*2-5-3*
9月25日 午前2時。
漆黒の大海に暗い影を落とし飛行するネメシス・アドラスティアのブリッジでは、アンジェリカが歪んだ笑みを浮かべて“その時”を待ち侘びていた。
アンジェリカは自分でもどうしようもない程のときめきを感じながら、思わずうっとりする表情を抑えきることが出来ずにいた。
ふわふわの艦長席に座り足をぶらぶらとさせながら、もうじき始まる最高の舞台の幕開けを想像する。
赤黒く燃える水平線はきっと美しいに違いない。
夜空を照らす爆発の光。吹きあがり空に溶け込む黒煙。大気を震わせる敵兵の絶叫と嗚咽。
きっとその全てが自分の心を震わせ、感動をもたらしてくれるはずだ。
もうすぐ、もうすぐだ。
今度は誰の邪魔も入らない。
誰にも邪魔できるはずがない。
ハンガリーやミクロネシアやイングランドやドイツの時とは何もかもがまるで違うのだ。
最高の景色を最高の特等席で。
自分達2人が求め続けた夢の果て。その一端がついに現実のものとなる。
うきうきとした様子のまま、アンジェリカが思わず鼻唄を漏らしていると、索敵を担う兵から報告が飛んできた。
「報告致します。アルゴスにて捕捉している国連艦隊についてですが、本艦の武装射程圏内に間もなく突入します」
「結構結構。お楽しみの時間の始まりよ。それにしても、随分前から向こうのレーダー捕捉範囲に入ってあげているというのに、未だに動きがないということは本当に“見えていない”のでしょうね」
アンジェリカはすぐ隣に控えるリカルドへ視線を送りながら言った。
「はい。システム-ハーデス-が効力を十分に発揮しているようです。以前に、巨大な艦艇が飛行しているなどとは夢にも思っていないでしょう」
「人類の浪漫を見せつけてあげなきゃね」
そう言うと、アンジェリカは艦長席から立ち上がって兵士達に命じた。
「バイデント起動。照準、敵艦隊戦列中央。ミサイル発射管、閃光弾頭ヒューペルボレア装填。敵艦隊前方に照準を合わせ待機。ついでにカローンを2機ほど差し向けてあげましょう。そうそう、別にブリッジ遮蔽までは必要ないからね?」
彼女の命令を受け、兵士達も待ち侘びたという様子で命令の伝達を開始する。
「荷電粒子砲バイデント起動、エネルギー充填開始。本艦航行出力の一部を遮断します。照準、敵艦隊戦列中央。射程圏内到達まで2分。カウントを継続します」
「アイギス-ミラージュ・クリスタル-展開率を縮小。各ビットコントロール、バイデント射線軸より退避。システム-ハーデス-稼働率を70パーセントへ移行」
「閃光弾頭用意。ミサイル発射管1番、極超音速ミサイル、ヒューペルボレア装填。照準、敵艦隊前方。以後は発射指示を待て」
「カローン発進シークエンスに入ります。システム全正常値。前方発進ゲート解放。ビーコンは出すな」
『コントロール異常無し。カローン発進準備よろし』
「アムブロシアー戦闘コードをタイプCに設定」
次々と兵士達から発せられる報告を聞いてアンジェリカは満足していた。
しかし、お楽しみはこれからだ。
最高のショーを楽しむ為の引金は自らの手に握られている。
深呼吸して前を見据える。
だが引金を引く合図をする前に、間もなく訪れる強烈な閃光から視界を守る対策をしなければ。
「総員、対閃光防御用意」
その言葉を聞き、ブリッジにいた全員がいそいそと対閃光ゴーグルの着用を開始する。
アンジェリカはハート形のサングラスをスナギツネを象ったカバンから取り出し装着した。
そして、満面の笑みを浮かべて最後の指示を下すのであった。
「れっつ☆ぱーりぃたいむ☆ミサイルぅ、発射ぁ>▽<」
瞬間。ネメシス・アドラスティアのミサイル発射管から轟音と共に一筋のオレンジ色の閃光が放たれた。
極超音速ミサイル。いかなる防御システムをもってしても迎撃不可能と言われるこのミサイルはマッハ5以上の速度で目標へ飛翔していく。
グラン・エトルアリアス共和国は世界で初めて、ミサイルの巡航速度の世界最高速を維持したままダウンサイジングに成功させ、小型化したミサイルを艦船の武装として搭載した。
