* 1-4-7 *

 大統領が私達の申し入れを受け入れてから、随分と長い月日が流れたあの日。

 私は久しぶりに訪れたミクロネシア連邦の地で、不敵そのものの笑みを浮かべながらナンマドール遺跡で巻き起こる“奇跡”の様子をじっと眺めていた。



 西暦2036年8月 ナンマドール遺跡にて


 上空に1人の少女が浮遊している。

 アヤメ・テンドウ。いや、正確にはアイリスが主人格となっているのだろうから、ここではアイリスと呼んだ方が良いのだろう。

 彼女は聖母の奇跡と呼ばれる一連の奇跡における第5番目の奇跡を演じている真っただ中だ。


 彼方の海には暗雲が立ち込め、昼間だというのに空は暗く、目に焼き付くような眩さの流星が幾筋も流れ落ちていた。

 奥では神の怒りを示すかのような雷光が輝き、大海を貫かんが如くの轟音を鳴り響かせている。

 宙に上る少女は集まった数万の大衆を前にして、彼らの脳内へ直接語り掛けるように言う。


『告げる。これは聖母マリアの御言葉である』と。


 彼女は祈りによってのみ国家の瀕する危機は解決に向かう。そう言って人々に祈りを求めた。

 悪しき罪人は祈りという願いの総意によって裁かれ、この世界から葬られると。



 実に面白い与太話もあったものだ。

 何が“神”だろうか。


〈神は人の願いなど聞き届けない〉


 そもそも存在を知覚すら出来ないものの為に、人生における貴重な時間を1分1秒すら捧げるのも惜しいと私は思う。

 いや、訂正しよう。私にとっては人生における“貴重な時間”など無いに等しい。

 無限に続く命。無限に続く時間。ただ、そのようなものを持ってすら、やはり“祈りを捧げる時間”などというものは馬鹿馬鹿しいと思ってしまうのだ。

 私は嘲笑にも似た笑みを湛えたまま、心の中で彼女の言葉を嗤った。だが、あの場に集まった多くの人々にとって彼女の言葉は違って聞こえたらしい。


 理解し難いことである。


 グレイの兵器転用試験運用の為に、マルティムを島へ引き込んで丸5年が経過した頃に起きた1人の少女によってもたらされた奇跡。

 かの有名な〈ファティマの奇跡〉の再演。

 人々は皆、彼女の起こす奇跡の行いを疑うことなく信じ、そして見事にありがたがっている。


 これを滑稽と言わずしてなんと形容しよう。



 私は知っている。

 彼女は何もこの国に生きる民の為だけにあのような行いをしているわけではない。

 半分はそうであるのだろうが、もう半分は突き詰めると“自分の為”であるのだと。 


 余興だ。

 罪人に対する裁きを高らかに宣言する少女が、なぜそうした奇跡を行うに至ったかについて語るとしよう。

 それについて、当時も今も〈聖母の奇跡〉と呼ばれるこの事件を根本から語るには、少し時を遡らなければならない。

 彼女が“奇跡を起こすきっかけ”となったある出来事についてを。



 振り返って西暦2035年の夏、薬物汚染に揺れるこの国に対して国際連盟の秘密裏の介入が繰り返される中、彼女-当時はアヤメを主人格としていた中に存在していたアイリスの魂-にとってひとつの契機となる出来事が起きた。


 マリアがこの国を訪れたのである。


 2031年の夏以後、薬物密売組織〈マルティム〉を通じて危険薬物の密売が横行していたこの国では、観光地開発に精を出すはずの労働者が様々な危険ドラッグを使用することによって壊滅的な被害を被っていた。

 労働者は皆、薬物の売人から『精力剤』や『疲れを取る栄養剤』といった名目で薬物を受け取っていたという。

 その辺り、どのようにして売買していたのかなど私の知る所ではないが、とにかく元々犯罪というものが身近に無かった国の民にとっては、そうした言葉を怪しむという文化自体が無かった為に瞬く間に薬物による被害は拡大していった。

