* 1-2-10 *

 12月25日 クリスマスの夕刻。

 寒気満ちる冬の空から光が急速に失われてゆく。陽の落日と共にその時は来た。

 ハンガリー南部の町、リュスケにおいて難民狩り事件はついに終幕を迎えることとなる。


 セルビアとの国境からそう離れていない公園の中、聳え立つ比較的大きな1本の樹の上に私は陣取り監視対象を観察していた。

 ここがライアーやマリア達の動きの全てを観察できるベストポジション。公園の周囲一帯は背の高い茂みと枯れ樹に囲まれているが、唯一この場所からなら何に視界を遮られることなく全方位を見渡すことが出来る。

 誰にも気付かれぬように絶対の法を用いて完璧に姿を隠匿した状態である今、私の観察を阻むものは真なる意味で何もない。


 それにしても、ハーデスの兜を用いて公園の中で身を潜めるライアーの姿を眺めるのは実に感慨深いものがある。


 西暦2015年。セルビア国境とハンガリー国境を繋ぐこの町へと大量の難民が押し寄せた難民危機から16年余り。

 誰もが“重大な問題”であると認識していたにも関わらず、誰一人として解決に向けて動くことも無く、現実として何一つ解決されないままの道筋を辿ってきた結末が“これ”だ。

 世の中の仕組みというのは非常に巧妙且つ、うまくできているものだと誰かが言っていた気がする。

 しかし、その仕組みというものはすべからず強者と弱者という二層構造によってのみ成り立つものであることを、その誰かさんは指摘しなかった。

 生まれ付いた場所の環境のみに依存して、生涯における優劣が決定してしまうような現代社会のどこが“うまくできている”というのか。

 人は生まれ付いて皆平等だと嘯く、ありがたい教えがこの世界にはある。

 個人的に言わせてもらえば、真顔でそうした教えを説く輩の気が知れない。むしろ“気が触れている”のではないかとすら思う。


 残念無念。

 誰かにとって都合の良い世の中というのは、常に誰かの犠牲の上に成り立っている。

 都合よく世界を動かしたいと考える誰かの支配によって、あたかも全てが“うまく運営されている”ように見せかけられた虚構に過ぎないのだ。

 上手くいっているのは実の所、利益を得る為に運営の糸を握り操っている一握りの人間であるというのに。



 ……もとい。

 それより、大国の国家元首すら超越する権力を持ち、実質的に世界の頂点に君臨する遠くに見える小娘もそんな〈誰かさん〉の内の1人であることに疑いの余地はないのだが……にも関わらず、彼女は目の前で起きた現実を憎み、これを良しとしない。


 これは大いなる矛盾だと思う。

 彼女は現代社会において、ただ黙っているだけで幸福な暮らしを約束された“権威ある人間”の1人となった。

 誰が何と言おうと、彼女の地位が脅かされることなど有り得るはずもないし、彼女が世界の問題に対して何もしなくても批判を浴びせられることもない。


 であるなら、どうしてマリアという少女は難民問題というものにここまで固執するのか。

 答えは明白だ。矛盾など存在しない。


 結論を言ってしまえばただのエゴである。

 自分が同じ立場であったから、苦しい思いをする人間達を放置することを良しとしない。


 やれやれ、何という美しい思想なのだろう。

 外見の容姿や恵まれた知性や才覚のみならず、思考に至るまでが崇高であるとは恐れ入る。

 だからこそ私は彼女を“受け入れることが出来ない”。



 今、私の視線の先にはアザミを伴い、ハーデスの兜の力によって身を潜めたライアーと対峙するマリアの姿がある。

 忌々しい。


「ねぇ、マリア。貴女だって、他者の犠牲を踏み台にしてその地位に就いた為政者であり、偽善者の1人でしょう?そんな貴女が、その男を前にして〈許せない〉と語る道理がどこにあるというのかしら」


