*4-3-3*

 ステンドグラスが煌めく玉座の間。

 玉座へ至る階段の前にはリカルドとシルフィー、そしてアンディーンの姿があった。

 間もなく決行される世界連合の共和国侵攻計画。〈降伏の意を示すのなら見逃す〉という共和国側の恩情に、やはり彼らは武力を以て報いてくるという。

 最初から予想していたことだが、現実となれば実に愉快なものだ。わざわざ死地に飛び込んでくるなど、どうかしているとしか思えない。

 彼らと共和国の武力を純粋に比較すれば分かることだが、彼らにとっての優勢要素など“数”以外には存在しないのだから。


 結論の決まった問題。

 結果の定まった問題。


 彼らの行為には目的程の意味はなく、ただただ無惨にも、無情にも共和国の圧倒的軍事力の前に駆逐される為だけに海の果てからやってくるということである。


 未だ主人が姿を見せない玉座に向けて首を垂れたままの3人は静かに〈その時〉を待ち続けた。

 ステンドグラスから差し込む陽光が玉座の間を幻想的に染め上げる。

 夜の闇を淡く妖しく照らし出す蝋燭台の灯す光とはまるで真逆の光景だ。

 空間の隅で、一糸乱れぬ直線隊列を組み控えるアムブロシアーの軍勢も、この城塞の主の到着を待ち侘びるように立ち尽くす。


 やがて、今時珍しい時針付きの時計の針が正午を示すと、城塞全域に響き渡る荘厳な鐘の音が12回ほど打たれる。

 静寂を掻き消す鐘の音と共に、玉座の間の中心には赤紫色の霧が立ち込め、さらに中央で輝く粒子の中からいよいよもってこの城塞の主人が姿を顕した。

 常に無邪気な笑みを湛えて陽気な挨拶をしてから玉座へと向かうのが彼女の常であるはずなのだが、この時ばかりはいつもと違う様相で、気高さを感じさせる凛とした佇まいのまま真っすぐに玉座の間へと歩を進めた。


 笑みひとつ浮かべることなく、真剣な面持ちで玉座へと進むアンジェリカはテミスの3人の間を通り抜ける間際に言う。

「楽になさい。改まる必要などない」

 彼女の指示を耳にした3人はゆっくりと顔を上げ、アンジェリカの後ろ姿をそれぞれが視界に捉えたままゆっくりと立ち上がった。

 アンジェリカは長い階段の中腹まで自らの脚で歩いたが、その先は絶対の法を用いての転移により玉座までの距離を瞬間的に移動した。

 紫色の粒子が散り、玉座の間で再び彼女の姿を再構成して形作る。


 玉座に腰を下ろし、じっと階下を見据えながらアンジェリカは言った。

「リカルド、状況を報告なさい」

 無邪気な挨拶を抜きにした、直線的且つ合理的な集い。この場で彼女の求めぬ発言をすることは許されないだろう。

 端的に、問われたことに対する答えを言う他ない。

「世界連合軍はこれまでの歴史に類を見ない大艦隊を編成し、我ら共和国への侵攻を開始したようです。掴んだ情報によれば計画名は〈Ark〉。またの名を〈ノアの箱舟計画〉とも。

 先遣艦隊と本隊とに分離した2つの大規模艦隊群によって、一方向に的を絞った進撃を行うものと思われます。

 彼らの来る方角は2週間前、彼ら自身が辿った航路そのままでありましょう。

 参加しているのはアメリカ合衆国の第七艦隊をはじめとした、降伏の意を示さぬ世界各国に所属する海軍艦艇及び空軍部隊です。英国、フランス、ドイツ、スペイン、イタリア、日本といった国々の他、欧州からはスイスやハンガリー、オーストリアといった国々も艦隊に参加している模様です。

 我ら共和国の領海へと接する接続水域への到達予定時刻は明日の午前10時。ただし、この予定時刻は彼らの本隊が到着する時刻ですので、先遣艦隊はその半刻ほど前には接続水域の手前に姿を顕すことになります」

「そう。シルフィー、迎撃の用意はどう?」アンジェリカは視線を僅かに逸らし、シルフィーを見据えたまま言う。

「はい、既に海上艦艇群を共和国周辺海域一帯を覆うように展開しております」

「相手は一点集中突破を狙っているのでしょう? サンダルフォンだけを…… いえ、彼ら公国の忘れ形見とマークתだけを本国へ送り込む為の布陣と見るべきだと思うのだけれど、どうして島の全周囲に艦隊を?

