*4-1-2*

 あの歌だ。またあの歌が聞こえる。

 遠い遠い昔、ベツレヘム王立病院で彼女が私に歌った歌。


I have been ready at your hand,〈私には全てを差し出す覚悟がある〉

To grant whatever you would crave,〈貴女の望むものを全て与える為に〉

I have both wagered life and land, 〈領土も、この命を賭すことも厭わない〉

Your love and good-will for to have. 〈それで貴女の愛が得られるのなら〉


 とても温かく、優しい声が冷たい監獄に響く。

 それでいて悲しい旋律、物憂げな歌詞。

 愛が欲しいの? 貴方の愛? 私には分からない。


 愛ってなぁに?


 石造りの壁。すぐ目の前に迫るかのように近い遠くの壁面を見つめながら私は無言を貫くが、頭の中では常にそのようなことを思っていた。

 彼女は歌う。


Greensleeves was all my joy〈グリーンスリーブス、貴女は私にとっての喜びだった〉

Greensleeves was my delight,〈グリーンスリーブス、貴女は私の楽しみだった〉

Greensleeves was my heart of gold,〈グリーンスリーブス、貴女は私の心の支えだった〉

And who but my lady greensleeves.〈私のグリーンスリーブス。貴女以外に誰がいるというのか〉


 グリーンスリーブス。

 聞けば、この歌はイングランドに遥か昔から伝わる民謡だという。

 私の世話係を務めていた彼女は、度々私に会いに来ては世間話のついでにこの歌を聞かせてくれた。


 彼女は言った。この歌は“愛の歌”なのだと。

 きっと、私が愛を知らないと言ったから。

 私にとっての愛とは罪に対して裁きという罰を与えることである。それ以外のなにものであるはずがない。

 罪には罰を。裁きを。


 そうだ、“罪による報酬は死である”。


 それが全てだ。他に何があるというのだろうか。

 彼女があまりにも熱心に口ずさむものだから、その優しい声に釣られて私もいつしか、彼女の歌う後に続いて同じ歌を歌うようになっていた。


 彼女の言う、愛の歌を。


If you intend thus to disdain,〈もし、貴女が私を軽蔑するのなら〉

It does the more enrapture me,〈それはますます私を惹きつける〉

And even so, I still remain〈それでも私の心は〉

A lover in captivity.〈貴女に魅了されたままなのだから〉


 どうして?

 どうして彼女はそこまで私に構うのだろうか。

 どこから現れたのかも分からない。どこで生まれたのかも分からない。

 どこに行きたいのかも、どうして生きているのかも分からない女、それが私。アンジェリカ・インファンタ・カリステファスという女だ。


 西暦1023年にリナリア公国で生を受けた女は、愛というものを知ることもなく、気付けばこんなところまで流れ着いてしまった。


 多くの戦争を見た。多くの人が死ぬのを見た。自分以外の大勢の人が。

 多くの争いの中で、多くの人を殺して来た。自分以外の大勢の人を。

 彼ら彼女らは罪人だ。裁かれて当然の人間だ。


 インファンタの名を冠する私には、罪を裁くという行為は自然であり、それが使命であり、生まれた意味であり目的であり、それ以外に“価値”などというものを見出すことは出来ない。