 現地警察による懸命な捜査が続けられていたが、そうした努力を嘲笑うかのように彼らの目を掻い潜って薬物は蔓延を続けた。

 無理もない。シルフィーの計画とリカルドの根回しの裏をかくなど、現地警察のような存在だけで対応できることではないのだから。


 もとい。被害の中でも特に、西暦2034年以後に確認されるようになった謎の奇病じみた症例の件は全世界へと情報拡散されるようになり、当該国であるこの国のみならず世界規模で懸念がもたれるまでに至った。

 私達だけが正体を知っていた〈グレイ〉による被害のことである。


 奇病の症状とは、人が変わったように多幸感に包まれていた人間が突如としてけいれん発作を起こし、全身から血を噴き出しながら死に絶えるというもので、普通の感覚の人間からすれば紛うことなく悪夢じみた地獄の光景そのものだっただろう。


 そのような見たことも無い奇病の原因が何であるのかを突き止めなければならないということで、もはや一政府の努力のみで何とかなる問題ではないと考えた国際連盟も動きを活発化させていた。

 いずれにせよ、グレイによる被害状況や対策を話し合うために、国連 セクション6の重鎮であるマリアがこの国を秘密裏に視察しに訪れたというのが“契機”となる出来事であったことに間違いはない。


〈存在しない世界〉からの来訪者、マリアの入国を誰よりも喜んだのは他でもないアイリスだった。

 何せ、千年もの長い歴史を経てようやく巡り会えた最も敬愛した人物なのだから。


 アイリスはリナリア公国七貴族出身の人物で、医療や生活保障などを司っていた〈デ・ロス・アンヘルス〉の家系に生まれた令嬢である。

 公国が存在した当時から年上であったマリアと非常に仲が良く、彼女を指して『お姉様』と呼び慕うほど心酔していた。

 故に、死した後に現代へ魂を顕現させた彼女にとって、心から慕うマリアが目の前にいるというだけでも大事件であったと言えるだろう。

 

 ただ、アイリスが現代に魂を顕現した後からの事情は少々複雑で、彼女は彼女の肉体のままま存在を保っているというわけではない。私やマリアのように自己の生きていた当時から変わらない肉体のまま生きているわけではないのだ。

 ロザリア、イベリスとも違い、アイリスは現代に生きる1人の少女の中に1つの人格として目を覚ますという少々変わった目覚め方を果たした。


 その1人の少女の名はアヤメ・テンドウ。

 ミクロネシア連邦のポーンペイ州、ポーンペイ島のコロニア市内で生まれ育った現地民の少女で2036年時点では12歳という年齢であった。

 興味が湧いたので調べたところ、ナーンシャペと呼ばれる精霊の魂を治める巫女の家系に生まれた彼女は、一族の中でも飛びぬけて優れた資質を持つ少女であったという。

 そんな彼女の中にもう1人の“彼女”であるアイリスが顕現したのはおそらく2031年の冬辺りだろう。

 以後、ひとつの身体に2つの魂という奇妙な同居生活を過ごしていたのだろうが、アイリスが取り立てて目立った行動をするわけでもなく、アヤメに危害を加えるわけもなく、ただただ当時は月日が過ぎていっていたものだと想像できる。


 振り返れば、アイリスはリナリア公国でも目立つ存在ではなかった。

 自由を謳歌して遊ぶイベリスとマリア、そしてレナトを木々の影からこっそりと覗いているようなタイプの少女であったのだ。

 今の時代であれば雰囲気が暗いだの根暗だのなんだのと言われ嗤われそうな、そんな彼女に自ら声を掛けたのがマリアであったという。

 当時、2人の間にどんな会話があって、どれくらいの親交があったのかも定かではないにせよ、アイリスのマリアに対する“依存ぶり”から察すれば、それは溺愛や信仰・崇拝に近いとすら思えるほどのものであることは明白だ。

 狂信の類だろう。私ですら怖いと思うほどなのだから。


 そんな経緯をもってこの地で何の目的もなく存在を保っていたアイリスは2035年の夏、アヤメという少女の身体の内からポーンペイ国際空港へ降り立ったマリアの姿を見たのだ。

