*3-3-5*

 アンジェリカの楽し気な笑い声が響く中、玉座から見て右側に位置する大扉がゆっくりと開き、間もなく奥から1人の赤髪の小さな人物が姿を現した。

 その人物は床に引きずるほど長いだぼついた黒衣を纏い、長い髪を揺らしながらとぼとぼと玉座へと向けて何も言わずに歩みを進める。

 人が黒衣を纏っているというよりは、黒衣が人を纏って歩いているという方が印象としては正しい。

 身長は130センチメートルほどだろうか。体格や長い髪からして少女のように見える人物はその場に集う誰に興味を示す風でもなく、ただただ玉座へと至る階段の正面に向けて歩いて行った。

 アンジェリカは笑うのをやめ、視線をそちらに向けて言う。


「あら、アビー。いつか来るとは思っていたけれど、随分と早かったのね?」

「何、ちょっとした興味本位というものさ。君が実に楽しそうな笑みを浮かべて会うのが楽しみだと言った連中がどんな面をしているのか拝みに来ただけとも言う。

 それと、ここに来ればお手製のシチューのお代わりをくれるとシルフィーが言ったからね。約束は果たしてもらおう」

「そう。ただシチューは後にしなさいな。それで、その連中の面を実際に拝んでみての感想はどんなものかしら?」

 そこでアビガイルは足を止め、視線を機構の面々へ向けた後に大溜め息を吐いて言った。

「まったくもって期待外れも甚だしい。ボクの研究の足しにはならないね。わざわざ長い距離を歩いてきたというのに、とんだ足労だったようだ」

「きゃはははは★実に貴女らしい感想ね。でも研究室からここまで、長い距離といってもたかだか数百メートルのものでしょう?」

「引きこもりの研究者は足腰が弱いんだ。特に、ボクの身体の成長は十数年前から止まったままだからね。数百メートルでも立派な遠距離だよ。こんなことならアムブロシアーかシルフィーに運んでもらえば良かった」

「うふふふ、わたくしと共に研究室を後にしても、貴女が自身の足で歩くという事実に相違はなかったのですけれど」

 クスクスと笑いながらシルフィーは言う。

「それじゃ、アムブロシアーを使うべきだった。もしくはボクの移動についてバランススクーターの使用を認めて欲しい」

 この言葉にぽかんとした表情を浮かべ、真顔でアンジェリカは言う。

「え?乗れるの?その引きずっている黒衣を巻き込んで転んだりしない?大丈夫?」

「その遠回しな“やめておけ”という忠告。実に腹立たしいな」

 話を聞いていたリカルドもたまらず口を出す。

「その辺にしておけ、アビガイル。乗れるか乗れないかで言えば、アンジェリカ様のご心配は尤もな話だ。それより今は重要な話の最中である。大した用を見出せぬのなら研究室に引き返しても構わぬぞ」

「リカルドまで……というより、君だからそう言うに決まってるな。まぁ良いさ。ボクは……」

 研究室へ帰ると言いかけたアビガイルを制止してアンジェリカが言う。

「待ちなさい。せっかくだから貴女のことを彼らに紹介しておきましょう。ある意味、その為に貴女をここに呼んだのだから」

 アンジェリカの制止を聞いて、アビガイルは再び溜め息を吐くと呆然と立ち尽くしたままの機構の面々の方へ向き直った。

 そうしてアンジェリカは言う。

「この子はアビガイル・ウルカヌ・サラマドラス。貴方達に紹介しておきたかったテミスの最後の1人。そして貴方達がこれまで目にしてきた軍事兵器や化学薬品といったものの“ほとんど全て”を生み出した科学者でもある。

 貴方達が有り難がって使用しているプロヴィデンスも含めて、ね?」

 この言葉に機構の面々は驚愕の表情を浮かべて彼女を見やった。

「おやおや、興味を示してくれるのは有り難いが、いや、有り難くはない。そこまで凝視されると困る。慣れていないんだ。やめてくれ。ボクを見るな」

「グレイもCGP637-GGも、昆虫型ドローンや戦闘機に空中戦艦、この空間の隅に待機する不死の兵隊アムブロシアーに至るまで全てが全て彼女が生み出したもの。そして、深夜に最上の光を放ったヘリオスの光もね。私達にとっては宝物というべき子なの。

 この世界の科学技術の先端は、常に彼女の頭脳から生み出されているといっても過言ではないでしょうね」

「やめなよアンジェリカ。そういう仰々しい口上はろくな結果を生み出さないと相場が決まっているんだ。それより言うことは済んだかい?」

 迷惑そうな顔で不満を言うアビガイルを見てアンジェリカはまた無邪気に笑う。


 一方、これまで目にしてきた軍事兵器の数々が彼女の手によって生み出されたものであると知らされた機構の面々は驚愕の表情を浮かべたまま硬直を続けていた。

 それに先程、アンジェリカは〈プロヴィデンスも彼女が作った〉と言っただろうか?