 どう考えても戦力分散をさせる分、無駄の多すぎる配置と動きだと思うのだけれど」

「彼らの動きを制限する為にございます。我ら共和国は島国という特性上、敵から見れば四方八方どこからでも狙い撃つことが出来ます。

 それこそ、彼らがその気になればインド洋を経由した艦隊群を南大西洋から北上させ、共和国の背後というべき方角から攻めてくることも。

 彼らのその意志がないことは明白ですが、我らが全周囲の警戒をしているという体裁を見せておくことで、反面的に自分達の攻め口が正しいと認識させるには良き方法かと存じます」

「貴女の立案にしては随分と軽薄ね。それは建前でしょうに。他に何か裏があるのではなくて?」

「衛星で捉える限り、彼らの陣形は非常に直線的にございます。一点を狙うと見せておいて周囲へ展開するということも可能であるかと」

「要はとても長い直線的な陣形を敷いた彼らは、共和国へ差し掛かる際に本国周辺を覆うように展開していくということね。まぁ良いわ。

 任せると言ったのだから任せましょう。好きになさいな」

「有難きお言葉。その期待には応えて見せましょう」

 アンジェリカは余裕の笑みを見せるシルフィーに問う。

「もうひとつ。例の3隻の運用についてはどうするつもりかしら?」

「先遣艦隊の到着と同時に防衛線へ加えられるように展開しております。もちろん、アンジェリカ様の護衛と露払いという役割を担いますので、ネメシス・アドラスティアより多少先行して行動をさせるつもりです。

 状況に応じてではありますが、場合によってはパンドラの箱を積載したカローンの発進を行い、先遣艦隊に対してはアムブロシアーとアラクネー、メリッサ、プシュケーによる内部制圧を、本隊に対してはカローンそのものによる攻撃を加え制圧を行います」

「分かったわ。全て任せるけれど、ひとつだけ。サンダルフォンに対する攻撃は控えなさい。良いわね?」

「ご命令とあらば忠実に。しかし、アンジェリカ様の御手を煩わせることなく、彼らを沈めてみせることも出来ましょう。とかく、ヘリオス・ランプスィを1発だけ用いることが叶えば、煩わしい策謀など無用に片を付けることも可能です」

 シルフィーが言うと、アンジェリカは静かに目を閉じて息を吐いた。

 そうして再び目を開き、どこを見つめるでもなく視線を泳がせて言う。

「核ですら殺しきれない悪魔を抱えるのは彼らも同義。その意味で言うとただひとつだけ。彼らの中でただひとつ、言うまでもないことだけれど私達にとっての懸念となる船がある。

 今回の作戦に加わっているサンダルフォンだけは他の船と同じように見てはならない。あの艦船は2週間前とは何もかもが違う。大きな油断をすれば、全滅しかねないわよ」

「まぁ、牽制程度の貧弱な武装しか備えぬ艦船が、こちらの全艦艇を?」

「その言葉は間違っては無いけれど真理を捉えてはいない。あの船にとっての真の力というものは、常にリナリアに所縁を持つ者達によって担保されている。

 今やまさに神の力を持つ艦船。いえ、大災害を乗り越える〈ノアの箱舟〉たる力を持つ船といったところね。案外と、ネメシス・アドラスティアも簡単に傷つけられてしまうかもしれないわ」

 具体的な言及こそしないものの、アンジェリカの見せた表情から戯れの類の言葉でないということをシルフィーは読み取った。

 絶対の防壁を持つネメシス・アドラスティアの艦体に被害が及ぶという言葉は聞き逃すことは出来まい。

 アンジェリカが言うということは、明確な根拠に基づいてのことであるからだ。

 シルフィーは自身の中にあった楽観論という慢心を捨て、彼女の言葉に従うことに決めた。

「サンダルフォンへの手出しは差し控え、ネメシス・アドラスティアの道を作ることに尽力いたしましょう」

 シルフィーが言うと、アンジェリカは二度ほど頷いて見せて言った。

「それと、ヘリオスの力はあくまでも他国に対する抑止、或いは攻撃の切り札として使用すべきよ。明日の海戦において、共和国の間近くで炸裂させるだなんて発想は止しなさい」

「失言をお許し賜りますよう」

「良い、赦す。以後の言動は慎重になさい」

 一呼吸置いてからアンジェリカは言う。

「さて、世界連合の動きについてはもう全貌が見えてきた頃合いかしら。彼らの真の目的は連合艦隊百隻余りの全てを囮とした、サンダルフォンに乗艦する一部乗組員の共和国本土への上陸とアンヘリック・イーリオン内部からの破壊活動とみるべきね。

