* 1-1-4 *
「どこだろう?ここ ´・ ・`」
波に揺られる船に身を任せ、辿り着いた先で開口一番にアンジェリカが放った言葉はそれだった。
当たりをきょろきょろと見渡すが、一面に広がっているのは見たことも無い景色である。
着々と近代化を迎える世界。当時の欧州先端を走っていたイングランドから大西洋を渡り彼女が目指したのは、自らの生まれ故郷である〈リナリア島〉であったはずなのだが……
どうやら違う島へ辿り着いてしまったらしい。
『目的とは随分違う場所に流れ着いたみたいね』
私が言うと、無邪気な表情でアンジェリカは答えた。
「そうだねー。でも、きちんとどこかの島に辿り着いただけましかもー?」
浜辺から島へと上陸した私達はそのまま海岸を抜けて奥地へと足を進めた。
人のいる気配は今のところない。無人島だろうか。
「う~ん、誰も見当たらないねー?無人島かなぁ。困った困った」
言いながらアンジェリカがさらに歩みを進めようとした時、不穏な気配を感じ取り私は言った。
『待ちなさい。左の草むらに人が隠れているわ』
左?
不思議そうな顔をしたまま、アンジェリカは言われた通りに視線をそちらへと向ける。すると確かに、2つの人影が視界に入った。
『だけじゃないわね。囲まれているわ』
首を振って周囲を見渡すと、草むらの影や木の陰に隠れた人影が複数見えた。周囲全体を囲まれているらしい。
「うーん、困った困った。言葉、通じるかなぁ?」
左手の人差し指を唇に当てつつ、困り顔をして見せながらアンジェリカは言う。
もちろんはったりである。たかだか複数の“人間”に取り囲まれた程度で狼狽えるような私達ではない。
むしろ、困ったという言葉の意味は……
次の瞬間、四方から耳を割くような銃声が一斉に響き渡った。
僅かな間の後、草木は朱色に染まり、鮮血が大地を染めていく。
「だから言ったのにぃ。“言葉が通じるのかな”って」
アンジェリカが無邪気な笑みを浮かべながら言うと、草むらに身を潜めながら銃を発射したはずの人物達が次々と地面へと倒れていった。
木陰に身を潜めたまま、難を逃れた人々はお互いの顔を見合わせながら、何が起きたのか分からないとでもいうように狼狽えている。
襲ってきておいて怯えるなど呆れてものもいえない。私は内心で大溜め息を漏らしたが、アンジェリカにとっては存外に彼らの行動が面白かったらしい。
「きゃはははは!良き良き☆歓迎の挨拶としては上出来ぃ!でーもー。こんなか弱い女の子に向かって、挨拶も無しにいきなり銃を撃つのはー、めっ!なんだよ?だってぇ~、当たったら、痛いでしょ?」
彼女は満面の笑みを浮かべながらそう言うと、右手をぱちんっと一度だけ弾く。
地面を潰すような重圧が周囲に満ち、大気を鋭い風が駆け抜ける。一瞬の間の後、顔を見合わせていた人々の頭部が崩れるように地面へと落ちていった。
大地に無数の生首が転がり落ちる。数にして8つ。アンジェリカの合図に合わせ、一瞬にして8つの命が儚い灯を散らした瞬間であった。
頭を失い、心臓の鼓動に合わせて真紅の血液を規則正しく噴き上げる複数の胴体。それらは行き場を失くして彷徨う人のようによたよたと歩き、やがて全てが地面へ一様に崩れ落ちていった。
絶対の法 -レイ・アブソルータ-
私達は自らが持つ不思議な力にそう名付けた。
頭で想像した事象を現実世界に引き出す異能。自身が定めたことがこの世界においての〈絶対真実の法則〉となるという意味を込めている。インファンタの敷いた法こそが世界における真理、絶対の法則であるのだから。
ちなみに、能力行使の際に指を鳴らすのは銃を発射する際の引き金のような役割の為だ。
本来は何もする必要がない。ただ念じるだけで行使することが可能な力ではあるが、そうした方が“都合が良いことが多いから”という理由で敢えて指を弾くようにしている。
そう、例えば〈指を弾かなければ力が使えないなどと敵対者に誤信させる為〉というような。
肩を震わせながらけたけたと嗤う悪魔のような彼女を目の前にして、その場にただ1人残された人間は悲鳴を上げることすら出来ず、尻もちをついて怯えたまま身動きがとれなくなっている様子だ。
アンジェリカはゆっくり、ゆっくりとそちらへ視線を向けると、るんるんとした軽快な足取りでその人物へと向かって行った。
あぁ、なんて楽しそうなのかしら。
ねぇ?アンジェリカ。少し私に代わりなさいな。
私が彼女に伝えると、彼女は快く応じてくれた。
赤紫色の瞳が淡く輝く。アスターヒュー色の瞳を見開き、楽し気な笑みを浮かべて私は言う。
「ねぇ?貴方たちのことを詳しく聞かせてくれるかしら?」
くすくすと笑いながら問い掛ける私の姿を見つめたまま、地面で身動きが取れなくなっていた人物は何やらわめきたてるように言葉を発すると手に持った銃を構え、震える手で引金を弾こうとする。
ここの人間は学習能力というものが無いのだろうか?
実に嗤える光景だ。
彼の行動を見た私は無意識に頬を歪めて悪辣な嘲笑を浮かべていたに違いない。
それにしても随分となまったスペイン語と英語が混ざったような言葉を話す輩だ。
アンジェリカと人格交代をした私はこの人物の発した言葉の意味をほぼ正確に汲み取った。
みすぼらしい恰好をした男の吐いた言葉。それは遠い昔に自分達に両親が浴びせかけた言葉と似たようなものだった。
“化物、悪魔、ここに何をしに来たんだ!”
