第4節 -全周囲展望型電子監獄 パノプティコン-

*3-4-1*

「さて、私達はここからどうするべきだと思う?」

 やれやれといった面持ちでマリアが言う。

 先程まで玉座の間でアンジェリカと対話を試みていたはずであったのだが、気付いたら城壁内の庭園へ飛ばされていた。

 絶対の法にこのような応用が利くのは以外ではあったが、特段驚いたりはしない。

 アンジェリカは機構とヴァチカンの面々と、自分達を引き離したいが為に敢えてこのようなことをしたのだろう。


 周囲を取り囲む黒い影に見飽きたマリアは空を見上げる。巨大な2つの光輪が行き交う尖塔の先には秋空が広がり、上空から金風が吹く。

 相も変わらず柔らかな日差しは周辺の庭園を淡く輝かせ、それでいて物寂しい秋の訪れをひしひしと感じさせる。

「彼らを置いたまま立ち去るわけにはまいりません。脱出の道筋の確保が優先であるかと」

 空を眺めながらふっと息を吐くマリアにアザミは答えた。

 マリアはおもむろに視線を下げ、周囲を見渡しながら言う。

「同じ意見だ。とりあえず車を用意したいところだけれど、さて。どうしたものか」


 輝かしく、美しく、荘厳に咲き誇るアンヘリック・イーリオンの庭園の花々。

 のはずなのだが、自分達の周囲にはそれら全て覆い隠すように視界を遮る黒い無数の影が蠢いている。

 ペストマスクやガスマスクなどといった様々なマスクを装面した屈強な兵士の群れが自分達を中心とした半径10メートル先を取り囲んでいるのだ。

 例の黒ずくめの不死の兵隊、アムブロシアーの群れ。数にしておよそ200体はいるだろうか。

 まるで、かつて東ドイツの中で西ベルリンを取り囲んでいた壁を彷彿とさせるかの如く、黒い兵士達が異様な円形の空間を作り上げている。


「少し昔の記憶だが定かではないね。ベルリンの壁の内側から見る景色とはこのようなものだったかな?さておき、興味の尽きない城塞内を見学するにも周囲がこれではね。

 彼らはきっと未だ城塞内に囚われているのだろう。であれば、彼らが脱出してここまで辿り着くまでの間、せっかくだから周囲の景色でも楽しませてもらいながら港までの道筋を確保しようかとも考えたが……

 やはりどうにも視界を遮る壁がいけない。風情というものがない」

「わたくしも同じ意見です。マリー、貴女の身長では先の花々は見えないでしょうね。秋を代表する草花がとても美しいのですが」

「君は少しでも見えるとでも?」

「いいえ、まったく。視座を天に置き俯瞰してようやく、十全に見渡すことが出来るという話です」

「そうであっても羨ましい限りだ。こちらの視界からは、やたらと筋肉質な黒い壁しか見えないからね。私も自然の草花を堪能したいのだけれど」

「では、まずはここから移動をしましょう」


 アザミが言い、一歩前へ踏み出ると数体のアムブロシアーが目にもとまらぬ速度で銃剣を構えて2人に襲い掛かって来た。

 しかし、その兵士たちに視線を向けるでもなく、アザミから放たれた黒棘は彼らの心臓を1点で貫く。瞬間、胸に大きな風穴を穿たれた兵士たちは大きな呻き声を漏らしながら、黒い霧が蒸発するように霧散していった。

「何よりも壁の崩壊が先決です。景色を楽しめるようになるまで、幾ばくか時間を頂ければ」

「任せる。私は少し疲れた。精神的にね?何が“お話”だ。アンジェリカの奴め。よもや機構と私達国連、加えてヴァチカンの結託に亀裂を生じさせようとするとは。

 これから先、少し動きづらくなったな。私はてっきり、アンジェリカのことだからろくに話もせずに誰かを殺しにかかるものだと思っていたのだけれどね。

 或いは降伏するなら見逃すといった程度の話を振ってくるものとばかり思っていた。もしそういう話をしたのであれば、乗らないこともなかったんだが」

「彼女の根が誰よりも真面目だと話されていたのはマリー、貴女では?」

「その通りだ。“神は智慧あるものを辱める為に、この世において愚かなる者を選び、力ある者を辱める為に無力な者を選んだ。力ある者を無力な者とする為に、この世の弱者、即ち力無きに等しい者を、敢えて選んだのだ。”」

