*4-5-6*

 満面に咲かせたはずの笑みが凍り付く。

 アンジェリカは口角をぴくぴくとさせ、愛らしく首をかしげる仕草をしてみせた。

 バイデントの中心攻撃目標として捉えていた連合先遣艦隊旗艦の側方では、激しいオーロラ光のうねりと明滅が繰り返され、まるで異次元に繋がるかの如く空間の歪みが生じている。

 虹色の波が揺らめかせ、光の収束と拡散を繰り返すオーロラの明滅は、さながら異界への扉が口を開いたかのようですらあった。


 報告を聞くまでもない。見ればわかる。

 万全の状態で放ったはずの荷電粒子砲がほとんど完全に防がれたことは遠目から見ても明らかだ。


 何が起こったというのか。

 砲撃が防がれた? 一体どうやって? 何の力を使って? バイデントを完全に相殺する能力をもった防御兵装があの船に組み込まれていたとでもいうのだろうか?

 いいや、有り得ない。

 そのような防御兵装は世界広しといえど、グラン・エトルアリアス共和国が持つアイギス -ミラージュ・クリスタル-ただひとつであり、その兵装に匹敵するものを他国が保有するなど絶対に有り得ない。


 未だかつて誰も見たことのない光景を前に、ネメシス・アドラスティアのブリッジは静まり返り、誰一人としてまともに声を出そうとはしない。

 唯一、驚愕と共に口を突いて出る嘆息にも似た各員の呻き声が漏れるのみである。

 やがてバイデントの照射が完全に終わり、しばらくは大気を歪ませるように漂っていたオーロラ光の残滓も海上から消失した。

 先遣艦隊旗艦の船体側方部は、ところどころ金属が捲れ上がり、水膨れが弾けたように焼けただれた赤黒い跡が残されてはいるものの、艦艇そのものはほとんど無傷といって良い。


「……あれれー? おっかしいなー^^」

 静まり返ったブリッジに甘く可愛らしい声が響く。

 アンジェリカが引き攣った顔のまま言うと、兵士達は狼狽えながら次々と現況の報告を開始した。

「敵艦隊旗艦、無傷です」

 そんなことは見たら分かる。

 アンジェリカは言いたい気持ちをぐっと堪えて次に上がる報告を待った。何か原因解明に繋がるヒントとなる報告が上がってくるはずだ。

「バイデント、エネルギー再充填開始まで残り300」

「上空を旋回中のカローン3機、ショットダウン。上空で謎の雷撃を受けている模様です」

「敵先遣艦隊の動きが加速しました。現海域からの後退を開始しています」

「トリートーン、ロデー、ベンテシキューメーに所属のカローン部隊、敵本隊へ奇襲を仕掛けるも見えない壁に阻まれ未だ有効打を与えられず。さらにサンダルフォン甲板上からと見られる謎の攻撃を受け、近付くことすら出来ないとの報」


 それだ!

 アンジェリカは一連の流れにおける全ての原因がサンダルフォンと、あの船に乗る御同類による仕業であると確信した。

 バイデントを防いだ異質な盾、カローンを撃ち落とした雷撃、奇襲を防ぐ謎の防壁と攻撃、明らかに先程までと違う統率の取れた動きを見せる先遣艦隊。

 イベリス、アイリス、アルビジア…… 業腹ながら、あと一歩という所で彼女達の援護が間に合ったということなのだろう。

 バイデントを放つタイミングがコンマ数秒ほど遅かったというわけだ。


 アンジェリカの固まった笑顔はやがて膨れっ面へと変わり、明らかに不満そうな表情で水平線の彼方をじっと見つめながら唸り声を上げる。

「むぅ~#>< は・ら・た・つ! ご立腹ぅ!」

 楽しみを邪魔されたことに怒りを見せるアンジェリカであったが、彼女の心の中でもう1人の彼女が真剣な声で言う。

『アンジェリカ、まずはあれを本気で迎え撃つわよ。しばらく真面目に戦って頂戴。でなければ、決着がつかない。一瞬で片付けて、遊びの続きはその後にしましょう』

『合点だ~´・・` あれ、怖いもんねー』

 内心で返事をしたアンジェリカは、すうっと息を吸うと右手を前に突き出し、凛とした表情をして兵士達に指示を送る。


「本艦はこれより、第一種戦闘配備に移行する。ブリッジ遮蔽、アルゴスモニタリングシステム、トランジション。全兵装解放。ミサイル発射管、1から8番までヒューペルボレア炸裂式通常弾頭装填。カドゥケウス1から4番起動、エネルギー充填開始。照準、連合艦隊旗艦サンダルフォン」

