*2-6-3*

 核ミサイルの発射の映像と共に、サンダルフォンのブリッジでは慌ただしく通信の入電音が鳴り渡っていた。

「コード:POC C2K 0002 ベート、識別名エヘイエー 艦隊旗艦メタトロンより入電。太平洋地域、マリアナ海溝に巨大構造物の出現を確認。メタトロンにて観測されている光学映像、出ます」

「巨大構造物よりミサイル発射の報せ。映像データから敵将の発言する核ミサイルと推測」

 別のホログラムモニターが起動し、そこにメタトロンから送られてきた精細な観測映像が映し出される。

 巨大構造物、つまりミサイル発射施設が海中から姿を顕してから間もなく、立ち上がった砲門の1つから勢いよくミサイルが射出される様子が記録されていた。

「ミサイル解析、及び追跡によって落下地点を予測。距離2850キロメートル。日本とミッドウェー島の中間地点付近、北太平洋上、北緯31度、東経162度地点への着弾と推測」

「ミサイル航行速度マッハ8を観測。海上着弾までの時間はおよそ15分あまり」

「周辺地域にはこれを迎撃する手段はありません」

「セントラル2より周辺海域を航行中の艦船に緊急退避勧告を発令。ですが、推定被害範囲からの離脱、間に合いません!」


 誰もがただ指を加えて見ていることしか出来ない。

 アンジェリカは国連と機構の無力さをしっかりと見届けて冷笑を浮かべる。

『あら、威勢の割には何も出来ないのね?マリア。ま、あれが落ちるまで時間は少しあるから冷静に考えてみると良いわ。共和国本土に設置した発射場と併せて、本当は世界各国どこでも狙い撃つことが出来た。でも、今貴方達が話していた通りの地点にミサイルは着弾する。敢えて何もない地域を狙ってあげたんだから感謝しなさい?』

 ブリッジにはアンジェリカの冷酷な笑い声だけがこだました。


「監視衛星より緊急入電。グラン・エトルアリアス共和国本土に、マリアナ海溝へ出現したものと同一とみられるミサイル発射施設の出現を確認しました」


 隊員の報告にマリアはぐっと奥歯を噛み締め、どうにも出来ない状況の中で打つことの出来る最善手を模索する。

 アンジェリカの嘲笑と警報音だけが聞こえる中、ふいに後方のドアが開く音がした。

「ゼファート司監!」

 ジョシュアを先頭に、マークתの一同がフランクリンに駆け寄る。

「マークתか。全員無事か?」

「はい。ヴァルヴェルデ隊員も含め怪我などはありません」

「であれば良い。状況は把握しているな?」

 フランクリンが振り返り、マークתの全員に視線を送ると、ジョシュアを含めた全員が首を縦に振って頷いた。

 緊迫した空気が張り詰める中、イベリスがマリアのすぐ傍に歩み寄って言う。

「マリー、残念だけれどあの子に従うしかないわ」

 そう言うと、マリアは少し驚いた様子でイベリスに目を向けた。

 モニター越しに発言を聞いていたアンジェリカが言う。

『あらあら!よもや光の王妃様が降伏宣言をするだなんて!面白いこともあるものね』

 イベリスはモニターを睨みつけるようにして言葉を返す。

「勘違いしないで。今、私達が乗る船には多くの命が集まっている。私は彼らを、大切な仲間達を傷付けない為に選ぶべき道が“今は”それしかないと言っただけよ。

 リナリアに所縁を持つ者だけが集まれば、きっと今この場から貴女に一矢を報いることも出来るでしょうね。けれど、きっとそれだけ。

 貴女がその気になればこの船も、隣の2隻も簡単に沈めてしまうことが出来る。あのミサイルをさらに放てば、多くの国に甚大な被害を与えることだってできる。

 でも、そうさせるわけにはいかない。これ以上何もさせるわけにはいかないのよ。絶対に」

 その場に集う者の中で一番階級が下である彼女の意見に反対を示す者はいなかった。

 階級という概念を越え、リナリア公国を治める者の伴侶として、国を背負うものとしての風格を示しながら言った彼女の言葉にアンジェリカは嗤うことを止めて言う。

『そう。賢明で良い判断だと思うわよ?国を背負って立つ者としての意見としてはね。不快だし、業腹ではあるけれど、私もかつての貴女と同じように今は国を統治する立場にある者だし、ほんの少しだけ敬意を示してあげましょう。ほんの僅かばかりのね。

 故にここまでのマリアの不敬を許すわ。この場からグラン・エトルアリアス共和国本土へ向かい、私と直接話し合いの場を持つまでの間、貴方達に対しても世界に対しても一切の手を出さないと約束してあげる。

