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 セントラル1-マルクト 総監執務室にて


 正午。ノアの箱舟計画が決行され、セントラルのドックや港から世界各国の艦船群が出航していく。

 歴史上に記録のない大艦隊の目指す先、目標はグラン・エトルアリアス共和国。およそ百年の時を経て蘇った悪夢、世界大戦の決着をつける為に彼らは死地へと航海を開始した。

 空から注ぐ日差しは、戦士たちに道を示すかのように海路を煌めかせ、澄み渡る空気は遥か彼方の景色まで映し出していた。


 総監執務室の窓辺に立ち、決戦の地へと赴く為に出航した艦船の後ろ姿をレオナルドは眺めた。段々と小さくなっていく姿を見つめながら、彼らの命運について思いを馳せる。

 悠々と水平線までを一望できる穏やかな日。しかし、その先にあるのは間違いなく死を内包する地獄だ。


 生きて戻ってくる者がどれだけあろうか。自分は今、友というべき者達が紛れもない地獄の戦場へと向かう様を見送っている。

 あの艦船群の中には、自分が機構を設立する以前から親交のあった人々も多くいる。そんな彼らに対して何も言わず、何もしてやることも出来ずに、ただただ安全な場所から彼らの勇姿を見届けることしか叶わない。

 世界特殊事象研究機構。国際連盟に比肩する世界最大規模の国際機関の長などという肩書が今は実に滑稽だと思えてしまう。


 レオナルドはやるせない気持ちに圧し潰されそうな心を保つために、深く息を吐いた。

 そうして窓辺から目を背け、室内の応接間へと顔を向けて言う。

「このような時分に集まってもらい申し訳ない。挙句、私の感傷の為に皆様方の貴重な時間を無駄に消費してしまった」

 優雅にソファに腰を下ろし佇むラーニーが言う。

「いえ、我々とて同じ気持ちです。この先、我々としてみれば貴方以上に出来ることは限りなくゼロに等しい。もはや、天に祈りを捧げて待つくらいのことしか出来ぬ身ですから」

「財団の力添えと尽力が無ければ、ノアの箱舟計画もここまでの規模で実施をすることはできなかっただろう。短期間の間に組織をまとめ上げるということの難しさはよくご存知だろうが、此度の計画における仕切りは完璧に近かった。いや、そのものであると言って良い」

「貴方がた機構の努力の賜物では? 加えて、クリスティー局長のようなお方が最終的な指揮を担っておられる。初めてお会いした際には度肝を抜かれましたが、実際に話をしてみるとなんとも…… 現実離れした話を現実であると認めざるを得なかった」

「彼女は聡明だ。聡明に過ぎるからこそ、凡庸な者達からの理解を得られず孤立する。組織の頂点に彼女のような人材が立つことは必然の成せる理であろうが、立ったからといって組織がまとまるとは限らない」

「組織とは生き物のようなものですから」

「左様。言い方は悪いかもしれぬが、それが世界中の国々の軍隊の寄せ集めともなれば尚更にな」

 レオナルドはそう言うとラーニーの座るソファから、机を挟んで向かい側のソファへとゆったりと腰を下ろした。

 ラーニーの隣に座るシャーロットが言う。

「総監、彼らは無事に戻るでしょうか?」

「シャーロットさん、貴女の言う彼らがどこまでを指すかにもよりましょう」

「希望を申し上げるならば艦隊に参加した全員。しかし、私情を申し上げるならばもちろん――」

「マークתの乗り込むサンダルフォンの一行ということになりますな。であれば問題はありますまい。彼らは必ず全員生きて帰ってくる」

 するとラーニーが俯き加減に言った。

「私とて、友である玲那斗…… いえ、姫埜中尉やイグレシアス隊員が無事に戻って来られることを願います。しかし相手はグラン・エトルアリアス共和国であり、あの“アンジェリカ”です。如何に強大な力をもって抗したとしても無事でいられるかどうかの保証はないように思います。総監はなぜ“必ず”と言い切ることが出来るのでしょうか」

「言霊だ。言葉に内在する魔力のようなもの、といえば良いのか。オカルトを語るつもりなどないが、しかし言葉というものは人々が思う以上に強力な力を持っていると私は思う。

 私は総監という立場上、言葉以外のもので何かを動かすことが出来ぬ身だ。逆に言えば、私の発する言葉ひとつで、機構に所属する隊員達の未来すら左右してしまう。

 立場から得られた教訓故に、この場にいる誰よりも言葉の持つ力の偉大さや影響力というものについて身を以て知っていると断言しよう。

 その強力な力を持つ言葉において“彼らが必ず帰る”と言えば、それが現実に叶うやもしれぬと思ったまでのこと。他意はない」

「最高の科学力を持って絶対的根拠に基づく事実を明かそうとする貴方がたの口から、そのような言葉を聞くとは。わからないものですね」

「そうかね? 君達はもっと以前から似たような話を別の誰かから聞かされていただろうと推察するが」

 レオナルドの言葉を不思議そうな面持ちで聞くラーニーとシャーロット。そんな2人を微笑ましく眺める、この場に集まった最後の1人の人物が言う。

「マークתですよ。彼らの元には現代科学では絶対に解き明かすことの出来ない神秘のお方がいらっしゃいます。とかく、彼女の言葉には先に総監がおっしゃったのと同じような意味合いが多数見受けられました」