 最終的な目的はもちろん私の抹殺。要はそれを成し得る人材を共和国本土へ送り込む為の一点突破作戦であり、それが成し遂げられるのであれば他の艦船が全滅することも厭わないという姿勢に見えなくもない。

 このことを向こうの大将であるマリアが皆に全て説明しているかどうかは疑わしいところだけれど。まぁ、いいわ。私達の気に掛けるところでもないでしょう。

 対して、私達が目指す理想の勝利はサンダルフォンを護衛する大艦隊群を薙ぎ払い、中央に座す〈預言の大天使〉を共和国本土へ近付けることなく、且つマリアと彼女に従属する神共々を早々に沈めて亡き者にしてしまうことにある。

 ただし、相手も不老不死の化物。これが成功する見込みは限りなく低い。さらに言えば、真正の神と化物たちが乗る艦船を相手に真面目に取り合っていては埒が明かないことは明白。

 長引けば、もしかすると、もしかするかもしれない。あと、矛盾と無理難題を言うようだけれどサンダルフォンを沈めることが理想とはいえ、今後のことを思えばあの船に乗り込んでいる姫埜玲那斗とフロリアン・ヘンネフェルトだけは殺したくはない。いえ、海戦を行っている時点においては殺すべきではない。

 先に言った通り、マリアとアザミをサンダルフォンの撃沈と共に始末してしまえるのであれば話は別よ。けど、私の未来視によれば十中八九そのようにはなり得ない。

 マリアとアザミの2人を始末できない以上、玲那斗とフロリアンの存在がこちらにとっての戦局を左右する切り札にもなり得るという点において、彼らを傷付けないように戦わなければならない分、やり辛さはこちらの方が上だし不利であると言えるでしょう。 

 結局のところ、いずれにせよ沈める頃合いを見計らう為に真面目に正面切っての戦いにしばらくは付き合わざるを得ない。詳細は割愛させてもらうけれど、全てタイミングが肝要というわけ。実に面倒くさいことだわ。

 そうこうしている内に、航空機でも使ってリナリアの忘れ形見とマークתの一行がアンヘリック・イーリオンへ乗り込んでくることになる――」

 アンジェリカはそこまで言うと、視線をアンディーンに向けて言う。

「そうなった場合に重要となるのは貴女に一任した共和国本土の守備と城塞の守護についてなのだけれど、首尾はどうかしら?」

 アンディーンは毅然とした態度を示して答える。

「はい、つづがなく進行しております。貯蔵されているメリッサ、アラクネー、プシュケーをいつでも投入できる準備に加え、城塞の警備を担うアムブロシアーの配置を少し変更しました。彼らが狙いそうな場所に焦点を当て、どこからの侵入も許さぬ布陣を敷いております」

「ラオメドン城壁を覆う、赤い霧の濃度を上げたわね?」

「異能をもつ彼らに対して、抑止とはなり得ぬでしょうが牽制にはなります。城塞敷地内への出入口を限定することで対処のし易さの向上が見込めましょう」

「マークתの人間達には有効性を発揮するかもしれないけれど、効果は限定的と見るべきね。それに、彼らはきっと空からやってくる。そうなればラオメドン城壁と周囲に展開する赤い霧に意味などない。むしろ、上空から来ることに限定した対処を施し、最初から内部で仕留める算段を付けた方が現実的という判断は支持するわ」

