*2-5-4*

 深夜、午前3時。

 夢。彼女は夢を見た。しかし、彼女の見る夢は多くの人が見るそれとは違う。

 彼女は時に悲しい夢を見る。夢と言う名の“現実”を。

 遠くない未来に確実に起こる事象。避けられぬ運命。定まった未来。“預言”という名の悪夢。


 満月が照らす大海原。その海洋がどこのものかは分からない。

 穏やかに揺れる波に反射する月明かりは15隻の艦艇の進行によって割られ、姿を激しく揺らして消す。

 その時、彼女には理解出来た。この光景に映る15隻の艦艇が自らに深く関与を示す組織のものであることを。

 国際連盟軍 特別編成部隊。アメリカ合衆国海軍 ノーフォーク海軍基地に所属する第8空母打撃群を中心として編成された大艦隊だ。

 グラン・エトルアリアス共和国領海手前に記されたポイントαで機構の艦隊と合流するはずの彼らに訪れる未来。


 夢の景色が変わり、船のブリッジの光景が目の前に広がった。きっと艦隊旗艦である空母のものだろう。

 音は無い。声も無い。まるで過ぎ去った過去の記録映像を音声無しで眺めているかのような光景。

 下士官と言葉を交わす艦長。皆が自信に満ちた表情を浮かべている。

 彼らの瞳からは、目の前に立ち塞がる困難にも果敢に挑むという信念が垣間見える。


 だが、彼らの信念は脆かった。

 直後に彼らの視界は白色で遮られた。

 光が終息した後は、全ての兵士が目を抑えて呻きを漏らす様子が広がっていた。

 その場にいる全員が強烈な閃光によって視界を奪われ、何も見えないが為に状況をひとつとして呑み込むことが出来ない中、船のレーダーは警告を示し激しく明滅している。


 艦長が手探りで通信機を手に取り、何かを誰かに伝える為にスイッチを押そうとした瞬間、今度はオーロラのような光が彼ら全員を包み込んだ。

 彼ら全員、というよりは艦の全てを呑み込むような光。全てを溶かしていく灼熱の光。

“それ”に包まれた者は例外なく、一瞬で蒸発して姿を消していった。


 光が呑み込んでいく。

 空から俯瞰する景色へと変わり、15隻の大艦隊の中央を謎めいたオーロラの光が貫く様子が見えた。

 後に残ったものは赤黒く溶けた鋼鉄の残骸。まるで地獄が入口を顕し、冥界へと続く道筋を示すかの如く。

 光速の波に包まれ、数万人の命が一瞬で溶けて消える。悲鳴も無く、悲しみも無く、何が起きたかすら理解出来ぬまま、彼らはこの世界から姿を消し去った。

 人の意思が溶け合い、無念と悲しみと憎しみが自身の中に流れ込んでくるような感覚が心を襲う。


 これが起こり得る未来?

 違う。起こり得るではなく、確定された未来の姿。


 オーロラの光が艦隊の中央を突き抜けた後、両翼を担っていた艦艇の両脇から黒い蝙蝠のような飛行体が現れ、残りの艦艇に攻撃を加えては次々と沈めていった。

 自動追従型機関砲、CIWSの火線が一斉に放たれるが、黒い飛行体はそれを嘲笑うかのように回避して闇夜を飛び続ける。

 蝙蝠からは小型の機械が放たれ、機械は自律飛行をしながら他の艦艇群を順番に襲撃していく。

 損傷を負った船が爆発し、立ち昇る火柱と炎で周囲が明るく照らされる。


 未来の姿……

 それも違う。おそらくこれは“過去”だ。

 既に起きた出来事。既に終わった事象。


 今、“私が見ている景色は現実だ”。




 マリアの中ではっきりとした答えが結ばれた時、彼女は悪夢から醒めるようにベッドから飛び起きた。

 呼吸は酷く乱れ、額からは冷たい汗が流れる。


 暗い部屋の中で僅かに輝く赤い瞳。

 すぐ隣で彼女の様子を眺めていたアザミはマリアの手を握り、もう一方の手で彼女の額の汗をタオルで優しく拭った。

 アザミが声を掛けるより先にマリアが言う。

「アザミ、私達が出航を命じた艦隊の現在状況を教えてくれ。早急にだ」

 言われるがまま、手元のデバイスを起動してアザミは現況を確認する。そして、映し出された〈答え〉を包み隠すことなく彼女へ伝える。

「艦隊に変わった様子は見られません。およそ1時間前に1、2分ほど通信が途切れる時間があったようですが、特に異常はなく現在も順調にポイントαに向け航行中との定時通信が送られています」

