* 1-1-3 *

 あの日から、どれほどの時が経過したのだろう。途中で数えるのを止めてしまってから随分と経った。

 100年?200年?いや、それよりももっと長いはずだ。


 理由は分からない。分からないが、私は生き続けた。私達は生き続けた。

 変わらない少女の姿のままで、人智を越えた時間を過ごしてきた。


「あなざぁ・みぃ、でぃふぁれんと・みぃ、あるたーえご、あんじぇりーな、あんじぇりーな?」


 大海に浮かぶ小さな船の中に寝ころんだまま、私は言った。

 物心ついた頃から一緒に過ごしてきたもう1人の私に向かって、存在を確認するかのように穏やかな声で。


『どうしたの?アンジェリカ。気分でも悪い?』


 彼女は優しい。いや、彼女だけが優しかった。

 リナリア公国で使命の為だけに生きる日々を過ごす内、いつの間にか自分の中に生まれ付いていた彼女。


 もう1人の私。

 アンジェリーナ。


『アンジェリカ?どうしたの?黙っていては何も分からないわ』

「うふふ、ごめんごめん☆少し呼んでみただけ~、なんだよ?」

『相変わらずね』

「貴女の心配性だって相変わらずぅ。でも、ありがとう☆^^」

 そう言いながら私は笑ったが、この笑顔はそう長くは続かなかった。心配した彼女が言う。

『いつになくしんみりしちゃって、どうしたのかしら?』

「何でもないよ。大丈夫、大丈夫ぅ」

 心配そうに声をかけるアンジェリーナに返事をした私は、視界いっぱいに広がる雲一つない空をじっと見つめた。


 彼女のおかげ、なのだろうか。

 数百年にも渡る時を生きて来られたのは。


 海よりも広い青。眺め続けていると、落ちていきそうな錯覚を覚える。そんな青空を見つめる目を静かに閉じると、懐かしい記憶が蘇ってきた。


 アンジェリーナが初めて自分の中に姿を現したのは確か6歳の頃だったと思う。拘置所にいる罪人を両親の教え通り尋問していた時のことだ。

 当時は幼さゆえ、罪を犯した人々から自分に対して浴びせられる罵詈雑言に心が締め付けられる思いを抱いていた。


 本当は嫌だった。


 どうして他の子供たちと違い、自分だけがこのようなことをやらされなければならないのか。


 私だって他の子供たちと外で遊びたい、一緒に草原を走り回りたい。

 レナトやイベリス、マリアはそうしているのに。

 綺麗な花を眺めて、綺麗な景色を眺めて、楽しいお喋りに花を咲かせたい。

 あの子達のように…

 ロザリアやアイリス、アルビジアだってそうしている。

 なのに私は、私だけは違う。

 私が見たいものは目の前に広がる冷たい石の牢獄や薄汚れた罪人などではないのに。


 しかし、両親に逆らうことは出来なかった。

 言われるがまま、命令されるがままにただただひたすらに罪人を裁くための教育を淡々と施されていくだけの日々。

 そうした中、対面した罪人たちから浴びせられるインファンタの家系を罵倒する言葉や両親を罵る言葉は幾度となく繰り返される。その子孫である自分に対して向けられる言葉も酷く、容赦のないものであった。

 あの頃は理解できなかったが、時折混ざる言葉の中には幼い子供に投げかけるものとは思えない呪いの言葉まであったように思う。

 罪人の中には“どうせ死ぬことが決まっているなら”と、私を手にかける為に牢の中から手を伸ばし捕まえようとする者もいた。

 こうした経験をした日の夜は眠ることが出来なかった。


 どうして?どうして?どうして私がこんなことをしなければならないの?

 私は他の子どもたちと一緒に外で遊びたい!他の子どもたちと一緒に綺麗な景色を見たい!他の子どもたちと一緒に草原を駆けまわりたい!

 ただそれだけなの!ただそれだけなのに!

 こんなもの、私が望んでいることじゃない!

 こんなもの、私は望んでいない!

 こんなもの、こんなもの、こんなもの!


 望んでなんかいない……


 ねぇ、イベリス、レナト、マリア……貴方達はどうして私を助けてくれないの?

 ねぇ、ロザリア、アイリス、アルビジア……?