 話す隙を与えてくれないから言わなかったけれど、そもそも最初から私達の望みはその1点だけなのだから』


 昨日早朝の会議でマリアが見込んだ通り、アンジェリカの計画における最大の障害はやはりリナリア公国に所縁を持つ者達の出方ということなのだろう。

 話し合いをしたいと言う彼女の言葉から、その点を何とかしたいという思惑があることは容易に透けて見える。

 話し合いと称して殺し合いを始めるのか、別の何かがあるのかは分からないが、今ここで下すことの出来る決断はただひとつに絞られた。


 イベリスの隣でマリアが拳を握りしめる。

 そしてアンジェリカの言葉を聞き終えたフランクリンが、マリアの言葉を待つより先にブリッジの隊員に指示を下した。

「停戦信号弾放て。以後、本艦隊はグラン・エトルアリアス共和国艦隊旗艦、ネメシス・アドラスティアに追随しグラン・エトルアリアス共和国本土へ進路を取る。念の為、白旗も掲揚しておくように」

「信号弾放て!」

「残存のミラーシステム格納開始。航行速度を維持したままネメシス・アドラスティア直下まで前進します」

「ラファエル級フリゲート1、2番艦へ伝達。我に続け」

 指示を受けた隊員達は矢継ぎ早に行動へと移す。忠実に指示が実行される様子を確認したフランクリンはマリアを見やって言う。

「良いですな、クリスティー局長」

 マリアはもどかしそうな表情を浮かべ、奥歯を噛み締めた様子ではあったが静かに頷いて小声で返事をした。

「あぁ、すまない」

 とても納得したという返事では無かった。しかし、マリアもイベリスの言う通りにするしか方法がないことは重々承知している。

 アンジェリカはマリアの様子を眺めて楽し気に微笑んだ。

 停戦信号を放ち、白旗を掲揚して彼女の提案に完全に従うということ。それはつまり2031年のハンガリー以来、ミクロネシア連邦、イングランド、ドイツ連邦共和国でアンジェリカと対峙してきた機構、国際連盟、ヴァチカン教皇庁にとっては初めての“完全敗北”となることを意味し、この場における無条件降伏を意味していた。

 彼女は最初からこの時の為に、この時の為だけに入念な計画と準備を用意して実行した。

 そう、元からここに至るまでの過程での失敗や敗北など、彼女にとっては〈取るに足らない事象〉、些事であったのだ。

 

 受け入れ難い現実を前に憤りを浮かべるマリアの背後で、アザミが彼女の肩に手をかけなだめた。

 ブリッジ後方では一連の成り行きを見守っていたロザリアと、マークתと共に戻って来たアシスタシアがミサイルの行方を映し出すモニターをじっと見据える。


『結構よ。これで話し合いは成立ね』


 にやりと笑いながらアンジェリカは言った。そして、左手を上げて下に振り下ろす仕草をする。

 同時にサンダルフォンのブリッジで1人の隊員が緊急の報告を伝えた。

「緊急入電。メタトロンの観測により、核ミサイルの軌道が大きく下方へ逸れているとのことです。間もなく海上に着弾します」

 ブリッジがざわめく。もはや避けることの出来ない事象。核ミサイルの海面上での炸裂。

 アンジェリカが言う。

『逃げ惑う憐れな子羊が洋上にいるようだから避けてあげましょうね?あぁ、ようやくこの日が訪れた。さぁ、楽しみましょう?そして刮目しなさい。これが私達、グラン・エトルアリアス共和国にとっての夜明けの光よ』


 彼女がそう言って間もなく、ホログラムモニターが真っ白な光を映し出した。

 音も無く、静かに白い光がモニターいっぱいに広がっていく。夜空が真昼のような輝きに包まれる。そして中央の光が一気に終息すると、今度は遅れてきた轟音が轟き上空に立ち込めた雲を吹き飛ばす爆風が一気に天まで立ち昇り、同時に巨大な水柱とキノコ雲を発生させた。

 周囲の海水は爆発によって生じた熱で一瞬で蒸発し、霧のように辺りを包み込む。

 天高く突き抜けたキノコ雲のさらに上空には、まるで天使の輪のような輝く光輪がオーロラのような光となって燦然と輝いていた。


 メタトロンから送られてくる観測データの数値はどれもが上限数値を振り切った状態で異常を示している。

 世界各地に点在している機構の観測所からの情報が次々とプロヴィデンスに送られるが、それらは先に炸裂した核爆弾の威力がこれまでの単一兵器とは比較にならないほどのものであることを事実に示すものであった。