 アンジェリカに続き、リカルドが防御兵装に対する命令を発する。

「アイギス、モードリフレクターに設定。40パーセントを艦首方向へ。対空防御、CIWSスタンバイ。マルシュアース、ケラウノス、システムスタンバイ」

 号令と共に艦橋からの有視界は遮蔽され、防護壁が完璧に整えられた艦内部へとブリッジは引き下げられる。窓の向こうに見ていた景色は閉ざされたが、代わりに全天候型索敵システム-アルゴス-を用いた全方位モニターが展開された。

 全方位モニターによって、ブリッジからは文字通り円形の360度、どんな角度の景色でも見渡すことが可能となっている。


 例えば、そう。たった今、真下から迫りつつある敵戦闘機の姿など。


 先遣艦隊がおそらくは純粋にサンダルフォンの指揮下に入り後退を開始してからというもの、カローンと膠着した戦況を演じて見せていた敵戦闘機の内、帰る場所を失った数機が特攻をかけるようにネメシス・アドラスティアとアンティゴネを標的として迫ってきていたのだ。

 とはいえ、敵機からミサイルやガトリング砲などの射撃を受けている状況ではあるが、その全てはアイギスによって防御されている。

 このまま放置していても害にならないにせよ、サンダルフォンとの一騎打ちに集中したい今の時分としてはどうにかして大人しくさせたいという思いも拭えない。

 見下すような目線を真下に向けたアンジェリカは言う。

「んもう! 鬱陶しいのは~、やっ!>< なんだよ! ケラウノス照準、目障りな蠅を落としちゃえ☆」

「はっ。ケラウノス、射撃モード:タイプCへ設定。雷放電スタンバイ」

「撃てぇ♪」

 可愛らしいアンジェリカの命令によって、ネメシス・アドラスティア艦底部に取り付けられた巨大な電磁波発生装置に電流が走り渦巻く。

 大気中でスパークを起こしていたそれはやがて大きな電流の円を描き、急速にそれらがひとつの円に集束して規模を拡大していく。


 そしてついに、神の雷が放たれた。


 大神ゼウスの武具の名を持つ兵器から発せられた円形の雷は、大空から注がれるそれと同じ轟音を鳴り響かせながら巨大な電流を解き放ち、真下を飛行中であった連合軍の戦闘機を次々と撃ち落とした。

 直撃を受けた戦闘機はその全てが一瞬で黒焦げとなり、制御を失い海面へと無惨にも落下していったのである。

「きゃはははは! 面白ーい☆ 本当に蠅を墜としてるみたい! 面白いからもう一回来ても良いよ? でもでもー、もう来れないか! ばいばーい♪」

 海面に激突し、粉々に砕け散る戦闘機の様子を高高度より眺めながらアンジェリカは無邪気に嗤った。

 その最中にも、後退中の先遣艦隊群から放たれるミサイルやレーザー砲が空中を飛翔する3隻に注がれ続けるが、ただの1発とて命中していない。

「もー、うるさいなぁ。身の程は弁えなきゃー、めっ! なんだよ?」

 アンジェリカはそう言って左手の指を弾く。すると後退中の連合先遣艦隊の内、1隻の艦橋でのやり取りがブリッジに聞こえてきた。


『頭上の利を取られてるんだ! 空飛ぶ船相手にこれ以上何をしろってんですか!』

『開けっ広げの腹にありったけのミサイルでもCIWSでも良いからぶち込めば良いだろう!喚く暇があるならさっさとやれ!』

『見えるでしょう!? もうやってますよ! やって当たらないから聞いているんです!』

『ありったけと言った!』

『艦載機は全滅、電磁加速砲損壊、CIWS沈黙、ミサイル残弾無し! 艦長、もう弾がありません! レーザー出力も低下、これでは敵艦船までは到底届きません! このまま何も出来なければ、こちらが蜂の巣にされかねませんよ』

『ええい、サンダルフォンの示した航路からは外れるが致し方あるまい! 全員が全員、そう上手くできるわけではないんだ。進路反転、全速で後退する! 機関最大、最大戦速にて現海域を離脱する!』

