対象A”。私がプロヴィデンスとリンク接続していることを承知で、バックドアを介してデータベースにアクセスを? 仮に実行命令を出したとしても、私がプロヴィデンスのセキュリティを制御しなければ命令は弾かれて終わり。つまり、私の意思を試している?』

 イベリスが熟考している最中、隊員やフランクリンが呼び掛ける声が耳に届いた。

「レーザー砲、発射臨界に到達。いつでも最大出力にて発射可能です」

「イグレシアス隊員!」

 遠くにこだまするように響く周囲の声を黙殺し、目の前に突如として現れた詳細不明のプログラムデータについてのみイベリスは思考を集中した。

 希望を導く助けか、それとも絶望へと誘う罠か。

 この時、イベリスは2週間前にアンヘリック・イーリオンのパノプティコンで起きた出来事を思い返し、送信者である“対象A”についてある仮説を浮かべていた。

 全周囲展望型電子監獄パノプティコン。攻略不能と思われた監獄を突破することができたのは対象Aと名乗る人物がルーカス宛に送信したデータを活用したが全てだ。

 脳裏に一人の女性の姿が思い起こされる。

『……アンディーン。貴女なのね?』


 このままネメシス・アドラスティアへ荷電粒子砲を放てば、理論上は前方に展開するアイギスのほとんどを撃ち落とすことは適う。だが、その後に本体にどれだけの損害を与えることが出来るかについては未知数だ。

 しかし、おそらくこのプログラムデータを実行すれば……

 選択に失敗すれば連合艦隊の全滅を引き起こしかねない罠であるという可能性も残るが、それでもイベリスは自らの信念に従って決断を下す。


Providence control$Program Database:partition 11325:cell 174804

-rw-r--r-- MDCCLXXVI:File code:objectA-GEXX0666-apocalypse8.bat

$cmd u+x PC AOC C1M 0022-05:Iberis

-rwx-r--r-- and start [MDCCLXXVI:File code: objectA-GEXX0666- apocalypse8.bat]



 そうしてプログラム実行を許可したイベリスの脳裏に、プロヴィデンスより提示された詩がよぎった。


“光は正しき者の為、暗闇の中にも顕れる

 主は恵み深く、憐れみに満ち、正しくあられる

 恵みを施し、分け与え、正しく行う者は幸いなるかな

 正しき者は決して動かされることなく、永遠の記憶に残される

 その者は悪い予兆を恐れず、その心は主に信頼して揺るぎない

 心は落ち着き恐れることはなく、ついに仇についての願いを見る”


【詩篇112章4節から8節より】



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