 固まったままの機構に視線を投げかけてアンジェリカは言う。

「だしにして言うわけではないけれど、もし機構が先端の科学技術供与を受けたいというのなら私達に与しなさい。そうすれば、この子と一緒に世界の安寧を守るための研究をすることに、いくらでも協力してあげるわよ?」

 しかし、機構の中で誰一人として同意を示すものはいなかった。

「拒否されてるじゃないか。君、彼らに嫌われているという自覚をした方が良いと思うよ。それよりこれで満足かい?アンジェリカ。他に何もないなら今度こそ帰る」

 テミスの一員でありながら、唯一アンジェリカを呼び捨てする少女はいよいよ不満を露わにして言った。

 ただ、アビガイルはしばし考え込むような仕草を見せて言う。

「あれ、そういえば何だったか。ここに来る道中に君に聞きたいことが浮かんだのだけれど忘れた。思い出すまで時間がかかりそうだからボクは研究室に帰るとしよう。早く仕上げたい研究があるんでね」

 1人で言い、1人で考えて、1人で結論をまとめてこの場を去ろうと踵を返して歩き出す。

 訪れてまだ数分と立っていないにも関わらず、誰の干渉を気にするでもなく完全なるマイペースを貫いている様は異様ですらあった。


 だが、彼女が背中を向けて歩き出そうとした時である。

 これまで俯き続けていたルーカスがアビガイルを睨みつけるように言ったのだ。

「おい、待てよ。その研究とやらは人殺しの為のものか?」

 この問いにアビガイルは足を止めて言う。

「完成した研究成果、作られた兵器や道具を誰がどう使うかなんて、使う人間の意思によってどうにでも変わることだろう?

 ボクはただ自分の目指す“究極”を作り出したいだけさ。誰も超えることの出来ない究極の成果物を。それ以上でも以下でもない」

 そう言って再び歩き出そうとする仕草を見せたが、何かを思い出したかのように足を止めて言った。

「あぁ、そうか」


 次の瞬間、全員の視界から彼女の姿が消えた。


 そして彼女が消えた場所を一行が注視する様子をよそに、アビガイルはいつの間にかルーカスのすぐ目の前、密着するほどの至近距離に現れていたのである。

 アビガイルは小さな顔をルーカスにぐっと寄せて言う。

「ひとつ問うが、君は例えば包丁職人の仕事を見て“人殺しの道具作りに精が出るね”と声を掛けるタイプかな?」

 ルーカスは言葉にならない悲鳴を上げた。

 しかし、不思議なことに何かに縛られたように体を動かすことが出来ない。


 全員の視線が一斉に彼女へと集まった。

 目の前に突如現れた小さな研究者は、遠目ではまったくわからなかったが近くで見ると存外に美しい容姿をしていることが見て取れた。

 それはリナリア公国出身者の容姿と比べても見劣りすることなどないほどのもので、囁きかけるような声色も実に甘美さに溢れるものである。

 アビガイルはじっとルーカスの顔を見つめて、彼が何と言うのか期待する面持ちで言葉を待っているそぶりを見せたが、当のルーカスはまったくもって体をはおろか唇すら動かせずにいた。


 すると、ルーカスの目の前に唐突に薔薇のように広がる青白い炎が噴き上がった。

「うわぁ!」

 金縛りから解かれたように情けない声を上げ後ろへよろけるルーカスを玲那斗が支える。

 直後、ちっという短い舌打ちの音が響く。ロザリアが厳しい視線をルーカスに向けて“らしくない”舌打ちをしたのであった。

 ルーカスの眼前にいたアビガイルは、誰の目にも青白い炎に捕らえられたかに見えたが、既に彼女の姿はそこにはなく、玉座の間から回廊へと繋がる大扉の前まで移動していた。


 皆がアビガイルの姿を追って顔を向けた時、当の本人は遠目から一行を見下すような視線を送り、大きな溜息を吐きながら言った。

「ふーん、そうか。記憶の片隅にという程度のことだけど、見覚えのある顔だと思った。君が機構のマイスターと呼ばれている男か。

 名前は……やっぱり思い出せないな。他人の名前を覚える記憶領域は計算式や化学式の暗記に用いた方が有用だし、結論として君の名前など至極どうでもいい。

 けれど、そうそう。アンディーン、君と一緒に研究していたっていうことくらいは覚えているよ。どんな人物かと思っていたけれど、そうか。そういう感情的論理思考をするタイプだったのか」