 怖かった。怖くて怖くて仕方なかった。

 両親に連れられて地下牢に向かう度、全身の震えが止まらなくなっていった。


 それでも。それでも、これは自分に課せられた使命なのだ。運命なのだ。

 逃げ出すことは許されない。リナリア公国において、インファンタという家の子どもとして生まれ付いた以上、逃れることが出来ない定めである。


 その運命をようやく受け入れた時、自分の心は音を立てて壊れていった。


 命令に従い、言われるがままに尋問を行い、処刑を執行すれば褒めてもらえる。それだけを喜びとすることで自分を保ち続けた。

 目の前の人間をどれほど残酷な方法で殺そうと良心が痛むことすら無くなっていった。

 楽しいとすら思うようになっていった。


 そうだ。自分はこの時に人間ではなくなったのだろう。


 これが世の中の仕組みなんだ。私に与えられた使命なんだ。

 私をこの世に産み落とした彼らが、私に向かって告げた最期の言葉通り、この時には私という人間は〈悪魔〉となっていたに違いない。


 アンジェリカ。


 天使のような……という名前とは対照的に、そうなり果ててしまっていたに違いない。


〈天使と悪魔〉


 あぁ、滑稽に過ぎる。あぁ、嗤ってしまうほどに。

 やがて、使命に忠実に生きることが自らの存在意義となった。それだけが全てとなった。


 そうだ。私は立派なインファンタの次期当主としての道を歩んでいるんだ。

 誰に恥じることもなく、誰に引け目を感じることもない。

 私だけに与えられた、私だけが歩むことを許された、私だけの道。 


 両親から褒められるときには笑みを浮かべた。人を殺した後で、子供らしい無邪気な笑みを浮かべて見せた。

 そうして従っていれば、両親は自分に〈愛〉を向けてくれたからだ。

 しかし、この時に至っても本心は別の所にあったのだと思う。



 私は、本当は……



 誰も助けてくれない。

 誰にも助けを求められない。

 呪われた運命から引き上げてくれる人はいない。

 手を差し伸べてくれる人はいなかった。


 ただ、言われるがままに使命をこなすだけの可愛いお人形さん。

 それが私だ。変わることのない、私の生涯だ。

 他の子どもたちとは違う。たった1人きりで呪われた使命を背負い、たった1人きりで役目をこなす。


 でも私は、それでも私は……


 本当は……


 私はただ……




 

