* 1-4-8 *

 ……さて、人智を越えた力と才を持つ彼女達が1つの身体を共有し、持てる力の全てを注ぎ込んで起こした〈奇跡〉が、結果として何をもたらすことになったのかを最後に振り返ろう。


 先に言ってしまえば、結末は実に拍子抜けするものとなった。


 2人の計画は、理想とする形で完遂することはなかったのである。

 世界特殊事象研究機構とヴァチカン教皇庁、現地警察による奇跡完遂に対する徹底的な妨害があった為だ。


 なぜ国家を守るはずの警察が国家を守る為の奇跡を妨害したのか?


 理由は実に単純なもの。

 アヤメとアイリスのやり方は突き詰めて“国の未来の為にならない”からである。

 任せておけば、第六の奇跡によってマルティムも大統領も例外なく殺害されてしまうだろう。

 その時になって国家に残るのは、1人の少女が奇跡の力を以って殺人を行い事件を解決したという“未来永劫消えることのない記録と記憶と烙印だけ”だ。

 どうして事件が起き、どのようにして事件が拡大したのかを調査することも出来ず、将来に向けてどうすれば良いのか議論することすら許されない。

 国民の不満、国民の憂鬱、国民の鬱憤はその時だけは晴れるかもしれない。だが、長期的目線で見て彼女の行いは〈良い意味での解決〉と呼ぶには到底ふさわしいものではなかった。


 ただ、それだけのことである。


 当然、奇跡を打ち破る為にはそれに対抗する為の奇跡の力が必要であった。

 それを用意したのがヴァチカン教皇庁のいけ好かない総大司教であり、それを実現したのが機構のいけ好かない光の王妃様である。

 リナリアの怪異解決以後、機構の調査チームであるマークתの一員となったイベリスの力によって、アイリスの奇跡は打ち破られ破綻した。

 奇跡が打ち破られたのと時を同じくして、現地警察の必死の捜査網によってマルティムは壊滅、大統領は事件の黒幕として身柄を拘束されるに至る。


 ひとつ。マルティムを仕切っていたアルフレッドとベルンハルトを無力化したのはヴァチカンの2人の力によるものだったと付け加えておく必要はあるだろうが。

 重装備で本拠に突入した警官隊であったが、そのほとんどはマルティムの2人だけに良いようにやられ、撤退を余儀なくされるほど追い込まれていたという。

 そこに颯爽と現れ、ものの数分で片を付けたのがヴァチカンの2人であったらしい。


 そういえばロザリアの連れていた人形、確かアシスタシアと言っただろうか。あれは惚れ惚れするほどの出来ではあるが、同時に私達にとってはこれ以上ないほどの脅威でもある。

 玲那斗を殺そうとした時、逆に彼女に殺されそうになったときは本当に心臓が止まりかけた。

 あの人形の存在は気に留めておくことにしよう。

 というよりは忘れたくても忘れられそうにもない。あれに殺されそうになったからというわけではなく、なぜならアシスタシアと呼ばれる人形の容姿はロザリアにとって……


 やめておこう。


 そんなことより、あぁ…しかし、思い出すだけで不思議だ。

 私はあの時。第六の奇跡の最中で、なぜ大統領を自らの手で救うなどという愚行を犯したのだろうか。


 大統領は警察に身柄を拘束された後、自身の意思でナンマドール遺跡を訪れ、奇跡を起こすアヤメとアイリスの手によって神の雷の裁きで焼かれ死ぬ運命であった。

 それは大統領自身の意思であり、彼がナンマドール遺跡を訪れたということ自体、自らの罪を奇跡の少女の意思によって裁かれることを受け入れた証である。

 私にとって、大統領が彼女の手によって殺される瞬間は何よりも待ち遠しく望んだ享楽であったというのに。


 あぁ、それなのに、それなのに。


 当時、機構の妨害によってアヤメとアイリスの第六の奇跡は思うように進んではいなかったが、大統領がナンマドール遺跡へ自ら訪れたことでアヤメとアイリスは何の苦労をすることもなく、イベリスによる妨害を苦とすることもなく大統領殺害を実行することが可能となっている状況であった。


 ところが、である。

 何を思ったか“私は私の意思で彼を助けてしまった”。


 絶対の法の力を使い、彼に注がれるはずだった雷の軌道を逸らし、彼に“絶対に生きろ”と命じてしまったのだ。

 どう考えても失策であるし、私自身が描いていた享楽を自ら潰した失敗であるし、自分でも意味が分からない。

 絶対の法を用いて〈生きろ〉と命じたということは、今後彼の身に降りかかる災厄の類は例外なく的を外すことになるし、絶対の法の制約によって私であっても彼を殺すことが不可能となったことを意味する。

