第4章 -永遠への道筋-
第1節 -それぞれの罪-
*4-1-1*
“今や私は死となり、世界の破壊者となった”
ヒンドゥー教の詩篇、バガヴァット・ギーターの一節である。
原爆の父と呼ばれるロバート・オッペンハイマーが、世界初の核実験に立ち会った際、原子爆弾が生み出した悪夢のような光景を見つめ、心に浮かべた一節であると答えたのは有名な話だ。
1945年7月16日 午前5時29分。世界初の核実験であるマンハッタン計画、通称〈トリニティ実験〉がアメリカ、ニューメキシコ州ソコロの南東およそ50キロメートルの地点で行われた。
この日、スペイン語で〈救済〉を意味するソコロの地の近くで、世界史において長きに渡り暗い影を落とし続ける“核の歴史”が紡がれ始めたのである。
大自然が覆うサバンナの中央に仕掛けられた原子爆弾が炸裂した時、世界中で誰も目撃したことのない火球が瞬く間に空へと立ち昇り、巨大なキノコ雲を生み出した。
実験に参加した人々は無言となり、口を瞑った。
あの爆弾が戦場で使われたら何が起きるのか。
もし仮に、人々の住まう街で使われたのなら――
“無限の太陽が一斉に空へ光を放つなら、それは神の如く万能の輝きとなるだろう”
答えは想像に難くない。良識ある者達はこぞって、その危険性に警鐘を鳴らした。
そう。彼の言う通り“科学者は罪を知った”のである。
*
西暦2037年10月7日。
国際連盟、世界特殊事象研究機構、及びヴァチカン教皇庁とグラン・エトルアリアス共和国の対話が決裂したあの日からおよそ2週間。世界は最悪の状況というべき混迷へ陥っていた。
振り返り9月25日、サンダルフォンとラファエル級フリゲートが共和国の空中戦艦、アンティゴネの猛攻から決死の離脱をして間もなくの正午。
グラン・エトルアリアス共和国大統領 アティリオ・グスマン・ウルタードは全世界に対し、メディアを通じて〈条件付きの停戦協定〉を発表した。
共和国は2週間の停戦と引き換えに、世界中の国家に対して“ある条件”を呑むよう決断を迫ったのである。各国が迫られた決断に関わる〈条件〉とは、完全なる武装解除を含めた同国に対する無条件降伏、国際連盟からの脱退と主権の一部譲渡であった。
これらの条件を呑み、政府が正式に降伏を表明した場合に限り停戦期間の終了後も含め、以後は当該国に対する武力行使の一切を行わず、また国民に対する安全も保障すると宣言したのだ。
但し、宣言には同時に〈与えられた2週間の期限内に立場を公表しない、或いは反抗の意思を示す国家に対しては、停戦期間終了と同時に武力制圧を行う〉という警告も込められた。
武力制圧とはつまり、去りし日の明け方に太平洋で燦然と輝いた天使の輪、太陽神の威光、核ミサイル-ヘリオス・ランプスィによる本土核攻撃である。
とはいえ、ここに至っても尚、先進国政府の抱いた考えというものは実に浅墓且つ愚かであり、共和国の言葉を嘲ったものであった。
あれはただの脅しだ。
奴らに実行する勇気などなく、実行出来るはずもない。
そのように、先進諸国は“国家主権の一部を譲渡しろなどというとんでもない要求を受け入れる国は現れないだろう”という見立てを立てたのだ。
自国民の安全の為、無条件降伏と武装解除を行うことまでなら理解は示せよう。しかし、国際連盟からの無条件脱退と主権の譲渡を認めるということは即ち、自ら共和国の属国になると宣言するも同義なのだから。
しかし、この見立ては甘かった。
現実には、数日から1週間の内に実に数十か国もの国々が無条件降伏を受け入れることを政府を通じて公表。国際連盟からの脱退が相次ぎ、世界は共和国側の条件を受け入れた国と国連に所属する国家によって完全に二分された状況となってしまう。
先進国の思う共和国に対する考え方もそうだが、途上国に対する意志の汲み取り方も完全なる誤りであったことが示されたのだ。