 当然、アヤメの中に存在を宿していたアイリスは空港で見た少女が〈マリアであること〉をすぐに見抜いた。

 千年もの間、再会を夢に見ていた相手が目の前に現れた時の感情がどういうものであったかなど語らずとも何とやらであるが、喜びの度合いはやはり想像に余りあるものだっただろう。


 その後のことだ。

 アヤメとアイリスは互いが互いの願いを共にし、互いの願いを叶えるが為に〈奇跡の再演〉を起こそうと計画したのは。


 元々、体の持ち主であるアヤメは自国で巻き起こる薬物事件について非常に深い悲しみを抱いていたという。

 そんなアヤメの願いとは、薬物汚染に揺れるミクロネシア連邦からの薬物廃絶と、密売組織の壊滅であった。

 対するアイリスの願いとは、目の前に現れた敬愛する人物であるマリアに『自分の存在はここにある』と知って欲しいというもので、どうにかして再会したいというものだった。


 薬物密売を根絶しつつ、どこにいるとも知れない敬愛する人に自分の存在を知ってもらう。

 つまり『強大な組織に対して喧嘩をふっかけて、世界中に報道されるほどの大事件を巻き起こす』ことで2つの願いを同時に実現しようと考え、1つの形となったものこそ、ファティマの奇跡の再演であり、〈聖母の奇跡〉というわけなのだ。


 ……と、アイリスとアヤメが聖母の奇跡を起こすに至った経緯とはそのようなものだ。

 半分(半身)は故郷の為、半分(半身)は自分の為。互いに半分は相手の為に。


 いやはや、執念怖い。心の底からそう思う。

 普通、1人の人の為にそこまでするだろうか?しかも、意図や意味が伝わるかどうかすら分からないのに。


 ……失言だったか。普通ではない人間に普通を語ることなど意味がなかった。


 何はともあれ、私が嘲笑したのは他でもない。

 空中でマルティムの罪と、彼らに与える罰について語る彼女の“滑稽さ”についてだ。

 誰かの為であると言いながら、その実は自分の為だったという奇跡。


 国の未来を守るという正義の為に、完全なる悪であるマルティムを裁くという崇高なる願い。しかして、完全なる善の中には自愛のエゴが潜んでいるという矛盾。

 アヤメもアイリスも、互いが互いの願いを受け入れた時点で、一連の奇跡は〈完全なる善〉とは言えなくなっていたのではないだろうか。


 この世界に完全なる善などなく、逆もまた然り。


 マルティムは大統領を通じて莫大な金銭を落とすことに貢献してもいたのだから、こちらもこちらで〈完全なる悪〉とは言えないだろう。

 その莫大な金銭が国家繁栄の礎となっていたことも事実なので、少なくとも私はそう思わずにはいられない。




 さて。次の第五、第六の奇跡をもって彼女の考えた計画は全てが終わりを迎える。

 その時に、果たして彼女達は真なる意味での笑顔を見せることが出来るのだろうか。

 願った想いの通りに奇跡が完遂できるのだろうか。興味は尽きない。


 私達にとっては実験過程でもたらされた、思いもよらぬ奇跡という名の妨害。


 しかしそれも良い。

 1年に渡る実験の末、グレイの試験運用もほぼ終了した以上は彼女達の奇跡による“計画の摩擦”は享楽の一部に過ぎなくなっているのだから。


 残された期間。私達にとって見るべきものは数少ない。

 事件の黒幕の1人である大統領がどのような末路を迎えるのか。

 マルティムがどのような悲惨な最期を迎えるのか。

 アイリスとアヤメがどのような結末を迎えるのか。


 それだけだ。中でも大統領の末路は楽しみである。

 事件に深く関わる罪人である大統領が、自国民の1人であるアヤメに殺される瞬間が訪れると考えるだけで高鳴りを抑えきれない。


 加え、残された2つの享楽の行く末も考えただけで嗤いが止まらない。


 いうなれば、一連の奇跡ですら私達にとってはただのエンターテイメントのひとつでしかなかったのである。


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