 どれほど辛い過去を抱えていようと、彼女だって今の世界の仕組みを作り上げた内の1人に違いない。

 ライアーのような人間を生み出し、彼のような存在が同胞であるはずの難民に対して牙を剥くことを阻止できなかった責任は彼女にもあるはずなのだ。


「おっかしいの。立場によって変わる正義に振り回されているのは、結局のところ貴女だって同じなのにね」


 言葉とは裏腹に、いつものように無邪気に笑う気にはなれない。

 憂鬱な表情を浮かべながら対峙する双方を見やる。視線の先ではライアーの存在を確信したマリアが彼に対して出て来いと呼び掛けたところだ。

 そうして、たった今マリアの呼び掛けに応じたライアーが、ハーデスの兜の効果を解除して姿を現し、彼女に銃を突き出し構える。


「無駄無駄ぁ~。なのに、当たれば良いのにぃなんて思っちゃうんだなぁ、これが」


 狙いは彼女の心臓。

 1発の銃弾で仕留めようという魂胆がライアーにはあるに違いない。多少の距離がある分、頭を狙うよりは心臓を狙う方が、仮に外したとしてもどこかしらに被弾しやすいだろうという浅墓な考えが読み取れる。

 だが、ライアーは知らない。標的の後ろに控える神という存在によって、自身の打ち出した銃弾は文字通り弾き返されるということを。

 この場で心臓を撃ち抜かれるのは他の誰でもない。ライアー本人である。

 わざわざ未来視で確認するまでもなく、この流れは規定事項であるのだ。



 そのはずであった。



 しかし、ライアーが銃の引金を弾こうとした瞬間、視界の端から猛烈な勢いで1匹の子犬が彼の方に向かって走り飛び掛かっていく様子が見えた。

 子犬は猛然とライアーに向かって走っていき、彼に飛び掛かる。と同時に、ライアーの構えた銃から弾は発射された。



 これは何?やめて。

 このような光景は私が望んでいたものではない。

 目の前で起きた出来事に、私は呆然とするしかなかった。



 放たれた銃弾はマリアを捉えることも無ければ、アザミによって弾き返されることも無ければ、もちろんライアーを捉えることも無かった。

 狂気の弾が撃ち抜いたものは、あの小さな子犬の身体であったのだ。


「嘘……」


 私の声は震えていた。

 声に出すはずではなかった小さな呟きが漏れ出る。


 違う、違う、違う。

 このような未来は視えていなかった。

 このような未来を視たいなどと思っていなかった。


 この地にマリア達が到着した時、彼女が別の場所に向けて走り出す子犬とフロリアンを制止しなかったのを見て、良い兆候であるとすら思っていたのに。

 理由は、そのことで彼らの身の安全が確保されたと思っていたから……実際にそうであったはずなのだ。


 またか。

 現実はいつだって残酷な結末を用意している。このような結末を誰が望んだというのか。

 それとも、天上の神という存在は〈誰も望まない結末〉を力を持たない人間達に見せつけることが趣味であるとでもいうのだろうか。


 であるならば、私以上に悪辣で陰湿な感性の持ち主であると讃えなければならない。

 神の弱さは人より強く、神の愚かさは人より賢い。

 しかし、神はその強さと賢さを過信するが故に、人から見れば何よりも愚かであるようにしか見えない。



 あぁ、こんな世界の何が“うまくできている”のだろう?



 視線の先には私と同じように呆然とした様子で立ち尽くすマリアの姿と、後から駆け寄ってきたフロリアンの姿がある。

 標的を外したライアーはその場で留まることに危険を感じたのか、逃走の為に背の高い茂みの中に逃げ込み、アザミがその後を追った。

 マリアは静かに子犬に近付いて跪くと、自らのドレスが血に染まることなど顧みず、血だまりに沈む子犬を抱きかかえて何も言わずに肩を震わせていた。その肩をフロリアンが優しく抱く姿が目に映る。



 あぁ、疎ましい、疎ましい、疎ましい!

 あぁ、口惜しい!口惜しい!口惜しい!