 ある日、私は両親に促されるがまま、いつもと同じように地下牢へ向かい罪人の尋問に取り組んだ。

 道中聞かされた話によると、その人物は初老の男性で正義感の強い人物だという。しかし、彼の罪状は殺人である。

 街で起きた喧嘩の仲裁に入り、喧嘩をしていた人物たちを引き離そうとした際に誤って1人を突き飛ばしてしまったそうだ。

 突き飛ばされ倒れた人物は、たまたまその場に置いてあった木箱の角に頭を激しくぶつけ負傷。結局その傷が致命傷となって亡くなったらしい。


 悪意を持って起きた事件ではないと理解は出来る。

 本来であれば適当に話を聞き、ある程度痛みを与えた後は〈敢えて見逃す〉という選択肢が倫理的には正しいのだろう。

 だが、そんなことをすれば両親から何を言われるか分かったものではない。

 罪状は殺人だ。どんな背景や事情があるにせよ、人が人を殺してしまったことに変わりない。犯した罪と同じ罰を与えなければならない。つまりは死を与える必要がある。

 やれと言われた以上、しっかりと彼を〈殺さなければ〉。


 私は地下牢へ辿り着くと、彼の拘置された牢屋の前に座り彼を見据えた。

 普段と変わりなく罪人を目の前にし、変わりなく言葉をかける。


「ねぇ、貴方。反省してるぅ?」


 質問に意味など無い。だが、そうしなければならない。

 大抵こういった時、牢の中の囚人たちは自らの死を悟って怯え切った態度を見せるのだが、その日向き合った彼は他の誰とも違った。

 彼から放たれた言葉はまったく異なるもので、自分の心を大きく揺さぶった。

 目の前の初老の男性は私の問い掛けに対し答えることもなく、静かに首を振ってこう言ったのだ。


「確か、君はアンジェリカというのだったね。噂には聞いている。実際に目の前にしてみると、思っていた以上に心にくるものがある。

 インファンタ。君がその呪われた姓を受けずにこの世に生まれていたとしたなら、どれほど今と違う景色を見ることができたのだろう。

 そうであったならきっと、今君の目の前にあった景色は錆びれた地下牢と私のような老いた囚人などというものではなかったはずだ。


 私はつくづく思う。君のような幼子が、人を裁くなどという使命の為に生を捧げなければならないだなんて嘘であってほしいと。

 インファンタが担う使命は、誰かが行わなければならない役割だということは理解しているつもりだ。

 栄誉と王威を背負って立つガルシアという光の後ろには、公国の闇を裁くインファンタという影が必要なことくらいはわかる。

 だが、“それが君である必要がどこにあるのだろう”か」


 何を言っているんだ?こいつは。

 アンジェリカは内心で思いながらも、何も言わずに話を聞いた。


「私が犯した罪は殺人だ。故意であろうとなかろうと、犯した罪と同じだけの罰を受けなければならないのだろう?それがこの国の、法の番人であるインファンタが定める〈絶対の法〉だ。

 アンジェリカちゃん。君が私を殺すというのなら、私はそれを素直に受け入れよう。


 だが、その代わりに少しだけ私の言葉を聞いて欲しい。

 何、大したことではない。自らの罪に対して赦しを乞うたり、迫る死からの助けを乞うなどというものでもない。

 私はね、ただ君に謝りたいのだよ。


“君のことを助けてあげられる大人でなくてすまない”


 私にとって、君の為に出来ることは、その使命を完璧に全うできるようにこの命を捧げることだけなんだ。そうすれば君が怒られることはないはずだから。

 私にとって、君の為に出来ることは、自らの命を差し出し、君の先の幸福を願って祈りを捧げる程度のことだけなんだよ。

 情けない大人で、申し訳ない。君をこのような辛い目に遭わせてしまう私達は最低な大人だ。そのことを、今日は君に伝えたかった。

 運命などというものがあるとすれば、私はそれを憎もうと思う。

 そして先に言った通り、君の幸せを願って祈りを捧げよう。


 主よ、憐れみ給え」



 彼は言葉を言い終えると静かに目を閉じ、額の近くで十字を切った。


 まるで、心を見透かされていたようだった。

 彼が敬虔なキリスト教徒であるという話は事前に聞いている。コンセプシオンの教会に足繁く通う清廉なる教徒だという。

 そんな彼の今の姿は、まるで神に対して祈りを捧げるかのような……



 どうにかなってしまいそうだった。

 いつも目の前にする囚人と同じように、泣いて、喚いて、叫んで、赦しを乞われる方がよほど良かった。

 醜悪な姿を晒す人間など、自身の内にある怒りで何とでも痛めつけることが出来る。


 だが、彼はあろうことか“私の幸せを願う”と言っただろうか?


“君の幸せを願って祈りを捧げよう”


 そのような人物を、殺す?この手で?




 私はあの時、自分の両手を見つめながら呼吸を乱した。

 息が苦しい。自分が今日これから、手にかけようとしている人物は今まで出会ってきた囚人の誰とも違っている。

 たった1人。ついに自分の心を理解してくれる人が現れたような気がしたというのに、私はこの手で、彼を?


 役目、使命、正義、罪、罰、裁き。


 そんなこととは関係なく、自分をただひとりの人間として見てくれた人物が現れたような気がした。

 けれども、けれどもだ。ここで手を止めるわけにはいかない。

 振りかぶった拳は振り下ろさなければならない。

 インファンタの掟に従い、リナリア公国の〈絶対の法〉に従って、務めを果たさなければ。

 そうしなければ、自分が両親に責められるのだから。

 彼の言う通り、怒られるのは私だ。罰を受けるのは、私なのだ。



 私は目の前で祈りを捧げる老人へ視線を向け、呼吸を乱したまま近付こうとした。

 しかし、足が思うように動かない。恐怖で怯えたように竦んでしまい、一歩も前に踏み出せなかった。

 彼は目を静かに閉じたまま、両手を胸の前に合わせて変わらず祈りを捧げる姿勢をとっている。

 神に祈る姿勢のまま、私に対する祈りを続けている……!

 未練も、後悔もないという風に。ただ自らの運命を受け入れ、私に殺される瞬間をじっと待ち続けている。



 脳裏に、過去の記憶が津波のように押し寄せた。

 初めて尋問をした日のこと。初めて罪人を処刑した日のこと。

 両親に褒めてもらった日のこと。初めて1人で罪人の処遇を任された日のこと……

 それが定めなのだ。使命なのだ。それが自らに課せられた運命だ!


 あぁ、それなのに、それなのに、それなのに!!


