*4-3-2*
10月8日 午前11時30分。
サンダルフォンのブリッジに一同が集う中、その中心にて立ち尽くすイベリスの姿があった。
目を閉じたまま、胸を手の前で合わせて“祈りを捧げる”姿勢をしたままの彼女は何一つとして言葉を発することなく黙し、ただ時が訪れるのを待ち侘びているようであった。
艦体制御の為のシステム作動音と、規則正しい未来的な電子音のみがブリッジに響き渡る。
艦長席に座するフランクリンをはじめ、周囲のマークת一同も彼女の様子を固唾を飲んで見守った。
現在、イベリスはプロヴィデンスとの直接的な繋がりを築いた上での連携を行う為の最終調整の最中にある。
所在の知れない人類の叡智。機構のシステムを介在せずに行う意志との直接接続。人間の意識と形を持つ者が、全知全能に限りなく近いとされる超高性能AIの力を手に入れる為の執り行い。
ある意味では、彼女を生贄として差し出して完遂する儀式と呼ぶにふさわしい所業なのかもしれない。
地球上で観測された事象の全てを垣間見、それを元に今後地球上で起こりうる未来予測を完璧に行ってみせる。
光が持ち得る特性を体現できる彼女にしか実現できない事象。科学の歴史が積み上げた叡智を大きく逸脱した“奇跡”の具現。
これよりイベリスという存在は限りなく神と等しい領域に足を踏み入れることとなる。
ただし、この所業とは言い換えればイベリスという少女を神の意志を伝達する為の媒介、言わば従属する存在として扱うことと同義だ。
非人道的と言えばそうだろう。誰もそのことを否定することなど出来ない。出来ないからこそ、彼女の周囲にいる者達は全員が反対の意思を表明した。
だが、個人の抱く意思など今の世界状況下においては“些事”である。
世界の行く末と彼女ひとりの存在など天秤にかけるまでもなく、最初から優劣が決められたことであるという絶対的事実の前に反対の意思は掻き消されることとなった。
そしてついに、多くの人が集うブリッジにあって、誰一人として存在しないかのように場を支配していた静寂は破られた。
静寂を破った主は他でもない、イベリスである。
「MDCCLXVI暗号コード解除。セキュリティシステムを更新しました。
AOC C1M 0022所属、イベリス・ガルシア・イグレシアス三等隊員。全事象統合集積保管分析処理基幹システム〈プロヴィデンス〉との接続を承認。
データアクセス権限OPENよりClassifiedへ移行。全データベース接続を確立。データ分析処理システムへのアクセス権限を付与しました。
映像伝達システムのエラーチェックをスタート。パターン0001から走査開始。システムに異常は見られません。パターン0100を以て走査終了します。
音声認識システム、周辺環境の音声パターン認識。インプットゲイン、オートセンシング。リミッター設定。適正レベルです」
彼女の言葉は、とても無機質な声によって発せられた。
確かに彼女の声ではあるのだが、これまで聞いてきた無邪気さのある少女の声とはまったく違う、まるで異質のもののように感じられる。
イベリスが無機質な言葉を言い終えると同時に、彼女の髪色は彼女が本気で能力を発現させた時と同様に金色に輝き、その瞳は虹色に煌めいた。
離れた場所で見守る玲那斗は、イベリスがどこか手の届かない場所に行ってしまったような錯覚を抱いた。
あの時、夢の世界の中で掴んだ彼女の手の温かさは確かにこの世界に生きる人と同じものであったが、今目の前に立つ彼女の様子は違う。
機械の意思によって機械の示すメッセージを発する者。悪い言葉で言えば人形のような冷たさがある。
最愛の彼女が遠いところに連れ去られてしまった。そうした心の中にわだかまる思いを拭い去ることは出来そうにない。
そう思っている最中も、彼女は次々と“機械による意思の言葉”を述べ続けた。
「同期状況の確認、異常無し。接続はクリアです。全システム正常値を確認。接続試験の全工程のクリアを確認。これよりシステム待機モードへと移行します」
彼女が言うと髪の色と瞳の色の変化は治まり、いつも通りの彼女の様子へと変化する。
再び訪れる沈黙と静寂。
周囲が見守る中、イベリスはしばらくその場で立ち尽くしたままであったが、やがて糸の切られた人形のようにその場へと崩れ落ちてしまった。
「イベリス!」
玲那斗は誰よりも早く彼女の傍に駆け寄って声を掛ける。