間もなく、敵艦隊正面にてそれは炸裂した。
巨大な太陽を思わせる光が周囲の闇を掻き消して視界の一面を真っ白に染め上げる。
朝の訪れを越え、この世界から離脱して別世界へと足を踏み入れたかのような閃光だ。
「きゃはははは!たーまやぁ~☆」
アンジェリカは無邪気に笑いながら言う。はしゃぐ彼女の先では、兵士達が次の行動に向けて指示を発していた。
「閃光の終息まで残り3秒。終息と同時にカローン発進せよ。目標、敵両翼護衛艦群。間違ってもバイデントの射線軸に入るな」
「バイデント、エネルギー充填率70パーセント。現出力でも発射可能です」
「照準固定。発射シークエンススタート。最終カウントより発射権限をアンジェリカ様へ委譲します」
閃光弾がもたらした爆発的な光がふっと消え去った後、地獄のように暗くなった闇夜へ冥界の渡し守である戦闘機カローンが羽を広げて飛び立つ。
蝙蝠を思わせる異様な姿は一度視認すれば忘れることはないだろう。
空を舞うカローンの背後では、ネメシス・アドラスティア艦上部中央に冥府神の持つ槍の名を冠した荷電粒子砲が聳え、砲身の周囲をプラズマ発光による螺旋状の光が覆っている。
槍が穿たれる瞬間が近付く。
「じゃぁ、いよいよ本命を発射しちゃおうかな~☆」
アンジェリカはサングラスを外し、次にゆっくりと右手を持ち上げながら親指と中指を合わせて、にたりとした顔で笑った。
愛くるしい笑みはすぐに狂気に歪み、重ね合わさった指先が弾かれる。
ぱちんっ!
その音こそ冥界の門を開く合図。
エネルギー充填を終えた荷電粒子ビーム砲、バイデントの切っ先からオーロラのように輝く光線が真っすぐに打ち出された。
砲身を包むプラズマ発光は赤く輝き、依然として螺旋を描き続けながら、槍の射出に歓喜を抱くかの如く蛇のようにうねり回る。
コンマ数秒後。
光の軌跡が作り出したのは地獄へと繋がる1本の道筋であった。
敵航空空母の焼けただれた艦橋。剥き出しになった骨組み。赤黒く溶け爛れた金属が煙を上げて燻り続ける。
艦載されていた飛行機の損傷は酷く、デッキ側方部に配置されていた機体以外は跡形すら見当たらない。
つい先程まで目の前に展開されていたはずの国際連盟軍の艦隊中央の艦船群は、一目見ただけで継戦能力が喪失したことが分かる程に無残な姿を晒し、やがて暗い空を紅蓮に彩る火柱を次々と噴き上げながら大小の爆発を繰り返し始めたのであった。
一足遅れて、上空に幾筋ものオレンジ色の火線が一斉に輝いた。接近したカローンに対し敵艦のCIWSが起動し、対空防御を張り巡らせたのだ。
ただ、直線を描くそれはとても美しいが何を狙っているというわけでもなく、行く宛ても目的も無く、明後日の方向へ直線を引くものに過ぎない。
蝙蝠の姿をした、捉えるべきはずの冥界の渡し守の姿は火線が描く先には存在しないからである。
せめてもの抵抗。
そう呼ぶしかない無駄なあがき。
最新鋭のCIWSであれ、新開発の未知の機関砲であれ自動追尾システムなど共和国の戦闘機相手には無意味だ。
あれが飛行している以上は狙って当てられるようなものではない。
さぁ、最高のショーの開幕だ。
今度こそ誰にも邪魔をされない至福のひと時を楽しむことが出来る。
赤黒く染まり始めた水平線を見つめながら、アンジェリカはうっとりとした表情を舞台へ向け続ける。
「あぁ、あぁ、何て綺麗。あの日見た景色と、まるで同じ」
『えぇ、そうね。あれこそが、私達の望むべき景色。待ち焦がれていた情景』
これこそが、罪を犯した世界に対して義憤の女神が下す裁きの在り方である。
もはやこの裁定から逃れられるものなどどこにもいない。逃げ場など無い。
敢えて繰り返そう。
“罪がもたらす報酬は、死である”
そして少女はもう一度指を弾いて最期に言う。
「レイ・アブソルータ〈絶対の法〉。消えゆく命は無に帰せど、汝らの進むべき道筋は示される。残滓。姿なき過去の記憶。15の艦影は健在なり。繰り返して、15の艦影は健在なり」