 どうして、私は……

 どうして、私だけが……


 私は、本当は……



 あぁ、どうして……?私だけが……

 私はただ……私はただ、誰かに……




 押し寄せる感情に自らの心が決壊しそうになった、その時である。

 自分の意識が遠く後ろに引き寄せられていくような感覚に襲われた。

 景色だけが取り残されて、遠くから自分の後ろ姿を眺めるような不思議な感覚。


 自分の身体が勝手に動いた。

 何者かが乗り移って、乗り移った何者かの意思によって操られるかのように動き始めていた。



 私ではない私はゆっくり右手を持ち上げると、ぱちんっと一度だけ指を鳴らす。



 瞬間、目の前で祈りを捧げていた彼の身体が凄まじい力で内側から引きちぎられるように破裂してバラバラになった。

 大量の返り血が自らに降りかかる。自分を初めてひとりの人として認めてくれた人物の温かな血が、私を真っ赤に染め上げた。


 

 バラバラになり、折れて砕けた骨が突き出したままの四肢からはとめどなく血が溢れ、内蔵や臓物も全て飛び散り、もはや人間の体裁を保っていない彼の亡骸が目の前に散乱している。

 その時、混乱し恐慌する私の中にふと“自分の声”が響いた。


『貴女には、荷が重すぎる』


 それは、目の前に広がる残酷な現実とは対照的に、とても優しくて暖かくて……

 まるで私のことを慈しむかのような声であった。



 これが、私の中にアンジェリーナが姿を現した最初の日である。

 第二人格。もう1人の私。彼女は私の背負う過酷な運命を共に背負ってくれた。

 彼女だけが私の苦しみを、痛みを理解してくれた。


 そしてアンジェリーナが私の中に姿を顕してからというもの、私は不思議な力を扱うことが出来るようになった。

 頭で思い描いたことを現実に引き起こすことが出来る力。物理法則などの一切を無視し、望む結果を想像して念じるだけで全てを実現できてしまう力。

 現実と空想の狭間で何もかもが思い通りになる異能だ。


 その日の出会い以来、私は常に彼女と一緒だった。同じ肉体の中にふたつの人格。


 私が辛いと思った時、常に傍にはアンジェリーナがいてくれた。

 彼女は私の悲しみを悲しみとして受け止め、喜びを喜びとして分かち合ってくれる。

 私の心が傷付かぬよう、私が辛いと思うことは全てアンジェリーナが代わりに担ってくれた。


 不思議な力を使い、冷酷で残忍で一切の躊躇もなく他者を殺めるアンジェリーナ。

 理不尽に与えられた役目に文句を言うことも無く、むしろ楽し気な表情で淡々と責務をこなす彼女には、慈悲も情けも容赦もありはしなかった。


〈天使と悪魔〉


 これが私の姿?これが私の……

 けれども、アンジェリーナは私にだけはとても優しかった。


 自らの中に生まれたもう1人の自分は、地獄のような世界の中でただ1人、自分に対してとても優しかったのだ。

 私という悪魔の中に顕れた〈天使〉。

 私を救ってくれた人。

 それがアンジェリーナという存在。




 私は海を揺蕩う船で再び目を開き、青空に目を向けて言った。

「ねぇ、アンジェリーナ?」

『何かしら?』

「いつも、本当にありがとう☆^^」

 言葉を聞いた彼女は何かを悟ったように言う。

『どういたしまして』


 私は満足だった。彼女は私の全てを理解してくれる。

 何だかとても気分が良い。そうだ、歌を歌おう。最近まで滞在していた島で教えてもらった〈愛の詩〉を。



I have been ready at your hand,〈私には全てを差し出す覚悟がある〉

To grant whatever you would crave,〈貴女の望むものを全て与える為に〉

I have both wagered life and land, 〈領土も、この命を賭すことも厭わない〉

Your love and good-will for to have. 〈それで貴女の愛が得られるのなら〉


Greensleeves was all my joy〈グリーンスリーブス、貴女は私にとっての喜びだった〉

Greensleeves was my delight,〈グリーンスリーブス、貴女は私の楽しみだった〉

Greensleeves was my heart of gold,〈グリーンスリーブス、貴女は私の心の支えだった〉

And who but my lady greensleeves.〈私のグリーンスリーブス。貴女以外に誰がいるというのか〉



 その後、私達を乗せた小さな船は、2人の運命を決定づける大西洋上に浮かぶ〈とある島〉へと辿り着く。

 西暦1748年の春のことである。


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