倒れ込む彼女は玲那斗の腕に抱きかかえられるが、その目は虚ろなままでどこへ視線を送っているのかすら定かではないような状態であった。
「イベリス、しっかりしろ。イベリス」
彼女を見つめ、懸命に名を呼ぶ。すると、ふいにイベリスの瞳が動き玲那斗を捉えた。
「玲、那斗?」
「俺だ、俺だよ。イベリス。大丈夫か?」
「少し緊張し過ぎたみたい。大丈夫だから」
そう言ったイベリスは少しふらつきながらも自分の脚で立ち上がった。
だが、彼女の目は未だにどこか虚ろで、いつものような明るさは完全に影を潜めてしまっている。
「出航までは時間がある。休んだ方が良い」
玲那斗に促されるがイベリスは首を横に振りながら言う。
「いいえ、そういうわけにはいかないわ。あと半刻もすればセントラルに集まっている全ての艦隊が共和国へ向けて出航を始める。私だけが休むことなんて出来ない。
それにね、玲那斗。私は今嬉しいのよ。だって、こうすることでようやく“みんなの力になることができる”のだから」
「イベリス……」
力なくではあるが、今の彼女なりの精一杯と思われる笑みを見た玲那斗はそれ以上に何も言えなかった。
その時である。ブリッジの自動ドアが開き、先程まではこの場に居なかった組織の面々が入って来て言った。
「やぁ、イベリス。調子はどうかな? 見た所、プロヴィデンスとの同期はうまくいったように見えるけれど。
全知全能と言われる科学の叡智。それが今、君という存在そのものとなっている。
人の持つ限界を超越した思考を発揮することが可能な今の君の状態というものが、どういう風なものなのか少しばかり興味がある」
「マリア、君は――」
彼女の物言いに対し、玲那斗が怒りを滲ませながら言おうとするがすぐにイベリスが制止して言った。
「正直、まだ実感がないのよ。この力は必要な時に必要なだけ使うことが望ましいって、そうルーカスに助言してもらっているから今は“閉じた”状態なの」
「なるほど。理に適った運用だ。いや、何。私の目に映る未来の在り方と、今の君の思考に流れ込む未来の在り方が同一のものなのかどうかについて気になってね。
私達がこれから向かうのは紛れもない死地だ。共和国という圧倒的な軍事力を持つ敵国に対し、数以外に何一つとして勝るものがない私達が喧嘩を売りに行こうと言うのだから。
死地に向かうにあたって、勝算がいかほどのものなのかという点について知りたいと思うのは人として当然の感覚だと思う」
マリアはいつものように黒いゴシックドレスを身に纏い、堂々とした足取りでゆったりとイベリスへ歩み寄りながら言った。
彼女の言葉を聞き、彼女と視線をぶつけ合うように見つめながらイベリスは言う。
「そうね。貴女の目に映る未来が如何様なものかについては尋ねずにおこうと思う。それはきっと私達の描く未来とは少し異なるものだと思うから。マリー、約束は忘れていないわね?」
「“自らの理想の為ではなく、この世界の為に最善を尽くせ”。もちろん、覚えているとも」
「ならば約束を忠実に守りなさい。今の私になら分かる。貴女の望む理想はこの世界に対する災厄にもなり得ると。そのことについて今この場で話をつけたいところだけれど、状況が許してはくれない」
「だから共和国との戦争が終結を迎えるまでは問わないと? 良い判断であると思う。何せ王妃様の願いであり、今の口調からすると命令であると察する。公国の忘れ形見の1人として、ここは私とはいえ大人しく従うしかないだろうさ」
余裕の笑みを浮かべてそう言うマリアの背後から、アイリスが不満そうな表情でイベリスに視線を投げかける。
だが、イベリスはその敵意が込められた視線を受けても動じることなく言った。
「アイリス、貴女も同じことよ。私達がこれから為そうとすることに意志を傾けて、無事に終わりを迎えるその時まで同じようになさい」
いつもであれば何か言い返したであろう場面。しかし、アイリスは喉元まで出かけた言葉を呑み込み引き下がった。
そうせざるを得なかった。アイリスはイベリスをじっと見据えたまま、今のイベリスというものがどのような存在となっているのかを誰よりも的確に見抜いていた。
『アイリス、あの方は…… いえ、あれは何?』
アイリスの中にいるアヤメが思わずそう問いかけるほどに、今のイベリスの存在は異質なものである。
『まるで底が見えない。貴女の力を借り受けて視る魂の色にしても、“あんなもの”はこれまでに見たことがないわ』