『何ですって!? 命令を無視して丸腰で反転!? 敵前逃亡は軍法会議ものですよ! くそったれ! 一流なのは逃げ足だけか! 尻を撃たれても知りませんからね!』

『洒落を言ってる場合か! さっさと回頭しろ! ハードアポート! バウスラスター、スタンスラスター全開!』


 敵艦内部の様子を聞いたアンジェリカは思わず吹き出しながら大笑いした

「きゃっははははははは! 尻を撃たれても知り…… きゃはははは! この状況で、そんな? >▽<」

 ひーひーと息を切らせながら笑うアンジェリカを横目にリカルドが遠慮がちに言う。

「あの、アンジェリカ様? いかがいたしましょう」

「面白いけど逃がすのも癪に障るしぃ、沈めちゃおう☆ お望み通り、尻から撃ち抜いてあげようじゃないか! ミサイル1番、2番、照準! 敵脱走艦艇☆ 撃てぇ!」

 号令と同時にミサイル発射管から勢いよく2基の極超音速ミサイル、ヒューペルボレアが射出される。

 空中でロケットブースターが火を噴き、間もなくそれが分離されると一直線に目標へと向かってマッハ8の速度で飛翔していく。

 そうしてミサイルは一息つく暇もなく目標へと着弾し、標的とされた艦船は巨大な火柱を噴き上げながら轟沈への道を余儀なくされたのであった。

「沈むまで間があると思うしー、救命艇で頑張れ☆ グッドラック♪ あ、でもそこネーレーイデスの航路だからダメかもー?」

 はしゃぎながらひとしきり笑った後に、アンジェリカはふいに真面目な顔をして言う。

「うーん、こういう趣向も面白いけど…… でも今はそれどころじゃない、ない。ね? ところでサンダルフォンは捉えられたの?」

 アンジェリカの問いに1人の兵士が答える。

「はっ、前方に連合軍本隊の艦影を確認しており、中央にサンダルフォンを捉えています。敵本隊は数にして100隻を超える大艦隊です」

「情報通りで良き良き。おまけの99隻以上はどうでも良いとして、目標を見つけたなら話は早い。全速力で沈めに行こう。でも、姫埜玲那斗は殺したら、めっ。だよ? それとー、フロリアン・ヘンネフェルト。彼もだーめ。無理? そっかー」

 彼女のすぐ隣で戦況を見つめていたリカルドが言う。

「まさしく、彼ら2人は我々の完全なる勝利に欠かせない要素でありましょう。マリアとアザミという2人を殺害できないのであれば、あの2人は殺さずに捕えたいものです。

 それにしてもイベリスという少女。あれだけの大艦隊を寸分の乱れも無く統率し、さらには我々の軍と真っ向から戦ってみせるとは」

「改めて目の前で見ると凄いよねー☆ 本当に“人間ではない”みたい。

 ただ、まぁ今のあの子はプロヴィデンスと繋がっちゃってるしー? そう考えたら妥当なところかもー☆ そ・れ・よ・り、くどいようだし無茶を承知で繰り返すけどー、玲那斗とフロリアンはマリアを屠る為の道具として残さないといけないから、サンダルフォンは沈めてもあの2人は殺したらだ・め・だ・ぞ?」

「心得ております」

 リカルドはそう言うと、サンダルフォンに対して行う攻撃についての指示を下した。

「マルシュアース起動。連合本隊に対し、初期照射以後10秒間隔で断続的な音響攻撃を仕掛ける。次いで、カドゥケウス3番と4番の照準をサンダルフォン直上へ向け一斉照射。以後、同軸に俯角2度ずつの角度を取って発射管3番から8番のヒューペルボレアを射出しろ。次弾装填、1番から7番をクラスター爆弾型弾頭、8番のみ炸裂式閃光弾頭へ」

「なるほど、なるほどー。アンディーンのやり方を取り込むわけかー☆」

「正攻法で仕掛けてどうにかなる相手ではないなら、こちらもやり方を選ばなければなりません。連合側の要である彼女達、常人ならざる脅威の異能を持つ彼女達の唯一の弱点は“人間と同じ性質を持つこと”です。聴覚と視覚さえ塞いでしまえば、サンダルフォンの足を止め、艦隊の統率を乱して追い込むことも容易いかと」


 へぇー。前はそれで良かったかもしれないけれど、今はそううまくいくのかしら?