 アビガイルはアンディーンへ辛辣な目を向けて言うと、くるりと後ろを振り返って吐き捨てるように続けた。

「であれば、プロヴィデンスを“あんな風に”仕上げてしまうのも道理といったところか。純粋科学の真理探究を捨て、人間にとって都合の良い思考に寄り添った成果物を生み出した時点で、君は科学者の道を外している。

 実に、実につまらないな。あぁ実に、君は。残念に過ぎる」


 彼女が大扉の前に立つと、扉はひとりでに開き道を示した。

 暗い回廊へ歩き去っていくアビガイルの後ろ姿を眺めてアンジェリカが言う。

「アビ~☆ちゃんと睡眠は取らないとー、めっ!なんだよ?」

 アビガイルは振り返ることなく、片手を上げて応えた。

 そうして黒衣を引きずったまま回廊の奥へと消え去り、やがて大扉は大きく開けた道を閉ざすのであった。


 アンジェリカによる提案。マリアの理想。知っていて語らぬロザリア。テミスの4人。

 この場で語られた全てを振り返りながら、双方の話が佳境に辿り着いたことを察して玲那斗はアンジェリカへ問う。 

「アンジェリカ、このままでは話とやらはまとまりそうにないわけだが。これから俺達をどうするつもりだ?」


 無邪気な表情でアビガイルを見送っていたアンジェリカは、玲那斗へきょとんとした目を向けると、にこりと微笑んで見せて言った。

「えぇ?玲那斗さ、今さらそれ聞いちゃう?´・・`せめて、せめてね?最初にアンジェリーナが問い掛けをしたことについて返事をする前に聞くべきじゃないかなって、私は思うんだ。うん。

 吐いた言葉は呑み込めない。YESと首を縦に振れば見逃されていたかもしれない命。あぁでもそっかー。私達側に付くと言えば、それはそれで隣の怖い神様に瞬殺されちゃうか?

 結局、君達はどちらにしても詰みだった☆罪によって道は閉ざされ、詰みに至る!なぁんてね☆きゃははははは☆」

 場が凍り付くようなことを言いながらも、真なる意味で凍り付いたのは彼女が無邪気に言った“見逃されていたかもしれない命”という言葉についてである。

「俺達をこの場で殺すと?」

 身構えながら玲那斗が言う。すぐ傍らではイベリスがアースアイに光を宿して臨戦態勢を取っているのが見て取れる。ロザリアやアシスタシア、マリアやアザミも同様だ。

「おぉ~怖い怖い☆集団で1人のか弱い乙女を嬲ろうだなんて趣味の悪い!そう身構えないでってー、言ったり言わなかったり☆信じるも信じないも君達次第ではあるけど?この場で殺したり採って食べたりはしないから、ね?」


 アンジェリカはニコニコとした笑みを浮かべ、右腕を持ち上げながら言う。

 一行はさらに身構えて臨戦態勢を取る。彼女が腕を持ち上げるのは決まって〈絶対の法〉を発動する時だからだ。

 階下にまとまり、不安の色を隠し切れない様子の一行を見つつ、アンジェリカはほくそ笑みながら続ける。

「でぇもー、私達に協力しないっていう皆をこのまま野放しにするっていうわけにもいかないんだなー、これが☆だから、端的に言ってこうしちゃう♪」

 そう言って素早く指をぱちんっと弾いた。


 すると、国連、機構、ヴァチカンの9人の姿は一瞬でその場から跡形もなく消え去ったのである。


「殺しはしないけど、閉じ込めちゃう。アンヘリック・イーリオンの中にある鳥かごの中に、大切に仕舞いましょうね?

 逃がさない、逃がさない、逃がさない☆

 ジェレミー・ベンサムという偉い人が考えた画期的なアイテム。それを科学の力で究極的に仕上げた逸品を披露する時が来た!」

 アンジェリカは楽し気に笑い両手を頭上に持ち上げて満面の笑みを湛えて言う。



「ようこそ、諸君!全周囲展望型電子監獄 パノプティコンへ!」



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