*4-5-7*

 ホログラフィックモニターの光だけが照らす、ほとんど暗闇に近い部屋の中で液体のこぼれ落ちる音が微かに鳴る。

 鋭い切っ先から伝い、床に滴り落ちる真っ赤な鮮血。人では無い者にも血は流れているのだと思い知らされた感もあるが、この期に及んではどうでもいいことだ。

 サーベルの刃を床へと向け、自身の目の前に転がったアムブロシアーの亡骸を踏み越えるようにしてアンディーンは室内に設置されたモニターへと歩み寄った。

 気品あるヒールの音を鳴らしながら一歩ずつゆっくりと。


『監視用にこんなものを近くに置かれるだなんて、私もつくづく信用がないものね。ま、その方が気楽で良いのだけれど』


 そんなことを思いつつ、サーベルを横へひと薙ぎして刀身に付着した血液の残滓を振り払ってから鞘へと納める。

 自分以外に誰もいない第二中央指令室。広々とした部屋の中に立ち並ぶモニターにはアンヘリック・イーリオン城塞内部の各所に設置された監視カメラによる映像が映し出されている。

 城塞内部の警備は基本的に事後対応型の処理を是としており、例えば部外者の侵入を許すなどといった“何事かが起きるまで”反応を示すことが無い。

 部外者が侵入するなどという事態が起きればたちまち警戒アラートが発せられ、当該の場所にすぐさまアムブロシアーの部隊が派遣されるという仕組みである。

 なぜそのようにしているかといえば、何者かの侵入を防ぐ役割自体をラオメドン城壁と、その周囲を取り囲む赤い霧が担っているからという点が大きい。

 城塞への侵入を許さないように内部にまで監視網を張り巡らせるという非効率な仕様に意味を見出しておらず、極論して端的に言ってしまえば内部監視網の強化に力を注ぐなど【無駄】なのである。

 それに、監視カメラの力など借りなくても、この城塞の主は己の眼だけで全てを知覚し対処することが出来るのだから尚更だ。

 異変を感知すれば自ら瞬間的に移動して対処すれば済む話であるし、自らが動かなくてもその場にアムブロシアーを数人でも送り込めば済む話である。

 相手が人間だろうが化物だろうが、特に問題になることもない。

 とはいえ、常に城主たる彼女が城塞に留まっているわけではないので、代わりとなる目が必要なことに変わりない。そこで申し訳程度のセキュリティとして設置されたのがこの部屋に映像を送り続ける監視カメラ網というわけだ。

 一応は広大な城塞内全てを効率よく監視できるように設計された最新鋭の代物ではあるが、その全てを1人で監督することは不可能なので、この中央指令室にて多くの人員が城塞内部の安全を監督しているというわけなのだが――


 現在、広大且つ暗い室内にあるのは自身の姿のみ。他に人の姿はなく、あるといえば後ろに寝転がって息絶えているアムブロシアーの残骸のみ。それももう間もなく赤紫色の塵となって消え果てるはずだ。 

 世界連合艦隊との最終決戦に向け、万一彼らの部隊が城塞へ向かってきても対処できるようにという命令を仰せつかったからには事を成し遂げる必要はある。

 故に、拠点となるこの場に自身がいることに何の間違いがあるわけではない。ただ、他の兵士が不在である理由については明らかな間違いだろう。

 しかし、それもこの城の主と彼女に仕える者達にとっては…… という条件付きとなるが。

 では、なぜこの広大な指令室に1人きりで立っているかというと答えは至極単純なもので、ここで仕事をするように命じられていた兵士達全員をテミスの権限によって追い出したからである。

 いや、厳密にいえば〈逃がした〉というべきかもしれない。

 本来は2週間前、アンティゴネに共に乗艦して戦った自分の部下である彼らがこの場にいるべきはずなのだが、個人的な感情によってアンヘリック・イーリオンから早々に離脱するように促したのだ。