 にこにこと笑みを浮かべるアンジェリカの心の内でアンジェリーナは思いながらも、リカルドの言うことについては確かに“間違ってはいない”ということで口出しはしなかった。

 兵士たちはリカルドの命令に従い、攻撃用意を整えていくが…… さて、結末はどうなることか。


 ところが、である。そうしていよいよサンダルフォンに対して攻撃を開始しようとした矢先の出来事であった。

 突然、ブリッジに展開している全方位モニターの周辺一帯が白く発光したかと思うと、次の瞬間には先に目撃した明滅するオーロラ光に包まれ、プラズマによる放電現象が飛び交う異次元空間に飛び込んだかのような景色が視界いっぱいに広がった。

 兵士が言う。

「前方より強力なレーザー攻撃を受けた模様! 艦首に展開していたアイギス -ミラージュ・クリスタル-の20パーセントを喪失!」

「敵艦艇による荷電粒子砲攻撃と見られます。撃ったのは―― え?」

 そこで兵士は表示された情報を読み上げるかどうか迷う素振りを見せたが、戸惑いがちに言い切った。

「さ、サンダルフォン。荷電粒子砲による攻撃はサンダルフォンによるものです!」

「馬鹿な! あの船は元々ただの調査艦艇だ。レーザー砲は自衛用程度の装備しかなかったはず! アイギスを墜とすほどの威力を持つ武装などあるわけがない!」

 奥歯を噛み締め、動揺を含む声色でリカルドが言う。

 しかし、唖然とするブリッジの中でただ1人、アンジェリカだけは自身の予想が的中したと確信してほくそ笑んだ。


『ほーら、やっぱり。正攻法を使わなくても“あの子”には全てお見通しってわけよね?』


 その時、ブリッジの外部通信に強制割込みがかけられ、とある艦船からの音声が響き渡った。

『あら、にこにこと微笑んで随分と楽しそうね? でも、よそ見している余裕があるのかしら? 貴女の相手は私よ、アンジェリカ。きちんと見ていないと、今度こそ沈めるわよ』

 怒りを滲ませる麗しい光の王妃の声。神経を逆撫でする“正しさの奴隷”の声。

 2週間前に、玉座の間でマリアと論争を交わした時とはまるで違う、重々しく禍々しい空気が場を支配した。

 アンジェリカは艦長席で足組をして腰を深く掛けて座り、背もたれに身を預けてくすくすとした笑い声を漏らしながら、たった今自身に投げられた宣戦布告に対する返事をした。

「貴女こそ随分と余裕そうね、イベリス。こちらの虚を突いた程度で満足しちゃったのかしら?」

『少なくとも、貴女の視線をこちらに向けることが出来たという点においては満足しているわ』

「あっ、そう。良かったわね? 私に振り向いてもらえて。それより何より、嬉しい嬉しい戦場での宣戦布告。お望み通り受け取って差し上げるわ。麗しの光の王妃様の御誘いだもの。招かれないわけにはいかないものね?」

『ここで貴女を討たなければ世界が積み上げてきた歴史の全てが失われる。今を生きる人を待つ明日が失われる。私は人の可能性を閉ざす貴女達のやり方を見過ごすことは出来ないの』

「へぇ、いよいよもって私達を殺す覚悟が出来たってわけ。それに貴女“達”ね? 私から言わせてもらえば、貴女のすぐ近くにいる不穏分子の始末を先にする方がよほど世界の為になると思うのだけれど。せっかくの忠告を聞き入れないというのなら、まぁ良いわ。

 そこまで言うのであれば、力づくで貴女の正しさとやらを証明してみせなさい。私は逃げも隠れもせずにここにいる。互いを避け、何も言わなかった遠い昔とは違う」

『私は貴女を殺すつもりはない。貴女が自らの行いを反省するまでお説教をするだけのことよ』

「正しさの奴隷から進歩の無い貴女が私に説教ですって? あはは! 面白いことを言うわね。良いわよ。早速、千年越しの語らいを始めましょう? イベリス――!」


 こうして義憤の女神と預言の大天使は燃え上がる北大西洋で再び向き合った。

 ネメシス・アドラスティアとサンダルフォンの砲塔が互いに照準を合わせ、再び火が放たれる時を静かに待つ。

 理想か、可能性か。互いの正しさを賭けた最後の決着が、ついに始まろうとしていた。



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