 ミクロネシア連邦大統領秘書官、ウィリアムは穏やかな笑みを湛えて言った。

 彼の言葉にはっとしたような表情を見せ、直後に微笑んで見せながらシャーロットは言う。

「そうね。イベリスの言葉はいつだってそうに違いない。彼女は確か失われた公国の王妃として立つ存在だったのよね。立場が人の想いを作るということかしら」

「彼女は昔から、何も意図せずそうなのだと思うよ。立場とか身分とかを気にするような質じゃない。むしろ、そんなもの全てをかなぐり捨ててでも、自分の思う“人の可能性”を信じて突き進もうとする人ではないかな」

 隣でラーニーは言い、シャーロットに笑いかけた。

 話を聞いていたレオナルドが言う。

「私も彼女に随分と影響を受けているようだ。つい先日のことだが、マリアにも言われたよ。良くも悪くも、機構という組織は彼女の影響を強く受けているとね」


 レオナルドはそう言うとテーブルの上に置いていたポットから全員分用意したカップにコーヒーを注いだ。

 執務室には上質なコーヒーの香りが立ち込める。香ばしく、眠気を飛ばしてくれる高貴な香りだ。


「私が大事な話をする時にコーヒーを飲むようにしているという話を皆さんは知っておいででしょうな。もちろん、これからお話しようと思っていることも同様。

 思うに、第三次世界大戦について意見を重ねて語り明かすのも悪くはないだろう。しかし、集まってもらった皆様方に意見を聞いておきたいのはまったく別のことになる」

 1人1人の手元にコーヒーの入ったカップを配りながらレオナルドは言った。

 無言で会釈をし、カップを手に取りながらラーニーは返事をする。

「おそらくは、私もシャーロットも同じことを聞こうとしています。それだけでなく、アンソンさんも同じことを話そうと思われているのではないかと推察します」

「えぇ、もちろん。ご想像の通り。我々ミクロネシア連邦は既に“大戦の後”のことに視座が向いています。そこで気になるのはやはり……」

 ウィリアムが話す最中、コーヒーを一口程飲んで息を整えたレオナルドが話を引き取って言う。

「マリアのいう理想とやら。人類の手によらぬ、人では無い者による世界統治。詳細は間接的に聞いた情報でしかないが、マークתからはそのような報告を受けている」

 すると、両手でカップを握るシャーロットが憂いのある声色で言った。

「とても恐ろしいものが来ると考えています。今、目の前で起きている戦争とはまったく違う類のものが」

「そうだね。静かでありながら苛烈に、穏やかでありながら残酷に。想像の域を出ない仮定の話でしかないけど、僕は彼女の理想の実現こそ真なる脅威ではないかと考えている。

 先の協議の時にイベリスさんがクリスティー局長に言った言葉である程度の確信を持ったんだ」

 ラーニーが言うと、食い気味にウィリアムが問う。

「彼女は何と?」

 問われたラーニーは首を横に幾度か振って答えた。

「自分は彼女の希望に沿ってノアの箱舟計画を受け入れる。ただし、イベリスさんはクリスティー局長にその場で“約束しろ”と迫りました。彼女自身が自らの理想の為ではなく、この世界の為に最善を尽くすようにと」

「イベリスは彼女の抱く理想が危険なものであるとあの時既に悟っていたのね」

 シャーロットは呟くように言うが、ラーニーは補足するように言い足す。

「彼女だけではない。マークתのほとんど全員が同じように思っていただろう。後から聞いた話だが、ヘンネフェルト隊員だけはアンジェリカから直接クリスティー局長の理想についての概要を聞かされていたという。マークתの中で情報が共有されていたなら、イベリスさんが彼女に対して強い牽制を放ったことには言葉以上の意味があった」

 そう言うとラーニーは勢いよくコーヒーを口に含んで飲み込んだ。

「いずれにせよ」

 話を落ち着かせるようにレオナルドは言って続ける。

「マリアの是とする理想の正体が如何なものかに関わらず、我々は先を見据えて注意深くあらゆる状況を観察しておく必要があるだろう。私には気になることがある。例の太平洋上、具体的に言えばマリアナ海溝に展開された共和国側のミサイル基地と1隻の潜水艦についてだ」

「情報は逐次、機構のミクロネシア連邦支部より提供を受けています。艦識別名称、原子力潜水空母アンフィトリーテ。どんな国が持ち得る潜水艦をも凌ぐ巨体を持つ海中の戦艦というべき代物です」