「ご理解いただき、ありがとうございます」

 何も心配事など無いと、アンディーンが自らの意見を述べ終えたその時である。

 アンジェリカは声のトーンを落とし、眉をひそめながら言う。

「理解も何も、最初から貴女の立案する“城塞の防衛に関して”は懸念も危惧もしていないわ。私の考えることは別にある。貴女にはそれが重々伝わっているはずよ。

 繰り返しになるけれど、ゆめ忘れないことね。アンディーン、貴女は自らの責務を果たすことだけに意識を向けるべきだわ」


 明らかなる警告。

 作戦内容に対してではなく、機構を慮って再び手を抜くのではないかというアンジェリカの懸念が強く言い表されていた。

 良く言えば心配されているとも言えるが、悪く言えば心の内を“信用されていない”ということでもある。

 だが、アンディーンはアンジェリカの見せる重圧に怯むことなく、常にそうであるように凛とした振舞いで答えた。

「貴女様の懸念は杞憂に終わるでしょう。私は“私の為すべきことを為す”。それだけにございます」

「そう? なら良いのだけれど」

 アンジェリカはアンディーンを見据えたまま言う。疑念と信念。2人の間に渦巻くものとはそのようなものだ。


 3人に対する問いを終えたアンジェリカは玉座の背もたれに深く体を預けて溜め息を吐いた。

 玉座の間は、相変わらず陽光に照らされたステンドグラスから注がれる美しい色合いの光に満たされるが、この場に満ちる空気ばかりはそうもいかない。

 最終決戦を前に、共和国も総力を以て挑むべき場面。いくら自分達の優勢が揺るがないとはいえ、驕りも慢心も許されない。

 失敗など許されない。テミスの面々にかけられた重圧もこれまでにないほどのものであった。

 しばらく無言を貫いたアンジェリカは、視線を再びリカルドに向けふいに言った。

「ところで―― 彼らの、世界連合側の状況と私達の対応についてはよく理解できたのだけれど、現状として世界各地の情勢はどのようになっているのかしら? 彼らではなく彼らの祖国の方は」

 リカルドは手元のスマートデバイスを操作し、巨大なホログラフィックモニターを起動すると世界主要各国の首都の様子を大きく映し出した。

 そこには政府中枢を司る施設前に陣取り、大声を上げながら抗議を繰り広げる人々の姿が映し出されている。

 リカルドは言う。

「降伏の意を示さぬ各国の状況はどこも似たようなものです。例のミュンスター騒乱のデータをもとにした揺さぶり、大衆扇動を利用した攻撃が大きく効果を発揮しています。

 怒りを生み出す根本となる要素は多々あれど、国民に完全な解決策を示せぬ政府に対して民衆の我慢は限界を迎えているといったところでしょう。一部の怒りの波が伝搬し、今ではこのように大きな騒乱が巻き起こっています」

「各地に放った少数のアムブロシアーに加え、移動する赤い霧とウェストファリアの亡霊。私達が直接手を出すことなく、彼らは勝手に自滅していく」

「左様でございます。アメリカ合衆国のキャピトル、英国のウェストミンスター宮殿、ドイツのライヒスタークなど、国政の中枢となる場所は今や混乱の極みの只中。日夜を通して大衆による動乱が巻き起こり、負傷者と死傷者が後を絶ちません。それはまるで……」

「えぇ、えぇ、戦争のようでございますれば」

 リカルドの言葉を引き取り、楽し気な笑みを湛えてシルフィーが言った。

「ドゥームスクローリング。自身が常に満たされず、不幸な境遇にあるのは全て悪い出来事ばかりが巻き起こる世界に原因がある。大衆とは常にそのように思考し、誰にぶつけられるわけでもない怒りを胸中に秘めたまま日々を過ごしていました。

 それが、此度の戦火によって解き放たれた。何のことは無い、ただただ元からあった不満という爆薬に火種を投げ込んだまでのこと。

 大国が自国民の反乱によって転覆の危機に陥るなど、元より自明の理であったのですから」

 世界を混乱の渦中に叩き落すなど容易いことであると、シルフィーはそう言って静かに笑った。

 いつもであれば咎めることはしないアンジェリカだが、今日この時ばかりは彼女に柔らかく釘を刺す。

「シルフィー、今の貴女の胸中も理解できるけれど、今は慎みなさい。先の言葉を忘れぬよう」

 直々の注意を受けたシルフィーは笑うことを止め、ゆったりとした所作で深く礼をして頭を下げながら自らの失態を詫びる。

「申し訳ございません。重ね重ねのご無礼をお許しくださいませ」

 アンジェリカは特に返事をすることはなく、アンディーンへ顔を向けて言う。

「アン、貴女は確か機構の支部であらゆる物事が人間の心理に与える影響の研究をしていたわね。例えば色が人の行動心理にもたらす影響を」

「はい。良い仕事は穏やかな精神あってこそのものですが、その一助となる要素は多岐に渡ります。機構の隊員が複雑な調査任務に取り組む際、何をどのようにすれば良い成果が得られやすいのかについて報告をまとめておりました」

「そう。では、当然のことを質問するようで悪いのだけれど。例えば色の持つ力が人間に与える影響とは生まれた場所、いわゆる民族的な価値観に依存しているという研究には目を通したわね?」

「無論」

「虹の色合いは世界中の人間に同じようには見えていない。7色と言ったり、6色、或いは5色や4色と地域ごとに差異がある。ただし、虹というものが多数の色合いの光から構成されていることは世界中の人間の統一見解であると思う」