この一件も含め開戦以後、圧倒的軍事力を以て大国に冷や水を浴びせ続けてきた共和国であったが、以外の国々に降伏という決断をさせたのはやはり共和国が持つ核兵器の存在によるところが大きい。
9月25日未明、太平洋上で炸裂した核ミサイル〈ヘリオス・ランプスィ〉の威力を目の当たりにしていた国々の多くは、実のところはその時点で既に戦意を喪失していた。
人類が生み出した最大の罪。科学者の背負う罪の具現。
共和国の重鎮がただ一言、あのミサイルの発射を指示するだけで、指一つをパネルに触れるだけでどこかの国が壊滅する。積み上げてきた歴史も、国に住む民の命も一瞬にして失われる。
存続と消滅の二択。究極の選択を前に、威信や誇りを天秤にかける必要性すら見当たらない。
要は、資源も抵抗する為の武力も持たぬ国々にとって、彼ら共和国に反抗の意を示すということは国家としての歴史の終焉を意味したのである。
加えて、先進国にとって最悪な状況というのはこれだけに留まらなかった。国際連盟に残った国々の状況は降伏を示した国よりも悲惨なものになっていったのである。
態度を決めかねていた国家や最初から反抗以外の意思を示さぬ国々にとっては、あろうことか〈国内世論〉が最大の障壁となって立ち塞がっていたのだ。
例えばアメリカ合衆国や英国、日本をはじめとする先進諸国では“国民による大衆扇動”によって巻き起こった暴動で国内治安の乱れが急加速することとなる。
〈国の誇り、威信、意地、利権。それらの為に国民の命全てを差し出すなど狂気の沙汰である〉
そのように叫ぶ人々の声が他の国民を刺激した結果、デモ行進や政府機関攻撃による“小さな戦争”、暴動が全国で多発することになり、政府は連日起きる事件の対処に頭を悩ませることになっていた。
警察だけでは収拾のつかない惨状を目の当たりにした政府は、デモの鎮圧の為に軍隊を派遣し、自国民に対する武力行使を行わなければならないという現実。
しかし、当の国民にとってはたとえ自国の軍に殺されようと、政府に対して決死の覚悟で降伏を訴えなければならないことに違いなかった。
受け入れなければ、死が確定してしまうのだから。
傍観は許されない。
無関心という悪意を破却すべき時である。
生か死か。自らの意思を示さなければ殺される。
決定権を持たぬ国民にとって、未来を生きる為に出来る行動とはもはや自国政府を力づくで動かすこと以外になかったのだ。
たとえそれが否定されるべき暴力によるものであっても。
ただし、中には正義の為に共和国と戦うべきであると声高に叫ぶ国民も一定数存在していた。徹底交戦推進派という集団の存在である。
当然、意見の食い違いは新たなる争いを呼び起こす。徹底交戦推進派の集団と降伏推進派の集団による衝突も日に日に苛烈さを増していき、政府は対応に更なる苦慮を重ねることを強いられた。
先進大国が国内世論の鎮圧の為に多大な労力を割き疲弊していく中、共和国は沈黙を保ったまま、悠然と各国の決断を待ち続ける。
わずか2週間の間に流れた世界崩壊への序曲。和平破却の葬送曲。
この流れが加速を続ければ、あの少女が夢に抱いた理想通り、いつしかグラン・エトルアリアス共和国による世界支配と国家再編が実現し、人類史が築き上げた仕組みの破壊が行われてしまう。
たった一国の反乱によって巻き起こった戦争は、今や名実ともに〈第三次世界大戦〉と呼ぶにふさわしい混乱を巻き起こし、終わりの見えない混迷へと世界は叩き落とされた。
そのように世界が混沌とした状況に包まれる中、世界特殊事象研究機構 セントラル1の一室では〈世界の行く末〉を大きく左右する決断が下されようとしていた。
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