 マリアは視線を落とし、左手で顔を支えるように掴みながら言う。

「そうか、それなら良い」

「何か、見たのですか?」アザミが問う。

「悪い冗談だ。いや、冗談の類であってほしい。そう願わずにはいられない」

「悪い夢を、見たのですね。ですが、貴女の見たそれは……」

「分かっている。覆すことの出来ない現実だ」

「彼らに停船命令を出し、反転帰還を命じてはいかがでしょうか」

 アザミにも分かっている。そのような行為に何の意味もないことくらい。だが、今以上に航海を進めなければ或いはという気持ちを消すことは出来ない。


 2人の会話はそこで途切れた。重苦しい空気が部屋を包む。

 マリアの見る悪夢、いわゆる〈預言〉は絶対であり、決して変えることの出来ない未来の決定事項を示す。一切の例外は無い。

 今も艦隊が健在ということであれば、夢に見た瞬間は日が昇るまでの僅かな間に訪れるのだろう。

 頭を抱えたままのマリアが、どうすることも出来ない未来を織り込んだ上でこの先、どのように行動すべきか思案をしていた時、ふいに反対側から少女の声が聞こえた。


「恐れながら進言いたします。クリスティー局長、アザミ様。“目に見えるものが全てではない”かと」


 マリアは視線を声の主に向ける。

 そこには椅子に座り佇むアシスタシアの姿があった。

 サンダルフォン艦内に割り当てられた宿泊室で、国際連盟の3人とヴァチカンの2人は同室となっている。

 アシスタシアのすぐ脇にあるベッドではロザリアが眠り、自身のすぐ傍ではアイリスが穏やかな表情で寝息を立てている。

 アイリスを起こさないように注意しながらマリアは言う。

「何か感じることでもあると?」

「いえ、私に貴女様やロザリア様のような力はありません。私に与えられた力はただただこの世ならざる怪異を討ち払う“生命に対する絶対の裁治権”のみですから」

「それでも、敢えてこの場で私達に言葉を送ってくれるということは、君自身の中に何か思うところがあってのことだと考えるが」

「感じる力が無いからこそ、私にはこの目で捉えることの出来る情報でしか物事が判断できません。私が先の言葉を貴女様に伝えた理由は、貴女様の隣で眠っておられる彼女が以前に言っていた言葉を伝えたかったからです」

「アイリス?」

 マリアは神妙な面持ちで考えを巡らせようとした。しかし、その時である。

 後ろから服の袖を引っ張られる感覚を覚え、マリアは振り向く。そこで見たのは、呼吸を乱し、目にこぼれそうなほどの涙を湛えて震えるアイリスの姿であった。

「お姉様。光が、命を呑み込んで、全てが溶けて……私の中で声が、悲鳴が、絶叫だけが膨らんで一瞬で全てが消えて……」


 怖い夢を見たというものではない。

 アイリスには感情共有、広義にエンパシーの力が備わっている。他者の魂の色を見たり、他者の心の声を聴いて感情の動きを掴み取るなどの力だ。

 そうした異能を以って垣間見たものが先程言葉で連ねたものだったのだろう。

 そう。彼女の言った言葉は、先ほど自身が垣間見た景色とまったく同一のものである。


 先程、アザミが国連軍の現在状況を確認した時の状況と現実が異なっている可能性。

 マリアがアイリスの言葉がもたらす意味と答えを導き出すのとほぼ同時に、今度は再度反対側から少女の声が聞こえてきた。

「目に見えないものを思考の中で見ようとするより、実際に確認してみてはいかがでしょう。わたくし達の乗るこの艦は〈調査艦〉なのでしょう?確か、高性能なレーダーが搭載されているというお話だったかと」

 いつの間にかベッドから起き上がっていたロザリアは事も無げに冷静に言う。何が起きているのか、先のアイリスの言葉で全てを理解したとでも言うように。


 あとは現実を直視するだけ。


 ロザリアの言いたいことを汲み取ったマリアは自身のデバイスを手に取ると、ある人物に緊急連絡を繋ぐ。

 連絡のコール1回目が鳴った時点で応答があった。

『こちらゼファート司監。こんな夜中にどうかなさいましたか?』

 この時間にマリアから直接連絡が入るという状況に、フランクリンも何かを悟った様子である。彼の声色からはそのような印象がまざまざと窺えた。

「フランク、至急この艦のミラーシステムを起動して欲しい。調査対象は国連軍特別編成艦隊 第8空母打撃群の現在位置だ」

 デバイスからは躊躇いがちな言葉が返る。

『ミラーシステムを?貴女がそう言うのであれば指示には従いましょう。しかし、航行速度をかなり緩める必要があります。到着予定時刻にずれが生じます』

「構わない。頼む、すぐに取り掛かってくれ」

 少しの間の後、了承を示す返事が送られる。

『承知しました。ミラーの展開と情報精査に5分から10分ほど時間を頂きたい。それと、システムによる海上を航行する艦船群の探査となると半径200から300キロメートルが有効走査範囲です。それ以上となると衛星からの情報を加えることになります。いずれにせよ、情報が掴めましたら直接連絡を入れましょう』