 アンジェリカはそう言うと上体を起こし、玉座のひじ掛けに腕を置き、頬杖を突きながらアンディーンを見据えて続ける。

「何かが人の心理に与える影響というものも同じく、この地球上の生きる人全てにとって共通であるものは数少ない。けれど、それが“存在しない”というわけではない。

 多種多様な人種に分かたれた世界にあって、人間という種族そのものに嫌悪感や恐怖感を与えるものも一定数存在する。

 そして、アン。貴女はどちらかといえばそのことについて深く研究していたのではなくて?」

「おっしゃる通りです。私は人が多幸感や充足感を得る為に必要なものを探ることに注力せず、反対の見地から“人間がどういったものに対して最も拒絶的な反応を示すのか”について日々研究を続けておりました」

「私はその答えに興味がある。各国が大衆扇動によって混乱している中にあって、彼らをさらに絶望の底に叩き落すことの出来る決定的な要素が存在するのであれば何なのかという点についてね?」

 アンジェリカはにやりと笑って言う。


 アンディーンはじっとアンジェリカに視線を向けたまま考えた。

 期待されている答え、求められている答えを言えば彼女は満足するのだろう。世界を破滅に導くための計画。その“享楽の為の余興”の一手を彼女は知りたがっている。

 これはある意味で機会であり、ある意味で挑発であり、ある意味で自身の猜疑心を計っているといっても良い。

 分かっている。何を言えば彼女を満足させることが出来るのかを。

 しかし、上辺の言葉を言ったところで意味もない。なぜなら彼女には“視える”からだ。他者の心と記憶、そして未来。

 リナリアを出自とする全ての異能者達の異能を彼女は扱うことが出来る。


 であるならば、何を迷うことも無いはずだ。


 答えるべき答えはただひとつ。

 己の意思に正直であること。己の知識に正直であること。

 意を決したアンディーンは堂々とした佇まいのまま言った。

「アンジェリカ様、貴女様はその答えをご存知のはずです。誰よりも深く、誰よりも心に。私から直接申し上げるなどおこがましい。

 もし仮に、混迷を極める各国に対する最後の一手がお望みであれば、貴女様の御心のままに振舞われるのが宜しいかと存じます。

 人は“無”を嫌います。無視されること、存在しないもの、理解できないこと…… “望むものが与えられない”ことに何よりも恐怖を抱くのです」

 言った瞬間、シルフィーの厳しい視線が自身を貫くのを感じ取った。

 先の言葉はおそらく、アンジェリカではなくシルフィーの逆鱗に触れたに違いない。

 それも、シルフィー自身の想いに対するものではなく、彼女がアンジェリカに対して抱く感情について。

 だが、言われた当の本人であるアンジェリカはあっけらかんとした様子で笑いながら言う。

「あはははは! これはこれは…… 貴女の方が上だったわね? アン。この期に及んで他者に自身の道筋を示させるなど私自身が愚であったわ。ごめんなさい。

 良い返答を聞くことが出来て私は満足よ? だから、ねぇ。シルフィー、その矛を収めなさいな。今に至ってテミス同士で争うことにもはや意味などありはしないのだから」


 彼女の制止を受けたシルフィーは、苦虫を噛み潰したように渋々ながらではあるがアンディーンに向けた視線を逸らし、再びアンジェリカに頭を下げた。

 アンジェリカはひとしきり笑った後、玉座から立ち上がると羽織ったマントを翻し、一歩ずつ階段を下りながら言う。


「“この先に創造されたものはない。しかし私は“永遠”の前に立っている。我が門をくぐる者、一切の希望を捨てよ”。

 明日、彼らと交える戦火が本当の意味での最後の戦いとなる。長きに渡る貴方達共和国に住む民の悲願を達する為に、私達の理想を実現する為に。私達も覚悟を決める時が来た」


 階段の中腹まで下りたところでいつも通り、赤紫色の煙となって姿を消した彼女は次の瞬間にはテミスの3人の眼前に立っていた。

 そこで1人1人の顔をしっかりと見据えながら言った。


「私達の理想の世界は間もなく、人々の悲鳴と嗚咽の中で産声を上げる。

 気勢を上げよ。我らの目指す理想をこの手に掴むまで」


 アンジェリカが語り掛けるように言うと、リカルドとシルフィー、そしてアンディーンの3人は深々と頭を下げながら揃って声を上げた。


「全ては、貴女様の御心のままに」



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