 レゾンデートルの証明というのだろうか。私にとって今も昔も変わらない。


 罪に裁きを。悪逆に報いを。そうすることで人は本当の“愛”を手に入れることが出来る。

 その繰り返しの中でしか、己の正当性を示すことが出来ない。


 分からなかった。

 彼女の歌う歌を聞きながら、歌いながら、心のどこかで理解を拒んでいた。

 あの歌があまりにも美しかったから。あまりにも優しかったから。あまりにも、哀しかったから。

 私が考えるのを止めると、私の代わりにアンジェリーナが意識を表出して彼女の相手をしていたと思う。

 ところどころに記憶がない。同じものを見て、同じものを感じて、同じ意識の共有をすることが出来る私達にあって、私だけが知らないことも多い。


 だって、アンジェリーナは私の痛みや辛さを身代わりになって受けてくれていたから。


 私はそうしたものから守られ続けていたのだ。

 アンジェリーナが私にとって害であると、苦痛であると認識したものを、私は知ることがない。

 分からないという恐怖を、理解できないという苦しみを、アンジェリーナが“また”引き受けてくれた。


My men were clothed all in green,〈私の家臣たちは緑の衣に身を包み〉

And they did ever wait on thee;〈これまで貴女に仕えてきた〉

All this was gallant to be seen,〈その姿はとても勇ましいものだったが〉

And yet thou wouldst not love me.〈それでも貴女は私を愛してはくれない〉



 この歌は、そもそも高貴な身分の者が叶わぬ恋のなれの果てを歌ったものではないかと言われている。

 英国王室にまつわる歌だというのだ。

 恋というものも私は知らない。それがどんな感情で、どんな感覚をもたらすものなのかも。

 でも、でも、でも……

 私の知らない感情のなれの果てにこのような歌が生まれるのだとすれば、それはそれはとても重たい気持ちなのだろう。


 分からない、分からない、分からない。


Thou couldst desire no earthly thing,〈貴女は世俗的なものを望むことはできない〉

but still thou hadst it readily.〈それなのに、貴女は容易くそれらを手にしてしまった〉

Thy music still to play and sing;〈貴女の音楽は今もまだ歌われ演奏されているが〉

And yet thou wouldst not love me.〈それでも貴女は私を愛してはくれない〉


 歌は鳴り止まない。

 この頭の中で響き渡る輪廻。巡り続ける歌声。


 貴女は容易くそれらを手にしてしまって……

 イベリス? そう、彼女はいとも容易く私の手に入れられなかったものを手に入れていた。

 ただ生まれた家がガルシア家、つまりは王家であったというだけで。何もかも。


“それでも貴女は私を愛してはくれない”


 彼女はそう歌った。その言葉は重い。

 愛して欲しいの? 貴女は、私の愛が欲しいの?


 それなら、それなら、それなら……



Well, I will pray to God on high,〈私は天上の神へ祈りを捧げよう〉

that thou my constancy mayst see,〈彼女が私の変わらぬ想いに気付き〉

And that yet once before I die,〈私が死ぬ前に一度でいいから〉

Thou wilt vouchsafe to love me.〈私を愛してくれるようにと〉



 愛とは、罪による罰を示す言葉である。

 愛とは、悪意を持つ持たざるを問わず、罪を働いた者に贈る行為、感情の総称である。


 それなら、それなら、それなら……



Ah, Greensleeves, now farewell, adieu,〈グリーンスリーブスよ、“さようなら”〉

To God I pray to prosper thee,〈貴女の繁栄を神に祈ります〉

For I am still thy lover true,〈私はまだ貴女の真の恋人だから〉

Come once again and love me.〈もう一度ここへ来て、私を愛してください〉




 覚えていない。覚えていない。


 覚えていない、覚えて、いない。


                   *


『アンジェリカ、アンジェリカ?』

「ほぇ? あんじぇりーな。なぁに?」

『どうしたの? 随分うなされているみたいだったけれど』

「え? そうなの?」


 いつの間に眠っていたのだろうか。

 総統執務室のふかふかの玉座に包まれ、私は寝息を立てていたらしい。

 朦朧とする意識。頭の中から聞こえるアンジェーナの声。優しい声。私を冷たく、寂しい夢から引き上げてくれた彼女の声はとても温かい。

 私と同じ声だけれど、どこか違う。慈しみ、というのだろうか。良く分からないが、たぶんそういうものだ。


『自覚はないのね。きっと疲れているのよ。あれから2週間、未だに彼らは動きを見せようとはしない。けれど、降伏の意を示していない各国の艦隊群がセントラル1に……』

「集まってるぅ~☆ それはとても楽しい出来事の、ま・え・ぶ・れ♪ そういうことだよね?」

 努めていつもと同じように言う。

 彼女を心配させてはならない。グラン・エトルアリアス共和国の王、総統として果たすべき勤め。理想の成就を目前に控えて怠惰など許されるはずがない。

 アンジェリーナは言いかけた言葉を呑み込んだようだった。言おうとしたことを呑み込み、そして私に言う。

『そうよ。とっても楽しいことの前触れだわ。貴女と私の目指した理想が間もなく手に入る。世界中の全ての仕組みを破却して、世界の全てを降伏させて、世界の有り方の全てを滅ぼしましょう』

「うん、うん^^ 然り! 然り! それが良い☆ 私はそれが良い! そしたらまた見られるよね? あの綺麗な景色」

『えぇ、水平の彼方に燃える煌めき。輝かしい爆発の灯。生命が散って、空は赤黒く染まる』

「綺麗、綺麗。きっととても綺麗。早く、早く、見たい」


 私は何を見据えるでもなく目を泳がせる。目の前には赤黒い炎が見える。

 私の脳裏に浮かんでいたのは、遠いあの日の夜の景色。

“王立ベツレヘム病院が燃え盛った夜”の景色であった。



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