「すまない、恩に着る」

 通信を切って間もなく、サンダルフォンが急減速を開始したことが船の動きから伝わって来た。

 小さな窓の向こうを見やれば、小型の無線誘導探査機らしき影が無数に展開されていく様子が見て取れる。


 ミラーシステム。サンダルフォンに搭載されている数多の自律稼働式飛行端末をネットワークで相互接続することにより、従来より超広範囲、超高速でのデータ収集や解析を行うことが可能な最新鋭の装備。

 ミラーシステムの飛行端末のみでの調査に限定すれば最大半径200から300キロメートルが可能で、機構の所有する人工衛星をネットワークを介せば最大半径2000キロメートルの精密調査が可能だ。

 現在位置の特定に関してだけならGPSで事足りると思いがちだが、サイバー攻撃による攪乱などの可能性を踏まえたらどうしても不安が残る。

 絶対にごまかしに効かない“科学の目”による直視でもしなければ信頼性は薄い。特に、アンジェリカという異端を相手取った今の状況では尚更だ。


「マリー、貴女は国連軍艦隊が既に消失していると考えていますのね?」

「夢を見た。とても悪い夢だ」

「夢、ですか。先ほどわたくしの耳にも届きましたが、貴女の見たそれは夢ではなく現実。貴女の持つ預言の力によるものだと考えた方が自然の成り行き。もし、アイリスが感じ取ったものが同じものであるならば、事実として間違いないと言って過言ではないでしょう」

 ロザリアの言葉を聞きながら、マリアはすぐ傍で震えるアイリスを優しく抱き寄せる。


 命が光に溶けて消えていく光景。

 おそらくは数万の人々の怨嗟の声、絶望の声、無念の声を彼女は一度に受け止めたのだろう。とても個人が受け止められるようなものではない。

 暗がりの部屋の中、アイリスは焦点の定まっていない揺れる瞳をそっと閉じ、大粒の涙を零した。


 しばらく部屋に誰の言葉も無かったが、ふいに全員が想像をしていなかった場所から凛とした声が響いた。

「マリー、ロザリー。貴女達も起きていたのね。少し良いかしら?」

 誰に視線を向けるでもなく、俯きがちにイベリスが言ったのだ。

 彼女の左目は青紫色に輝いている。差し詰め、すぐ隣の部屋から自身の異能による分身体を投影してこの部屋に送っているのだろう。

 困惑を浮かべた彼女の表情からは、今が静かなる危機であることを十分に察している様子が覗える。

「マリー、悪い予感がするの」

「君の思う感覚は、きっと予感ではない。既に起きた事実だ」

 イベリスはマリアと、彼女のすぐ傍で震えるアイリスを見やって言う。

「出来る限りで構わない。今、何が起きているのか教えて欲しいの」

 マリアは僅かばかりにイベリスへと顔を向けた後、躊躇いがちにアイリスへと顔を戻して言った。

「アルビジアはどうしている?」

「彼女は今、甲板上よ。私が嫌な感覚を覚えたのとほぼ同時に彼女も目を覚まして、同じように悪い予感がすると言って部屋を出て行ったわ」

 マリアは考えた。

 イベリスの言う嫌な予感と、アルビジアの言う悪い予感というものはおそらく別々のことを指している。

 ただ、詳細について思案している余裕などないだろう。マリアはイベリスに、今の時点で考えられる状況について話した。

「あくまで、確認中のことではある。だが、おそらく私がポイントαに差し向けた国連軍の艦隊が全滅した」

「全滅?」

 戸惑いと哀しみの表情を浮かべて聞き返すイベリス。その奥では静かに話に耳を傾けるロザリアとアシスタシアがいる。

 イベリスの言葉に対し、すぐに答えずマリアは続ける。

「GPSでは艦隊は健在であると示されているが、擬装である可能性が高い。おそらくアンジェリカの仕業だろう。

 アンジェリカは私達のもつ力の全てを扱うことが出来るというからね。数か月前のミュンスターの事件においては、本物とまるで区別のつかないほど精巧な擬態を彼女自身が出来ることを証明してみせた。今回はその応用かもしれないし、別の何かかもしれない。