「コリント人への手紙ですか?」

「1章27から28節だったかな。ロザリーの方が詳しいだろうけれど」

 次々と迫りくるアムブロシアーに黒棘を突き刺しながら、アザミはしばし考える仕草を見せる。

 自分達に向けて発砲される銃撃の音がやかましいほどに響き渡り思考を乱してくるが、実際に発砲された弾が自分達の元まで届くことはない。

 考えた末にアザミは閃いたというように言う。

「神に等しいと自称するアンジェリカは、敢えて国連やヴァチカンといった知恵と力を持つ者を遠ざけ、機構という世界から独立した“弱者”を味方に付けようとした。そうすることで、自らの行いが成立した後の世界を……」

「意のままにする為に、ね」

 最後まで言い切ろうとしたところをマリアが汲んで言った。

「まったくもって、そこまで智慧が働くタイプであるとは思わなかったよ。真面目に力による正攻法を貫くしか出来ないタイプかと思っていた。これについてはアンジェリカが1枚上手だったということだ。素直に認めよう」

「ところで、今貴女が気にされているのはフロリアンのことでは?」

「無論。素直に認めた上で、且つ許せない所がまさにそれだ。近付くなという忠告を無下にした報いはいずれ受けてもらうとして、まずは彼とそのお仲間を助けるために動こうじゃないか。失った信用は早急に取り戻しておかないとね」

 冗談や軽口を叩くようにマリアは言うが目は笑っていない。

 淡く赤い光を灯した宝玉のようなアースアイは、今やまっすぐに周囲を取り囲む黒い影のような屈強な兵士たちを見据えていた。

 機嫌の悪そうなマリアを見やり、アザミは言う。

「しかし、再度要塞内へ立ち入り彼を、いえ、彼らを救助へ向かわなくても宜しいのですか?待つだけに徹するよりその方が早いのではないかと考えますが」

「これは予言ではなく勘だけれど、きっとフロリアンの近くにはアシスタシアがいる。この場にロザリアと彼女の姿がないということから、あの2人については機構の面々の近くにいると仮定するのは理に適った仮定だと思う。

 故に特に気を揉む必要はないだろう。それに、私の騎士はこの程度のことで死ぬような男ではないよ。さらに加えて言うなら、アンジェリカは“絶対に彼を殺すことは出来ない”」

「これはまた、随分と饒舌に惚気を言うようになったものです」

 先ほどから変わらず、アムブロシアーに対して容赦なく黒棘を突き立てながら、黒いベールの下で非常に分かりづらい笑みを浮かべアザミは言う。

「もはや誰に対しても隠し立てすることが無くなったんだ。おかげで私の精神は頭上に広がる空よりもずっと澄み渡って安定している。疲れていることに違いないが、それでも昨日の朝の憂鬱さとは比べるべくもない」

「すっきりとしたお顔をされていますが、やはり心持ちが違いますか?」

「随分と」

「では、残る頭痛の種を早急に片付けると致しましょう」


 マリアとアザミが互いに言葉を交わす最中、周囲のアムブロシアーは2人の間合いに踏み込むことを諦め、これまでよりも強力な銃器を一斉に構えて発砲し始めた。

 今しがたまでとは程度の違う爆発にも似た銃撃音が2人の鼓膜を大いに震わせ、ありとあらゆる銃火器の弾が無数に2人に向かって直進的に飛んでいく。

 中には連装ロケットランチャーの弾まで含まれている。

 ただ、それらの銃火器による射撃をもってしてもやはりというべきか、ただの1発たりとも2人の半径2メートル以内に弾が侵入することは無かった。

 美しく穏やかな庭園には似つかわしくない轟音と共に、およそ300発は放たれたであろう銃撃は全て、アザミの黒棘によって打ち砕かれて霧散したのである。


 耳を抑え塞ぎながらマリアは大溜め息を吐いて言う。

「やれやれ。やはり彼らには風情や情緒というものが備わっていないらしい。アンジェリカに直接クレームを言うべきかな。完璧な兵士を作り上げるというのなら、そういったところにも気を配って欲しいものだと」

「この人形たちを作り上げたのはあの赤髪の少女では?」

「そうか。そういえばそうだった。彼女、確かアビガイルと言ったね。少女のような見た目をしているが、彼女は成人した女性だろう。それより、彼女からは聞き出したいことが山のようにある。いずれ直接対面して、2人きりで話をする時間がほしいものだ」