 他の者達がどう思っているかは知らないが、アンヘリック・イーリオンは此度の世界連合との決戦において深刻な被害と打撃を与えられるに違いない。

 特に、リナリア公国に所縁を持つ彼女達の手に掛かれば尚のことそうであるだろう。


 そして、何を隠そう自分がその手引きをしようというのだから。

 そうでなくては困る。


 アンヘリック・イーリオンの警備における弱点とは、内部からの侵略に対しては無能であると言うことができるほど脆弱な監視体制を敷いていることだ。

 理由は先の通りで、アンジェリカという少女1人がいれば事足りるという〈慢心〉から来るものである。

 つまり、元々内部に存在する、この場にいてもまったくおかしくない人間が裏切ったとしても、その裏切り行為が露見するのは何か酷い惨事が起きてからということだ。

 今この瞬間に自身が裏切ったとして、そのことが肝心要の人物達に伝わるのは惨事が起きてしばらくの後になるだろう。

 ただし、伝わった後にこの身がどのようにされるかは決まったようなものだが。


『シルフィー、ごめんなさい。昨夜の貴女の忠告を聞き捨てることになるわね。あれが貴女の優しさからくる言葉なのか、それともアンジェリカ様への忠義に基づく言葉なのかは知らないけれど、大嫌いであるはずの私に対してそう言ってもらえたことには深く感謝しているわ』


 アンディーンは内心で思いながら、指先をタッチパネル式のコンソールへと伸ばす。

 監視を主とする部屋ではあるが、指令室というからには当然外部に対する働きかけだって出来る。伸ばした指先が触れたコンソールからは外部に対する様々な指示を送信することが可能だ。

 外部とは“共和国が所有するもの”の全般を指し、それに対しての遠隔指示や操作が可能であるということで、対象にはもちろん出撃中の艦船群を含めた各兵器も含まれている。


 例えば、空中機動戦艦ネメシス・アドラスティアに対して遠隔によるプログラムの実行を強制するなど――


 その為には一度だけ、本来は共和国の所有物であったMDCCLXVI、つまりプロヴィデンスとのリンクを限定的に復活させる必要があるのだが、本来のセキュリティを経由していないイベリスを媒介としている今の状況であれば容易いことだ。

 要するに、ネメシス・アドラスティアに対する干渉をイベリスの手によって実行してもらえば良いのだから。


『貴女の姉として、私は最後の最後に至るまで貴女が望む幸福の在り方を踏みにじることになる。でもね、シルフィー。アンジェリカ様と貴女の描く理想の世界というのは、きっと何もかもが間違っているのよ。その先に求めるものは存在しないし、再び千年、二千年の時間をかけて同じ歴史が繰り返されるに決まっている』


 ふいに思う。

 機構がアンジェリカのことを対象Aと呼称したことは実に見事な采配であったと思うと同時に、その〈対象A〉というものについて自分も同じことが言えるのではないかということだ。


 自らの内にありて非人間的に疎遠であり、鏡に映りそうで映らず、それでいて確実に自分自身であり、そのものを含めてようやく人間であるという根拠足り得るもの。

 吐き捨てるような心の在り方も踏まえれば、まさしく。


『私は彼女の考えに触れた時に心を決めてしまった。イベリスという千年の過去を生きた少女の言葉は何とも甘美で輝かしくて、まるで迷い歩く暗い夜の道を明るく照らす太陽の光のようだった。彼女が光の王妃と呼ばれるのも道理ね』


 裏切りによって実行される作戦の成功は彼女の手に掛かっている。

 人の持つ可能性を信じ続ける彼女の手に。

 私は彼女が未来を切り開くという“可能性を信じたい”。


 もう、何も思い残すことなど無い。

 共和国に対する忠義も、アンジェリカに対する想いも、機構に対する感謝も――



 ……いや、そう言うと嘘が混じる。

 ひとつだけ。たったひとつだけ後悔していることがあるのだ。



『もっと、貴方とは話をしておくべきだったわね。ごめんなさい、ルーカス。そして、さようなら。共和国の人間以外で、私が初めて素直に言葉を交わすことができた、最初で最後の想い人』


 微かに微笑みを湛えたアンディーンはコンソールのタッチパネルに指を触れ、自身の最後の責務を果たす為に予め用意していた命令プログラムを実行するのだった。



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