彼女が言うと、ネメシス・アドラスティアの索敵レーダーであるアルゴスに、先ほどの攻撃で喪失したはずの国連軍艦隊15隻分ほどの艦影が赤い光となって蘇ったのであった。
*
ネメシス・アドラスティアが奇襲を仕掛けるよりも少し前。
国際連盟軍 特別艦隊は機構の艦船との合流地点であるポイントαへ向け進路を取っていた。
穏やかな月明かりが照らす闇夜。目の前に広がる大海の静かな波間。
何一つ障害など見当たらない美しい夜であった。
アメリカ軍 ノーフォーク海軍基地より派遣された第8空母打撃群を中心とする合計15隻の大規模艦隊は、意気揚々と目的の場所へ向けて航海を続ける。
だが油断をしているわけではない。警戒は怠ることなく継続している。
米英仏の連合艦隊が彼の国に半刻足らずで敗北を喫した戦いを忘れたわけではないからだ。
しかし、それでもこのような穏やかな夜に惨事が起きるなどと想像した人間はこの時にはいなかったはずである。
旗艦であるエンタープライズ級原子力空母の艦橋。
どっしりとした佇まいの艦長が当直の下士官へ尋ねる。
「レーダーに映るものはあるか?」
「いえ、何も」
「これだけの艦船を揃えて航行しているのだ。共和国めが何かしら仕掛けてきても不思議はないと踏んでいたが」
「各艦のレーダー状況をモニタリングしていますが、どれも静寂そのものです。共和国本土から出航した艦船などの情報もありません。ある意味では不気味だといえるほどの静けさです」
「やめたまえ。そういう不吉な言葉は真実をもたらす」
「はっ、以後気を付けます」
艦長は溜め息をついて言う。
「すまないな。誰もがそうであるのだろうが、ナーバスになり過ぎているようだ。君ら下士官や兵士の方がよほど重圧を感じているだろうというのに、上に立つ者がこれでは情けないな」
「そのようなことは、決して」
「そうなのだよ。兵士の士気というものは上に立つ者の器によって如何様にも変わる。かくあるべしと言うが、その実は言った本人もそうでないことが多い」
「艦長は今回の作戦に自ら志願されたと聞き及びました。どうしてでしょうか?望めば、本部付の後方勤務も選ぶことが出来たのに」
下士官は一瞬だけレーダーから目を離し、艦長へ視線を向けて言った。
深く息を吸い込み、艦長は言う。
「そうしたいと思ったからだ。連合艦隊があっけなく敗北を喫したと聞いて、おぞましいほどの恐怖を覚えた。だが、何もせずに怯えるだけの無能になり下がりたいとは思わなかった。若い兵士は命令されて戦場へ行く。では我々、立場を選ぶことの出来る者達はどうだ?若い者だけを戦地へ送り込み、机を囲んで知らず聞かずを決め込むことなど出来ようか」
「その言葉を聞いて安心しました。今、とても勇気づけられた気持ちです」
「立場だけ大きくなった老いぼれの言うことだ。しかしな、およそ100年前の戦争を生きた者達も同じような気持ちだったのだろうかと、ふと思う。歴史は繰り返す。繰り返して終わることが無い。未来を作る若者に代わって、我々老人が過去を終わらせねばならぬというのに、こんな時まで君達のような者を結局巻き込んでいる。こんな時間だから言うが、申し訳ないと思っているよ」
艦長の言葉に、下士官は返事をしなかった。
他の兵士たちも皆同様に返事をしなかった。それは艦長の言葉が偏に皆の心を打ったからに他ならない。
他者に責任を押し付ける無能な上官ではない、真なるリーダーがこの艦には存在し、その人物がこの大艦隊を率いている。
そうした厳然たる事実が1つあるだけで、兵士たちの士気を上げるには十分であった。
深夜だというのに、誰も彼もがやる気に満ちた表情を浮かべて自らの役割に徹する。
この夜を乗り切れば、朝には合流ポイントに到達できる。
機構の最新鋭艦船と合流すれば道が開けるという、嘘か真か分からぬ噂話も聞き及んでいる。
暗い夜を越え、希望の朝へ。
世界がどれだけ閉塞していても、この航海の道筋はきっと明るいものに……
そうだ。
