* 1-2-7 *
楽しい、楽しい、楽しい!
なんという素晴らしい結果!
ライアーは私の想像を超える楽しみを日々提供してくれていた。
メディアが彼の起こす事件のニュースを伝えるたび、私の心は歓喜と嬉しさで震え、自然と笑みが溢れてくる。
ハーデスの兜を渡せば、彼が快楽殺人の道に走ることは既定の未来ではあった。
だが、これほどまでに私達を満足させるやり口でそれを実行するとは……嬉しい誤算もあったものだ。
新兵器を渡しておよそ1か月。ライアーはハーデスの兜を巧みに使い、セルビア側の国境でハンガリー入国を目指す難民の中から獲物を定め『国境を越えさせてやる』と嘯いて連れ出しては殺すという所業を繰り返した。
ライアーの殺人が自分を楽しませた理由は、彼のやり口が“人間の精神”に対して強く働きかけるものであったからだろう。
彼に銃を突き付けられ、命の危機を感じた人間達が見せる絶望の表情。そこでライアーは“言う通りにすれば助けてやる”という希望を僅かにちらつかせ、相手に僅かな落ち着きを取り戻させる。
冷静な判断力を失ったまま、命が救われるかもしれないと思った人間が刹那に見せる希望の表情。
しかしライアーは直後に自らが提示した条件が偽りに満ちた〈嘘〉であると明かし、彼らの希望を嘲笑い、踏みにじるのだ。
〈助かる〉という希望が断たれた相手は、その瞬間に最初に浮かべて見せた絶望の表情よりも格段に深い恐怖の色を滲ませることとなる。
ライアーはそうした一連の“精神的な駆け引き”を楽しんだ後、相手をあっけなく銃で撃ち殺す。
さながらおもちゃで遊ぶことに飽きた幼い子供のように。
この殺人方法は私を大いに昂らせ、満足させるものであった。
人間の見せる感情の波というのは実に愉快なものだ。
憎悪、悔恨、憤怒、悲嘆、絶望、諦念。こうした負の人間心理が暴かれる瞬間というのは、決まってその人物が持つ“本性”が露わになる瞬間でもある。
意識高く崇高ぶっている人間が、自らの感情に呑まれて絶望の淵に堕ちていく様を眺めるのはこの上ない快楽と享楽だ。
さて、それはそれとして。
巷で〈難民狩り〉と呼ばれるようになったこの事件の影響で、今や国境周辺には元来より配置されていた国境警備隊と警備ドローンのみならず、地域を管轄する警察をも総動員しての予防線が張り巡らされている。
何せ、もうすぐ国連特別総会がこの国では開催されるのだ。難民問題解決に向けて世界が話し合いを行う……その歴史的大舞台を前にした国際連盟にとって、ライアーが行っている〈難民狩り〉事件は侮辱や挑発の類と同義であり、同時に解決しようにも糸口が掴めぬ頭痛の種となっているに違いない。
愉快愉快。実に愉快で笑いが止まらない。
痛快至極とはこういうことを指すのだろう。
おかげで元々用意していた仕掛けも、より一層の効果を発揮しているとさえ言い切ることが出来る。
私が自ら行った“仕掛け”とはただ一つ。
事件が起き始めてしばらくが経過した12月の2週目に、国際連盟のとある部門に対して1通のメールを送ったというそれだけのことだ。
ただそれだけのことなのだがしかし、これが何よりも重要な意味を持つ。
私がメールを送った相手は、マリア・オルティス・クリスティーである。
存在しない世界などと呼ばれる国際連盟秘匿部門 機密保安局 -セクション6の局長、未練がましく現世に生き残った同胞。
公国にいた時から〈完璧なる才女〉などと呼ばれていた、あの麗しき局長殿宛に戯れのメールを寄越して差し上げたのだ。
昔から彼女が生きているということ自体は知ってはいたが、よもやこのような形で関わる時が訪れようとは。
運命の悪戯。
そう言う以外にふさわしい言葉も見つからない。
彼女はさぞ驚いたことだろう。公に明かしていないはずの自分達の存在を知る何者かから、世界では未だ研究段階であるとされる新兵器の機密情報が漏れた可能性を示す情報が匿名で送り付けられたのだから。
きっと大慌てで火消しにやってくるに違いない。
マリア、マリア……麗しき才女。
千年を経過した今でも彼女の姿をはっきりと思い出すことが出来る。
金色の緩やかなウェーブの掛かったミディアムヘアに宝玉のように美しく輝く赤い瞳。ドールのように均整の取れた愛らしい容姿を持つ可憐なる少女。
人でありながら人の道を外れ、未来を視通す目を持つ人智を越えた者。
私達と同じ、普通の人間から見れば化物や怪物としか言いようのない異能を兼ね備えた歴史の残滓。
そういう彼女の傍らには常に、彼女自身をそのような存在へと変えた、神でありながら悪魔に身を堕とした者が常に控えている。
あぁ、怖い怖い。
あの神様とはまともに正面切って争いたくなどないものだ。
少し話が逸れてしまった。
繰り返すが、今頃きっと彼女は慌てふためいてハンガリーの地へと訪れていることだろう。
慌ててこの地へやってきて、国連の面子を丸潰しにしようとしているライアーの捜索を局長様直々に開始している頃合いに違いない。
とは言うものの、彼女が〈国連の面子〉などという余りにもちっぽけな動機の為だけに自ら行動を起こすほど愚かでないことも重々承知している。
事件に対する怒りを抱き、ライアーを追い詰めて亡き者にしようとする心理を働かせることが彼女自身の過去に由来していることも。
マリアは難民に対する想いが人一倍強い。
なぜなら、リナリア公国という祖国を失った彼女という存在もまた〈難民〉であったのだから。難民であったが故に、生き延びた先の地でこの世の地獄を味わった彼女は、出来ることなら戦争によって行き場を失くした難民たち全てに手を差し伸べ救いたいと考えていることだろう。
マリアはライアーの行う〈難民狩り〉という所業を許すはずがない。
であるからには必然、可哀そうなライアーは神に等しい存在の怒りに触れ、間もなく身を滅ぼすこととなる。
データ集めを最優先に気にするアビーには申し訳ないが、私が真に見たかった最大のエンターテイメントとはこちらのことを指す。
ライアーにハーデスの兜を渡した結果として起きる事件など本来、実験過程におけるただのおまけでしかなかったし、元々はこちらの目的の方がよほど享楽としての楽しみを孕んでいたはずなのだが、彼が難民狩りを行う様が存外に愉快だったので危うく手段と目的が入れ替わってしまうところであった。
神様が人間を殺す瞬間を直接目に出来る機会など、そうそう訪れるものではない。
しかし、その瞬間はもう間もなく訪れる。
彼にとっての災厄、終末の日。最後の審判。
文字通り、世界を敵に回した男に与えられる神の裁き。
私が自らの労を惜しまず行動し続けるのはただひとつの享楽の為。
全ては男が儚くも命を散らしていく瞬間を目撃したいが為だけに……だ。
そう、全ては“享楽”の為だけに。
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