 最後の結末がこんなものでは、これまでの行動に対する全ての割が合わない。

 せめて……せめて、本来この場で死すべきであった人間の命が面白おかしく絶たれる様を見届けてやらなければ、このやり場のない感情を治めることは出来そうにもなかった。


 無意識に力がこもる奥歯を噛み締めたまま、ライアーとアザミが向かったであろう先へと自身も向かうことにした。


 難民狩りという享楽を存分に楽しんだ男の末路はこの後に訪れる。


“苦しみ、悲しみ、泣け。その愉しみを悲しみに、喜びを憂いに変えよ。”


 私が転移の為に実体を解く瞬間、周囲に赤紫色の光の粒子が散り、それらは西に沈みゆく太陽によって照らされて輝く。

 何も言わず、何も想うこともない。私はライアーとアザミの元へと向かう為、絶対の法による転移を行使した。


                   *


 もっと、もっとだ。

 もっと無惨に、もっと冷酷に。

 華々しく散るがいい。散るべきだ。

 そうだ。私が見たかったものはこれだ。



 周囲一帯を枯れ樹と背の高い茂みが覆う地帯に2人の姿はあった。

 神の力によって周囲を異界化し、何人も近付けぬようにした上で、ただ冷淡に神罰の刻を執行するアザミと、全身を無数の黒棘によって貫かれ、地獄の苦痛を味わっているライアー。

 鋭く長い棘によって全身を貫かれ、針山のような姿で血に染まったライアーの身体は、アザミという彼女の名を体現するように“真っ赤な花”を咲かせていた。


 こういう時に絶対の法は便利である。

“私は神の異界をこの目に映す”と念じるだけで、誰も近付けない、目視することが叶わぬはずの世界を見ることができるのだから。


 先の鬱憤を振り払うかのように無邪気に、そして満面の笑みを浮かべて絶命する瞬間の男の呻きを愉む。


 神は神でも、今目の前に見える“あの神”は愚かな神とは言い難い。

 それは彼女が既に純然たる神ではない、悪魔という存在に身をやつしているからなのかもしれないが。


 罪には罰を。

 この世界における〈絶対の法〉である。

 それこそが、自身にとっての唯一無二の理であり、存在意義であり、愉しみである。

 それだけが、自身にとって許された〈唯一の愛〉の示し方である。


 そうだ。今、私の視界は“愛”に溢れている。

 生きていること自体が罪となった男に対する神罰。

 愉快、愉快、愉快に過ぎる。


 アザミはライアーに向かって、自身の与える神罰は自らが仕える少女の抱える精神的な痛みよりは優しいものだと言った。

 彼女がそう言うのだからきっとそうなのだろう。しかし、その苦痛を体感として教えてあげるだなんて何と優しく慈悲深い神なのだろうか。

 私は彼女の〈愛の示し方〉に対し感情的な喜びを見出した。

 素晴らしい。アザミ当人にとってはまったく異なる解釈による神罰執行なのであろうが、自分にとってあれは〈愛〉以外の何物でもない。


 あぁ、世界の全てがこうであれば良かったのに。


 眼前で繰り広げられる愉快で一方的な殺戮を目にして思うのはそんなことだ。


 楽しい、楽しい、楽しい。

 感情を揺り動かされる景色を前にして、想像するだけ野暮な考えがふと頭を巡る。

 いつの日か、彼女の目の前で彼女が仕える主人を同じように殺した時は、彼女はどのような表情を見せてくれるのだろうか。


 世界の全てを破壊するという目的の為には、マリアという壁は絶対に倒して越えなければならない対象だ。

 であるからして、私がいつかマリアを同じように串刺しにするか、煮るか焼くかして殺す日が来るのも道理である。


 きっと、ベール越しにも分かる見ごたえのある表情を浮かべてくれるに違いない。


 答えは遠くない未来にわかるはずだ。きっと、そう遠くない未来に。

 その時は、必ず来る。


 私は近い将来訪れるであろう享楽に想いを馳せつつ、目の前で繰り広げられる“最高のエンターテイメント”を最後の瞬間まで満喫した。


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