アヤメの戸惑いにアイリスは心の中で応えた。
『私だって見たことがない。身に纏う重圧に関しては、そもそもイベリスが王族の人間であるということを考えれば不思議ではないけれど。あれが、本来あの子が見せるべき威厳であり、高貴さであり、背負わなければならなかったもの。
でも、それ以上に深い心の奥底―― アヤメの言う通り、まるで底の見えない深淵のようね。虹色をまとう黄金色でありながらも、底の見えない深さがある。有名な言葉を借りるなら、覗き込んだら引き込まれるわよ』
見透かされている。アイリスはアヤメにそう伝えたかった。
イベリスは先にプロヴィデンスによる力を閉じていると言ったが、あれは明確には少し表現が違う。
彼女は今の段階で既にプロヴィデンスが〈常日頃から行っている処理〉と同等の力を発揮している。
人の意思を読み、行動の結果を読み、自らが取るべき行動を実現させる。
彼女の言う閉じた力というのはあくまで、事象に対する複雑な未来予測や情報分析といった方面に関してのことだろう。
いや、そうとしか言いようがない。
現にこの場にいながら、厳しい表情を浮かべるばかりで何一つとして言葉を発しようとしないロザリアやアシスタシアの様子からも、この考えが“事実である”という裏付けは取ることが出来る。
この世で最も慕う、最愛の人であるマリアが望んだことだからこそ何も言いはしないが、機構のマークתの面々が言うように、イベリスとプロヴィデンスの接続という行為はあらゆる意味で大きな危険をはらんでいるものなのではないかと思わざるを得なかった。
でもきっと……
それでも必要なのだ。この力が。
危険なほどに強大なものであるからこそ必要なのだ。この力が。
イベリスをじっと見据えていたアイリスとアヤメであったが、今の彼女が持つ圧倒的なまでの異質さを直視することが出来なくなって視線を外した。
丁度その時、通信を担当する隊員が艦隊の状況を知らせる報告を発した。
「報告します。アメリカ、英国、フランスの各艦隊の配置完了しました。並びにドイツ、スペイン、イタリア及び欧州各国より集結した艦隊の配置も完了した模様。日本の艦艇群は予定通り、アメリカの第七艦隊と行動を共にするようです」
ブリッジから見渡しても分かる。既に準備を終えていた機構のサンダルフォンとラファエル級フリゲートの周囲には目視でも分かる程圧倒的な数の艦隊が隊列を組み並ぶ。
壮観な眺めではあるが、これら全てがこれより戦場へと向かう艦隊である。この場に集った艦隊が地球上に残された最後の戦力と言って過言ではない。
一体どれだけの艦艇が生き延びて戻ってくるのだろうか。今の段階で未来に思いを馳せることに意味など無いが、やはり誰もが考えずにはいられない。
果たして、今自身の乗る船が戻ってこられるのか、ということについては特に。
報告を聞いたマリアは、既にセントラルから出航した艦船群の状況を確認する為に言う。
「すまない、先遣艦隊の状況がどうなっているかわかるかい?」
現在、セントラルに留まっている艦隊は共和国攻略に向けた本隊であり、実際にはこの本隊とは別に先んじて攻撃を仕掛ける為の先遣隊を出航させている。
以前の第8空母打撃群のこともある。状況の確認は常にしておくべきだろう。
問われた内容について隊員は答える。
「はっ、先遣艦隊は隊列を維持したまま目標ポイントに向けて順調に航行中です。付近に敵影も無く、また隠れている様子もありません」
話を聞いていたフランクリンが会話に割り込んで言う。
「衛星から捉えている情報では、共和国は特に姿を隠さぬままの海上戦力を領海内の全方位に展開しているようです。例の3隻の空中戦艦の姿はありませんが、我々が近付けば出てくるとみて間違いないでしょう」
「向こうも総力を以てこちらを迎え撃つつもりか。しかも、奇策は用いずに敢えてこちらの動きに合わせて艦隊を展開している辺り、アンジェリカの思惑も間違いなくそうであるという風に解釈できる。先に仕掛けた方が有利なものを。相変わらず、こういうところは律儀なものだ」
「先遣艦隊に対して、前のように空中戦艦が奇襲をかけるという線も捨てきれませんが」
懸念を感じたルーカスが言うが、その言葉に対してマリアが返答するよりも先にイベリスが言った。
「いいえ、その可能性はないわ。アンジェリカは私達が近付くまで絶対に動かない。むしろ、私達が仕掛けない限り動くつもりがない」
「それはプロヴィデンスが見せる未来予測に基づくものか?」