そういった類の言葉である。
状況は最高に楽しいが、言われた言葉は貧相でまるで面白みがない。
もう少し捻りの利いた言葉が出て来ないものだろうか?
「残念ね。もう少しお話が出来ると嬉しかったのだけれど。何せここに辿り着いたばかりで情報が無いのよ」
左手を上げ、目の前の人物に差し伸べるふりをしながら言った。
「ねぇ?貴方はこんな言葉を知っているかしら?」
1秒、2秒、3秒。永遠に近い時が流れているかと錯覚するほど長い時間が過ぎ去った後、私は彼に時間切れであると伝えた。
「“罪がもたらす報酬は死である”」
そう言って目の前の男の命を絶とうとした、まさにその時。左手側から別の男の低い声が聞こえてきた。
“なれど、神の下さる賜物は、我らの主イエス・キリストにある永遠の生命である”
へぇ、話の理解できる人間もいるんじゃない。
お楽しみはお預けになりそうね。アンジェリカ、任せるわ。
彼女に伝えると、頭の中に彼女の元気な声が響き渡った。
『任されたー☆>▽<』
私はこの場を彼女に任せることにした。無邪気な少女相手の方が都合が良さそうだからだ。
再び人格を入れ替え、アンジェリカはゆっくりと声のした方向へ視線を向けると年相応の輝かしい笑みを湛えて言う。
「正解せいかーい☆よくできました~♪偉い偉い☆」
新約聖書 ローマ書の第6章23節の言葉を的確に言い当てた男を私達は讃えた。男を視界に捉えたままアンジェリカは続ける。
「貴方達はだぁれ?というより、ここはどこ?私ね、迷子になっちゃったみたいで困ってるんだー」
男は両手を挙げ、敵意が無いことを示しながら数歩アンジェリカへと近付くと、すぐさま首を垂れ跪く。そして、先の質問には答えることなくこう言った。
「貴女様のおっしゃるとおり、我々の弱さは罪でございます。そして罪には相応の罰が与えられるべきでありましょう。我らが弱かったからこそ、貴女様は我らの同胞に死という罰をお与えになった。同時に、貴女様の強さは我らにとっての神の賜物であると見受けられます。我ら〈エトルアリアス公国〉にとっての永遠の生命の為に、力添えを願いたい」
エトルアリアス公国?確か北大西洋に浮かぶちっぽけな島国だったはずだ。
だが、その国を討つために遠征をした国の軍隊はことごとく討ち果たされ、どこの軍隊とて帰還を果たせなかった。故に、国の内情はもちろん、大まかな概要ですら謎に包まれたままの国家であると記憶している。
ここがそのエトルアリアス公国だというのだろうか。
アンジェリカは身を屈め、自身の前で跪く大男を覗き込むようにまじまじと見つめた。
立てば身長2メートルはあろうかという強面の大男が、身の丈140センチにも満たない華奢な自分を前にして降伏の意を示し、さらに力添えを求めているなどと。
こんなに滑稽で面白い話があるだろうか?
さぁ、どうしたものか。
「うーん、どうしよっかなぁ」
『どうしようかしらね?貴女が決めちゃって良いわよ?』
「ふむふむぅ。悩んじゃうね~☆」
だが、彼の申し出を私達2人が検討している最中に唐突に銃声が虚空へと響き渡った。先程尻もちをついて震えていた人物が、今頃になってようやく手に持った銃の引金を引いたらしい。
そういえばそうだ。
そこに彼が存在するということすら忘れてしまっていた。
しかし憐れな男だ。そのまま黙ってへたり込んでいれば、命が助かる可能性もあったというのに。
彼の放った銃弾はアンジェリカに届く前に弾き飛ばされ、彼女を撃ち抜くどころか逆に銃を放った自分の額を正確に撃ち抜いていた。
絶対の法を前にして、何人たりともそれを破ること能わず。
こうして草むらにはまたひとつ、新たな死体が誕生することとなる。
彼には空気を読む力が欠けていたらしい。
興醒めだ。まぁ気にする必要もないだろう。
発砲する前に彼が何かを言ったような気もしたが、私達の耳にその言葉が届くことは無かった。
私の抱く気持ちと同じように、アンジェリカはこの場に自分達以外の人間など、そもそも存在すらしていなかったとでも言うように無関心を決め込んで大男へと返事をした。
「永遠の生命って言った?へぇ、面白いことを言う~☆気に入った、気に入った♪貴方達のことを教えてちょうだい?そうしたら、無条件で協力してあ・げ・る♡」
弱さは罪である。
罪には相応の罰が与えられなければならない。
その報酬は死であり、神が与える賜物は永遠の生命である。
周囲を取り囲んだ人々の銃撃や言葉は私達に届かなかったが、彼の発した言葉は確かに私達の心に届いた。
これが私達とエトルアリアス公国の出会いであり、西暦1748年の春に実現したこの出会いが後の世界に計り知れないほどの影響を与えることとなる。
私達がエトルアリアス公国に辿り着いて2年後の西暦1750年。
エトルアリアス公国は国名を〈グラン・エトルアリアス共和国〉と改め、後の世へと存続していくこととなる。
以後、英国より先に産業革命を起こしたこの国は、優れた科学技術力を武器に確実な成長を遂げていった。
こうして私達とグラン・エトルアリアス共和国は第一次世界大戦、第二次世界大戦、東西冷戦と数多繰り返される大国同士の戦火を潜り抜け、西暦2030年代においても世界に対する影響力を持ち、さらには高い国力を保ったまま存在し続けたのである。
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