 レオナルドの言葉にウィリアムが言う。レオナルドは彼の話に同意を示しながら続ける。

「ところが、だ。動かせば国家ひとつを制圧するなど容易いだろう代物を配置しておきながら、あれらに関してはまったく何も動きを見せることがない。ノアの箱舟計画が展開されている今に至っても尚。

 共和国に対して降伏の意を示していない国家の艦船群全てがセントラル1に集結し、大艦隊を編成し隊列を組みながら共和国に向けて進行していることなどあの国は既に掴んでいるはずだ。いや、むしろ具体的にどのタイミングでどこから何が仕掛けてくるのかまで把握しているに違いない」

「しかし、そのような状況が訪れてもアンフィトリーテもミサイル基地、確かアストライアーと言いましたか。あれらはまったく動きを見せようとしません。

 近付く者を拒みはしますが、自ら打って出ることはしない。あの基地には最先端の科学技術を惜しみなく投入して作られたであろう防御兵装が常時展開されています。

 支部から受け取った情報によると、名を〈アイギス -ミラージュ・クリスタル-〉といい、レーザー兵器の指向性を逸らす、反射するなどが可能なほか、ある程度の機関砲やミサイルに対する物理防御も出来る兵装のようです」

 ウィリアムが言うと、ラーニーが考え込む姿勢を取って言う。

「攻め込めば単独で覇権を奪うことのできる力を持ちながら動かない、か。先の協議の場でオーストラリアの艦隊はアンフィトリーテに一瞬で壊滅させられたと聞きましたが、そのこと以上に引っかかることがありました。まるであの艦船は……」

「まるで“何かを守っているかのよう”である、と?」

 そう言ったレオナルドをじっと見据えてラーニーは言う。

「はい。それも、あの潜水艦が守っているのは実のところミサイル発射施設ではない。あたかもそうであるという風に誤認させるような配置をしていますが、事実は異なるのではないでしょうか。例えば、アンフィトリーテもアストライアーも“双方が共に何かを守る為に設置された防壁の役割を果たしている”など」


 ラーニーの食い入るような視線を受けたレオナルドは彼から目を逸らし、手元のカップに残るコーヒーを口に含んだ。

 そうして気を落ち着かせてから言う。

「マリアナ海溝に何があるのかは知らぬ。だが君の言う通り、あの場には共和国側が意地でも知られたくない、或いは本土と同じくらい死守したい何かが眠っている。そう考えるのが妥当かもしれぬな」

「なぜかは分かりませんが、私はそのように強く思います。そして、このことはクリスティー局長の言う理想とやらとも無関係ではない。共和国は…… いえ、アンジェリカは何かを隠している」

 ラーニーが言うと、隣でシャーロットが沈んだ表情をして小声で言った。

「隠し事をしているのはクリスティー局長も同じだと思う。本当のことを語っているけれど全てを語ってはいない。真実を語ってはいるけれど本心を語ってはいない。先の協議の場でも終始、私はそのように感じていたわ」

 2人の話を聞いて頷きながらレオナルドは言う。

「調べておく必要があるだろう。それも、ノアの箱舟計画が終了するよりも前にある程度の事情を掴んでおかねばなるまい。刻限は明日の正午までか。

 とはいえ、プロヴィデンスは現在イグレシアス隊員と直接繋がっていることから無闇な運用は控えるべきだし、むしろプロヴィデンスを介さない調査の方が良いという風にも感じられる」

「であれば、我々が力になりましょう。ミクロネシア連邦は共和国に対して降伏を示していない立場ですが、かといってノアの箱舟計画に特別協力をしているわけでもありません。自由な立場で動き回ることが出来るのは我々くらいのものでしょう」

 ウィリアムの言葉を聞き、レオナルドは申し訳なさそうな表情を浮かべて言った。

「ありがとう、実に心強いことだ。太平洋方面司令、セントラル2やミクロネシア連邦支部には私から連絡を入れておこう。これまで以上に密な連携を取りながらマリアナ海溝の状況が示す謎について調査せよ、とな。当然、太平洋に展開しているメタトロンから得られる情報も共有しよう」

「助かります。あらゆる調査の為に太平洋地域の国家間連携は出来ても、肝心の調査能力においてはどうしても貴方がた機構を頼らざるを得ませんから。我々は太平洋地域における航海の自由と調査権の自由を保証できるように動きます。災害時特殊協定に基づく強制調査権の発令があればすぐに受諾するように調整をかけましょう」

「頼む」


 最後にレオナルドは短く言って言葉を切った。

 依然として謎に包まれたままのマリアナ海溝の状況が示すもの。

 アンジェリカの思惑とマリアの理想。世界連合と共和国の最終決戦。


 その道筋の先にあるもの。


 全てがひとつの線となって結びついた時、おそらくこの世界というものは過去に経験したことのないほどの狂乱の渦中に叩き落されることになる。



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