 そうだ。私は〈絶対に彼を殺さないし殺させない〉と誓約したに等しい。


 不老不死とまではいかないが、彼は今後ありとあらゆる災厄による死を受け付けない体質となり、老衰以外での死が許されない身となったのだ。


 あの暑苦しい理想と夢を語るだけの男に何を思ってそんなことを。

 理解できない。自分の行動が理解できないし、残念だし、結果に対して拍子抜けしてしまうのも自業自得と言えるだろう。



 ハード献金を大統領に手渡し、資金援助の代わりに薬物密売組織マルティムを国内に招き入れ、彼らが撒き散らす薬物によって国家をぼろぼろにし、彼らを国内に招く元凶となった大統領が失墜する様を楽しむはずであったのに。

 正義を為そうとして悪に手を染め、最後の最期でアヤメとアイリスの手による神の雷で前身を焼き焦がされる彼の姿を眺めることだけを楽しみにしていたというのに。


『絶対の法を用いて彼の身を守る』などという行為を働いてしまったこと。

 繰り返すが、どうしてだったのか自分でもよく覚えていない。


 夢を暑苦しく語る鬱陶しい人間。それが彼に対する評価であったが、なぜか嫌いにはなれなかった。


 そうか、そうなのだろう。

 彼を嫌いになることができなかった。

 全てはそうなのだ。


 彼の語る理想の中には、不幸を被る国民が存在しなかった。

 リナリア公国で日陰の行いを全て負わされていた私達のような存在はいなかった。

 彼の語る夢は実に明るい希望と幸福で満ち溢れていた。


 そんなもの、実現するはずがないと私自身が誰よりも知っている。

 けれど……そんな夢物語を誰よりも〈羨ましい〉と思ってしまったこと。

 その時点で、歯車の噛み合わせは狂ってしまっていたということだろうか。


 いや、考えることは止めよう。

 自らの楽しみは頓挫してしまったが、第一の目的はきちんと達したのだから。



 薬物依存の人間を用いた【新型合成薬物グレイ】の評価試験及び兵器転用に向けた試験運用というの名の目的は。



 それに、享楽の全てが満たせなかったわけでもない。

 目的を達して計画が失敗した腹いせとして、自分がこの国に呼び込んだマルティムの首領2人は、私自身の手で-しっかりと快楽に浸ったまま-【殺した】のだから。

 抵抗するアルフレッドに僅かな隙を突かれてグレイ入り注射器を刺された結果、過剰投与も併せて神経系が急速破壊されていくという激痛を味わう羽目にもなったが。

 だが、あの痛みもあれはあれで悪くはないものだった。


 白状すれば、痛いのが気持ち良いというのは間違いではない。

 私にとって痛みという罰は愛そのものなのだから。


 事件後、海岸線で物思いに耽っている時に唐突に現れたロザリアから『実はマゾ体質なのではないか?』などと冗談なのか本気なのか分からないことを言われたが、あの女の見立てもあながち間違いではなかったということなのかもしれない。

 冗談だとすれば最悪。本気なのだとしたら及第点である。


 これまで自覚していなかっただけで、何だか開いてはならない悟りを開いてしまったようにも思う。


 まぁ良い。全ては過ぎ去ったことだ。



 それと、遊び半分ではあったのだがアイリスに明確な〈マリアの所在〉というものを吹き込んだことも面白い結果を招いた。


 マリス・ステラ -海の星の聖母-


 キーワードはそれだけで十分だった。

 彼女は私の与えたヒントからマリアの所在を掴んだだけではなく、-ロザリアの仲介があってこそだが-実際にミクロネシア連邦の地で“奇跡の再会”を果たしたのだから。

 アヤメとアイリスは事件終結後の2036年11月にマリアの暮らすスイスへと渡り、元々頭脳明晰、成績優秀であったこともあって現地大学へ飛び級入学を果たすことになった。




 それにしても思い返せば返すほど、〈聖母の奇跡〉という名前は出来過ぎではないだろうか。

 親愛なる人の名が、聖母の名前であったから彼女はそう呼んだのか……


 アヤメ(アイリス)を聖花として持つ虹の女神イーリスは、確かに彼女達の願いを想い人へと伝えた。

 ギリシャ神話に語られるゼウスの伝令使としての役割を完璧に果たしたのだ。


〈良い報せ〉


 アヤメとアイリス。彼女達の名が持つ花言葉である。

 国に平穏を取り戻したいというアヤメの願いは成就し、マリアと再会したいというアイリスの願いも成就した。

 2人が夢見た〈良い報せ〉は確かに、同じ空の続く先、大いなる青空の向こう側、“虹の彼方に”届いたのである。



 私にとっては苦々しい経験の混ざる記憶になってしまったが。



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