 炸裂地点から数千キロ離れているとはいえ、一番近くに存在する国家である日本の観測所からは真昼のような明るい光と、遅れて台風の風速を軽く凌駕する爆風が吹き込む可能性を示唆するデータが送信されていた。

 現在のところ電磁パルスによる機器異常の報告は挙がっていないが、何らかの不具合が生じるのも時間の問題であろう。

 爆風が地球表面を3周回ったと言われるソ連の核ミサイルと同様に、時機に世界各国の観測所から同核ミサイルの炸裂による爆風の観測が送られてくるのかもしれない。その初観測地点はおそらく日本とミッドウェー島になる。

 爆発によって抉られた海面の波が、重力によって元に戻ろうとする反動で津波が生じていることも確認された。


「緊急入電。南太平洋諸国に展開する各国軍隊の海軍より、同ミサイル発射施設に対する攻撃を敢行するとの情報が多数流れています」

 報告をモニター越しに聞いていたアンジェリカはマリアへと視線を向け、何も言わずに微笑み続ける。

 まるで“何をすべきか、今ここで示せ”とでも言うように。

 マリアは言う。

「アザミ。セクション6の権限を以って世界各国軍に緊急伝達。即時、ミサイル発射施設に対する攻撃を停止し、併せてグラン・エトルアリアス共和国に対する侵攻も停止せよと」

「承知いたしました」

 マリアの命令を受け、アザミは言われた通りに事を運ぶために自身のデバイスを取り出して通信を始めた。

『貴女もやれば出来るじゃない?マリー?』

 ケタケタと笑い出しながらアンジェリカは言った。さらに嘲笑を継続しながら右手を弾いて続ける。

『ま、仮に彼らがこのまま貴女の言うことを聞かずに侵攻を続けたところで、返り討ちになるのは規定事項ではあるのだけれどね?』


 ホログラムモニターの捉えた映像が核ミサイルの炸裂した場面から切り替わり、再びアストライアーと呼ばれるミサイル発射施設を映し出した。

 カメラは施設付近の海洋を映し出すが、海中には施設とは別の黒い影がせりあがってくる様子が克明に映し出されている。


『ついでだから紹介しておこうかしら?でも、今の貴方達ならプロヴィデンスのデータベースを参照すれば良いことだから口にするのは止しておきましょうね』


 アンジェリカの言葉に続き、1人の隊員が言う。

「メタトロンよりミサイル発射施設アストライアー近辺に巨大な熱源反応を感知との報有り。本艦よりプロヴィデンスのデータベース参照。熱源反応及び艦影より艦種特定、照合完了。艦名、原子力潜水空母〈アンフィトリーテ〉です」


 海洋神ポセイドンの妻であるアムピトリーテをなぞらえた艦名が読み上げられた時、沈黙に伏していたブリッジはさらなる絶望を滲ませることとなる。

 映像から推定される潜水空母の全長はおよそ220メートル超。世界最大級の潜水艦であり、おそらくは搭載している武装についても目の前に浮かぶ空中戦艦と同等のものが装備されているのだろう。

 データベースへの登録上、空母という名称がつけられているからには何らかの航空兵器を搭載している可能性が高い。思い当たるとすれば蝙蝠型の翼をもつあの飛行機だ。

 世界各国の軍隊がまともに相手をして太刀打ちできる艦船でないことは明白である。


『アストライアスだけではなく、アンフィトリーテも核ミサイルを積んでいるの。共和国本土の施設も含めて、今この時を以って私達は世界中のありとあらゆる国を核の傘で包み込んだ。もし仮に、妙な動きを見せる国があればその時は……』


 アンジェリカはそこまで言うと、弾けるような無邪気な笑みを浮かべて高笑いしながら言う。

『どっかーん★きゃははははは!やったね!ついに私達の理想が叶う!叶った★長い長い準備をしてきた甲斐があったってものだね~♪負け続けた戦にも意味はあったってことで。それにしても、それにしても!とても綺麗な夜明けの空★うっとりしちゃう。これはね?私達から、貴方達への贈り物。どう?喜んでもらえたかな~^^きゃははははは!』

 人格交代をして発したのであろう彼女の声をまともに聞き届けた者はいなかった。

 自分達が、世界が置かれた状況というものがいかに悲惨なものであったかをここに来て全員がようやく理解した。


 かつて、ソビエト連邦がキューバに建造した核ミサイル発射施設によってアメリカと静かなる対立をした事件、キューバ危機を思わせる膠着状態。

 誰かが、何かひとつの過ちを犯せばどこかの国が核の炎に包まれる。


 目の前のモニターに映る1人の少女の指先の動きひとつで、文字通り“世界は終わる”。


〈私達の望みは、世界の破壊〉


 アンジェリカが公言した理想の完遂が、目前に迫っていた。



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