 例えばそう。君がリナリア島で、島そのものの虚像を何もない場所に投影して見せたようなことが彼女に出来たとしても不思議はないからね」

「失くしたものを、あるもののように見せかけるだなんて……」

 囁くように言ったイベリスの言葉に、マリアは一度だけ頷いて言う。

「イベリス。この夜に君と甲板上で話した時、私は未来を視通す力をもっていると話したが、厳密にいえばそれには2つの種類がある。

 私は自らの意思で先を視る予言の力と、意思に関わらず未来を垣間見る預言の力を持っていてね。意思に関わらない預言は、時と場合を問わずに私の頭の中に景色として流れ込んでくるのさ。

 例えば、人が夢を見るという感覚と同じだ。そして先ほど、私は夢を見た。自分の差し向けた艦隊の全てが、ことごとく討ち払われるという悪夢をね」

「預言。覆すことの出来ない決まった定めのこと?」

「そう。未来を決定づける条件、分岐の先にある枝葉のようなものとは違う。そうにしかならないと決められた運命だ」

 彼女が嘘を言うはずがない。

 言葉通りに、多くの人々が死に至ったということを知ったイベリスはさらに表情を曇らせた。

 すると、マリアの腕の中でうずくまったままアイリスが涙声のまま言う。

「光よ……光が、みんなを呑み込んで、何もかもが溶けて消え去った。多分、多くの人が自身の死を自覚しないままにこの世界から姿を消したの」

「光?」彼女のすすり泣く声と併せて、イベリスは困惑した表情で思わず聞き返した。

「貴女のようなものとは違う。ただ純粋に人を殺すことだけを目的として作られた光」

「今の時代ではレーザー兵器、荷電粒子砲というものが存在するからね」

 アイリスをなだめながらマリアが話を引き取った。


 人を殺す為だけの光。


 イベリスはアイリスの言葉を聞いて息を呑んだ。

 心に温かさを生み出すものではなく、誰かを助けるものでもなく、喜びや希望を見出すものでもない。

 ただ、他者の命を絶つ為だけに放たれる光というものが存在するというおぞましさ。

 人の智慧が生み出したものであるなら、これほど悪辣なものも他にない。

 自らに深く関わるものということもあってか、先の言葉は心を抉るに十分足り得るものであった。


 イベリスは少し眩暈を感じながらも、ゆっくりと小さな窓の設置された壁際へと歩み寄って、そこに置いてある椅子に腰かけた。

「それで、本当の状況をこの艦が確認している最中というわけね」

 マリアとアイリスの話で今の状況の全てを理解してイベリスは言う。

「まだ彼らが生きてくれていればという希望的観測。意味のない期待。間もなく答えが示される」

 マリアがそう言い終わるとほぼ同時に、彼女のデバイスが着信を告げた。相手はもちろんフランクリンだ。

 すぐに応答してマリアは言う。

「私だ」

『事実を申し上げます。この艦は、およそ800キロメートル先に彼らの存在を示す信号をレーダーで受信しておりましたが、ミラーシステムを用いた調査の結果として、その海域には国連軍艦隊の姿は存在し得ないという結論に至りました。まるで、何も存在しない海域に棲む幽霊でもいるかのように、今もレーダーが光だけを灯しているという状況です』

「そうか。分かった」


 マリアはすぐにデバイスの応答を切断した。

 リナリアに所縁を持つ者と、その者に深い関りを持つ者だけが集まった部屋の中。航行する船が立てる音以外は何も響かない部屋の中で皆が一斉に口を閉じる。


 考えることなど無い。

 考えられることなど無い。


 起きた出来事に対して感傷に浸る暇もないが、かといって何を思案すれば良いのかすらもうまく掴めない状況。

 マリアはこのままサンダルフォンがポイントαに向けて航行を続けるべきか否かに思いを巡らせた。

 自分が掴み取ることの出来る未来の景色全てを確認していく。

 間違った決断は即ち、乗艦する全ての人員の死を意味する。それが日が昇った後になるのか、或いは……


 その時であった。

 全員の思考の渦を吹き飛ばすような爆発の轟音が艦首方向から聞こえ、衝撃波を受けたであろう船体が激しく揺れる。

 僅かコンマ数秒後には艦の遥か後方と思われるところから巨大な爆発音が響き渡り、衝撃波が後ろから船を揺さぶった。


 何が起きたのか誰にも理解出来ぬ中、艦内警報が一斉に鳴り響き、異常を知らせる赤い警告灯の光が明滅を始めたのであった。



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