 マリアがそう言った直後、踏み込むか否かを思考し身構えていたアムブロシアーの頭上から突如として黒い雷のような光が降り注いだ。

 天の弓。ミュンスターの地でアンジェリカの身体を貫いたアザミの異能である。

 黒い雷が降り注いだコンマ数秒後に爆発するような音が鳴り渡り、数百体いたアムブロシアーの群れはみるみるうちに黒い霧となって蒸発していった。

 2人の周囲を取り囲んでいた黒き兵士の群れは今や、たった1体を残して全滅という有様だ。


 たった1体残されたアムブロシアーはこれ以上の抗戦は無意味であると判断したのか、後ずさりしながら撤退を試みる体制を取っている。

 しかし、マリアはその隙を見逃さなかった。

 耳を塞いでいた手を下ろすと、赤い瞳を輝かせたまま瞬間移動するかのようにその場から消え去った。

 次にマリアが姿を現したのは、10メートル以上先に立っていたはずのアムブロシアーの目の前である。

 筋肉の壁で覆われた黒い兵士をまじまじと観察しながらマリアは言う。

「なるほどなるほど。確かにこれは“人間にとって”は非常なる脅威だね。暑苦しいし、風情の欠片もないが、間近で見上げると実に迫力がある。見た目の恐ろしさが精神に与える効果というものをうまく活用しているらしい」

 するとアムブロシアーは呻き声を上げながら所持していた銃剣を構え、神速と形容できる速さでマリアの首元にそれを突き立てた、かに見えた。


「残念だけれど、私には“先が見える”んだ。君らがどれほど速く動こうと、どれだけ思考を超越した反射的な行動をしようと意味はない。“当たらないものは当たらない”。ラプラスの悪魔とは、得てしてそういうものなのさ」


 そう言ってマリアは冷めた笑みを湛えながら銃剣が貫いたはずの空間のすぐ脇に立っている。

 アムブロシアーの銃剣はマリアを貫くことはなかったが、代わりに空間の狭間から現出した黒棘がアムブロシアーの喉元を貫いていた。

「魂を持たぬ者、人でないものなど取り込んだところで何になるでも無し。残念ながら、ここでさようならです」

 アザミが言うと、アムブロシアーは爆発するように黒い霧のような煙となってその場から姿を消した。


「うーん、すっきりした!視界が広がったね。これでようやくこの城の庭園を観賞できるというものだ」

 マリアはようやく満面の笑みを咲かせると両腕を空へと突き上げて伸びをしながら言った。

「マリー、あまり無暗にその力を使われませんよう」

 インペリアリスの力、“ラプラスの悪魔”を用いた空間転移を行ったマリアを窘めるようにアザミは言う。

「分かっているさ」アザミの心配を感じ取ったマリアは礼を示すように穏やかな表情で答えた。

 趣旨がしっかりと彼女へ伝わったことを汲み取ったアザミは話を本筋に戻して言う。

「鑑賞も良いですが、それほど時間もないと思われます。脱出ルートの確保をすぐにでも」

「それも分かっているよ。あとはひとまず、この要塞を囲む壁を越える方法を考えなければいけないね」

 マリアの視線の先に広がるのは広大なラオメドン城壁。核攻撃をも防ぐと言われる堅牢な壁だ。

「どう考えても壁に穴を開けるなど現実的ではない。君の力を用いたとしても、特殊な縛りを掛けられたあの壁はびくともしないだろうからね。ここはひとつ、正規の手順に則って正面玄関から脱出するという方向で行こう」

「承知しました。では、次に移動手段を」

「車だね?城塞内にある車を奪うのも良いが、やはり自分達が乗って来た車を持ってくる方が安心感がある。アザミ、機構のFFTMをここまで運べるかい?」

「問題ありません。見積もったところでは、赤い霧の突破も含めて10分ほどかかりそうです」

「十分だろう。彼らが10分以内に要塞から脱出してくるとは考えづらい。貶められた信用、動きづらくなった分を補填する手土産として、ここからの脱出ルートの確保と車の用意をして車内でのんびり彼らを待つとしよう」

「はい。では、準備に取り掛かります」

「宜しく頼む」


 マリアはそう言うと正門の方向へと向かって歩き出し、アザミが後に続いた。

 最中、マリアが上空を再び見上げながら言う。

「目に見えるものが全てではない。この空には今、アイリスの張り巡らせた電磁界が広がっているはずだ。アザミ、私達の状況をあの子に伝えることは出来るかい?」

「可能です。ついでといってはなんですが、要塞内部の情報も伝えておきましょう」

「重ねて宜しく頼むよ」


 黒いゴシックドレスに身を包む大小の影はゆったりとした歩調で再び歩き出した。

 つい先程まで地獄を具現化したような兵士たちに囲まれていたとは思えないほどの余裕を持ち、実に満たされているといった様子で彼女達は真っすぐ進む。

 2つの影は段々と小さくなっていき、やがて敷地の奥へと消えていった。その場に残されたものは、少しだけ痛んだ芝生と、打ち砕かれて粉々になった無数の銃弾の残骸である。



 目の前に障害など何もない。目指す先は己が内に秘めたる理想のみ。



 マリアはそう遠くない未来に思いを馳せながら、今目の前に広がる見事な景色を見て呟く。

「ここは良いな。どれほど長く滞在しても飽きなさそうだ。“どれほど長く滞在しても”、ね」



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