誰も彼もが思ったことだろう。しかし、現実というものは常に残酷なものである。
この瞬間に、誰一人として声を上げることが出来なかった。
艦橋のレーダーが高速飛翔体の反応を捉えた瞬間には、既に目の前で太陽が爆発したかのような閃光が炸裂していたのだ。
視界を塞ぐ暇など無かった。暗闇の中で監視を続けていた下士官と兵士達は皆が一様に目の奥に強烈な痛みを得て、突如として“視界を奪われた”。
一時的にではない。
強烈な閃光によって、日食網膜症に酷似した現象が引き起こされたのだ。
本来は太陽を直視し、網膜を損傷する症状のことを指すが、艦隊前方で炸裂した閃光はその現象を引き起こすに十分過ぎるほどの爆発的な光を放ったのである。
光が急速に終息した後、真っ暗となった艦橋にはただ呻き声が響き渡った。
それは照明が消え去ったからではない。その場にいた全員の視界が奪われたことによるものだ。
「誰か、明かりを…」
「見えません。何も、何も見えません」
「どうなっている?何が起きた?」
艦橋では激しい警報音が鳴り響いている。レーダーが敵航空機か何かを捕捉したらしい。
手をこまねくわけにはいかない。何か行動をしなければ。
状況の把握が出来ず、指示を下せないのであれば、出来るものが自らの意思で動くように命令を下すしかない。
艦長は手探りで通信機を掴み取り、各部署へ命令を送るべく発信のスイッチを押した。
しかし、その行為も既に遅かった。
発信のスイッチが押されたと同時に、オーロラのような光が艦全体を包み込む。
直後、周囲の物質全てが恐ろしい程静かに蒸発した。
特殊装甲やガラスなどは何の防御の役にも立たず、艦橋にいた人間は声ひとつあげることを許されずに“存在自体がまるでなかったかのように”跡形もなく一瞬で燃え尽き、オーロラが過ぎ去った後には地獄へ繋がるかのような赤黒い焼けただれた残骸だけが残された。
航空空母であったはずの船は、ただの巨大な鉄の棺桶と化す。
被害を免れた巡洋艦と駆逐艦が敵戦闘機を視認してCIWSで応戦するがまるで歯が立たない。
敵戦闘機はオレンジ色に輝く火線の集中砲火をものともせず、あざ笑うかのように潜り抜けては1隻ずつ、1隻ずつ確実に撃沈していったのである。
爆発の火柱と轟沈の水柱が大西洋に立ち上がり、海上に広がる炎は夜空を真昼のように明るく照らし出す。
各艦から自力でスクランブルしようとした戦闘機は、滑走路が使えないことで垂直離陸を余儀なくされたが、その途中でことごとくが撃ち落とされた。
姿勢を崩した航空機がそのまま艦橋に激突して轟沈した艦もある。
兵士の絶叫と呻きがこだまする地獄絵図。
赤黒く燃え盛り、沈みゆく艦船の甲板上で既に命が尽きかけようとしている兵士は上空を見やった。
何が起きたのかも理解出来ぬまま死ぬことの悔しさ。
きっと共和国の奴らの仕業に違いない。だが、分かったところで何だというのか。
自分に残された道は“死”のみだ。
大西洋上空。
明るい月が相変わらず穏やかに海面を照らすが、一部不自然な黒い影が遠くに堕ちているように見えた。
陽炎のように揺れる靄のようなものが見える。
「あ、れは……なんだ……?巨大な、船?空を、飛んで、いる?」
現実とは思えない。
そこに存在しないはずのものが、まるであるかのように見える。
結局、兵士は答えを得ることなく力尽きた。
数万人の命が大海へと呑まれる。
義憤の女神は、人類が長年かけて積み上げてきた“戦い”という罪に審判を下す。
だが、世界が犯した罪に対する裁きというものは、“ただその場にいただけの人間”に下されるべきものであったのだろうか。
-もし、私達が自らの罪を口にするなら神は真に公正であるから、その罪を赦し、全ての悪から私達を清めてくださるだろう。
-だが、もし罪を犯していないと言うのなら、私達は神を偽者とする。神の御言葉は、私達の内には存在しない。
〈ヨハネの手紙 第1章9節及び10節より〉
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