不安げな面持ちでルーカスが言うが、イベリスは穏やかな表情を浮かべると首を振って否定した。
「いいえ、私の考えよ。そもそも、2週間の停戦協定を結ぶからその間に答えを示せと言ったのは彼女自身の意思に基づくものでしょう? 発言したのが大統領であれ、そうであることに違いはない。であるなら、既に勝者として構えるあの子が、一度発した言葉を覆すとは考えられない」
「奇遇だね。私も同意見だ。アンジェリカは妙なところに強いこだわりとポリシーをもっているようだからね。共和国は自らが提言した停戦協定を自分達の手によって破棄するつもりは毛頭なく、私達が直接仕掛けるまで動かないだろうというのは完全に同意する。
けれど、君と私の意見だけではなくプロヴィデンスによる予測演算がどのような結末を算定するのかについて興味を持つ者はこの場に多い」
「仕事をしろというのね? マリー」
イベリスの言葉に頷いてマリアは言う。
「あぁ、その通りだとも。これが君の初仕事だ。それに、まだ慣れないんだろう? であれば、こうした情勢に特に大きな影響をもたらすことのないだろう小さなことから試してみるのも悪くないと思うのだけれど」
マリアから視線を逸らし、イベリスは振り返ってブリッジから正面の水平線の彼方を見据えた。
「本当はね、私が私でないような気分になるから、あまり力を使っている様子を見られたくはないの」
「何を今さら。この場に集まる皆が、君が千年の時を越えて生きた化物ではなく、純粋な一人の人間であると既に認めているのだから、この期に及んでそんな小さな心配をする必要など皆無だろうに」
するとイベリスは顔をマリアへと向け、微笑みながら言った。
「そうね。ありがとう、マリー」
「どういたしまして」
2人のやり取りを傍で聞いていた玲那斗は、彼女達が互いに“親友”であり続けられる理由を悟った。
言葉で言い表すことの出来ないもの。きっと、2人にしかわからない心の繋がりというものがあるのだろう。
それは自分とイベリスの間にあるものとは異なるもので、イベリスとマリアの間だからこそ成立するもの。
千年を越えた複雑な関係ではあるにせよ、今も2人の間には確かな友情というものが存在していることは理解出来た。
イベリスは一度深呼吸をしてブリッジの先に広がる大海の水平線を見つめる。
その後、僅かに一瞬ではあったが彼女の髪色が金色に変化したのが見て取れた。風のないブリッジ内であるにも関わらず、長い髪がふわりと舞う。
しかし変化が長く続くことはなく、次の瞬間にはいつもと変わらぬ彼女の姿となっていた。
イベリスは前方を見据えたまま言う。
「大丈夫。私達の思う考えとプロヴィデンスの示した結論に相違はない。今、私達は正しい道筋の上に立っているわ」
一同が安堵の息を漏らす。これまで口を閉ざしていた隊員達も隣同士の隊員と軽い談義を始めた。
だが、ふいにイベリスは言った。
「けれど、今より先の未来に絶対はない。プロヴィデンスが私に見せたものの中にこのような言葉が含まれていたわ。
“この先に創造されたものはない。しかし、私は永遠の前に立っている。門をくぐる者は、一切の希望を捨てよ”」
道中で共和国が攻めてくることはない。
されど、彼らにとっての門となる〈接続水域〉を越えようとするならば望みは捨てなければならない。
創造されたものがない場所とは死地を示し、永遠とは有限の生を逸脱した死そのものである。
「よもや、神曲から言葉を引用してくるとは。プロヴィデンスというものは実は詩人でもあったのかい? それも、事実に即しているとはいえ直接的に過ぎる。我々が向かう先が“地獄”であると端的に言われてしまってはね」
イベリスが垣間見たものを聞いたマリアは皮肉を込めて言った。
出航の時刻が近付く。
グラン・エトルアリアス共和国と公海の境界となる接続水域への到達予定時刻は翌午前10時頃だ。
アンジェリカが示した刻限は明日の正午。
明日の午前10時から正午までの2時間の間に起きる戦いが、人類における最大にして最後の大戦争となるかもしれない。
全てを視通す神の目が提示した未来。
地獄を抜け、天国へと辿り着く者が一体どれだけいるのだろうか。
勝つのは共和国か、それとも世界連合か。
いよいよ、歴史が大きく動き出そうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます